本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『三行で撃つ』(近藤康太郎・著)のレビュー

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どこかの本で読んだのですが、

「クライアントに感謝されるようでは、カウンセラーとしては二流」

といわれるです。

一流のカウンセリングを受けると、クライアントは、

「お金を払ってカウンセリングを受けるほどの悩みでもなかったな」

と感じるそうです。

カウンセラーは相手の悩みを解消してあげるのが仕事ではなく、クライアントが自分で悩みを解決できるように陰ながら仕向けるのが仕事、ということですね。

 

この話、どの領域でも同じことが言えます。

「話がうまいなあ」と感じさせる噺家は二流だし、「絵がうまいなあ」と感じさせるマンガ家も二流。

受け手に技巧というか、「自分の存在」を感じさせてはいけないということですね。

 

文章もそうです。

読んだ人が「うまい文章だなあ」と、書き手の存在を強く感じさせてしまうのは二流。

一流の文章は、「文章のうまさ」をまったく読み手に感じさせずに、いつの間にか内容にのめり込ませてしまうものを指すのでしょう。

 

その意味で言えば、この本の文章は、まぎれもなく超一流です。

ただ、私がこの文章の超一流さに気づけたのは、ひとえにこの本が「文章術」をテーマにしたものであり、そのカラクリを著者本人が包み隠さず披露してくれているからにほかなりません。

たぶん、著者の近藤康太郎氏のほかの本を先に読んだら、とりたてて「文章がうまい!」とは感じなかったんじゃないかと思います。

 

私は仕事柄、いろいろなライターさんの文章を読みます。

ただ、私は自分で文章を書くのが好きなタイプの編集者なので(そうじゃない編集者もいます)、だいたいのライターさんの原稿を書き直してしまいます。

取材に同席して話を聞いているので、「ここは、この言葉じゃないだろ」「これは論理が飛躍しすぎ」「なんか鼻につくなあ」などと気になってしまうのです。

※本を読んでいても、たまに「なんでここで改行しないんだよ」「ここでこの語尾はないだろ」「一文が長すぎ」などと気になることがあります。

 

でも、ごく稀に、ほんとうに文章のうまいライターさんもいます。

そういう人の原稿は、サントリーウイスキーじゃないですが、「なにも足すところがないし、なにも引くところがない」のです。

こういう原稿が届くと、感動を覚えます。

そしてそういう人の原稿は、サラッと読むといたって平凡です。

でも、だから、いいんです。

 

本書の著者、近藤康太郎さんは朝日新聞編集委員で、7年前に「発狂」し、九州の山奥でライターをしながら猟師などをやりつつ(あるいは猟師をやりながらライターなどをやりつつ)、記者やライター志望の人を育てる教室のようなものも開催している人物です。

 

さすがに、この本のレベルまで文章力を高めるのは、簡単ではありません。

でも、本書の冒頭でも述べられているように、「あの人の文章は、ちょっといい」と言われるレベルには、この本を読み込んで実践すれば、たどりつけるでしょう。

装丁デザインを見ると、すごくスタイリッシュで人文書のような印象を受けますが、どっこい、中身は超実用的で、実践的なコンテンツが盛りだくさんになっています。

 

なお、あんまり比較するのはよくないのですが、私は『三行で撃つ』を読んだ直前に『稼ぐ人の「超速」文章術』を読んでいたので、「同じ文章術の本で、こうも違うものか」と感慨深くなりました。

 

 

べつに『稼ぐ人の「超速」文章術』が悪い本なわけではありません。

こっちの本はもっともっと実用性に特化しています。

「マネするだけでいい文章のテンプレート」とか「書くことをまとめるためのフレームワーク」とか。

とにかく、書かれている通りのことをすれば、サルでも売れる文章が書けるようになる工夫が凝らされています。

これはこれで、価値のある本です。

でも、そういった性質の本ですから、この本を読んで「おもしろさ」を感じたり、この本の文章にのめり込んでしまうような感覚は覚えません。

 

その点で言えば、この『三行で撃つ』という本は、読んでいておもしろいのです。

ここが、ほかの文章術のハウツー本とは決定的に違うところかもしれません。

文章を書く人間にとって大変ためになることが書いてあるのはもちろんのこと、ついつい読み進めてしまう魅力的な文章で書かれている。

ただ、わかりやすい文章を書くのではなく、「ちょっとうまい」文章を書きたい、あるいは文章そのもので金を稼ぎたい、飯を食いたいと考えている人のための本ですね。

 

本書ではそんな人のために、25のテクニックを伝授してくれます。

そのうちの1つを紹介しておきましょう。

 

わが家に集まる塾生たちに、いちばん最初に教えるのは、「常套句をなくせ」ということです。

(中略)

常套句とは、定型、クリシェ、決り文句です。

たとえば、飽きの青空を「抜けるように青い空」とは、だれもが一回くらいは書きそうになる表現です。「燃えるような紅葉」などと、ついやらかしてしまいますね。

新聞記者は一年目、二年目といった新人のころ、高校野球を担当させられるので、高校野球の記事は常套句の宝庫(?)です。

試合に負けた選手は「唇をかむ」し、全力を出し切って「胸を張り」、来年に向けて練習しようと「前を向く」ものです。一方、「目を輝かせた」勝利チームの選手は、「喜びを爆発」させ、その姿に「スタンドを埋めた」観客は「沸いた」。

 

最近テレビのバラエティ番組を見ていて、そこに登場する俳優さんや女優さんは当然ながら自分が出演するドラマやら舞台やらの告知のために出演しているわけですが、だれもかれも「笑いあり涙あり」というフレーズを連発しているのがやたら耳につきました。

これはつまり「エンターテイメントして頼める要素」もあるし、同時に「心を震わせて涙を誘う要素」もあるということですよね。

私なんかはもう「笑いあり涙あり」と言われた時点で安っぽいというか、古臭いなあと感じてしまいます。

常套句を使わないということについては、私も最初に働いた編集プロダクションの社長に自分の書いた原稿を読んでもらうときに散々「陳腐だ」ということを言われまくったので、陳腐にならないようには気をつけるようになりました。

