『世界のエリートが学んでいるMBAマーケティング必読書50冊を1冊にまとめてみた』(永井孝尚・著)のレビュー
ある本が「いい本」か「悪い本」かというのは完全に個人の主観なので正解なんてないと思いますが、私はいち読者として本に接する場合、「世の中の99%はいい本である」というスタンスでいます。
それはなぜかというと、「どんな本でも学ぶべきところが1つくらいはある」という視点で本を見ているからです。
死ぬほどつまらない本も、「なぜこの本は死ぬほどつまらないのか」ということを考えると、今後同じような本を読まないようにしようという学びを得られますね。
さて本書はタイトルの通り、マーケティングの名著50冊の内容をこれ1冊で簡単に理解できるという趣旨の本です。
ちなみに「MBAマーケティング必読書」と銘打っていますが、この50冊をどういう基準で選んだのかというと、これはおそらく著者の独断と偏見によるものです。
著者は多摩大学大学院でMBAを取得した経歴を持っているので、正確にいうなら「多摩大学の大学院でMBAを取得するためにマーケティングを勉強している人の必読書」という言い方になるかもしれませんね。
「MBA」というのは便利な言葉で、とにかく「MBA」とつけておけばなんかすごそうに見えるものです。
四年制大学を卒業した人は、「学士」です。
大学院を卒業すると「修士」になります。
さらに論文とかを書いて博士課程を修了すると「博士」になれます。
ただし、いろいろ調べてみると、厳密にいえば日本の大学院で経営学を学んでも、それはMBAにはならない……という意見もあります。
そもそもMBAはアメリカの機関が認証した学校のものであって、日本の大学院で経営学修士の資格をとっても、それは「なんちゃってMBA」だということみたいです。
おそらくそういうツッコミは校正者からあったと思うので、著者も出版社もそのあたりのことは承知し、「通称MBA」としてブランディングのために使っているのでしょう。
なので、「MBAマーケティング必読書50冊」とタイトルに書かれていますが、この時点でけっこう適当なことをいっていますから、まあ本書の内容についても話半分くらいで考えたほうがよいと思います。
本も「法律的にアウトじゃなければ、まあいいでしょ」というテキトーなところがありますからね。
また内容についても、マーケティングといいながらけっこう紹介されている本は多岐にわたっています。
実際はプロモーションから営業術、マネジメント、あるいは自己啓発に近いものまでピックアップされていますね。
まあ、これも、ガチでマーケティングの本だけにしてしまうとおもしろくないというか、あまりにも玄人向けな内容になって読者が離れてしまうということでバランスをとっているものと思われます。
なので、ガチでマーケティングを学びたいというよりも、まあなんとなくマーケティングというのがどういうものなのかフワッと知っておきたいなあというくらいの人が読むとおもしろいのではないでしょうか。
さて本書で私が「たしかになあ」と思ったのは、Book12で紹介されている山本七平氏の『[新装版]山本七平の日本主義の精神』でした。
日本の会社員はやたら残業してよく働きます。
また、会社のトップである経営者が質素で偉ぶらないと評価されます。
これは世界のほかの資本主義の国々と比べるとかなり異質で、日本だけはちょっと違う資本主義のルールに基づいて動いているのです。
じゃあ、その「日本資本主義」と仕事の哲学の出版点はどこだったのか。
それが、鈴木正三(と石田梅岩なんだけど、梅岩は影が薄い)という思想家だったというのが本書の主張です。
鈴木正三は江戸初期の思想家で、
「人間が苦しまずに生きていくには心のなかの三毒(貪欲、怒りや憎しみ、愚痴)を追い出すため、修行に励むことが大事」
と主張しました。
といっても、江戸初期はやっと戦国乱世が終わった時代で、のんきに修行なんかしている暇はありません。
ここで正三が言ったことがスゴイ。発送を大転換したのである。
「仕事に励めばいいんです。心がけ次第で、あなたのその仕事が修行になりますよ」
農民が「畑仕事が忙しすぎて、修行は無理だ」と言うと、「何を言っているんですか。その畑仕事こそが修行ですよ。寒い日も暑い日も畑仕事に励んで、自分が食べる以上の分を世の中に返しているあなたがた農民は、ろくに修行もしていない僧侶なんかよりもずっと立派です。仏に感謝して日々の畑仕事をすれば、悟りが開けますよ」
「お金を稼ぐのに精一杯で、ヒマなんてありません」と悩む職人には、「どんな仕事も修行です。だってあなたが工具をつくらないと、困る人がいるでしょう?」
「自分は日々の儲けしか考えていません……」という商人には、「儲けの考え方を変えて、正直の道を究めましょう。『世のため人のため』と考えて商売に励み、執着心を捨てて、欲を離れて商売すれば、利益は後からついてくるものです」。
つまり、正三の教えは「すべての仕事は、宗教的な修行です。一心不乱に行えば、悟りは開けます。まず正直になりましょう。そうすればいい社会秩序が生まれます」
修行のように仕事をする日本人は海外から見ると不可解だが、その源流は正三なのだ。
私はどちらかというと仕事するよりグータラ家で本でも読んで過ごしたい人間ですが、なるほどこれを読むと、「労働は尊い」と考えがちな日本人の思考メカニズムがよくわかります。
日本人にとって労働というのは宗教行事なんですね。
ロジックで動いているわけではなく、そうすることによって「なんかいいことが起こる」というスピリチュアルな精神があるわけです。
これを考えると、なかなか労働時間が減らない、労働生産性が上がらない、みんなが働いているなかで休むのが気に引ける……のも頷けます。
労働時間を減らして生産性を上げれば効率的ですが、そもそも日本人は労働に効率性を求めていないのですから、これはキリスト教徒に対して「イスラム教のほうが効率的だから、イスラム教に改宗しなさい」といっているようなもんで、変えようと思ってもなかなか変えられないわけだと合点がいきました。
ちなみに欧米だと、労働は「しかたなくやるもの」という思想が根底にあります。
聖書では知恵の実を食べしまったアダムに課せられた罰が「労働」だったということになっていて、人間が働くのは「原罪を償うため」ということになっています。
ちなみに、イブに与えられた罰は「出産と分娩」だそうです。
もっと前の時代、古代ギリシャでは、人間が労働することは動物が獲物をとるのと同じで、野蛮かつ卑しい行為だとされていましたみたいです。
ただし、別にこうした日本の労働を尊ぶ思想が悪くて、欧米のような価値観が正しいというわけでもありません。
たとえば戦後の高度成長期があったのは、こうした勤労を尊ぶ人たちががむしゃらに働いたからだと思います。
要は、経済状況とか産業の成熟度合いによって、働き方の最適解は変わってしまうということなんでしょう。
本来であればもっと柔軟に働き方をスイッチングできればベストなのですが、それは「思想」という宗教的な要因が絡んでくるので、なかなかそう簡単に切り替えられないというのが実情なのだと思います。
後記
『シャーマンキング』のアニメを懐かしがりながら見ています。
まあ絵柄がキレイですね。
夕方のアニメではありますが、大きいお友達を意識した作りになっていると思います。
『シャーマンキング』といえば、ジャンプで連載されていたときの打ち切り終了がいまでも印象に残っています。
あれはなかなか衝撃的な最終回でした。
その後、完全版でちゃんと決着がついたのですが、2018年には作品のいろいろな権利とかが集英社から講談社に移っていたみたいです。
集英社→講談社へのルートはなかなか珍しいんじゃないかあと思ったのですが、調べてみたらその前に集英社→小学館に移籍して『ハイパーダッシュ! 四駆郎』というマンガの作画をやったみたいです。
なんかこの1巻目の表紙は武井センセっぽくないですが、3巻目、4巻目はぽいですね。
いまは『SHAMAN KING THE SUPER STAR』を少年マガジンエッジで連載中とのことでまだまだご活躍ですね。
早くリメイク番のアニメで「恐山ルヴォワール」みたいなあ。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。