本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『22世紀の民主主義』(成田悠輔・著)のレビュー


ブログの最終更新が昨年の5月になっていて驚きました。

私もいい年になってイロイロ忙しくなってしまったのがおもな理由ですが、このところちょっと余裕も出てきたので、ぼちぼちブログのほうも再開していきます。

ということで、再開の第一発目はこの本。

 

 

右側が丸いフレーム、左側が四角いフレームという変わったメガネだけで認識されているのではないかと思われる気鋭の研究者、成田悠輔さんの本です。

20万部以上売れている超ベストセラーですね。

成田さん自身もメディアへの露出が多く、バラエティ番組にも出ていたりするので、本は読んでないけど顔は見たことがあるという人は多いのではないでしょうか。

ただ、じゃあ成田さんがなにやっている人かというのは、知らない人が多数であろうと思われます。

 

書籍末尾のプロフィールによると、成田さんはアメリカの超名門イェール大学の助教授で、専門は「データ・アルゴリズム・ポエムを使ったビジネスと公共政策の創造とデザイン」とあります。

『22世紀の民主主義』というタイトルですが、べつに成田さん本人は政治学者ではないです(このことは本書の冒頭部分でも述べられていますが)。

どちらかというとデータサイエンティストと呼ぶほうが適切なんじゃないかなあという感じです。要は、世の中のいろいろなデータを分析して、それをもとにビジネスとか政治の問題解決方法を考える人、という感じでしょうか。

ポエムについては、私はよくわかりません。

ただ、こんな記事も書いているのは見つけました。

 

成田悠輔評「タコになりたい」 フェミニズムズ/FEMINISMS展

artnewsjapan.com

 

そろそろ本の内容に入りましょう。

 

本書では冒頭、現代社会において民主主義に限界が来ていることが問題提起されます。

特に日本では「シルバーデモクラシー」とも呼ばれるように、人口割合において30%近くが65歳以上の高齢者で占められています。

もっと大雑把にいうと、日本ではおよそ3人に1人くらいが高齢者であるのが現状ということですね。

なので、ふつうに現行の選挙制度のままで政治家を選ぼうとしても日本が変わることはものすごく難しいわけで、そのシステム部分を根本的に変えないと日本は変えられないよね、という理屈です。

このことは、日本人であれば肌感覚として理解していることと思います。

 

 

で、ここで最初の「民主主義」に戻ります。

そもそも一人一票の投票によって政治家を決めるのが現状の民主主義なわけですが、そこで成田さんが得意とするデータ分析によって、民主主義的な国ほど、経済成長が低迷しているファクトが明示されます。

なぜ民主主義の進んだ国のほうがうまくいきにくくなっているのかというと、成熟した民主主義国家のほうが、世の中の変化に柔軟に対応できないことが多いからです。

 

これは企業で考えてたほうがわかりやすいかもしれません。

創業して間もないベンチャー企業は、だいたい社長によるワンマン経営が行われています。

社長ひとりが「ゴチャゴチャうるせえ。いいからこのビジネスに金と人員をぶっこめ」と号令をかければ、それを言われたとおりにやるのがベンチャー企業なわけで、そういったギャンブル的性質の強い行動がうまく実を結べば、そのベンチャー企業は大儲けできるわけです。

でも、このベンチャー企業が成長して大きくなり、社長が代替わりしたりすると、社長ひとりの権力が弱くなり、たくさんいる役員・幹部たちと長々会議をして、大事なことをみんなで相談しながら決めなければいけなくなります。

こっちのほうが民主主義的な意思決定だといえますが、だからこそマーケットのすばやい変化に対応できなくなったり、リスクを負った思い切った決断がしにくくなります。
これが国家レベルで起きているのが現代の日本であるわけです。

 

……というような現状の問題を説明したあと、じゃあ成田さんはこの現状をどうすればいいと考えているのか……が本書の白眉になります。

とりあえず成田さんは「民主主義との闘争」「民主主義からの逃走」「まだ見ぬ民主主義の構想」の3つの道を掲げ、最終的には3つ目の方法を提唱します。

このあたりのことはとても丁寧に書かれているのでぜひ本書を読んでほしいところですが、結論だけかいつまんで説明すると、成田さんが提唱するのは「無意識データ民主主義」の構想です。

 

要するに、現行の民主主義制度の問題点は「何年かに一度だけ行われる選挙における一人一票の投票行為」でしか民意を反映させらないことにあるのであって、民意が雑にしか反映されていないことにあると述べます。

新しい民主主義を構想するには、選挙の投票だけでは汲み取れないもっときめ細やかに、人々の願望とか評価をデータとして吸い上げ、それに基づいて政治的な意思決定を行う必要があるわけです。

とはいえ、人間の政治家がそういう民意データを集めて分析するのはもちろん無理なので、その辺りの分析はアルゴリズムを組んでコンピュータにやらせようぜ、ということですね。

ちょっとここで、本書の冒頭の要約の一部を引用します。

 

