本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

ゾンビは添えるだけ ~『高慢と偏見とゾンビ』のレビュー~

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本当はこの記事はハロウィーンまでにアップしようと思っていて、「ハロウィーンの仮装はなんだかんだゾンビが一番人気なのよ」みたいな記事の始めた方をしようと思っていたのだが、なんやかんやしているうちにあっという間に11月になってしまい、ゾンビなんかよりも「今年がもう、あと2ヶ月が終わる」という厳然たる事実のほうに恐れおののいているわけだが、それはともかくやっぱりゾンビというのはモンスターのなかでも人気?である。

 

もくじ

 

なぜゾンビがこれほどまで人気を博するのかということについては、このあたりの記事はおもしろい。


ただひとつ付け足すなら、私は「ゾンビ」という言葉そのものに要因があるような気がしてならない。

おどろおどろしさもありながら、どこがコミカル。

そして、言葉の並びからほかの何者をもイメージできない独特の言葉の並びがインパクト抜群だ。

 

ゾンビの語源と普及

 

ゾンビと聞いたゾンビしか思い浮かばないし、もっといえば「ゾン」という2文字だけでも渋谷にいる100人に聞いたら103人くらいが「ゾンビ」とくい気味に答えるんじゃないかと思う。

ちなみに、ゾンビの語源は今後の神様「ンザンビ(Nzambi)」だとされている。

 

もっといえば、ゾンビの市民権を不動のものにしたのは、確実に名作ゲーム「バイオハザード」だろう。

革命的だと思うのは、ゾンビを「ウイルス感染者」として扱った点だ。

ここがミイラなどとゾンビが一線を画するポイントで、この設定が市民権を得たことで、ゾンビという存在はオカルト・ファンタジーという枠を飛び越え、SFなどのジャンルにも進出することができるようになったのである。

 

ゾンビはどこにでも現れる。だからゾンビ

 

「死体が動けばそれすなわちゾンビ」というシンプルな構造のモンスターだし、時も場所も問わずにどんなところに登場しても違和感がない。

だからゾンビは、ときとして世界的名作の中にもさりげなく入り込む。

 

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高慢と偏見とゾンビ *3

 

 

本書は『高慢と偏見』の世界になぜかゾンビが闊歩した物語を描いたもの。

 

高慢と偏見 (中公文庫)

高慢と偏見 (中公文庫)

 

 

高慢と偏見』はイギリスの女性作家ジェーン・オースティンが書いた1813年刊行の小説だ。

タイトルのとおり、高慢な男と偏見に満ちた女が、本当はお互いに行為があるのに何度もすれ違いを繰り返しながらいろいろな騒動を繰り広げ、最終的には結ばれるというドタバタラブコメディ(?)である。

 

個人的には、キーラ・ナイトレイが主演を務めたこちらがキレイで好き。

 

プライドと偏見 (字幕版)

プライドと偏見 (字幕版)

 

 

マッシュアップ小説とはなにか?

 

ここは間違えてはいけないポイントなのだが、『高慢と偏見とゾンビ』はパロディではない。

そうではなく、マッシュアップ小説」を名乗っている。

 

パロディというのは、元々の作品の設定や大筋などを踏襲しながらも、そこにギャグ要素を足したりして、最終的には別の作品に仕上げることである。

しかし、本書は本当に、『高慢と偏見』の物語をそのままそっくりなぞっている。

登場人物の名前も、物語の進み方も同じだ。

 

つまり、もともと存在していたひとつの文学作品に、純粋にゾンビなどの新たな要素を加えて再生させた作品なのである。

わかりやすく言えば、「青空文庫」で全文が読める夏目漱石の『坊ちゃん』をコピペし、その合間合間にゾンビを登場させながらオリジナル要素を加えて完成させたものだと考えればよろしい。

 

※ちなみに、あの架神恭介氏は夏目漱石の『こころ』にゾンビを足したマンガ『こころ オブ・ザ・デッド』の原作を担当している模様

 

