最強の実存主義的ワイドスクリーン百合バロックプロレタリアートアイドルハードSF ~『最後にして最初のアイドル』のレビュー~
星雲賞というのは、1970年に始まった日本最古のSFの賞だ。
もくじ
芥川賞や直木賞のように数名の審査員が選ぶのではなく、日本SFファングループ連合会議という協議機構が毎年開催している日本SF大会の参加者による投票によって決定される。
で、その48回目の星雲賞に選出された作品の一つが、こちらだ。
ポップでキュートなアニメ調のイラストが特徴的だが、さすが日本全国のSFファンが認めるだけあり、内容はけっこう骨太で超壮大なサイエンス・フィクションである。
もともとはラブライブ!の同人小説
おもしろいのが、著者である草野原々(くさの・げんげん)氏が本書を執筆した経緯だ。
じつはこの作品、最初はラブライブ!のキャラクターを主人公にした同人SF小説だったのである。
もともとのタイトルは「最後にして最初の矢澤」だった。
※矢澤というのは、アニメの登場人物の一人「矢澤にこ」のこと
これを改稿・改題したものが『最後にして最初のアイドル』であり、ハヤカワSFコンテストで特別賞を受賞し、出版にいたったわけだ。(最初は電子書籍オンリーだった)
たぶん著者は天才
私は草野氏にお会いしたことはないし、直接話を聞いたこともないのだけれど、たぶんこの人は《天才》なのだと思う。
私は仕事柄、いくつかの業界の《天才》的な人とお会いしたことはあるが、彼らは総じて「変態」である。
つまり、世の中の多くの人になじめない、異質な存在だ。
小説という形だとそういう変態さが薄れてしまうのだが、このあたりの対談の採録記事を読んでみると、草野氏が「百合」というテーマについていかに天才的な人物であるかが垣間見れると思う。
百合が俺を人間にしてくれた【2】――対談◆宮澤伊織×草野原々
https://www.hayakawabooks.com/n/n71228eb75bb0
「強い百合」と「弱い百合」って……天才かよ。
(ちなみに草野氏は慶應義塾大学の環境情報学部を卒業している)
アイドルは弱肉強食だ(物理的な意味で)
そろそろ本題である、小説の内容に入ろう。
表題作『最後にして最初のアイドル』のあらすじはこんな感じだ。
生後6ヶ月でアイドルのとりこになった生粋のアイドルオタク・古月みかは、自らもアイドルになることを志し、単身上京する。だが、事務所はあっという間に倒産。夢破れた彼女は飛び降り自殺をしてしまうのだった。
そこで、高校時代からの親友であり、みかを心から愛している新園眞織が立ち上がる。眞織はみかの脳みそを回収して保管し、科学技術の進歩した未来で彼女を完璧なアイドルとしてよみがえらせようとしたのだ。
だが、それから数十年後、太陽が異常な活動をする「モノポール・スーパーフレア」が突如として発生。大量の放射線が地球に降り注ぎ、人類は滅亡の危機に瀕する。これを最後のチャンスとみた眞織は、違法移植手術によりみかを復活させる。
だが世は弱肉強食の世界。すっかり生態系の変わった世界を生き延びるため、みかと眞織は人間たちを捕食しながら最強のアイドルを目指すのだが……
かなりざっくりしたあらすじだが、これだけ読んでも、いかにこの作品がぶっ飛んだ物語なのかは想像していただけると思う。
さらにこのあと、物語はどんどんスケールアップし、展開も3ひねりくらいしてくるのだから、ページをめくる手が止まるタイミングがまったくないのだ。
これはやばい。
いろいろな要素をコンパクトに詰め込んだ濃縮さ
ただ、私がすごいなあと思ったのは、アイドルとSFを掛け合わせた発想とか、最後の最後に持ってきた小説的「仕掛け」ではない。
むしろ、これだけいろいろな要素を盛り込み、宇宙全体を巻き込んだスケールの物語を描きながら、中編(というか短編?)小説にしてしまえる思い切りの良さが素晴らしいなと感じたのだ。
この物語だけでも文庫本で上下間のすごい長大な話にもできたと思う。それだけの内容がすごい濃度で詰まっている。