 

よくある言い回しって、本当に文章が書けない人にとってはありがたいものなんですけど、そうした初級者からもう一歩上のステップに上がりたいときには、それを捨てていかなければいけないんですよね。

その意味でかんがえれば、本書は「文章を書くのは苦じゃない」ということが読む上での大前提になるかもしれません。

それを抜きにして、エッセーとして読んでも、おもしろい本だと思いますが。

 

後記

『ソーセージ・パーティ』を見ました。

 

ソーセージ・パーティー (吹替版)

ソーセージ・パーティー (吹替版)

  • 発売日: 2017/02/08
  • メディア: Prime Video
 

 

スーパーで売られているソーセージが主人公のファンタジーです。

スーパーで売られている食材たちは、みんなお客さんに買ってもらって、店の外に連れ出してもらえれば天国のような場所に連れて行ってもらえると信じています。

主人公のソーセージもそう考えていて、隣で売られているバンズの女の子に自分の体を挿入することを夢見ていました。

しかしある日、一度購入されてからスーパーに返品されたハニーマスタードの口から恐ろしい噂が広まります。

じつは、買われていった食材たちは天国に連れて行ってもらえるのではなく、自分のことを買った人間に無残にも食べられてしまう……とハニーマスタードは言うのです。

果たして真実はどちらなのか?

真相がわからないまま独立記念日になった日、いよいよ主人公のソーセージはとあるお客さんに選ばれてカートに運ばれていくのですが……。

 

という話です。

基本的に、下品です。

いえ、中盤くらいまではそんなに、すごく下品というわけでもありません。

ちょっと品のない台詞回しはありますが、そうはいっても大人向けのハリウッド映画で出てきてもべつに違和感はないくらいの下品さです。

ただ、最後の最後、とんでもなく下品な展開になります。

これは下品です。

ちょっと子どもには見せたくない感じの下品さです。

 

ただ、物語としてはけっこう高いクオリティでした。

それこそ、ハリウッドのヒットする脚本のルールに忠実に従い、流れるようにスムーズに物語が進んでいきます。

しっかりヴィランもいて、主人公内面的な成長もあるし、個性的かつ魅力的なサブキャラクターも脇を固めてくれます。

冒険シーンも盛り沢山です。

最後の最後、物語の締め方については賛否両論あると思いますが、私は嫌いじゃないです。

というより、「この物語、こんなことにしちゃって、いったいどうやって収束させるんだろう・・・?」と別の意味でハラハラドキドキしていたのですが、まあ、強引だけどなんとかまとめきったな、という感じでした。

よほど暇な人は、見てみたらおもしろいと思います。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。

『職業としての編集者』(吉野源三郎・著)のレビューになっていない

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職業としての編集者 (岩波新書)

職業としての編集者 (岩波新書)

 

 

私はこれまで「自分の人生を変えた本」というに出会ったことがありません。

いや、たぶん私の思考に多大なる影響を与えて、いまの私をかたちづくった本は無数にあるのでしょう。

ただ、改めて思い返してみると、なにか一冊の本がパッと思い浮かばないのです。

 

人に関しても、これは同じです。

「尊敬する人」とか「師匠」とか「メンター」のような存在が思いつきません。

もちろんこれも、たいへん学びになった人とか、お世話になった人はたくさんいるし、そういう人たちとの出会いがなければいまの私がなかったのは間違いないです。

でも、じゃあパッとすぐ思いつく人がいるかというと、いないわけです。

 

しかし、このたび読んだこの本は、読んだ瞬間に

「これは私の人生を変える本なのかもしれない」

という感覚がありました。

 

といっても、私は適当な人間なので、半年くらいたったら忘れているかもしれません。

しかし、とにかく読んだときにそれくらいの強い衝撃を受けたのは、薄弱な記憶を遡る限りほかにありませんので、すごい本だったということです。

 

さて、吉野源三郎といえば、『君たちはどう生きるか』の人です。

 

漫画 君たちはどう生きるか

漫画 君たちはどう生きるか

 
君たちはどう生きるか

君たちはどう生きるか

  • 作者:吉野源三郎
  • 発売日: 2017/08/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

2017年にコミカライズされ、ベストセラーになったので、聞いたことがある人が多いと思います。

 

この人は何者かというと、もともと哲学をずっと勉強していたのですが、ひょんなことから出版社で編集者をすることになった人です。

本書の冒頭で述べられていますが、別に編集者という仕事に就きたかったわけでもなく、晩年になっても「しろうと」の感覚を持っていたといいます。

吉野氏は岩波書店の創業者・岩波茂雄に誘われて、岩波新書の創刊に携わったり、「世界」という雑誌の編集長もやったりしています。

 

さて、本書『職業としての編集者』は、こんなタイトルですが、編集者のノウハウやハウツーが書かれたものではありません。

また、本人はいつまでも「しろうと」の気持ちで述べられていたということですから、編集の哲学について熱く語られているわけでもありません。

 

そもそも本書は、1981年に亡くなられた8年後に刊行された本で、いずれもほかの本や雑誌などに書いたものをまとめたものです。

そのため、章によって文体がバラバラ。

ですます調だったり、だである調だったりします。

本書に収録されているのは、以下のとおりです。

 

Ⅰ 編集者として

 編集者の仕事――私の歩んだ道

 ジャーナリストとして

 一九三〇年代――岩波新書ペリカン・ブックス

 『世界』創刊まで

Ⅱ 思い出すこと

 原田文書をめぐって

 終戦直後の津田先生

Ⅲ 歴史と現代

 日の丸の話

 歴史としての戦後民主主義

 

私が非常に感銘を受けたのは、序盤の部分だけです。

ぶっちゃけ、それ以外のところは流し読みしました。

歴史的な資料という勝ちはあるかもしれませんが、少なくとも普通の人が読んで感銘を受けるとか、何かの役に立つという内容はないと思います。

 

