『高校生からわかる「資本論」』(池上彰・著)のレビュー
最近わりと、「資本論」がブームになっていますね。
これはやっぱり新型コロナによって不況になっていることが影響しているのかな……などと私はぼんやり考えています。
不況になると、だいたい割りを食うのがアルバイトとか派遣社員とか、いわゆる非正規雇用と言われる人たちです。
正社員でも、夏とか冬のボーナスが減った人が多いとは思いますが、それでも仕事と固定給がもらえるだけマシでしょう。
実際、2008年にリーマン・ショックが起こり、「年越し派遣村」というものができたときには、小林多喜二の『蟹工船』ブームがありました。
『蟹工船』はプロレタリア文学とよばれるもので、資本家に搾取される労働者の悲哀を描いたものです。
日本が「世界一成功した社会主義国家」とよばれるわけ
さてマルクスの「資本論」というと、共産主義を礼賛するだけの本のように感じている人もいるかも知れませんが、実際はむしろ、「資本主義」の構造を明らかにした本だといえます。
そして本書によれば、日本には欧米諸国に比べて、マルクスを研究する学者が多いようです。
その理由について、次のように述べられています。
戦前、第二次世界大戦前に日本でも社会主義を主張したり、戦争に反対した人たちもいたわけだよね。でも、日本は日中戦争や太平洋戦争など戦争の道へ進んでしまった。アジア諸国を侵略して、結局戦争で負けました。
その時に多くの日本人がいろいろ反省したわけだよね。「何でこんな戦争をしちゃったんだろうか。戦争なんかすべきでなかった」ということになったら、実は戦争中、あるいは戦争の前から戦争に反対した人たちがいたことに気づいた。その人たちは、たとえば日本共産党や、日本共産党以外でもマルクス主義という考え方を持っている人たちだった。
(中略)
みんなが「戦争、万歳」と言っている時代にも、「戦争はいけない」と言っていた人たちがいたんだって、戦後みんながこの人たちを見直したのね。そして、マルクス経済学を研究している人たちが全国の大学の経済学部の主流になった。マルクス経済学を教えるのが主流になったんですね。
たとえば東京大学の経済学部でも多くの教授がマルクス経済学を教えていたのね。そうすると日本の官僚たち、あるいは日本の大企業のトップたちは学生時代、みんなマルクス経済学を学んだものです。資本主義というのは、自由勝手にやっておくと労働者の権利が失われて、労働者が貧しい状態になる。革命が起きるんだよ、ということをみんな学んだわけ。だから戦後日本の霞ヶ関の中央省庁の役人たち、あるいは政治家たち、それから大企業に就職してやがて社長になった人たちの頭の中に、マルクス経済学的な発想が入り込んでいたのです。
たしかに、「日本はもっとも成功した社会主義国家」などといわれることもあります。
成果に関係なく、ただ「長く会社にいるから」「年長だから」という理由だけでたくさん給料がもらえる。
最近はこうした日本独自の制度が崩れて、実力主義的な側面が増えてきましたが、それはある意味で社会主義的よりだった制度が、本来の資本主義に近づいてきたということが言えるわけです。
社会主義国家が失敗したわけ
歴史を振り返ると、第二次世界大戦後、ソ連や東欧諸国など、いわゆる社会主義を標榜した国は衰退していきました。
だから「やっぱり社会主義、共産主義は間違いだったんだ」ということで、いまも資本主義の国が幅を利かせています。
ただ、じつはソ連などの行った社会主義は、マルクスが主張した社会主義、共産主義とは違うものでした。
マルクスが主張したのは、「資本主義が成熟し尽くしていくと、やがて搾取されまくった労働者による革命が起きて社会主義に進む」というものです。
しかし、ソ連がやったのは、一部のインテリが半強制的に国を社会主義で運営していくと決めるやり方だったので、そもそも社会主義に慣れるような土壌になっていなかったと言えるわけです。
そのため、こうした社会主義は、ロシア革命を起こしたレーニンと結びつけて「マルクス・レーニン主義」とよばれたりします。
「資本論」をめっちゃ要約すると
ここでありがたいことに、池上先生は「資本論」の骨子を短くまとめてくれています。
次の文章です。
人間の労働があらゆる富の源泉であり、資本家は、労働力を買い入れて労働者を働かせ、新たな価値が付加された商品を販売することによって利益を上げ、資本を拡大する。資本家の激しい競争により無秩序な生産は恐慌を引き起こし、労働者は生活が困窮する。労働者は大向上で働くことにより、他人との団結の仕方を学び、組織的な行動ができるようになり、やがて革命を起こして資本主義を転覆させる。