無意識民主主義=
(1)エビデンスに基づく目的発見

(2)エビデンスに基づく政策立案

 と言える。こうして、選挙は民意を汲み取るための唯一究極の方法ではなく、(1)エビデンスに基づく目的発見で用いられる数あるデータ源の一つに格下げされる。
 民主主義は人間が手動で投票所に赴いて意識的に実行するものではなく、児童で無意識的に実行されるもにになっていく。人間はふだんラテでも飲みながらゲームしていればよく、アルゴリズムの価値判断や推薦・選択がマズいときに介入して拒否することが人間の主な役割になる。人間政治家は徐々に滅び、市民の熱狂や怒りを受けとめるマスコットしての政治家としての役割はネコやゴキブリ、デジタル仮想人に置き換えられていく。

 

本書のサブタイトルは

「選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる」

というものですが、その意味はここに集約されています。

 

これはビジネスに例えれば、「紙の新聞からウェブ上の新聞メディアに変えよう」というような感じでしょうか。

紙の新聞がどれくらいたくさんの人に読まれているのかは、ハッキリ言ってよくわかりません。

なぜなら、紙の新聞から得られるデータは「購買数」だけだからです。新聞のなかでどこのページがいちばん読まれているのか、何曜日がいちばん読まれる時間が長いのか、などの細かいことはわからないわけです。

これがウェブメディアになると、全体のアクセス数だけはなく、記事それぞれのアクセス数から、滞在時間の長さ、曜日・時間帯による傾向などがわかります。

また、そもそも読者はどこから流入してきたのか、ある記事を読んだ読者はほかにどんな記事を読んでいるのか、ということもわかるので、そうしたきめ細やかなデータを分析することで、メディア全体のアクセス数をアップさせるための施策をいろいろ考えることができるようになるわけです。


とまあ、本書の内容をかいつまんで説明するとこんな感じですが、本書の魅力は大きなところは、やはり、著者である成田悠輔さんのキャラクターにもあります。

完全に本人がエクスキューズ(言い訳)だと言っていますが、冒頭の部分で「政治も、政治家にも、選挙にも、私はまるで興味が持てない。どうでもいい……」と言っています。

じゃあなんでこんな本書くねん!というツッコミに対する成田さんの返答は本書を読んでもらうとして、とにかく読んでいるとしばしばクールを通り越したニヒルさというか、「知らんけど」という言葉が聞こえてきそうで、それが私なんかはおもしろいというか、魅力的に感じるのです(そういう感覚が嫌いな人も居るだろうけど)。

 

内容がないようであるだけに、どうしても「読みやすい」とだれにでもオススメできる本ではないですが、まじめとふまじめが絶妙なバランスで両立している成田さんの思考の一部分を垣間見れるような本書は、たぶん一読の価値はあるんじゃないでしょうか。

知らんけど。

『匿名作家は二人もいらない』(アレキサンドラ・アンドリューズ著)のレビュー



 

※今回のレビューはネタバレを含むのであしからず。

 

私の独断と偏見ですが、本好きの人はだれでも、多かれ少なかれ「作家願望」をもっているものではないでしょうか。

たくさんの本を読んでいるのに「本を書きたい」という気持ちがまったく沸き起こらないのはあり得ない……とすら考えています。

私も、何度か小説を書いてみようと思いたち、書き出しを数ページ書いてはそのままになっている遺物がいつくかあります。

 

本書は、そういう「作家願望」というドロドロした欲望をもった女性がどんどん暴走し、ついには人殺しまでしてしまうというサスペンスです。

以下、あらすじです。

 

作家になりたいという願望を持ちつつ、出版社でアシスタント・エディターとして働くフローレンスは、同僚のアマンダが書いていた小説が出版されることを知り、大きなショックを受ける。フローレンスは自分の書いた小説も出版してほしいと、一度だけ肉体関係を持った上司サイモンに談判するも、出版は却下される。ヤケクソになったフローレンスは、それ以前からストーキングしていたサイモンの妻子などの写真をメールでサイモンに送りつけ、出版社をクビになるのだった。

新しい仕事を探すフローレンスは、とあるエージェントから、匿名作家としてベストセラーを出していた作家モード・ディクソンのアシスタントの仕事を紹介され、モード・ディクソン――本名ヘレン・ウィルコックスに出会う。

なぜ自分が選ばれたのか訝しみながらも、ヘレンのアシスタントとして彼女の家に住み込みで働き、彼女の代わりにメールの返信をしたり、手書きの原稿を打ち込んでいく作業をしていくフローレンス。だが、どう読んでもモード・ディクソンの華々しいデビュー作『ミシシッピ・フォックストロット』よりもつまらないヘレンの二作目の原稿を読みながら、フローレンスは次第にヘレンの原稿に勝手に改変を加えていく。いつか、ヘレンにばれるのではないかと恐れながら。

そんな折、ヘレンは急遽、取材のためにモロッコに行くことを提案。二人でモロッコに旅立つが、とあるレストランで酒を飲んで意識を失ったフローレンスが目覚めると、彼女は病院のベッドにいた。警察官の話によれば、フローレンスが運転していた車が崖から転落して海に落下し、彼女だけが助けられたというのだ。見た目が少し似ていたために、ヘレンのふりをして免許証を持っていた彼女は、フローレンスが発見されないことをいいことに、自らがフローレンス……すなわちモード・ディクソンになりきって生きていくために嘘をつく事にするのだが……。