最高にしびれたのは「編集者の仕事」のところでした。

長いけど、引用します。

 

元来、出版とは英語でパブリケーションといわれるように、パブリックなもの、公共のものです。私たちが社会生活をしてゆく上に必要なさまざまな知識や報道が、出版物を通して広く社会の人々に伝えられます。そして、今日では、どんな個人でも、団体でも、国家でも、その行動や方針や政策をきめるにあたっては、直接自分の経験したことばかりでなく、いわば間接に報道で得た知識を頼りに――むしろ主としてそのほうを頼りにして――決定を行っているのです。

 

編集という仕事については、中国の作家魯迅の詩の「眉を横たえて冷やかに対す千人の眼、首を附して甘んじて孺子の牛となる」という句を、いいことばだなと思い出すことがたびたびです。「千人、万人の人からなんと見られようが、そんなことには、冷然として心を動かされない。子どものためには、甘んじて首をたれ、それを背に乗せて黙々としていく」という意味で、この孺子(子ども)とは中国の民衆を指しているのだというのが毛沢東の解釈です。

たしかに民衆のためになることなら、牛のように首をたれて黙々とそれに仕え、人からなんと見られようが心にかけない、という心構えは、編集という仕事を――本当に意味のあるものとしての編集の仕事を――やってゆく上に、何よりも必要な心構えだと思います。自分というものを世間に認めさせたいと考えたり、著者やその他まわりの人々によく思われようとしたり、あるいは世間に媚びたりしたら、本当の仕事はできませんね。世の中に送り出した本や雑誌が、実際に社会に役立つこと、どんなに回り道を通ってではあっても、無名の民の仕合せに役立つこと、それだけ果たせればそれでよいのだという心持を、しっかりと持ちつづけることが必要です。それをどんなに堅く持ちつづけたって、思うほど役に立つ仕事ができるか、どうか、危ういのです。

編集者の資格として、『ロンドン・タイムス』の昔の編集長のウィッカム・スティードという人は、「広い知識と、解りの早いこと、青臭くない判断」をあげて、なお、いつも好奇心が生き生きと躍っていること、精神がものうくたるんでいてはいけないことを説いています。しかし、肝心なのは「公共の仕合せ」を心にかけることであって、公共の仕合せを思いながら、いつかはその人々に、伝えねばならない真実を伝えてやろうと考えつつ、現場の仕事を黙々とやり抜いていく辛抱がなければならない、とのべています。やはり、甘んじて孺子の牛になるという心がけの必要を認めているのでしょう。

 

若干上から目線感はありますが、これは得てして忘れてしまいがちな大切なことです。

というよりも、「売れる本を作ろう」ということばかりを考えていると、得てして、「公共の仕合せ」ということがすっぽり抜け落ちてしまうのです。

 

このことについて、とりわけ書籍編集者という仕事の領域で述べている人はほとんどいないんじゃないでしょうか。

新聞記者とかジャーナリストなら、報道という名目で、「公共の仕合せ」というものは意識するかもしれません。

でも、いわゆる本や雑誌の編集者は、そういうところに鈍感になりやすいのではないかと思うのです。

 

もちろん、本や雑誌の編集者は厳密にはジャーナリストではありません。

なので、正義かどうか、正しいかどうかを必ずしも最優先にしなければならないわけではないでしょう。

ただ、「邪悪」になってはいけないと思うのです。

それはダークサイド(暗黒面)ですね。

 いちばんわかりやすいのは、一時期、雨後の筍のようにたくさん刊行されていた嫌韓本のたぐいです。

ぶっちゃけ、ああいう本は、出たら必ず買う人がいるので売れます。

また、表現の自由も日本では保証されていますから、韓国をけなすような内容の本を出すことが悪いわけではありません。

でも私はやっぱり、嫌韓本のたぐいはつくりたくないですね。

あと、不安を煽るのも、あまりいい本とは言えないと思います。

 

ただ、ここはすごく難しいところなのですが、なにが邪悪で、なにが邪悪でないか、それはなかなか正解がわからないのです。

たとえば、嫌韓本を邪悪な本の代表格として例に上げたわけですが、これだって私の感性に従った結果でしかありません。

そうした嫌韓本を読むことで精神的な快楽を得られる人が世の中にはいます。

その意味で、嫌韓本はちゃんと世の中の役に立っているといえます。

 

これはスプラッター映画が好きな人と、嫌いな人がいるのに似ているかもしれません。

嫌韓本をエンタメ(精神的な快楽を手に入れる手段)として消費したがっている人がいるなら、そうしたニーズに応える商品を販売するのは、必ずしも間違いではないとも思うのです。

 

なにが邪悪かという観点でいうと、ウソを書くとか、デタラメを書いて人を騙すとか、そういう内容の本もよくないですね。

あるいは、内容がない本、出版しなくてもいい本を、ただ出版社の都合とか、著者の都合だけで世の中に出すのも、ダークサイドにつながっています。

ある意味、出版社以外、だれもよろこばない本を出すというのは、嫌韓本のような物を出すよりも罪深いかもしれません。

 

あとは、自分の会社やビジネスをPRする販促物のような役割で本を出すのも、私は大嫌いです。

私はそういう本は絶対につくりません。

それはもはや本ではなく、パンフレットであり、出版社ではなく広告会社の仕事です。

 

ここがブログなどと本の大きな違いでしょう。

ネット上で文章を書くのは、なにを書いても、自由です。

お好きにしてください、という感じです。

特定個人を名指しして誹謗中傷するのも自由だし、嘘八百を並べ立てるのも自由だし、他人の文章を丸パクリするのも自由だし、読んだ人を騙して自分の商品やサービスへ誘導するのも自由です(当然、そこには法的に訴えられるというリスクも内包されますが)。

 