そのため、大胆不敵なことに、マッシュアップを仕組んだセス・グレアム=スミスと、原作者であるジェーン・オースティンの「共作」という扱いになっている。

ジェーン・オースティンの子孫が許可を出したのかは不明)

 

ゾンビは添えるだけ

 

そういう小説であるため、この物語ではゾンビの問題も、最終的に解決されることはない。

どうしてゾンビが発生するようになったのかという細かいいきさつも解明されないから、当然のことながらその根本的な原因に対処することもしない。

この物語はあくまでも2人の男女の恋愛物語であり、ゾンビは添え物のパセリである。

だから、最期までそのまま放っておかれる。

 

もちろん、この小説の改変部分はゾンビが登場することだけではない。

それだけではあまりにも芸がない。

ヒロインのエリザベスをはじめとする姉妹はいずれも少林寺で修行を積んだカンフーの使い手で、少々性格が荒っぽくなっているのは否めない。

ちょっと気に入らないことがあると相手の喉下を掻っ捌いたり、腹を引き裂いて内臓を引きずり出したり、心臓を(物理的な意味で)わしづかみにしようとしたりするし、実際にレディ・キャサリン・ド・バーグの手下のニンジャたちをそうした目にあわせたりしている。

 

本家作品にはないゾンビとのバトルシーンも魅力のひとつだ。

姉妹はレディなので、剣のような野蛮な得物は持たない。

スカートの下に忍ばせたナイフですばやく開いての懐に入り、首をチョンパするのである。すごい。

 

映画化もされている

 

ちなみに、映画化もされている。

小説はけっこうなボリュームだし、登場人物も多くてわりと詠むのが大変なので、面倒くさい人は映画を観てみるのもありかも。

意外と評価も高いらしい。

 

高慢と偏見とゾンビ(吹替版)
 

 

余談だが、ジェーン・オースティンはあのアメリカ大統領エイブラハム・リンカーンが、じつは手斧をふるう凄腕のヴァンパイア・ハンターだったという小説も書いている。

こちらもおもしろいし、映画化もしているのでオススメ。

 

ヴァンパイアハンター・リンカーン

ヴァンパイアハンター・リンカーン

 
リンカーン/秘密の書 (字幕版)
 

 

今日の一首

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9.

花の色は 移りにけりな いたづらに

わが身世にふる ながめせしまに

小野小町

 

現代語訳:

桜の花の色が、長雨が降り続いている間に色褪せてしまいました。

それと同じように、物思いにふけっている間に私の容姿も衰えました。

 

解説:

古典の授業で取り上げられることも多いので、おそらく百人一首のなかで一番知っている人が多いんじゃないかなと思われる歌。「ながめ」は長雨と「眺め(物思いにふける)」の掛詞、ふるは「降る」「世に経る」の掛詞。六歌仙のひとりとされるだけあって、歌のうまさはさすが。

 

後記

 

業界関係者でない限り、調べる必要はまずないと思うけれど、その本が売れているかどうかを見分ける方法がある。

そのひとつが、本の奥付をチェックするというものだ。

奥付というのは本の最後のあたりのページにある、出版社とかの名前が書いてあるところで、ここに初版の年月日が記されている。

売れ行きが良くて増刷がかかると、ここに2刷の年月日が入る。

3回刷っていれば、3刷の年月日が記載されている。

 

文芸書の方はよくわからないが、ビジネス実用書の場合、3刷までいっている本は「売れている本」だと認識してもいい。

これはどういうことかというと、出版社が黒字になった本……だという認識でまあ問題ない。

なので編集者は売れている雰囲気の本があると、とりあえず奥付をチェックして刷り数がどのくらいいっているかを見る。

このクセを身につければ、本屋さんで玄人っぽくみられるぞ!

 

はい今回はこんなところで。

それではお粗末さまでした。

*1:二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション

*2:二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション

*3:二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション