『恐怖の構造』(平山夢明・著)のレビュー
私はホラーとかオカルト系の話が好きなんですが、ホラー映画やホラーゲーム、お化け屋敷は大の苦手です。
なんでかというと、「びっくりする」のがイヤだからです。
その意味では、『ジュラシックパーク』みたいなパニックムービーも苦手です。
観客をびっくりさせるシーンが多いからです。
ただ、じゃあ私が「びっくりするシーン」が怖い、恐れているのかというと、なんだかそれはちょっと違うような気がします。
「びっくりするシーン」について抱くのは、「怖い」というよりも「嫌い」「苦手」という感覚です。
たとえばホラー小説やホラーマンガを読むと、背すじがゾクゾクして「怖い」と感じますが、びっくりするのは、それとは違うんですよね。
これは注射に似ているかもしれません。
注射は痛いので、嫌いですが、怖いわけではありません。
痛いのがイヤで、嫌いなだけです。
グリーンピースも嫌いなだけで、怖いわけじゃないです。
味が嫌いなだけで、食べたくないだけです。
そういった疑問をなんとなく持っていたので、この本のタイトルには引かれるものがありました。
となると、「怖い」ってなんなのか、という疑問が湧いてきます。
敷いて言えば、高所恐怖症の「怖い」は、ホラーの「怖い」と似ているかもしれません。
怖いけれど、ちょっと覗いてみたくなる。
そういう魅力と恐怖がない混ぜになっている不思議な感覚ですよね。
ちょっと前に、こちらの本も読んだのですが、
こっちはもう本当にガッツリとした哲学の話がメインで、わかったようなわからんような内容でした。
それに比べると『恐怖の構造』は、本としてはわかりやすい一冊です。
ただ、恐怖という感情については、相変わらずわかったようなわからんような感じがします。
とりあえず、この本を読んでわかったのが、著者の平山夢明センセもだいぶフツーの人ではないということです。
平山夢明センセで私が読んだことがあるのは『独白するユニバーサル横メルカトル』『デブを捨てに』『ヤギより上、猿より下』くらいです。
でも一般的にいちばん知名度があるのは『ダイナー』でしょうか。
藤原竜也主演で映画化されましたし
マンガ化もしてますね。
原作も読んでないし、映画も見ていない私ですが、マンガ版はLINEマンガで無料の部分だけ読みましたが、なかなかおもしろかったです。
とりあえず、私が知っている限り、平山夢明センセの作品は下品で暴力的ですね。
平山センセは神奈川県川崎市で生まれ育ったようで、本書にもたびたび自分の幼少期の出来事が描写されたりするのですが、とにかく暴力的な大人たちが周囲にウヨウヨといて、理不尽な暴力にいつもさらされていたようなので、明らかにそうしたことが作品に反映されているものと思われます。
それはともかく、本書ではそんな平山センセが独自に分析した恐怖の構造を説明してくれるのですが、ちょいちょい挟まれるエピソードから、平山センセ自身のブキミさも垣間見えるのです。
そのあたり、ちょっと紹介していきましょう。
人間のようで、人間ではないものに人は恐怖を覚える
これはすごく納得できます。
殺人鬼や精神異常者はもちろんですが、怪物なども、たとえばシルエットだけなら人間っぽいというのが共通してますよね。
もっといえば、四足歩行か二足歩行かで、怖さが変わってくるような気がします。
怪物的な見た目で、四足歩行をしていたら、それって単なる獣に見えますよね。
もちろん、リアルなクマとかライオンとかは怖いけれど、モンスターが四足歩行になってしまった瞬間、ホラー的な怖さはなくなります。
(逆に、体は完全に人間なのに、虫のようにシャカシャカと素早く動くのは、それはそれで怖いですけど)
この本の帯にも「日本人形はなぜ怖い?」というコピーがつづられていますが、人形が怖いのも、人間のように見えて人間ではないから、というのが答えになっています。
ただ、注目すべきは、この部分で書かれている平山センセのエピソードです。
もっとも、僕自身は人形を特に恐れてはいません。〈不気味の谷〉が狭いんでしょうね。もしかしたらV字カットなのかもしれません。なんたって、小さいときにウチの妹が買ってきたリカちゃん人形の顔を燃やしたりしていたくらいですから。
これがけっこう難しいんですよ。弱い火だと全体が焦げるんで、強火で顔を炙って柔らかくなったところを指で押すのがコツなんです。そうやって顔面が握り拳みたいになった人形を、妹の布団にうつぶせの状態で置いておくんですよ。帰ってきた妹が人形を見るなり「ギャッ」とか叫んだりしてね。
最悪の兄貴ですね。
完全にサイコパスです。