でもやっぱり、本ではそれを許してはいけないのです。

本が「公共の仕合せ」の追求しなければならないというのは、そういう意味であると私は理解しています。

むしろ、インターネットによってだれでも自由に発信できるようになったからこそ、「なにを書かないか」が重要になっています。

編集者にとっては、「どんな本を作りたいか」ということを考えるのと同じか、あるいはそれ以上に「どんな本は絶対に作らないか」を明確にしておくのも、大事なことなのではないかと考えた次第でした。

 

後記

アニメ映画「きみと、波にのれたら」を見ました。

 

きみと、波にのれたら

きみと、波にのれたら

  • 発売日: 2019/12/04
  • メディア: Prime Video
 

 

事故で失った恋人が水の中だけに現れるというファンタジーラブストーリーです。

監督が湯浅政明さんだったので、さすが映像とか表現方法はよかったです。

ただ、ストーリーはイマイチ乗れませんでした。

登場人物たちがイケているというか、ウェーイ系というか、リア充な感じがして、ぜんぜん感情移入できないんですよね。

主人公とその彼氏がラブラブなのはいいんですが、あまり尊みを感じないというか、見守りたくなるようなラブラブっぷりではなく、最終的な別れもけっこうサバサバして切なさを感じられませんでした。

私が年寄りになっただけかもしれませんが。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。

『サードドア 精神的資産のふやし方』(アレックス・バナヤン著)のレビュー

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いい本というのは、毀誉褒貶が激しいことが多いです。

読んだ人が多ければ多いほど、批判的に受け取る人も多くなるのは仕方がないことです。

この本も、売れた本の宿命なのか、Amazonなどを見ても辛辣なレビューが多くありました。

 

タイトルだけだと、どんな内容の本かわかりにくいですが、ザックリ説明すると、

「クイズ番組で大金を手にした大学生が、さまざまな成功者たちがどうやって最初の一歩を踏み出したのかをインタビューするための試行錯誤をつづったエッセー」

です。

具体的に、著者はビル・ゲイツスピルバーグレディー・ガガなどと話をしています。

しかし残念ながら、本書を読んでもそうした超ビッグネームの人たちの成功した理由を知ることはできません。

というのも、著者のアレックス・バナヤンさんが本書で書いているのは、そうした人々に何度もインタビューしようと悪戦苦闘しては失敗し、それでも諦めずにやり続けた挑戦の軌跡だからです。

なのでこの本は、もっとゲスい言い方をすれば「すごい人との人脈の作り方」といったほうが適切でしょう。

 

ここの認識のズレが、低評価の人たちの要因になっていると思われます。

成功者たちの成功の秘訣を知りたくてこの本を買ったのに、読んでもそれが書かれていないからこれは詐欺だ!というわけです。

これは出版社のミスリードも少なからず影響しているでしょう。

そういうふうに読者を勘違いさせようとする意図も見え隠れしていますから、こうした批判が来ることは承知の上だったのではないかと考えられます。

でも、タイトルを読めばわかるように、本書は成功の秘訣を明らかにしたものではありません。

そもそもサブタイトルが「精神的資産のふやし方」で、「お金持ちになる方法」ではないですからね。

 

ただ、何者でもない一般ピープルが著名人の人たちとつながるにはどうすればいいのか、その秘訣を知ることはできます。

これは、普通の会社員の人には関係のない話かもしれませんが、私のような仕事をしている人間にとっては非常に価値のある情報でした。

 

編集者の仕事の素晴らしいところは、「相対人に会う口実がつくれる」というところです。

たとえば芸能人だったり、芸術家だったり、政治家だったり、大学の先生だったり、SNSのすごいインフルエンサーだったり、普通だったら出会うきっかけがない人でも、「あなたの本を出したいので、会ってください」とお願いすれば、会ってもらえるチャンスが編集者にはあるわけです。

とはいえ、これは言うほどカンタンなことではありません。

私もこれまでさんざん有名な人達に企画書を送ってオファーを出してみたりしましたが、たいていはお断りされるか、無視されます。

でも、なにかのきっかけで一度、著名人と懇意になれれば、そこから数珠つながりでさらに著名な人や、これからブレイクしそうな人に会えることもあるのです。

 

人脈という言葉は、なんだか人を道具のようにみなしているようで最近は忌避されるきらいもありますが、そうはいっても「どんな人とつながっているか」は仕事をする上でめちゃくちゃ重要な要素です。

とくに編集者の場合、企画力とかマネジメント能力とか日本語能力とかももちろん大事なのですが、それよりも「どんな著者とつながっているか」という人脈力がそのままキャリアや収入に直結することも多いです。

また編集者でなくても、いろいろなコネクションを持っていることは思わぬ人生のターニングポイントを生んだりします。

最近はリファラル採用といって、転職サイトなどではなく、知り合いを通じて採用を行うことも増えています。

転職サイトを使うと、どんな人が応募してくるかわからないからいちいち試験したりしなければいけないですが、信頼できる知り合いを通じて採用すれば、少なくとも地雷となるような変なやつが来る可能性はぐっと減るからです。

 

ということで、有力な人たちとコネクションを持つことが大事なんだと思うのですが、そこで意識しておきたいのが本書のタイトルとなっている「サードドア」という考え方ですね。

これはどういうことかというと、著名人と合うためには「3つのドア」が用意されているということです。

 

僕がインタビューした人たちはみんな、人生にも、ビジネスにも、成功にも、同じやり方で向き合っている。僕から見たら、それはナイトクラブに入るのと同じようなものだ。常に3つの入口があるんだ。

「まずファーストドアがある」と僕はマットに言った。

「正面入口のことさ。長い行列が弧を描いて続き、入れるかどうか気をもみながら99%の人がそこに並ぶんだ」

「次にセカンドドアがある。これはVIP専用入り口で、億万長者、セレブ、名家に生まれた人だけが利用できる」。マットはうなずいた。

「学校とか普通の社会にいると、人生にも、ビジネスにも、成功にも、この2つのドアしかないような気分になる。でも数年前から僕は、常に必ず……サードドアがあることに気づいたんだ。

