本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『「人それぞれ」がさみしい』(石田光規・著)のレビュー


今回紹介するのはこちら。

 

 

私は天邪鬼な性格なので、世の中でよいとされているものがあると「ほんまかいな」と思ってしまう人間です。そうしたなかで最近ふと思ったのが「多様性を尊重することにはなにかデメリットはないのかな」ということでした。きっかけになったのは、大手量販店ドン・キホーテを運営する会社が、管理部門でも髪色を自由にしてOKというニュースを見たときのことでした。

 

  1. news.yahoo.co.jp

 

これに対して街の人たちに意見を聞いていて、わりとご高齢の方でも「多様性は大事だからね」みたいなことを言っていたのを見て、多様性が大事であるという価値観はかなり日本人に浸透してきているのかな、と感じた次第です。なにしろいまはポテトチップスですら多様性を主張する時代ですしね。

 

www.youtube.com

 

だいたいの物事には両面性があり、メリットもあればデメリットもあるものです。多様性(ダイバーシティ)という概念にかんしていえば、いまはどちらかというとメリットが主張される機会が多くなっているかと思います。

 

 

この本を、別に私は読んでないですが、Amazonの紹介文を見ると次のように書かれています。

 

日本で行われている建前ばかりの男女雇用機会均等やダイバーシティ経営は、むしろ「やったつもり」になることで現実を見る目を曇らせてしまいます。文化や歴史、習慣など世界との違いを学び、受け入れるところから本当の多様性が身につきます。そうすることで、「失われた30年」を脱し、日本人がグローバル社会で活躍できるようになるのです。

 

「本当の多様性」を多くの人が身につければ、日本人がグローバル社会で活躍できるようになる、というロジックです。いちおう、私は別に多様性を尊重することを否定はしません。というエクスキューズは書いておきますが、やっぱりそこには負の側面もあるであろうということを感じたわけです。

 

あと書いていて思い出しました。多様性の負の側面についてボンヤリ思った理由がもうひとつあります。最近、友人にすすめられて『奇跡の社会科学』という本を読んだのですが、そのなかにフランスの社会学デュルケームの自殺に関する項目があったのです。

 

 

デュルケームによると、……というかこの本によると、社会のいろいろなしがらみから解放された個人主義者のほうが自殺しやすいみたいです。たとえば政変や戦争などが起こると自殺率は低下するらしいですが、これはなぜかというと、そういう国家レベルの緊急事態になると国民が団結して一体感が生まれるからです。人びとが団結すると、個人の勝手な行動が許されにくくなり、自由が損なわれていきますが、その一方で「自分が生きている意味ってなんだろう」みたいなことを悩む機会が少なくなり、自殺しようとする人が減るのではないかと考えられます。

 

哲学者のサルトル「人間は自由の刑に処されている」という言葉を残しました。自由はいいものだと思われがちですが、「なにをやってもいいし、やらなくてもいい」となると、人生における決断ををすべて自分の価値観で決めないといけないことになります。たとえば結婚なんかはわかりやすいかもしれません。一昔前であれば「ふつうはするもの」という考え方が主流で、結婚候補相手を勝手に選ぶ「お見合い」というものもよくありましたが、いまは結婚するか、子どもを生むかなどは個々人の意思を尊重する社会になっています。そうすると、「そもそも自分はどんな人が好きなのか」「自分は結婚したいのか、子どもがほしいのか」などということをそれぞれの人が考えて決断しないといけないわけです。生きているなかで「そもそも自分のやりたいことってなんだろう?」と考え続けなければいけないのは、ある意味で生きるのがしんどくなった、とも表現できます。

 

 

多様性を認めるということは、個々人の多様な価値観と行動を認めるということであり、社会の「個人化」を促進する役割があると考えられます。ということは、もしかしたら社会の多様性を尊重することで、かえって生きにくくなる人も少なからずいるのではないか……ということを私は考えたのでした。

 

で、大きく回り道しましたが今回紹介するこの本を読んでみましたという話になります。

 

 

本書は早稲田大学文学学術院教授の著者が、「人それぞれ」が認められる社会で人間関係のあり方はどのように変化していくのか、についてまとめられた一冊です。結論についてはタイトルに書かれていますが、そうした社会では人間関係が「やさしく・冷たい」ものになり、さみしさを感じやすくなります。なぜ、「やさしく・冷たい」人間関係になるかというと、他人の判断についてとやかくいったり、深いレベルで対話するのが難しいからです。

 

たとえば大企業の正社員として働いていて、家族もいる友人がいきなり「会社をやめて起業する」といいだしたら、私なんかは「やめといたほうがいいんじゃないの……?」と感じます。でも、多様性を認めることが大事な社会では、おいそれとそうした反対意見はいいにくくなり、「まあ、生き方は人それぞれだからね。がんばって」といいたくなってしまうみたいな感じです。友人が相手ならまだいいですが、これが同じ会社内の人となると「ハラスメント」だと受け取られることもあります。自分の価値観や行動に対して自分の意見を主張することがリスクになります。