その後、「川崎大師事件」というが一件でも、サイコパスっぷりが見え隠れします。
あるとき、奥さんの実家からもらってきたブキミな市松人形を手に入れたところ、実家の犬が突然死んだり、作家仲間がその話をし始めた途端に血便のようなものが出たり、担当編集者の顔面がパンパンに腫れてしまったり、もうひとりの担当は出掛けに足を捻って松葉杖をついたりしていたわけです。
「これはますますいい感じだ」と興奮して、周囲が嫌がるのも聞かずに人形の話をしていたら、樋口さん(注:血便らしきものが出た作家仲間)は身体中にジンマシンが出ちゃって、そそくさと帰っちゃいました。結局、彼はその日を限りに「もう嫌だ」って編著を降りちゃったんですけどね。
樋口さんが帰ったあとも、僕は「どうせだったら読者プレゼントにしよう」って主張したんですが、みんな嫌がってね。「倫理的にどうかと思う」だの「百人も応募が来たらどうするんですか」だとゴチャゴチャ言うんですよ。
頭にきて「俺が人形をゴリゴリにすり潰して、応募してきた全員分のパケ袋に入れてやる」って言ったんだけど、結局賛成してもらえませんでした。あ、そういえば松葉杖の女の子、その日の帰りに駅の階段から落ちて何日か車椅子で生活していましたっけ。
実家も実家で大変でしてね。異様な数の野良猫が集まるようになったり、近くの鉄塔にカラスが群がったり。
で、僕もさすがに「なんとかしないとマズいかなあ」と思いましてね、近所の川崎大師へ夜中に行って、賽銭箱の上に人形を置いてきました。そうそう、あの直後にケイブンシャ(注:当時本を作っていた出版社)も潰れちゃいましたね。やっぱりなにかあったんですかねえ。あっはっはっはっは。
私はわりとこういうぶっ飛んだ人が好きなんですが、お仕事ではご一緒したくないタイプですね。
そしてこういう人ほどなぜか祟りには見舞われないみたいです。
なお、本書の後半では「ホラー小説を解読する」という章があり、平山夢明流のホラー小説指南もあります。
そこを読んでからこの文章を読み直すと、なるほどたしかに、五感に響く描写、読者の想像力を刺激して嫌悪感を抱かせるようなうまい文章の書き方をしていることがわかります。
あと、平山センセは好きなものにはとことんのめり込むようで、好きになった本は何百回と読み込むようです。
とくに、『ブレイブ』という小説の手法は『ダイナー』でも徹底的に活用したとのことです。
ちょっと読んでみようかな。
あと、小説版の『羊たちの沈黙』も何千回と読んだらしいです。
本書ではほかにも「恐怖より不安のほうがつよい」「恐怖と笑い」「今日はなぜエンタメになりうるのか」などの持論が述べられています。
読めば何がどうなるというたぐいの本ではないですが、ホラー好きの方(あと平山夢明好きな方)なら一読の価値はあるんじゃないでしょうか。
後記
『電人N』を1巻だけ読みました。
VRゴーグルを使って感電自殺したアイドルオタクのド底辺の男が、ありとあらゆる電脳技術を自在に操る電脳人間となり、さまざまな電子機器を操作して推しのアイドルを邪魔する人間を始末したりとやりたい放題するのをなんとかしようとする話です。
作画を担当しているイナベ カズさんは『食糧人類』もありますね。
こちらも一通り読みました。
『食糧人類』は「なにものかによってブロイラーのように飼育されている人間」の描写のグロさとかがよくて、まあまあおもしろかったのですが、『電人N』はそれとくらべると微妙な感じですね。
これもある意味、「不安」と「恐怖」の違いのような気がします。
『食糧人類』では、ただただ人間がひそかに捕獲され、飼育されている様子が描かれます。
それがだれの、なんのためなのかが謎で、もしかしたこういうことが実際に行われているんじゃないかという「不安」を読者に感じさせたりします。
しかし、『電人N』は、そもそもあらゆる電子機器を自在に操れる電人がどうやって生まれたのかが、最初の最初にネタバレされてしまうんですね。
しかも、その元・電人が普通の弱い人間で、彼が電子機器を操って人を殺したりしまくるのも、推しのアイドルを応援するためという、とっても人間臭い、言い方を変えれば、共感できてしまうような行動原理であるわけです。
たしかに、こういう存在がいたら怖いな、私たちの生活って電子機器無しじゃ成り立たないもんなという「恐怖」はあるかもしれませんが、正体も動機もわかっているから不安はないわけです。
つまり、この先を知りたいという欲求が抱きにくいような気がしました。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。