その入り口は、行列から飛び出し、裏道を駆け抜けて、何百回もノックして窓を乗り越え、キッチンをこっそり通り抜けたその先に、必ずあるんだ。

ビル・ゲイツが初めてソフトウェアを販売できたのも、スティーブン・スピルバーグがハリウッドで史上最年少の監督になれたのも、みんな――」

「サードドアをこじ開けたからだろ」とマットは満面の笑みを浮かべて言った。

「俺もそうやってこれまで生きてきたよ」

 

このサードドアを通る上でキーになるのが「インサイドマン」の存在です。

インサイドマンというのは、著名人のそばにいて、自分をなかに引き込んでくれる協力者のことです。

つまり、ターゲットが信頼をおいている人物からの信頼を勝ち取ろうということですね。

いきなり面識のない著名人に「会ってください」などとアプローチするのは得策ではありません。

それよりも外堀を埋める……つまり、その周囲の人から仲良くなっていって、その人との距離を詰めることが大事なのです。

とはいえ、インサイドマンも忙しいことが多いので、無視されたり断られたりすることが多々あります。

ここで大事なのが粘り強さと、趣向を変えること。

何度断られても諦めない気持ちと、相手の出方に応じて柔軟に態度ややり方を変えていくことが必要になります。

 

あと、これは個人的な経験則からいえることですが、著名人と繋がれるかどうかは「タイミング」も大事だったりします。

たまたまその人がちょっと心理的に余裕のあるとき、大きな仕事が一段落ついているときなどにうまくオファーを出せれば、意外とOKがもらえたりします。

もちろん、面識がない相手の忙しさを把握することは難しいので、これもインサイドマンに頼りながら、タイミングを見計らう、あるいはたまたま相手のタイミングがいいときにマッチするように何度もオファーするなどの戦略が必要になります。

読み様によっては、営業職の人なんかも役に立つ本かもしれませんね。

 

後記

スマホゲームの「A.I.M.$(エイムズ)」をやってみました。

app.nhn-playart.com

渡辺直美さんがCMやってるやつです。

一昨年辺りから流行っている「荒野行動」とか「フォートナイト」とか「エイペックス」みたいなバトルロイヤルFPSゲームなのですが、おもしろいのは、プレイヤーはギャングになって現金輸送車を襲い、5分という制限時間の中でライバルたちとお金を奪い合うという点です。

もちろん、ほかのプレイヤーを倒すことでお金を奪えるのですが、とにかく5分間生き残っていればその時点での所持金を獲得できるので、無理に相手を倒しに行かなくても、コソコソしているだけでも経験値が稼げます。

あと、操作も直感的でやりやすく、キャラクターが個性豊かで、固有スキルでかなり差が出ます。

エイムの補正も強めなので、初心者でも狙いをつけやすいのがありがたいですね。

とはいえ、結局やることは単調なので、すでに飽き始めてはいます。

やっぱりスマホFPSは疲れますね。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。

『読書について』(ショーペンハウアー著)のレビュー

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「読書術」をテーマにした本は実用書の鉄板ジャンルの1つで、その多くは「読書はいいものだ」と読書を全肯定しています。

読書術の本を手に取る人は普段から読書習慣があるわけですから、「読書する人はそうじゃない人よりすごい人なんだよ」と言ってもらえれば、それだけでちょっとだけ自己肯定感を高めてもらえるわけですね。

 

本を読む人だけが手にするもの

本を読む人だけが手にするもの

  • 作者:藤原 和博
  • 発売日: 2015/09/29
  • メディア: 単行本
 

 

読書する人だけがたどり着ける場所 (SB新書)

読書する人だけがたどり着ける場所 (SB新書)

 

 

とくに現代はスマホの普及により、ちょっとした空き時間があれば大抵の人はスマホをいじってSNSを見たり、ゲームに興じたりしています。

暇な時間の過ごし方の選択肢が増えたことで、以前よりも「本を読む習慣がある人」と「本を読む習慣がない人」が明確に区別されるようになってきたのです。

そうした前提から「収入が高い人はたくさん本を読む」だの「頭がいい子どもは本をたくさん読む」だのといった主張がされ、読書を肯定する本が次々に生まれるわけです。

 

さて、1851年にドイツで出版されたこの本は、タイトルだけを見るとそうした現代の日本の読書本と同じように読書を全肯定し、読書の技法を教えてくれる本に見えます。 

 

しかし、じつはこの本、むしろ「本を読みすぎることの危険性」について主張しているのです。

 

読書は、読み手の精神に、その瞬間の傾向や気分にまったくなじまない異質な思想を押しつける。ちょうど印章が封蝋に刻印されるように。読み手の精神は徹底的に外からの圧迫をこうむり、あれやこれやを考えねばならない――いまのところ、まったくその気がなく、そんなムードでもないのに。(中略)

重圧を与え続けると、バネの弾力がなくなるように、多読に走ると、精神のしなやかさが奪われる。自分の考えを持ちたくなければ、その絶対確実な方法は、一分でも空き時間ができたら、すぐさま本を手に取ることだ。これを実践すると、生まれながら凡庸で単純な多くの人間は、博識が仇となってますます精神のひらめきを失い、またあれこれ書き散らすと、ことごとく失敗するはめになる。

 

ショーペンハウアーは哲学者ですが、哲学者らしく、大切なのは「自分で考えることである」という主張が繰り返しされています。

読書というのは他者の思考をなぞるだけのものであり、それはあまり自分の頭を働かせる行為ではない。

だから、本を読んでばっかりいると、自分で考える力が損なわれてしまうというのが、彼の主張なのです。

 

