本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

西洋哲学者たちが目指すところ ~『齋藤孝のざっくり!西洋哲学』のレビュー

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ちゃんと数えていないからなんとも言えないけど、少なくとも存命の大学教授で一番本を刊行している人が齋藤孝センセではないだろうか。

 

齋藤センセは本の執筆だけではなく、テレビを始めとしたメディアにも多数出演し、講演会も開催しているようで、ちゃんと大学の授業はできているのか、研究はできているのかこちらが心配になってくるくらい精力的に活動している。

 

 

最近の本は「話し方」「読書術」などが多いのだが、今回紹介するのはこちらの一冊。

 

 

タイトルの通り、本書は古代から現代の哲学に至るまでの大きな「流れ」を読み解き、ざっくりとわかるようにしてくれる一冊だ。

 

西洋哲学における3つの山脈

齋藤センセによれば、西洋哲学には「3つの山脈」があるという。

というよりも、この主張こそがこの本におけるメインの内容だ。

 

1.アリストテレス帝国の建設まで

西洋哲学と東洋哲学を隔てるものがあるとすれば、西洋哲学は「この世界の本質を1つの原理で説明したい」という欲求にある。

そのため、世界や人間について、言葉で定義づけようとする。

そして、初期の哲学において世界のすべてを説明しようとした偉人がアリストテレスであり、この思想はその後2000年近くにわたって、キリスト教にうまく利用されることで影響力を持ち続ける。

 

2.近代合理主義による哲学の完成

初期哲学においてはプラトンが提唱したイデア論に基づき、最終的に「ものごとの本質を人間は捉えることができない≒神にしかわからない」というような結論になってしまうのだが、それに異を唱えるのが「近代合理主義」な人たちだった。

自然科学が発達するのと同時に、デカルトやカント、ヘーゲルたちは「もっと人間の五感、理性を信用してもいいんじゃないか」と主張し、哲学において「理性至上主義」がメインストリームとなり始める。

 

3."完成された哲学をぶっ壊せ!”という現代思想

さてさて「理性がいちばん偉い」という結論に落ち着いたわけだが、やっぱりそこにも「違うんじゃねえか」と疑い始める人々が現れる。

私たちを突き動かしているのは理性だけではなく、まだ私たちが説明しきれていない「なにか」がある。

ニーチェはそれを「力への意志」と表現し、ソシュールは「言語という体系」、フロイトは「無意識」、レヴィ=ストロースは「構造」などといっている。

 

ここでわかりやすいのは、哲学を「処方箋」にたとえたこの部分。

 

そういう意味では、哲学・思想とは私たちの人生に対する「処方箋」であるとも言えます。その処方箋を出す思想家はさしずめ薬局であると言えます。

中世までは、この世界のすべてが「アリストテレス薬局」と「キリスト教薬局」の出す薬で済んでいました。たとえて言えば、「正露丸」やかつての「アスピリン」のような万能薬だったのです。

けれども近代になると、それが効かなくなってきたので別の薬局が次々と現れた。さらに現代になると、社会も複雑になり、人間も複雑になって、それに対応すべく薬局は乱立してしまい、逆にわけがわからなくなってしまった。ニーチェマルクスといった劇薬もできてしまった。現代思想は、いわばそんな状況に陥っているようにも思えます。

 

西洋哲学はなぜ神に対抗するのか

ちなみに、齋藤センセは西洋哲学そのものに対して、東洋哲学と対比しながら疑問を投げかけているところも多い。

たとえば、「たった1つの論理で世界のすべてを説明したい」という無理難題は、そもそもイデア論を生み出したプラトンの思想から始まったんじゃないかと述べている。

 

西洋哲学を読んでいて、私が違和感を覚えるのは、この人たちは「人間は偉い!」ということをなぜこれほどまでに言わなければ気がすまないのか、そんなに主張しなくてもいいのではないか、ということです。

実は西洋哲学の特徴というのは、ごく簡単に言うと、「人間は抜群に偉い! ほとんど神だ!」と主張することなのです。それはまるで、神になりたい人間の理論的補強のようにも見えます。

これは日本人には少しわかりにくいかもしれません。

日本でも菅原道真のように人から神になった人はいますが、日本の神は、西洋における、世界を創った全知全能の神とは違います。菅原道真の場合など、怨霊となって襲ってくると厄介なので、神様として祀ってご機嫌を取っておこうという程度のことにすぎませんから、他愛もないといっては申し訳ないですが、かわいいものです。

 

私がこの部分で思い出したのは、ジグムント・フロイトの提唱した「エディプス・コンプレックス」だ。

もし、齋藤センセが説明するように、西洋の哲学者たちが「神」への対抗手段として理性、哲学に活路を見出そうとしたのであれば、それはまさに、自分を抑圧する、絶対的な力を持つ父親に反抗する子どものようにも感じる。

本書でもエディプス・コンプレックスについて説明される部分がある。

 

エディプス・コンプレックスのようなものも、日本人にはいま一つピンとこない概念と言えます。

(中略)

なぜなら、日本人の男の娘は、すでに母親を独占しているからです。欧米では、子どもが小さいときから子ども部屋で一人で寝ます。でも日本では、母親は子どもと一緒に寝るのが当たり前だと考えているので、父親のほうが別の部屋に移るというのが一般的です。しかも、こうした母子密着傾向は、子どものほうが「もういいよ」と言うまで続きます。母親のほうから子どもを手放すことは少ないので、父親への対抗心を燃やす必要が最初からない、というわけです。日本人にエディプス・コンプレックスがないわけではないと思いますが、そうした抑圧が生まれる状況が少ないと言うことはできると思います。

 

本書は客観的に西洋哲学をまとめた本というよりも、齋藤センセの個人的コク札が多分に含まれている。

それが楽しめる人には、おもしろい一冊となるはず。

多作だけあって、難しい話をかなりわかりやすく、噛み砕いて教えてくれる。

 

 

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後記

以前も少しやってたけど、「Fate/Grand Order」を再開しました。

 

www.fate-go.jp

 

回変わらずガチャで★5キャラはまったく出ないですね。

いまだにゼロ……。

モードレッドかスカサハスカディかカーマがほしいです。

(ビジュアル的に)

 

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そういえばFGOには哲学者のサーヴァントがいないような気がするけど、なんでだろう。

デカルトとかニーチェとか強そうなのに。。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。