本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『R62号の発明・鉛の卵』のレビュー

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私はたまーに、暇だと土日などに開催されている読書会に参加したりします。

この本は以前(というか数年前)の読書会でだれかが紹介していたのをメモって脳内の「いつか読もうリスト」に入れていたのですが、ふいに思い出したので購入し、読みました。

 

本というのは、どういうタイミングで読むかによって感想が左右される気がします。

よほどの名作なら別ですが、やっぱり気分がいいときに読んだ本は高評価になりやすいし、なにかストレスが溜まっているときに読んだ本は低評価になりやすいような気がします。

これは人間であれば仕方がないことですね。

 

私は読んだ本をとりあえず読書メーターに記録して、それからしばらく時間をおいてから、ブログにレビューを書きます。

不思議なことに、ブログを書くためにパラパラとめくっていたりすると、読み終えた直後とは違う感想が湧いてきたりするものです。

よくあるのは、「読んだ直後はクソおもしろかったのでブログでガッツリレビューを書こうと思ったけど、いざ書き始めたら意外と書くことがなかった」というパターンですね。

このパターンで、ずっと下書きのままになっているブログ記事がけっこうあります。

念のために下書きは残していますが、おそらくこの下書きたちが清書されて公開されることはないでしょう。

 

さて今回紹介するこちらの本ですが、

 

R62号の発明・鉛の卵 (新潮文庫)

R62号の発明・鉛の卵 (新潮文庫)

 

 

この本を読む直前、私は高橋源一郎氏の『ジョン・レノン対火星人』を読んでいました(「読んでいた」というか、まったくわからないままページをめくっていました)。

 

ジョン・レノン対火星人 (講談社文芸文庫)

ジョン・レノン対火星人 (講談社文芸文庫)

 

 

ジョン・レノン対火星人』はまったくもって支離滅裂で、意味がわかなかったのですが、とにかく私のなかで比較対象となったのが直近の『ジョン・レノン対火星人』だったわけです

そのため、「あれと比べればメチャクチャわかりやすい作品だ!」と『R62号の発明』を読んだ直後は思ったものですが、さてこの記事を書くためにもういちどサラッと読み返してみると、意味がわかるようでわからん作品ばかりだったのでどうしようかと思っています。

 

安部公房と言えば、読書家の方なら名前は聞いたことがあるのではないでしょうか。

代表作は『砂の女』です。

 

砂の女 (新潮文庫)

砂の女 (新潮文庫)

 

 

砂の女』はあらすじを説明すると

とある男が砂だらけ村にあるの穴の中に、閉じ込められ、そこに一人で暮らしていた女と一緒に生活せざるを得なくなり、男はなんとか脱出して逃げ出そうと試みるのですが、それができないことを悟り、女との間に子どもができて、逃げ出そうという気持ちがなくなってしまいましたとさ

という物語です。

高校生の時に読んだ記憶があります。

 

当時はなんかよくわからん話だなあと思いましたが、この年齢になってもう一度読んでみたら、なにかまた新しい感想が思い浮かぶかもしれません。そのうち読んでみようかなと考えています。

 

話をもとに戻しましょう。

読書会で『R62合の発明・鉛の卵』を紹介されたとき、私が興味を惹かれたのは表題作の片割れである『鉛の卵』でした。

んで、実際に読んでみて、最後に収録されている『鉛の卵』は傑作でした。

『鉛の卵』はこういう物語です。

 

80万年後の世界で、炭鉱から「鉛の卵」が発見される。クラレント式恒久冬眠箱と書かれたその箱は、選ばれた学者をコールドスリープ状態にして未来に送るものだったのだが、何かの手違いで惹かれる予定を大幅に超えてしまったようだった。

目が冷めた男は緑色の肌をした人間たちに驚く。人間は体に葉緑素を取り込み、食べ物を摂取することなく、奴隷族たちに労働をさせて自分たちは遊び呆けるという暮らしをしていたのだ。彼らの社会に驚く男だったが、やがて空腹になり、食事がしたいとお願いした。その瞬間、有効的だった彼らは「食事という下品な行為」をしなくてはならない男を奴隷たちの世界に追放することに決めたのだった……

 

砂の女』とはうってかわって、バリバリSFですね。

星新一ショートショートに近いような作風でした(星新一よりはちょっとアンニュイで退廃的な雰囲気が全体的にありますが)。

このあとはネタバレになるので、結末はぜひ読んでみてください。

 

残りの収録作品も、簡単に紹介しておきましょう。

 

『R62号の発明』

自殺しようとした男が謎の男に誘われ、人体改造を受けてロボットにされてしまうという物語です。

けっこうグロいです。

ただ、最後の最後がなにがいいたかったのか、よくわかりませんでした。

これは、執筆された昭和28年当時のロボティクスのイメージと重ね合わせないとよく理解できないのかもしれませn。

 

『パニック』

失業した男がパニック商事の求人係を名乗る男・Kから「働かないか」と誘いを受ける。しかしその晩、しこたま酒を飲んで意識を失ったあと、Kは殺されていた。怖くなった男は逃走を試みるという話です。

こちらはまあまあオチがわかりやすいですね。

いろいろブラックな物語です。

 

『犬』

美術系の研究所?に勤めている男が犬を買っている女性と結婚するのだけど、その犬が不気味すぎるという物語です。

男の屈折した感情も不思議なのですが、本当の不思議は物語の終盤あたりから一気に始まります。

不条理です。でも、なんとなく意味はわかります。

 

『変形の記録』

戦争のさなか、トラックに轢き殺されて魂のみの存在になった男が「魂視点」から兵隊たちの行動を描写するという物語。

やがて少尉も死んで魂の存在になり、主人公には連れができます。

これは殺伐としているのに、どこかユーモラスで笑けてしまうような物語ですね。

 