読書は自分で考えることの代わりにしかならない。自分の思索の手綱を他人にゆだねることだ。おまけに多くの書物は、いかに多くの誤った道があり、道に迷うと、いかにひどい目にあうか教えてくれるだけだ。けれども創造的精神に導かれる者、すなわちみずから自発的に考える者は、正しき道を見出す羅針盤をもっている。だから読書は、自分の思索の泉がこんこんと湧き出てこない場合のみ行うべきで、これはきわめてすぐれた頭脳の持ち主にも、しばしば見受けられる。これに対して根源的な力となる自分の思想を追い払って本を手にするのは、神聖なる精神への冒瀆にひとしい。そういう人は広々とした大自然から逃げ出して、植物標本に見入ったり、銅版画の美しい風景をながめたりする人に似ている。

 

このような引用文を読んでもらえればわかると思いますが、ショーペンハウアーはけっこう辛辣に読書ばっかりしている人間を批判しているので、「読書は無条件に善!」と考えていると、フライパンで頭を殴られるような衝撃があるかもしれません。

 

そしてもう一つ、本書では「良書と悪書」についても述べられています。

これは編集者として現在の日本の出版に携わっている私にとってはなかなか心苦しさを感じるところでもあります。

 

まず物書きには二種類ある。テーマがあるから書くタイプと、書くために書くタイプだ。第一のタイプは思想や経験があり、それらは伝えるに値するものだと考えている。

第二のタイプはお金が要るので、お金のために書く。できるかぎり長々と考えをつむぎだし、裏づけのない、ピントはずれの、わざとらしい、ふらふら不安定な考えをくだくだしく書き、またたいてい、ありもしないものをあるように見せかけるために、ぼかしを好み、文章にきっぱりした明快さが欠けることから、それがわかる。ただ紙を埋めるために書いているのが、すぐばれる。(中略)

それに気づいたら、ただちにその本を投げ捨てなさい。なにしろ時間は貴重だ。要するに、書き手が紙を埋めるために書くなら、その時点でただちに、その書き手は読者をあざむいていることになる。つまり、書くのは伝えることがあるからだと偽っている。

 

この部分なんかを読むと、まさに現代の日本の出版業界のことを言っているのではないか……と思ってしまいます。

残念ながらショーペンハウアー先生のいうように、世の中には「そんなに出す必要のない本」「そんなに読む必要のない本」であふれています。

そして著者も編集者も、そのことを理解していながらも、お金を稼ぐためにせっせとそうした本を作り続けているのが現状です。

私も、そうした行為に加担している人間のひとりなのです。

 

本は何でもいいからたくさん読めばいいというものではありません。

そういうクソみたいな本を100冊読むよりも、いい本を一冊読んだほうがよほどためになりますし、時間が有用に使えます。

 

しかし問題は、そうした「いい本」を見分けるのは、至難の業であるということです。

売れている本がいい本とは限りません。

Amazonで高評価がついていて、たくさん売れていても、中身が薄っぺらいクソみたいな本もあります。

(そういう本を「なぜいま、この本が売れているのか」を分析するために読むのは有用かもしれません。私はそのような視点で読んでいます)

 

また、分厚くて難しそうな本だからといって「いい本」とは限りません。

回りくどくて難解な文章はなんだか高尚な感じもしますが、じつは内容が紆余曲折していたりしていて、あまり内容がないこともあります。

たとえば今回紹介しているショーペンハウアーの『読書について』は間違いなく良書ですが、本文は160ページ程度で終わっていて、たいへん簡潔に書かれています。

 

……と、ここまで書いていてなんですが、このショーペンハウアー先生の主張も、鵜呑みにしてはいけません。

これは私がたびたび主張していることですし、ショーペンハウアー先生もいっていることですが、本の内容を「なるほど!」とまるごと信じて鵜呑みにしてしまうことほど危険なことはないのです。

いかなる本でも、「ホンマかいな」と心の片隅に疑う姿勢を持ち続けなければなりません。

 

さて、古典を読む場合、著者がその本を書くに至った経緯のようなものを把握しておくと、なぜその著者がその本を書いたのか、その動機がわかることがあります。

本書の場合、解説によってショーペンハウアーの生涯がカンタンに説明されています。

そこに、なぜ彼が『読書』というテーマについて本を書いたかの動機が伺い知れる事実があるので、説明していきましょう。

 

ショーペンハウアーは商人の父と小説家で旅行記なども執筆しベストセラー作家であった母親の間に生まれます。

最初は父の意向にしたがって商人になったショーペンハウアーですが、やはり哲学の道を志して哲学書を刊行するも、まったく売れませんでした。

ここであったのが、母親との確執です。

流行作家だった母は自分の息子をライバル視するようになっていた。本になったばかりの博士論文『充足理由律の四根について』を息子から手渡された母は、「薬屋さん向けの本じゃないの?」とからかう。当時、薬屋では主として薬草を扱っていたので、薬草の根っこの話かとあてこすったのである。息子がカッとなって「お母さんの本がこの世から消え去っても、ぼくの本は読み継がれます」と言い返すと、母は「お前の本は初版がそっくりそのまま売れ残るのよ」と負けずに切り返したという。こうして母と息子の関係は決定的破局をむかえ、一八一四年ショーペンハウアーはヴァイマールを去り、ドレスデンへ向かう。以後、母と息子は生涯二度と顔を合わせなかった。この母にして、この息子ありというべきか、ショーペンハウアーの才気や激しい気性は母親ゆずりとも言われている。

 

良書と悪書の部分についてなどは、おそらくは流行作家で軽薄な内容の本を出していた母親の本を意識した部分もあるかもしれませんし、母親のような人が書いた本をいくら読んでもタメにならない……という意図もあったかもしれません。

ちなみに、実際にその後、ショーペンハウアーが出した力作『意志と表象としての世界』は100冊くらいしか売れなかったらしいので、母親の予言は当たったわけですが、一方でショーペンハウアーが言った「自分の本は読み継がれます」という言葉も当たったわけですね。

ただし、ショーペンハウアーの作品がいまも読みつがれているのは、哲学書よりも、本書のようなエッセーで、これは晩年になってから出版されてベストセラーになり、これにより、彼は有名人になったのです。