 

冒頭こそ、自らのアイデンティティを求めるがゆえに不倫に走ってしまうフローレンスは、まあ、ありがちというか、まだ理解できるところがあります。

しかし、もしかしたら上司を寝取れるのではないかと、上司の妻子をストーキングしたり、自分の小説がボツを食らったことでそれを暴露し、自爆してしまうあたりから、フローレンスが「ヤバいヤツ」だということを読者は気づき始めます。

この主人公はちょっと普通じゃないというか、倫理観が外れている人間なのかもしれないということが、このあとに起こることの布石になるわけですね。

 

その後、ベストセラーの匿名作家「モード・ディクソン」ことヘレンのアシスタントになってしまった彼女は、彼女の新作の原稿に勝手な改変を加えるという、またしてもかなりハイリスクな暴走を始めてしまいます。

そして最終的に、モロッコでおきた交通事故を契機に、行方不明になってしまったヘレンの代わりに、自分が「モード・ディクソン」という匿名作家のアイデンティティを乗っ取り、ベストセラー作家として「他者の人生」を生きようとし始めるのです。

 

この本の最後の「解説」にも書かれていることですが、このストーリーラインは、名作『太陽がいっぱい』の影響を多分に受けています。

 

 

太陽がいっぱい』はアラン・ドロンが主演を努めた映画のほうが有名かもしれませんが、まあざっくり説明すると、貧乏な男が、金持ちな男を殺して、その男に成り代わろうとする物語です。

 

本作『匿名作家は二人もいらない』は『太陽がいっぱい』をオマージュしつつ、一捻り加えた作品と言えるでしょう。

 

これはネタバレになりますが、「ヤバいヤツ」は主人公のフローレンスだけではありません。

ヘレンもまた、フローレンスに負けず劣らずの「ヤバいヤツ」で、倫理観がぶっ壊れている人間だったということが、終盤で明らかになります。

というよりも、出版社をクビになった小説家志望のフローレンスをアシスタントして雇ったのも、彼女と一緒にモロッコに旅立ったのも、すべてはヘレンが自らの過去を塗りつぶし、逆にフローレンスという人間の人生を乗っ取ろうとするための大いなる計画の一部だったわけです。

※ただし、最後の最後でヘレンを破ったフローレンスは、イカレっぷりを遺憾なく発揮して、なかなかゾッとしない結末にしてくれる

 

もうすこしヘレンのことについて語っておくと、彼女は倒錯的な人物です。

とある人に聞いたことですが、本を書く人は「著者」と「作家」に分けられるのだそうです。

著者というのは、端的に言えば1~2冊しか本が書けない人のこと。

作家というのは、50冊、100冊と、本を書き続けられる人のことです。

じつは、著者になるのは、そんなに難しいことではありません。

「誰でも一生に一作は名作が書ける」ということが、よくいわれます。

どんな人でも、自分の人生を振り返り、まるでドラマのような劇的な体験を組み合わせて描き出すことで、おもしろいストーリーを描くことは可能だ、というような意味です。

 

その意味では、ヘレンは「著者」でしかありませんでした。

しかも彼女は、フィクション著者ではなく「ノンフィクション」著者だったのです。

ヘレンは文章のなかでウソをつくことができません。

真実しか書くことができないのです。

でも、彼女の現実の生活はウソで塗り固められています。

それによってフローレンスなどをうまくだましていました。

つまり、ヘレンにとってフィクションだと喧伝している小説の中にはリアルしかなく、実生活の中にはリアルがない、というキャラクターなのです。

これを前提に読み直してみると、随所で彼女の違和感がわかるでしょう。

 

 

ちなみに本作、すでに映画化の版権が買われているので、そのうち映画化するかもしれません。

個人的には『ゴーン・ガール』のような胸糞悪い映画になることを期待してやみません。

 

 

おまけ

メインでレビューを書くほどではないですが、まあまあ良かった本を紹介します。

 

 

久しぶりに読んだ古野まほろさんの作品です。

2020年の東京オリンピック後、移民政策が進んだりして急速に社会が荒廃し、治安が悪化した日本で、内閣総理大臣直轄にして、なぜか女子高生(にしか見えない若い女性)たちで構成されている特殊チーム「サッチョウ・ローズ」がテロリズムを防ぎ、巨悪を暴く「警察小説」……と銘打たれていますが、舞台設定とかは明らかに『攻殻機動隊SAC』を意識しているような気がしますね。

「サッチョウ・ローズ」は明らかに「公安9課」だし、相手の互換すら則ってしまう超ウィザード級ハッカーワスレナグサ」は「笑い男」です。

ただ、違いがあるとすれば、攻殻機動隊がSFであるのに対し、本作は「ファンタジー」である、という点です。

いちおうネタバレは避けておきますが、「サッチョウ・ローズ」の面々の正体がわかったとき、私はちょっと噴飯ものでした。

といっても別にそれが悪いわけではなく、ただ、なんとなく攻殻機動隊っぽい話だなあと思いながら読み進めていたので、終盤でいきなりファンタジーになってしまったということに面食らってしまっただけです。

