本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『匿名作家は二人もいらない』(アレキサンドラ・アンドリューズ著)のレビュー



 

※今回のレビューはネタバレを含むのであしからず。

 

私の独断と偏見ですが、本好きの人はだれでも、多かれ少なかれ「作家願望」をもっているものではないでしょうか。

たくさんの本を読んでいるのに「本を書きたい」という気持ちがまったく沸き起こらないのはあり得ない……とすら考えています。

私も、何度か小説を書いてみようと思いたち、書き出しを数ページ書いてはそのままになっている遺物がいつくかあります。

 

本書は、そういう「作家願望」というドロドロした欲望をもった女性がどんどん暴走し、ついには人殺しまでしてしまうというサスペンスです。

以下、あらすじです。

 

作家になりたいという願望を持ちつつ、出版社でアシスタント・エディターとして働くフローレンスは、同僚のアマンダが書いていた小説が出版されることを知り、大きなショックを受ける。フローレンスは自分の書いた小説も出版してほしいと、一度だけ肉体関係を持った上司サイモンに談判するも、出版は却下される。ヤケクソになったフローレンスは、それ以前からストーキングしていたサイモンの妻子などの写真をメールでサイモンに送りつけ、出版社をクビになるのだった。

新しい仕事を探すフローレンスは、とあるエージェントから、匿名作家としてベストセラーを出していた作家モード・ディクソンのアシスタントの仕事を紹介され、モード・ディクソン――本名ヘレン・ウィルコックスに出会う。

なぜ自分が選ばれたのか訝しみながらも、ヘレンのアシスタントとして彼女の家に住み込みで働き、彼女の代わりにメールの返信をしたり、手書きの原稿を打ち込んでいく作業をしていくフローレンス。だが、どう読んでもモード・ディクソンの華々しいデビュー作『ミシシッピ・フォックストロット』よりもつまらないヘレンの二作目の原稿を読みながら、フローレンスは次第にヘレンの原稿に勝手に改変を加えていく。いつか、ヘレンにばれるのではないかと恐れながら。

そんな折、ヘレンは急遽、取材のためにモロッコに行くことを提案。二人でモロッコに旅立つが、とあるレストランで酒を飲んで意識を失ったフローレンスが目覚めると、彼女は病院のベッドにいた。警察官の話によれば、フローレンスが運転していた車が崖から転落して海に落下し、彼女だけが助けられたというのだ。見た目が少し似ていたために、ヘレンのふりをして免許証を持っていた彼女は、フローレンスが発見されないことをいいことに、自らがフローレンス……すなわちモード・ディクソンになりきって生きていくために嘘をつく事にするのだが……。

 

冒頭こそ、自らのアイデンティティを求めるがゆえに不倫に走ってしまうフローレンスは、まあ、ありがちというか、まだ理解できるところがあります。

しかし、もしかしたら上司を寝取れるのではないかと、上司の妻子をストーキングしたり、自分の小説がボツを食らったことでそれを暴露し、自爆してしまうあたりから、フローレンスが「ヤバいヤツ」だということを読者は気づき始めます。

この主人公はちょっと普通じゃないというか、倫理観が外れている人間なのかもしれないということが、このあとに起こることの布石になるわけですね。

 

その後、ベストセラーの匿名作家「モード・ディクソン」ことヘレンのアシスタントになってしまった彼女は、彼女の新作の原稿に勝手な改変を加えるという、またしてもかなりハイリスクな暴走を始めてしまいます。

そして最終的に、モロッコでおきた交通事故を契機に、行方不明になってしまったヘレンの代わりに、自分が「モード・ディクソン」という匿名作家のアイデンティティを乗っ取り、ベストセラー作家として「他者の人生」を生きようとし始めるのです。

 

この本の最後の「解説」にも書かれていることですが、このストーリーラインは、名作『太陽がいっぱい』の影響を多分に受けています。

 

 

太陽がいっぱい』はアラン・ドロンが主演を努めた映画のほうが有名かもしれませんが、まあざっくり説明すると、貧乏な男が、金持ちな男を殺して、その男に成り代わろうとする物語です。

 

本作『匿名作家は二人もいらない』は『太陽がいっぱい』をオマージュしつつ、一捻り加えた作品と言えるでしょう。

 