 

もうひとつ、知っておきたいのは当時のドイツ社会の文化の様子です。

一九世紀半ば、長く保たれてきた真・美・善の統一的美的価値観は危殆に瀕していた。都市化や工業化の波、プロレタリアートの台頭とともに、貧困や犯罪などの社会問題が発生し、通俗犯罪小説、ホラー作品が愛好され、大衆の刺激的快感を求める嗜好はどんどんエスカレートしてゆく。大衆はより強烈なもの、よりグロテスクなものを求め、そのために大衆の感覚はますます鈍磨してゆく。浮薄なもの、どぎついものが幅をきかせ、大衆文化の全面に「卑俗なもの」「醜悪なもの」が押し出され、こうして美と崇高の概念はかつてないほど凋落する。

いまもたまに「日本語の乱れ」という言い方がされますが、ショーペンハウアーも当時のドイツ語が乱れ、文法がメチャクチャな本が増えていることを痛烈に批判しています(このあたりのことにもけっこう紙面が割かれていますが、日本人は読み飛ばしてもいいでしょう)。

なので、本を読みすぎることの害については、現代でも果たして当てはまるのか、あるいは文芸と実用書で変わるものなのかは、それこそ個々人が考えて判断する必要があるでしょう。

 

後記

『十三機兵防衛圏』をようやくプレイ&クリアしました。

 

十三機兵防衛圏 - PS4

十三機兵防衛圏 - PS4

  • 発売日: 2019/11/28
  • メディア: Video Game
 

 

発売されたのは2019年で、『オーディンスフィア』『朧村正』をつくったアトラス&ヴァニラウェアだったので期待していたのですが「そうはいっても半年くらいたてばメルカリで中古品が安く手に入るやろ」と思っていた私が浅はかでした。

このゲーム、半年たっても1年たってもまったく値崩れを起こさず、恐るべきことにメルカリでも定価と同じくらいの値段で取引されていたのです。

いい加減にやりたくなってきたので、結局新品で買いました。

 

このゲームは架空の街に暮らす13人の少年少女を操作しながら、何処からともなく襲来する謎の怪獣を倒し、街を防衛するもの。

1940年代から1980年代、さらに2020年代など、いくつかの時代区分に分かれて、13人の主人公たちが交錯していくのですが、いかんせん物語設定や時系列がバラバラに進むので、かなりプレイヤーは混乱します。

私もたぶん、なにがどうなってそうなったのか、おそらく半分くらいしか理解できないままクリアしましたが、問題ありません。

すべてを理解する必要はないのです。

なぜなら、じつはそこにあまり意味などないからです。

捉えようによっては「なんじゃそら!」という壮大なモニョモニョラストですが、これはこれでアリだと思います。

 

それより私としては、アクションシーンが物足りなく感じました。

せっかく機兵のデザインがかっこいいのに、怪獣とのバトルフェイズではドット絵のようなものだけで表現されていて、めちゃくちゃ味気ないのです。

もちろん、すべてのグラフィックをリアルにする必要はないと思うし、バトルシステム自体はおもしろかったのですが、せめて技を出すときは搭乗者あるいは機兵のカットインイラストを入れるとか、そういう演出はあってもよかったんじゃないかなと……。

総じて判断すると、いいゲームだけど、絶賛できるほどではないかなという感じでした。

いま、Amazonの初売りで安くなっているみたいです。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。

年末年始はコレを読んどけアワード2020 ~小説・人文・ビジネス・実用~

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今年は新型コロナの影響で私の仕事も在宅になったりして、わりと本を読む時間が増えました。

2020年12月7日時点で、今年読んだ本は259冊。最多は5月で、41冊も読んでいました。

なかにはマンガも含まれるのですが、今年も年末年始のお休みのときにぜひ読んでいただきたい本を10冊ご紹介していきます。

では始めましょう。

 

もくじ

 

1.『書くことについて』(スティーブン・キング/小学館

書くことについて (小学館文庫)

書くことについて (小学館文庫)

 

 

現代を代表するベストセラー作家のひとり、スティーブン・キングが「小説家になる方法」をあけすけに語った自伝的な一冊です。

もしも小説家になりたい、という方がいれば、この本は一度は読んでおくべきでしょう。

そもそも小説とはなんなのか、人々から支持される小説とはどんなものかということがすっごくわかりやすく語られています。

大事なのは「わかりやすさ」です。難しい言葉を使わない。文章は短くする。そういう基本的なルールを守りましょう。

今回はあえて選びませんでしたが、こちらの『ベストセラーコード』もたいへん参考になります。

こちらはアルゴリズムを駆使して、売れている小説によく使われているテーマや単語などを分析した一冊です。アメリカの小説ばかりなので直接的な参考にはならないかもしれませんが、じつは結論はキングの『書くことについて』と似ています。

また、小説家を目指すということであれば、森博嗣さんの新書もなかなか刺激的でおもしろいので一読の価値があります。小説家になるに当たって、「役に立つか」どうかはわかりませんが。

 

2.『PIXAR 世界一のアニメション企業の今まで語られなかったお金の話』(ローレンス・レビー/文響社

 

世界を代表するアニメーション制作会社「PIXARピクサー)」の元財務責任者が、どんな紆余曲折を経て現在のピクサーが誕生したのかを語るビジネス書です。

とにかくレビーさんがいろいろたいへんな目にあうので、読んでいると否が応でも著者に感情移入してしまいます。基本的に自分勝手でわがままなスティーブ・ジョブズと、クリエイター陣との軋轢に悩まされ、最後の最後まで裏方に徹してがんばります。

あの『トイ・ストーリー』がどれだけの苦労を経て、世に生み出されてたのか。へたなフィクションよりぜんぜんおもしろい物語です。

こうしたビジネス系の物語はちょこちょこおもしろいものがあります。今年読んだものののなかでは、『コンテナ物語』や『NETFLIX コンテンツ帝国の野望』もまあまあおもしろかったですね。