 

相手の意見を尊重するのが大切だとされる社会だと、人々がコミュニケーションにおいてとる戦略は大きく2つにわけられると本書では述べられています。それが「緩やかな撤退」「結託」です。「緩やかな撤退」とは、先の友人の起業の例のように、自分の本心や感情を相手に伝えず「まあ、人それぞれだからね」で片付けて相手との距離をとる戦略です。この「人それぞれだからね」という言葉はほんとうに便利で、これさえ言っていれば、少なくともコミュニケーションで攻撃されるリスクはゼロにできます。

 

もうひとつの「結託」というのは、自分と完全に同じ価値観を持っている人間だけで固まって行動するということです。本書でも述べられていることですが、多様性を尊重する社会が実現できた理由のひとつに「インターネットの発達」があります。私たちは自分と同じ考えをもっている人をSNSなどでかんたんに見つけることができます。自分と価値観の違う人と無理してつるまなくてもよい社会になったたわけです。たとえばコロナ禍で、ワクチンの接種はイヤだと思っているのであれば、同じようにワクチン接種に反対している人たちとだけコミュニケーションを取ればいいという感じです。

 

これがなかなか厄介なところで、多様性を尊重する社会では同じ考えを持つ人々が集まって思想を先鋭化させ、相対する価値観を持つ人を集団で攻撃しやすくなるということも起きます。どうしてそうなってしまうのかというと、個人レベルのコミュニケーションでは「人それぞれ」といっておけば対立は避けられますが、そうはいってもやっぱり「ほんとうは自分はこう思ってるんだけど……」というフラストレーションは人々のなかに蓄積され、なにかのきっかけで爆発するからです。

 

たとえば不祥事を起こした企業とか、迷惑行為をした個人が”発見”されると、不買運動や個人情報を調べてさらすといった激しいバッシングが起こります。それは「攻撃してもいい相手」を見つけられたので、ふだん自分の思いを主張できない不満を吐き出すはけ口にされるからです。ちなみに、マツコ・デラックスさんとか有吉弘行さんとか、ズバズバいってくれる人が人気なのもこれと同様の心理メカニズムが働くからだと思われます。つまり、つまらないことを「つまらない」という、おいしくないものを「おいしくない」ということを多くの人ができないからこそ、それを代わりにやってくれる人に好印象を抱くということです。

 

現状に息苦しさを覚える私たちは、「昔はもっと大らかだった」、「昔はもっと豪快な人がいた」などと言って、「人それぞれ」ではない社会の気楽さを懐かしみます。「生きづらさ」は、現代社会を象徴するキーワードのひとつになっています。その背後には、キャンセルや迷惑センサーをちらつかせて、萎縮によって人びとを統制しようとするシステムの存在がほの見えます。

かつて私たちは、農村社会を集団的体質の残る息苦しい社会とみなし、批判の対象に据えました。現代社会は、人びとを統制する方法がキャンセルや迷惑センサーに転じただけで、集団的体質そのものは変わりません。このような社会で「生きづらさ」を感じるのは、むしろ必然と言えます。

 

さてさて、社会がそういうふうになりつつあるなかで重要なのは「異質な他者」を取り込むことです。自分とは違う価値観を持っている人の考えに触れて、それに対する自分なりの考えを深めることです。とはいえ、日常生活でなかなかそこまで深く価値観について人と話せる機会はないと思います。それこそ、本音をぶつけるとその人との関係が疎遠になったり、攻撃されるリスクが高いからです。そこで役立つのが読書です。自分とまったく違う考えを持っている著者の書いた本を読むことは、「異質な他者」と濃密なコミュニケーションをとるのに近いです。小説の場合も、自分とはまったく相容れない言動をするキャラクターに触れることができます。それに本の感想なら、多少、批判的なこと、乱暴なことを書いても攻撃されるリスクは高くありません。

 

ただし、ここで気をつけておきたいのは、私たちは本を選ぶとき、自然と「自分と考えが近しい人の本を選びがちになる」という点です。たとえば気に入った作家さんの本ばかり読むとか、「ビジネス書や自己啓発書は嫌いだから読まない」といったスタンスになりがち、ということです。これでは「異質な他者」とのコミュニケーションになりません。これはとくに読書が好きな人ほど陥りやすい罠といえます。

 

それこそ読書なんて趣味の一環なんだから「人それぞれでいいのでは」とも思いますが、それでも私なんかは人から本を勧められると、あんまり興味が持てなさそう本でもとりあえず読むようにはしています。さすがにスピリチュアル系の本は読むのがちょっとキツイと感じることもままありますが。。。