『死んだ娘が歌った……』

金のない両親により、工場勤めから売春宿に売られた女の子が自殺して魂だけの存在になり、自分の境遇を振り返るという物語。

シチュエーション的には『変形の記録』と似てますが、こちらのほうは夢野久作的な雰囲気がありますね。ギャグもありません

 

『盲腸』

ある新学説の研究の一環として、自分の盲腸に羊の盲腸を移植された男の物語です。

『R62号の発明』のように、体を改造されたことで精神的にも変調をきたした男の物語なのですが、こちらは肉体的にはもとに戻ります。

ただ、メンタル面は不可逆的なもののようです。

 

『棒』

子守の最中、デパートの屋上から墜落した男が墜落した途中で一本の棒になって地面に突き刺さり、学校の先生風の男と生徒に拾われていろいろ分析されるという不条理な物語です。

本書の物語は全体的に、人間がロボットになったり霊になったりヤギの盲腸を取り付けられたりと、人間から変質させられることにより、人間という存在を客観視しているようです。

 

『人肉食用反対陳情団と三人の紳士たち』

くらいの高い人間だけが人間の肉を食べることを許された社会で、人肉食反対を訴える人々と貴族的な階級のひとたちの話し合いの様子を描いた物語。

最初っから最後まで噛み合わない話し合いはなんともブラック味あふれますね。

本書のなかではかなりわかりやすい話です。

 

『鍵』

食を世話してもらおうと叔父を頼ってきた主人公だったが、鍵の研究をしている叔父はひねくれた性格の持ち主で、重要な発明をしているために家に閉じこもり、真実を見抜く力を見抜く娘で主人公を尋問する。会社の人間によると、叔父はあらゆる鍵を開ける万能鍵を開発したらしい……と言う物語。

物語の構造自体はそんなに複雑じゃないけれど、これもいまいち何を言いたかったのかよくわからない作品だった。

 

 『耳の値段』

理由もわからないまま警察に捕まって勾留された、学費の支払いが滞っている大学生が、ひょんなことから知り合った学友とともに六法全書と耳を頼りになんとか金を稼ごうと悪戦苦闘する物語。

わかるようなわからんような、シュールでちょっと笑える感じの物語。

 

『鏡と呼子

とある田舎の学校に赴任してきた教師が住まわせてもらうことになった家の人物は、望遠鏡で毎日村人たちの行動を観察することだった。閉塞感のある村の生活のなかで、教師は改革者としての役割を期待されるが……。

いま改めて読み直してみると、これが一番『砂の女』と構造的に似ているかも知れないですね。

わかりにくいけど。

 

 

総括になりますが、全体として、やっぱりけっこう読みづらいです。

いわゆる不条理文学系で、時系列と言うか、話の流れがつかみにくい構造のものが多いので、けっこう丹念に読んでいかないと状況がまったく理解できなくなります。

そういうのを楽しむ心の余裕があるときに読んだほうがいいかもしれないですね。

 

R62号の発明・鉛の卵 (新潮文庫)

R62号の発明・鉛の卵 (新潮文庫)

 

 

 

後記

先日、「コロナでヒマすぎるからオススメの小説を教えてくれ」と請われ、短編集やら長編やらいろいろ勧めたのですが、彼いわく、「短編小説は読みにくい」ということを言われました。

これは私にとってちょっと不思議なことでした。

私なんかの感覚だと、短編集ですぐに読み終えられる話のほうが、普段あまり本を読まない人にはいいのではないかと考えたのです。

しかし、これは間違いでした。

それは「没入感」というキーワードで理解できました。

 

ビジネス書などでも最近はストーリー形式にしたものが増えています。

そのほうが話がわかりやすくなるだろうという狙いもあるのですが、しかし、一概にそうとも言い切れません。

たとえば最近私が購入したこちらの本ですが、

 

脳が老いない世界一シンプルな方法

脳が老いない世界一シンプルな方法

  • 作者:久賀谷 亮
  • 発売日: 2018/09/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

こんな装丁のくせに中身は結構ガッツリした小説スタイルで、びっくりしました。

というか、「そういう心づもり」で読もうとしていなかったので、いきなり物語が始まってしまったことで脳が拒絶反応を起こしてしまい、いまだに全然読み進められていないのです。

 

そうなのです。

小説といわゆるビジネス書とかノンフィクション系の本では、読むにあたって読者に求められる姿勢が変わってくると思うんですよね。

そして小説というのは、最初にのめり込むハードルがノンフィクション系よりも高い気がします。

ビジネス書は最初から読者のために読みやすく書かれていることが多いですが、小説の場合は、演出や世界観を重視するがために、ちょっと不親切なことも多いからです。

しかしその分、いったん物語の前提条件や大まかな話の流れが把握できれば、小説のほうがぐっとページを早く読み進められることもあります。

この「没入感は強いが、入りにくい」というのが、小説のメリットであり、デメリットである部分でもあると思います。

 

それでいうと短編集というのは、たしかに一つ一つの話は短いかもしれないけど、それぞれ関連性のない、独立した別個の世界の物語であるわけですが、読み始めるごとに、その物語がどういう世界なのか、どういう主人公なのかなどを読者は探りながら読み進めなければなりません。

それは、小説を読み慣れている人にとってはそんなに労しないことなのですが、小説を読むことになれていない人にとってはしんどいことなのです。

逆に長編小説の場合、たしかに最後まで読むのに時間はかかるかもしれないけど、ずっと同じ流れで物語が進んでいくわけですから、一度状況を把握できさえすれば、最後まで読み進めるのは、短編集よりも心理的に楽な側面が大きいと言えるのです。

これこそ、友人が「短編小説は読みにくい」といった原因だと思います。

ひとつ勉強になりました。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。