 

3.『ぼぎわんが、来る』(澤村伊智/KADOKAWA

 

ド直球のホラー小説です。死ぬほど怖いです。一人暮らしの人は読まないほうがいいでしょう。マジで怖いので。ひたすら怖いです。それ以上の説明は不要でしょう。

「怖い」について知りたい人は、こちらも読んでみましょう。

 

4.『13歳からのアート思考』(末永幸歩/ダイヤモンド社

 

美術には興味がない人でも、これはぜひ一度は読んでほしい一冊です。

世間評価されている「名画」には、名画と言われるだけの理由があります。それを子どもでもわかるように、非常に論理的に、明快に解説してくれる本です。

ピカソはなにがすごいといわれているのか、なぜ現代芸術は絵の具を塗りたくっただけのようなものが評価されたりするのか、その意味がよくわかります。

もう一冊、どちらを選ぼうかすっごく悩んだのが、こちらの『絵を見る技術』です。

この本もめちゃくちゃおもしろいです。

名画が名画たる所以を説明してくれるのは『13歳からのアート思考』と同じなのですが、 これはどちらかというと古典的名画の美しさを理路整然と解説している本なので、ちょっととっつきにくいかもしれません。しかしこちらも最高におもしろいです。

 

5.『三体』(劉 慈欣/早川書房

三体

三体

 

 

これはもう、文句なくおもしろい超傑作SFです。なかなかのボリュームなのですが、読み始めると止まらなくなります。これこそ正月に読むべき本かもしれません。

中国の歴史や宇宙物理学などの知識が求められる部分が出てきますが、けっこう丁寧に説明してくれますし、物語全体の進み方がとてもうまいのでグイグイ惹きつけられていきます。

 

6.『13歳からの世界征服』(中田考/百万年書房)

13歳からの世界征服

13歳からの世界征服

  • 作者:中田考
  • 発売日: 2019/10/17
  • メディア: 単行本
 

 

今年読んだなかでブッチギリの、ぶっ飛んだ怪作です。私はこういう本が大好きです。

自らムスリムになったイスラム教法学者が、中学生くらいが悩みそうなことの解決策を提示していくいわゆる人生相談的な本なのですが、イスラムの教えに基づいて導かれるロジックは、日本人には奇々怪々、理解を超越したところにあります。

ただ、よくよく読んでみると、実は唯一神だけを大事にしてそれ以外のものを軽視するという考え方は、ある意味で日本人にとってすごく生きやすくなる指針となりうるのかもしれません。読むとムスリムになりたくなるかもしれませんが、そのあたりは自己責任で。

 

7.『メインテーマは殺人』(アンソニーホロヴィッツ/早川書房

 

今年読んだなかで一番おもしろかったミステリーです。

特筆するべきは、探偵役であるホーソーンの嫌な奴っぷりです。名探偵は奇人変人の宝庫ですが、ホーソーンの場合は「まじでこんなやつと仕事で付き合わなくなったら嫌だな」と感じさせるような、リアリティのある嫌な奴なのです。でもそれがいい。

肝心のトリックとストーリーラインはミステリーの黄金律に従い、キッチリカッチリ最後に落としてくれます。不完全燃焼感はなし! すべての伏線を回収し、謎をスッキリ解いてくれる爽快な一冊でした。

 

8.『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』(山下泰平/柏書房

 

 

タイトルだけでインパクト抜群ですが、タイトルに負けないくらい中身もギュギュッと凝縮された濃い~一冊です。私はこういう、日常生活でとくに役に立たないけれどムダに凝った本が好きです。

著者自身のスタンスがふざけたりしているわけではないのですが、とかく明治時代のエンタメ小説の主人公たちが何でもかんでも暴力と勢いだけで解決しようとしてしまうので、読んでておかしみが出てきます。

ちなみに、著者の山下さんははてなブロガーであり、新書も一冊出しています。

こちらは実用書に寄せていますが、やはり明治の人たちのぶっ飛びぶりがいかんなく表現されていて趣のある一冊となっています。

 

9.『壱人両名:江戸の知られざる二重身分』(尾脇秀和/NHK出版)

壱人両名: 江戸日本の知られざる二重身分 (NHK BOOKS)

壱人両名: 江戸日本の知られざる二重身分 (NHK BOOKS)

  • 作者:尾脇 秀和
  • 発売日: 2019/04/25
  • メディア: 単行本
 

 

江戸時代というと士農工商と身分がはっきりと別れていて、窮屈な世の中だったように感じられるかもしれないけれど、じつは身分というのは現代の私たちがカンガよりも柔軟で、いい加減なものだったんだよということを伝える一冊です。

この本でおもしろいのは、日本は昔から「本音と建前」をうまく使いわけて社会を形成していたというところです。いちおうルールは決めるけれど、それは場合によっては守らなくても良かったりする。

そして、彼らは時と場合に応じてさまざまな名前と身分を使い分けていました。副業が解禁され、働き方が多様化して、ネットとリアルの2つの社会を生きている私たちにはなんだか馴染みがあるルールに思えます。

 

10.『高校生からわかる「資本論」』(池上彰/ホーム社

 

ada-bana.hatenablog.com

 

今はにわかにマルクスの『資本論』ブームが来ていています。

今更ながらちゃんと資本論の内容を理解しようといくつか解説本を読んだなかで、抜群にわかりやすくてなるほどなあと思ったのがこちらの一冊でした。さすが池上先生。

なぜ、格差は縮まらないのか。それは資本主義が構造上、そうなるべくしてそうなるようなシステムになっているからなのです。

いわゆる労働者、サラリーマンこそ、資本論の内容は理解しておくべきなんじゃないでしょうか。

 

ベスト・オブ・ベストは……

これでしょう。

 

「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考

「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考

  • 作者:末永 幸歩
  • 発売日: 2020/02/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

これは本当にいい本でした。

そして、この本が売れるのはなんだか嬉しい気持ちもあります。

それでは、良いお年を。