これはネタバレになりますが、「ヤバいヤツ」は主人公のフローレンスだけではありません。

ヘレンもまた、フローレンスに負けず劣らずの「ヤバいヤツ」で、倫理観がぶっ壊れている人間だったということが、終盤で明らかになります。

というよりも、出版社をクビになった小説家志望のフローレンスをアシスタントして雇ったのも、彼女と一緒にモロッコに旅立ったのも、すべてはヘレンが自らの過去を塗りつぶし、逆にフローレンスという人間の人生を乗っ取ろうとするための大いなる計画の一部だったわけです。

※ただし、最後の最後でヘレンを破ったフローレンスは、イカレっぷりを遺憾なく発揮して、なかなかゾッとしない結末にしてくれる

 

もうすこしヘレンのことについて語っておくと、彼女は倒錯的な人物です。

とある人に聞いたことですが、本を書く人は「著者」と「作家」に分けられるのだそうです。

著者というのは、端的に言えば1~2冊しか本が書けない人のこと。

作家というのは、50冊、100冊と、本を書き続けられる人のことです。

じつは、著者になるのは、そんなに難しいことではありません。

「誰でも一生に一作は名作が書ける」ということが、よくいわれます。

どんな人でも、自分の人生を振り返り、まるでドラマのような劇的な体験を組み合わせて描き出すことで、おもしろいストーリーを描くことは可能だ、というような意味です。

 

その意味では、ヘレンは「著者」でしかありませんでした。

しかも彼女は、フィクション著者ではなく「ノンフィクション」著者だったのです。

ヘレンは文章のなかでウソをつくことができません。

真実しか書くことができないのです。

でも、彼女の現実の生活はウソで塗り固められています。

それによってフローレンスなどをうまくだましていました。

つまり、ヘレンにとってフィクションだと喧伝している小説の中にはリアルしかなく、実生活の中にはリアルがない、というキャラクターなのです。

これを前提に読み直してみると、随所で彼女の違和感がわかるでしょう。

 

 

ちなみに本作、すでに映画化の版権が買われているので、そのうち映画化するかもしれません。

個人的には『ゴーン・ガール』のような胸糞悪い映画になることを期待してやみません。

 

 

おまけ

メインでレビューを書くほどではないですが、まあまあ良かった本を紹介します。

 

 

久しぶりに読んだ古野まほろさんの作品です。

2020年の東京オリンピック後、移民政策が進んだりして急速に社会が荒廃し、治安が悪化した日本で、内閣総理大臣直轄にして、なぜか女子高生(にしか見えない若い女性)たちで構成されている特殊チーム「サッチョウ・ローズ」がテロリズムを防ぎ、巨悪を暴く「警察小説」……と銘打たれていますが、舞台設定とかは明らかに『攻殻機動隊SAC』を意識しているような気がしますね。

「サッチョウ・ローズ」は明らかに「公安9課」だし、相手の互換すら則ってしまう超ウィザード級ハッカーワスレナグサ」は「笑い男」です。

ただ、違いがあるとすれば、攻殻機動隊がSFであるのに対し、本作は「ファンタジー」である、という点です。

いちおうネタバレは避けておきますが、「サッチョウ・ローズ」の面々の正体がわかったとき、私はちょっと噴飯ものでした。

といっても別にそれが悪いわけではなく、ただ、なんとなく攻殻機動隊っぽい話だなあと思いながら読み進めていたので、終盤でいきなりファンタジーになってしまったということに面食らってしまっただけです。

 

なお、Amazonのレビューでは「文章が読みづらい」という低評価レビューが多いですが、その読みにくくって、外連味たっぷりで、やたら難しい漢字と回りくどい表現、無意味な共用を振り回すのが、古野まほろさんという作家のスタイルなので、それは仕方ないのです。

むしろ、私はしょっぱなから『天帝のはしたなき果実』を読んで、あまりにも意味わからなさに途中で断念した人間です。

 

 

ただし、そのあとに『探偵小説のためのエチュード』でドはまりしましたし、『群衆リドル』もおもしろいなあと思いながら読んでいた人間なので、『R.E.D.』は適度に読みやすいエンタメ小説だなあという感覚でした。

 

 

 

またこれは別の記事でもちゃんと書こうとおもいますが、とにかくいまは、「わかりやすさ」がすごーく重視される世の中になっているので、まあ、古野まほろさんのような「わかりにくい」文章は嫌厭されやすいだろうなあというのは、理解できます。

ハマる人はハマると思うので、騙されたと思ってとりあえず読んでみてください。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。