 

なお、Amazonのレビューでは「文章が読みづらい」という低評価レビューが多いですが、その読みにくくって、外連味たっぷりで、やたら難しい漢字と回りくどい表現、無意味な共用を振り回すのが、古野まほろさんという作家のスタイルなので、それは仕方ないのです。

むしろ、私はしょっぱなから『天帝のはしたなき果実』を読んで、あまりにも意味わからなさに途中で断念した人間です。

 

 

ただし、そのあとに『探偵小説のためのエチュード』でドはまりしましたし、『群衆リドル』もおもしろいなあと思いながら読んでいた人間なので、『R.E.D.』は適度に読みやすいエンタメ小説だなあという感覚でした。

 

 

 

またこれは別の記事でもちゃんと書こうとおもいますが、とにかくいまは、「わかりやすさ」がすごーく重視される世の中になっているので、まあ、古野まほろさんのような「わかりにくい」文章は嫌厭されやすいだろうなあというのは、理解できます。

ハマる人はハマると思うので、騙されたと思ってとりあえず読んでみてください。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。

『生物はなぜ死ぬのか』(小林武彦・著)のレビュー

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ブログを初めてかれこれ7年になりますが、初めて「1か月以上更新しない」ということをやってしまいました。

まあもともと趣味として始めたブログだったので、あまり無理をしないようにやろうという心づもりでいたのですが、そうはいっても1か月以上更新しないでおくのもカッコ悪いなあという感覚があり、なんとなく最低でも月に一度は更新しようかなと思ってはいたのですが、ついに破ってしまいましたね。

 

単純に公私ともに忙しすぎたせい……というのが目下、最大の理由ですが、もうひとつあるのは、いままでの読書を見直すということもありました。

そのひとつが、「Kindle Unlimited」の解約検討です。

読書好きの皆さんにおかれましてはご存じの通り、Kindle Unlimitedというサービスは、月額980円を支払うことで、対象となっている電子書籍が読み放題になるものです。

https://amzn.to/3NKR7aE

対象となる電子書籍は月ごとに入れ替わり、いったんスマホなどの端末にダウンロードしておけば、たとえ月が変わっても(ストックから解除しない限り)読み続けられるので便利に活用していたのですが、最近は一つ問題に感じることが増えました。

 

それは、Kindle Unlimitedの対象書籍を、さほど読みたくなくてもついつい読んでしまう、という問題です。

それこそ5年くらい前であれば、まだまだ暇だったし、目についた本をやたらめったら読みまくるということができましたが、いまになると時間も限られるし、集中力が続くなくなってきたので、Kindle Unlimitedの対象書籍に時間と集中力を奪われてしまうのは、とてももったいないことなのではないか、と感じるようになってきたのです。

 

とくにKindle Unlimitedの対象作品となるのは、出版社が恣意的に選んだ作品だけなので、なにかよほど戦略的な狙いがない限り、ほんとうにいま旬のベストセラーは読めたりしないことがほとんどです。

つまり、ちょっと旬を過ぎちゃったり、昔の本とか、あるいはあまり人気がない本が多数を占めるわけですね。

 

もちろん、そうした本の中に掘り出し物があったりすることもなきしもあらずですが、やっぱり外れ本であることが多いわけです。

また、読書好きの性というか、電子書籍であっても読みかけの本があるとどうしても最後まで読んだほうがいいのではないかと思ってしまう私の貧乏性なところも発揮されてしまうので、読んでも別にブログに感想記事を書きたいと思うような本ではないのに、ついつい通勤中の電車の中で読んでしまうという事態に陥ることが多々あったわけあります。

 

そんなわけで、それであれば、思い切ってKindle Unlimitedを解約してしまったほうがいいのではないかということも考えたわけですが、そうはいっても仕事の資料として、気軽に中身を確認できるものが見つかったりすることもあるし、「マンガで読破シリーズ」など、無料で読むのにうってつけのものもあったりするので、とりあえずまだ解約は保留にしています。

 

んで、Kindle Unlimited解約するかどうか問題に端を発して、「そもそももう少し読む本を選別するべき年齢に差し掛かっているのではないか」ということを最近は考え始めるようになったのです。

人生は有限であり、人間の肉体はだいたい25歳をピークに衰えていきます。

私も30歳を過ぎて肉体的には老化の段階に進みつつあるわけなので、いつまでも20代のときのように乱読する体力も時間もなくなってきました。

 

これは私の持論ですが、本の読み方というのは、年齢とともにやはり変化させるべきものでしょう。

それこそ10代とか20代であれば、いい本とか悪い本とか、そういうことはあまり深く考えずに、とにかく自分が読みたい本、読める本、目の前にある本をひたすら読みまくる、とにかくたくさん読む量をこなしていく、というのが正解だと思います。

しかし、そこそこ本を読んで30歳を過ぎてきたら、そろそろ読むべき本を絞るべき年令になっているのかな、という感じです。

つまり、安っぽい自己啓発本とかビジネス書は、息抜き程度に読むのはいいけれど、そればかり読んでいるべきではない、というのが私の考えです。

(40代、50代になったらどういう読書法をするべきなのか、ということについては、私にはわかりません。まだその年齢ではないので)