いやこれ、たぶん多くの人がチンプンカンプンだと思うのですが、何冊か本を読んで「資本論」についての理解を深めると、なるほど~と思う要約なのです。
「資本論」はただの翻訳書を読むとめちゃくちゃわかりにくいのですが、池上先生によれば、その理由としては
・マルクスがわりと意図的に難しい言葉を使っているふしがある
・キリスト教徒じゃないとピンとこない表現も多い
ということを述べています。
たとえば、
「使用価値または財は、抽象的に人間的な労働がその中に対象化されている、あるいは受肉しているからこそ意味を持つ」
という一節について。
これは要するに、
「価値がある商品というのは、その商品ができあがるまでに、つくった人がいろいろ苦労しているからこそ価値があるんですよ」
ってことです。
受肉というのは本来、神の子であるキリストが人間という肉体を持って地上に生まれたことを意味しています。
神様というのはもともと私たちが五感で感じられるものではないのですが、人間の肉体をもつことによって、私たち人間はそれを認識できるようになった、ということです。
ここに受肉という言葉を使うことによって、キリスト教社会の人たちは、「ああ、それだけ貴重な尊いものが商品の中には含まれているんだな」ということがわかる。キリスト教を常識として子どものころから学んでいないと、こういう言い方ってなかなかわかりにくいよね。
余談ですが、欧米のさまざまな文学作品や論文を読むと、読者にキリスト教的な常識があることを前提に論理が展開されていることが多いのです。だから、将来あなたが小説や論文を理解しやすくなるように、一度は旧約聖書や新約聖書を読んでおくことをお勧めします。
「資本家」をめちゃくちゃカンタンに説明すると
資本家というのは、「お金を使ってお金を増やそうとする人たち」のことです。
いわゆる労働者は、自分の労働力とお金を交換して、それで食べ物などを買います。
労働力と食べ物などの商品を「W」、お金を「W」と表現すると、
W(労働力) → G(給料) →食べ物(W)
という行動になります。
労働者が自分の持っている商品(労働力)をお金に替えようとする目的は、じつは別の商品を手に入れるためです。
しかし、資本家(いわゆる会社の経営者)は違います。
資本家の行動は次のような感じです。
G(お金) → W(商品) →G’(お金+利益)
たとえば100円でリンゴを買います(G→W)。
そのリンゴを一口大に切り分けて種を取り除き、皮をむいて「カットリンゴ」として120円で販売します(W→G')。
はい、お金が増えました。
これが資本家です。
労働者は100円でリンゴを買っても、それを自分で食べて終わりですね。
ただの等価交換です。
ただ、マルクスは同時に資本家のことを「意志と意識を持つ人格化された資本」とも表現しています。
細胞が自己増殖を目指すように、資本が自己増殖を目指すために意思を持って行動しているようなものだということですね。
だれでも心がけひとつで、資本家になれます。
「お金を使ってお金を増やす」という発想を持って行動すれば、それはもう資本家としての行動だってことです。
しかもピケティ先生の本によって
「お金がお金を生み出すほうが、労働がお金を生み出すより速い」
ということがすでに明らかにされています。
お金がほしいなら、自分の労働力をお金に変えるのはすごく非効率的だということですね。
本書では後半で
・資本家がどうやって利益を生み出していくか
・なぜ労働者は搾取されてしまうのか
・なぜ資本主義は自己崩壊するのか
などがつづられています。
かなりおもしろいので、ぜひ読んでみてください。
なお、こちらの本を読んだら、以下の本もおすすめです。
後記
お金とはなんぞやというテーマに沿ったマンガでは、『ゴールデンゴールド』もおすすめです。
福の神伝説が残る島・寧島で暮らす中2の少女、早坂琉花。ある日、海辺で見つけた奇妙な置物を持ち帰った彼女は、ある「願い」を込めて、それを山の中の祠に置く。すると、彼女の目の前には、“フクノカミ”によく似た異形が現れた――。幼なじみを繋ぎ止めるため、少女が抱いた小さな願いが、この島を欲望まみれにすることになる。
フクノカミがいると、なぜかどんどんお金持ちになります。
といっても、別に空からお金が降ってくるわけではなくて、急にビジネスセンスが冴えてお金が儲けられるようになるのです。
ホラーともギャグとも取れない不思議な世界観。
絵柄はなんとなく石黒正数さんに似てますね。
あと、なんだかんだ恋愛要素もあります。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。