しかし、そうしてしまったら、やっぱり私なんかは読む気がうせてしまうと思うし、どうしても中だるみしたり、勢いがなくなってしまうと思うのだ。
小説家はおそらく、この物語の世界が頭のなかにあるから、もっと細かくいろいろなことを描写しようと思えば描写できる。
でも、それは読者からしてみれば邪魔なこともある。
つまり、話の本筋から外れてしまうところを思い切ってばっさりカットし、話にメリハリをつけてこの長さの物語にまとめ上げてしまえるところがすごいと思うのだ。
ほかの2作品もわりと傑作
本書は中編なので、表題作以外にも『けものフレンズ』をモチーフにした進化論的SFである『エヴォリューションがーるず』、そしてアニメ声優があらたな生命体として人類に使役される『暗黒声優』が収められえている。
いずれも最終的にものすごいスケールの大きな話になっていくにもかかわらず、短くまとめてしまっているのである。
おそろしいことだ。
もちろんこれらの作品はけっこう本格派のSFだし、エロこそないものの、スプラッター・グロテスクな表現が頻出するので、読む人は選ぶかもしれない。
ただ、日本独特のサブカルチャーと、百合と、くだらなさと、本格SFがかなり高いレベルで融合したものすごい作品であることは間違いないし、いろいろな意味で読んだ人間に強い印象を残すことは確実なので、もしも興味があるのであれば、ぜひ一度読んでみていただきたい。
今日の一首
4.
田子の浦に うち出でて見れば 白妙の
富士の高嶺に 雪は降りつつ
現代語訳:
田子の浦の浜辺に出て向こうを見やると、
真っ白い富士山の高い峰に真っ白い雪がしきりに降っているなあ。
解説:
単純に風景を描写したものかと思いきや、実際はおそらく、遠すぎて富士山なんて見えるはずがないから、想像で詠んだもの。もともと「白妙の」は藤の花にかかる言葉だが、同じ読みの「富士」にも適用される。また、もともと万葉集に収められていた「田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」という歌がベースだが、こちらのほうが優雅でどこか趣がある。
後記
先日、お付き合いで速読の体験会というものに参加してきた。
個人的には速読術に興味はないのだが、そのメソッドや考え方はなかなかおもしろい。
速読術と言ってもいろいろなメソッドがあり、それぞれの流派が「うちのやり方が一番!」と主張しているわけだが、私が参加したものの場合は、「まずは読めなくてもいいから視線を早く動かすことを習慣づけろ」という趣旨だった。
これは別の人も別の本で書いてあったことなのだが、本を読むのが遅い原因の一つは、書かれている文章を「脳内音読」してしまっていることにある。
つまり、文字列を一度脳内で音声に変換する作業をしてしまっているのだ。
そのワンステップを減らすだけで、読むスピードは格段に速くなる・・・・・・ということらしい。
そしてそのためには、脳内音読が追いつかないくらいのスピードで文字列を司会に取り込み続けることを繰り返せばいい、というのだ。
人間の脳は環境の変化にわりと柔軟に対応してくれるので、脳内音読が間に合わないくらいの大量の言語情報が流れ込む環境になると、それでも意味を把握してくれるようになるとのことである。
そのときはちょっと体験するだけだったので、残念ながら私のお粗末な脳はあまり対応し切れなかったようだが、たしかに文字列をすばやく読む癖がつくと、そのあとに普通日本を読もうとしても、ついついそれまでのスピードにあわせて呼んでしまおうとする自分がたしかにいた。
これをトレーニングすれば、たしかに本を読むスピードは格段に上がっていくのだろう。
本を読むのが好きな人ほど、速読には懐疑的な反応をする人が多いような気がするが、まあものはためしで、一度体験してみるというのはありかもしれない。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。