※ただし、これは「20代のときにある程度本を読んできた人の場合は」という前提がつきます。これまで読書経験がなかった人が、30代になってから読書の魅力にとりつかれた……等の場合は、むしろ手当たりしだいに読むのが正解かもしれません

※あるいは単純に、私が仕事柄、どうしてもうっすいビジネス書を読まざるを得ない状況が続いていることに飽き飽きしてきただけ、という可能性もありえます

 

ということで、私が最近ハマっているのは「新書」です。

ただ、新書と言っても硬いものから柔らかいものまでさまざまあります。やわかめの新書は結局、よくあるビジネス書とあまり大差ないので、私が意識的に読み始めているのは、「講談社現代新書」とか「中公新書」などの硬めのものです。

ただ、ベストセラーになったから、という理由で中公新書の『応仁の乱』を現在読み勧めていますが、非常に難航しています。

 

 

47万部も売れたというベストセラーですが、私なんかが読んでも専門用語と固有名詞の嵐で、まったく内容が頭に入ってきません。日本史はそんなに苦手ではなかったはずですが、おかしいな……はたしてみんな、この内容を理解しながら読み進められているのか、非常に謎です。読み終えられる気がしません。

 

もう一冊、中公新書で読み進めているのが『モチベーションの心理学』という本です。

 

 

こちらは全然とっつきやすいです。このジャンルはビジネス書でもよくあるテーマですが、本書はしっかり専門家が、最新の研究事例を上げながら詳しく紹介してくれていて、さすがそこらへんのビジネス実用書との格の違いを見せつけてくる感じが刺激的ですね。これは読んでいて、おもしろいです。

 

ちなみに、私もまだ新書の読書歴は浅いのであまりくわしいことは言えないのですが、新書のレベルはレーベルごとに分かれていて、ざっと調べた感じ、次のようなヒエラルキーを形成しているようです。

 

【↑格式が高い】

岩波新書

中公新書

講談社現代新書ちくま新書

文春新書/新潮新書集英社新書

PHP新書光文社新書朝日新書平凡社新書

 

こんな感じでしょうか。私の主観も多分に混じっているので細かいところはご容赦いただきたいところです。なお、「格式が高い」というのはイコール「内容が難しい」と思ってもらって構いません。私が読んでいる限り、「講談社現代新書」もけっこう難しいです。なんとなくのイメージですが、大学の講義をベースにしているのもが多いので、「大卒」を読者として想定しているようなイメージですかね。

 

さて前座がすっっっっっっかり長くなってしまいましたが、そういう流れの中で読んだのが、今回紹介する『生物はなぜ死ぬのか」という一冊なのです。

 

 

たいへん売れている本で、10万部を突破したようです。NHKの「おはよう日本」でも著者がインタビューを受けました。

https://www.nhk.jp/p/ohayou/ts/QLP4RZ8ZY3/blog/bl/pzvl7wDPqn/bp/p9zmDDLzrP/

 

さて、「生物はなぜ死ぬのか」という質問を、たとえば小さい子供から投げかけられたとしたら、その答え方にはいろいろなアプローチがあると思いますが、本書では「そもそもなぜ、生物は死ぬようにプログラミングされているのか」という視点から著者の分析&持論が述べられていきます。

 

では以下、それぞれの章の概要をざっくりまとめます。

 

第1章 そもそも生物はなぜ誕生したのか

この世に存在するのは「生物」と「無生物」であり、その2つを分かつものはなんなのか、という話です。たとえば、「ウイルスは生物ではない」とされます。それはなぜかといえば、ウイルスはウイルスだけでは増殖できないからです。ざっくり言えば、自己複製できるものは生物だといえるわけで、私達はDNAレベルから「作っては分解して、また作り変えるサイクル」を繰り返しています。これが大事なポイントです。

 

第2章 そもそも生物はなぜ絶滅するのか

地球の特徴の一つは生物の多様性であり、歴史を顧みると、さまざまな生物が「絶滅」していきました。この絶滅と多様性は生物全体におけるターンオーバー(作り変え)であり、環境に適応していく「進化」であるといえます。この「進化が生き物を作っている」というのが超重要です。地球全体で考えた場合、恐竜などが絶滅しから、私達人間が反映した、ともいえるわけです。

 

第3章 そもそも生物はどのように死ぬのか

生物の死は大きく「アクシデントによる死(捕食されるなど)」と「寿命」にわけられます。小さい生き物はほかの生き物に捕食されることが多いので、長生きしても仕方ないから、とにかく食べられないように生きるようにシフトしました。一方、大型の動物は体が大きい分、たくさん食べないと生命を維持できないので、食料を確保するのが至上命令になります。

 

第4章 そもそもヒトはどのように死ぬのか

人間の場合は老化とそれにともなう病気などで死にます。そして、進化によっていまの生物が選択されているということは、「死ぬことが定められている生物が生き残るようになっている」ということです。死は必然なわけですね。人間はDNAレベルから老化し、死ぬようにプログラミングされています。これは人間という種族が生き残るために必須のプロセスなのです。

 

第5章 そもそも生物はなぜ死ぬのか

これがこの本のクライマックスです。

人間を始めとした生物に寿命があり、いつか死ななければいけない理由。それは種族をつねにアップデートし、生き残るためです。生物は子どものほうが多様性に満ちていて、適応力が高い、つまり、基本的に子どものほうが生物として優秀なはずなのです。極端な話をすれば、子どもが自分一人で生きていけるようになったら、親はさっさと死んだほうがよい、少なくとも子どもよりも先に死ぬようにプログラミングされているわけです(このあたりの話はセンシティブなので、本書でもいろいろフォローアップされていますが)。

 

最後にちょっと抜粋しておきます。

 

生き物が生まれるのは偶然ですが、死ぬのは必然なのです。壊れないと次ができません。これはまさに、本書で繰り返してきた「ターンオーバー」そのものです。

――つまり、死は生命の連続性を維持する原動力なのです。本書で考えてきた「生物はなぜ死ぬのか」という問いの答えは、ここにあります。

「死」は絶対的な悪の存在ではなく、全生物にとって必要なものです。第1章から見てきた通り、生物はミラクルが重なってこの地球に誕生し、多様化し、絶滅を繰り返して選択され、進化を遂げてきました。その流れの中でこの世に偶然にして生まれてきた私たちは、その奇跡的な命を次の世代に繋ぐために死ぬのです。命のたすきを次に委ねて「利他的に死ぬ」というわけです。

生きている間に子孫を残したか否かは関係ありません。生物の長い歴史を振り返れば、子を残さずに一生を終えた生物も数え切れないほど存在します。地球全体で見れば、全ての生物は、ターンオーバーし、生と死が繰り返されて進化し続けています。生まれてきた以上、私たちは次の世代のために死ななければならないのです。

 

この結論、なんというか、生命の話だけではなく、日本の社会全体とか、あるいは会社組織とかにも応用できそうな感じもします。私も、自分より一回り年下の新入社員とかが入ってくると、彼らの感覚のほうが時代に即していて、自分もどこかで身を引いて彼らにすべてを任せたほうがいいんだろうな、と感じることもあります。

 

後記

このゲーム、ダウンロードを楽しみにしながら待っていて、ようやくプレイしてみたのですが、ちょっとがっかりして、すぐにやめてしまいました。

キャラクターがガチャじゃなくてすべてポイントを利用した購入方式になっているとか、いろいろ工夫はされていると思うのですが、なんというか「コレジャナイ感」がすごいんですよね。

あと、全体的に挙動がもっさりしているというか、テンポが悪いのもすごく気になるところでした。たとえば細かいところを言えば、ポップアップされたウインドウを閉じるために、左上の小さいバツ印をしっかりタップしないといけない……といったところに小さなフラストレーションを感じたりします。

最近はウマ娘もコツコツプレイしているのですが、こちらは細かいところまですごくUIを考えられている、しっかり作られたゲームだと感じます。それと比べるといささかおそまつな出来栄えで、ちょっとガッカリしてしまいました。

ブレイブリーデフォルトは名作だったのですが、いやはやこれももう10年前のゲームとは……時の流れは恐ろしいものです。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末様でした。

『バーティミアス サマルカンドの秘宝』(ジョナサン・ストラウド著)のレビュー

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私たちの人生は有限であり、無限に近い本のすべてを読むことはできません。

生きている間に読める本は、この世に存在する本のごくごく一部だけであり、そのなかで自分が「最高におもしろい!」と呼べる本に出会えるのは奇跡に近いでしょう。

だからこそ、読書人たちは日々、いろいろな本を読みながら、その本との出会いを夢見ているのかもしれません。

今回紹介するこの『バーティミアス』は、私にとってこれまで生きてきた中で一二を争うくらい、「最高におもしろい本」になりました。

ただ、この本と出会えたのは完全に偶然です。

 

私は二週間に一度くらいのペースで図書館に行きます。

それまではAmazonで「欲しい物リスト」に入れている本を予約し、借りていたりしたのですが、最近はフラフラと書棚を回ってなんとなく選ぶことが多くなりました。

契機は、子どもの誕生です。

子どもを連れて絵本コーナーに行くと、ついでに自分もなにか読める本はないかな、と児童書のコーナーを見てみます。

そこで、たまたま新しく届いた本として、こちらが置かれているのを見つけました。

 

 

ティーン向けのファンタジーっぽいということで、気楽に借りてみましたが、これがなかなかおもしろかったのです。

舞台はイギリス、おそらく近未来(?)です。

文明が崩壊し、動物たちが凶暴化して、ゾンビみたいな怪物もウロウロしているみたいな世界観です。

そんななか、無法者として泥棒などをしながら一人で生きる少女・スカーレットが、なにか不思議な力を持つ少年・ブラウンと出会い、ブラウンを取り戻そうとする謎の組織から逃げながら、水没都市・ロンドンを目指して旅をする、という物語でした。

 

この『スカーレットとブラウン』、おもしろいことはおもしろいのですが、じつはこの一冊でしっかり完結しているわけではなく、しかも刊行されたばかりでまだ続編もなかったので、どうしようかなと思いました。

そこでふと著者のプロフィールを見ると、『バーティミアス』という作品のほうが有名で、人気があるらしい、ということがわかります。

 

であれば、『バーティミアス』もちょっくら読んでみるか、と同じ図書館で二週間後に借りたのですが、まあーーー、これがバチクソおもしろかったわけです。

ハリー・ポッターシリーズも、「賢者の石」を最初に読んだのはたしか中学生の頃だったと思いますが、かなりおもしろくて、徹夜して読んでいた記憶がありますが、久しぶりにそんな感覚を思い出す、イギリス作家が得意とする王道魔法ファンタジーです。

というか、なぜ『バーティミアス』がいまだに映画化していないのか意味がわからない、そのくらいおもしろい作品でした。

 

全三部作で、その第一部が「サマルカンドの秘宝」になっています。

これが「上」「中」「下」と別れているから、ティーン向けのファンタジーとしては、そこそこのボリュームがありますね。

まずはあらすじを紹介します。

 

物語の舞台は、魔法使いたちが政治や社会の養殖についている世界のロンドン。魔法使いたちはペンタクル(魔法陣)や呪文を駆使して、異世界から妖霊(アフリートやジン、インプなど)を呼び出して使役することで、強大な力を持っていた。

孤児であり、まだ新米魔法使いのナサニエルは、かつて自分をバカにして恥をかかせたエリート魔法使い・ラブレースに復讐するため、師匠に隠れてこっそりと齢5,000歳以上のベテランの妖霊バーティミアスを召喚する。

ナサニエルバーティミアスに、ラブレースが非常に大事にしている魔術アイテム「サマルカンドのアミュレット」を盗み出すように指示。あらゆる魔術、魔法を跳ね除ける最強アイテムであるサマルカンドのアミュレットを盗み出すことに成功したが、じつはそのアイテムは、ラブレースとその仲間が企む邪悪な計画に必須のアイテムだった。

ちょっとしたイタズラのつもりで始めたナサニエルバーティミアスの行動は、やがてイギリス政府を巻き込む大事件へと発展していく……

 

なんといっても最高なのが、妖霊(ジン)のバーティミアスのキャラクターと、ナサニエルとのコンビネーションですね。

この物語は、バーティミアスが一人称で語るパートと、三人称視点で語るパートから構成されています。

冒頭はけっこう、バーティミアスが語るパートが多いのですが、自分を呼び出したナサニエルがまだまだヒヨッコ魔法使いだとすぐに気づくと、なんとかナサニエルを唆して裏切ったりできないかと終始考えています。

自分はベテラン妖霊であり、ソロモンともしゃべったことがあるというくらい自尊心が高いです。

ナサニエルナサニエルで、経験も思慮もまったく足りない、すごく青臭い少年なのですが、そのくせプライドと野心だけは大きくて、自分の師匠のことはバカにするし、バーティミアスのことも信用せず、傲慢に見えるように振る舞います。

要は、似た者同士である、ということです。

経験値や能力的には圧倒的にバーティミアスが上ですが、ただ、呪文で使役しているのはナサニエルなので、彼の司令には従わざるを得ないし、彼が死んでしまうとバーティミアスにとっても困ることになる状況が作られるので、バーティミアスは渋々、ナサニエルのことを守ったり、助言したりします。

ブツブツ文句を言いながらも結局はいろいろしてくれるわけで、ツンデレといえばツンデレですね。

そんな2人が絶妙な距離感と関係性を築きながら、最終的にはお互いに力を出し合い、下巻で強大すぎる敵を打倒していきます。

 

これはイギリスファンタジーの特徴なのかもしれませんが、ハリポタなどもそうだったけれど、「嫌なヤツは徹底的に嫌なヤツ」というのがありますね。

嫌なヤツに限らず、「このキャラクターはこういう役割」というのが明確で、それを強調させる意味合いがあるように思います。

本作の嫌なヤツ筆頭はラブレースですが、それに負けず劣らずクソなのが、ナサニエルの師匠アーサー・アンダーウッドです。

もともと才能の少ない、そのくせプライドは高い人間ですが、最終的に自分が危機に陥ると、自分を最優先して自分の弟子であるナサニエルを売り飛ばそうとするあたり、まさにクソ師匠でした。

なお、ラブレースは悪いやつですが、じつはアンダーウッドよりもナサニエルの実力を買っていたみたいで、ナサニエルを自分たちの仲間に引き込もうといろいろ考えてくれていたみたいです。

 

いやもうとにかく、最初っから最後まで、飽きることなく読めてしまう名作でした。

第二部と第三部を読むのが楽しみすぎます。

 

 

 

後記

映画『ミッドサマー』を見ました。

 

ミッドサマー(吹替版)

ミッドサマー(吹替版)

  • フローレンス・ピュー
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画面が明るいホラー映画です。

躁うつ病を患う妹と家族が一家心中してしまったことに心の傷を追った女子大生が、彼氏と彼氏の仲間たちとともに、レポート作成のためにスウェーデン夏至祭を行う村を訪れるという物語です。

幽霊とか怪物とかが出てくるわけではなく、閉鎖された村、特異な慣習に翻弄される部外者を描くもので、見た目がショッキングとかというよりも精神的にダメージを追わせてくるタイプのものです。

似てる感じだと、『アルカディア』もそうだったかも。

 

 

『ミッドサマー』の特徴は、なんといっても画面の美しさでしょう。

ホラー映画なのに、「きれいさ」にこだわっている。

映像としての美しさ、カットなどはすばらしいです。

まあストーリーは、その意味では特筆するべきほどでもないかもしれませんが、伏線とかをしっかり貼っているので、二度目に見たらいろいろ気づきもあるかもしれません。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。

『老虎残夢』(桃野雑派)のレビュー

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SNSの投稿では、「タグ付け」が重要になったりしますね。

いかにフックのあるタグがたくさんつけられるか、みたいなところで注目されやすくなったりするものです。

その意味では、この本は「タグもりもり」な一冊でした。

帯の裏のほうにも書いていますが、本書は

芥川賞受賞作であり

・新人著者のデビュー作であり

・中国の歴史小説であり

・武道の達人たちが特殊能力を発揮する「特殊設定もの」であり

・密室殺人であり

・館のなかの殺人であり

・孤島での殺人であり

・百合要素もある

という作品であるからです。

 

本書の中でとくに特徴的なのは「特殊設定」と「百合」でしょう。

まず特殊設定ですが、普通、ミステリーはわたしたちが暮らしている現実世界を舞台しているものが多いです。

そのため、人は空を飛ばないし、毒を飲んだら死にます。

しかし本書の場合、登場人物たちはいずれも武術の達人であり、内功という「気」のようなパワーを活用します。

この内功をうまく使うと、自分の体を軽くして水の上を走れるようになったり、毒を飲んでも体内で中和できるらしいのです。

そんなんだったら、何でもありやん、と思ってしまいがちですが、そこでうまく作品の中でルールを作り、ロジックを立てて、「うまく不可能犯罪」を組み立てるのが作家の腕の見せ所、というわけですね。

 

正直、その点でいうと本作はちょっと消化不良気味でした。

せっかく舞台設定はおもしろいし、登場人物たちもキャラクター豊かで、わくわくさせてくれるのに、謎が明かされると正直、ちょっとガックリしてしまう感じです。

本書は江戸川乱歩賞を受賞した作品で、最後に選考委員たちの選評が掲載されていますが、そこでも「本格ミステリとしては欠陥が多い」とも評されていますが、こうした細かい技工はこれから洗練されていくであろうという期待感が大きいことが感じられます。

 

武術の達人・梁泰隆(りょう・たいりゅう)の弟子であり、類まれな才能を持つ少女・蒼紫苑(そう・しおん)は、師の娘である恋華(れんか)と、掟で固く禁じられている秘密の相思相愛の関係にあった。

そんななか、師は自らの奥義を伝承する候補として、3人の武術の達人を招く。ずっと師のもとで修行を続けていた紫苑は、なぜ自分に奥義を授けてくれないのか不満を持っていたが、師の決定におとなしく従い、3人の客をもてなす。

3人の客が逗留している夜、酒を飲んだ泰隆は離れ小島にある楼閣にひとり赴く。師父が酔っていないか心配だった紫苑はそのあとをつけるが、内功の達人である泰隆は体を軽くして湖面を跳ね、船も使わずに小島に向かっていったので、安心して紫苑は戻った。

翌朝、朝食に来ない泰隆を心配した紫苑は、3人の客とともに迎えに行こうとするが、なぜか小舟は楼閣の小島側にある。不審に思いつつも紫苑と客が楼閣にたどりつくと、そこで泰隆は毒殺されていた。

内功の達人であるはずの泰隆はなぜ毒で死んだのか。そしてだれが毒を飲ませて師父を殺したのか。外部の人間が入った形跡がない以上、犯人は3人の客の誰かでしかありえない。師の仇をとるべく、紫苑は真相を追い求める。

 

ちなみに、船も使わずに湖面を渡れるのは泰隆と紫苑くらいなもので、3人の奥義継承者はそこまでの内功の使い手ではない、ということになっています。

謎は色々あります。

 

・犯人はどうやって湖を渡ったのか

・どうして内功の達人が毒で死んでしまったのか

・なぜ、泰隆は愛弟子の紫苑に奥義を教えようとしなかったのか

 

ちなみに、本書の真の謎は、むしろ3つ目のものにある、といえるかもしれません。

それが「老虎残夢」というタイトルの真意を表しています。

 

 

後記

「定時退社オンライン」というゲームをしばらくやっていました。

play.google.com

 

4人の平社員と、1人の上司に別れ、オンラインで対戦をするゲームです。

4人の平社員側は日報を書き、労基署に電話をして、上司の姿を撮影してSNSにアップすることで会社から脱出することができます。

上司側は、それを阻止します。

 

これ、分かる人はわかると思いますが、PS4の人気オンラインホラーゲーム、デッドバイデイライトと同じシステムですね。

 

www.3goo.co.jp

 

発想がなかなかおもしろいですね。

日本らしいゲーム、といえるかもしれません。

まあ、飽きるのも早かったですが。。。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。