自分の緊張に気づくということ ~『口下手で人見知りですが、誰とでもうちとける方法、ありますか?』のレビュー
コミュニケーションが苦手だったり、いわゆる「コミュ障」という言葉。
ここから連想されるイメージは
「うつむきがちで言葉数が少なく、表情の変化に乏しい人」
というものじゃないだろうか。
もくじ
しかし、一見するとおしゃべりで愛想がよく、活動的な人でも、人と会話するのがストレスに感じていることも少なくない。
私はわりと後者のタイプだ。
編集者という仕事柄、打ち合わせに行ったりパーティに参加したりして人と話す機会がわりと多いけど、じゃあ人と話すのが好きかと言われるとそんなことはない。
もうすっかり気心の知れた奥さんが相手だとほとんどなにもしゃべらず、相手の話に相槌を打つばかりだ。
なぜコミュニケーション問題のソリューション方法が言葉にフォーカスされがちなのか
人間の抱えるほとんどの問題は基本的にコミュニケーション――すなわち「他者が存在すること」に由来しているといっても過言ではない。
なので世の中には「コミュニケーション」に関する本が死ぬほど刊行されているのだけど、それらの多くは「言葉」にフォーカスしている。
それはなぜかというと、「言葉」が一番客観的で操作しやすいからだ。
しかしアルバート・メラビアンが明らかにしたように、人がメッセージを発する際、言語情報が他人に及ぼす影響は7%だ。
※ただしメラビアンの説で誤解してはいけないのは、この7%という数字は感情や態度が話の内容と矛盾したときに優先される影響力のことだ……という点。満面の笑顔で「うれしいです」と言った場合はメラビアンの法則は採用されないが、表情が悲しげなのに「うれしいです」と言った場合、人は言語情報よりも表情から発せられた視覚情報をはるかに優先させるということである。
言葉より「体の緊張」に重きを置いたコミュ本
要するに、コミュニケーションにおいては話し方よりも、むしろそれ以外の部分(非言語:ノンバーバル)な部分のほうに気を遣ったほうが効果があるといえるかもしれない。
今回紹介する本は「緊張」というキーワードで、ノンバーバルコミュニケーションを教えてくれる一冊だ。
口下手で人見知りですが、誰とでもうちとける方法、ありますか?
- 作者: 高石宏輔
- 出版社/メーカー: SBクリエイティブ
- 発売日: 2018/06/20
- メディア: Kindle版
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冒頭は『やれたかも委員会』で有名な吉田貴志さんのマンガが8ページ入り、いかにもありがちな職場でのちょっとしたコミュニケーションのすれ違いがリアルに描かれている。
吉田さんのマンガに登場するキャラクターはだいたい表情が乏しいし、ドラマティックな展開もないんだけど、それがすごくリアリティがあって、たぶん今日もどこかでこんなことを考えている人がいるだろうなと感じられる。
緊張とは何を指すのか?
本文の冒頭部分を引用しよう。
コミュニケーションの問題だと思っているシャイや人見知りや口下手は、気持ちの持ち方、考え方を変えればいいという話ではありません。
事実、感情や考え、性格は目に見えないためにとらえにくかったり、とらえたと思ったとしても本当にそうなのかどうかわかりません。
じゃあ、どうすればいいのか。
はっきりと目に見えるもの、つまり「動き」で、自分自身の振る舞いやコミュニケーションを把握し、改善するしかないのです。
自分の体がどのように動いているか、そしてどのように力が入り、緊張しているのかをもっと自覚できるようになれば、これまでの不自然な動きを改善することができます。
そして、自分が習慣的にしている動きを手がかりにしながら、自分がそのときに何を考え、思い、感じているのかに新たに気づくこともできます。
ここでいう緊張というのは、単純に体をこわばらせるという意味ではない。
たとえば
・人と話をしていると意味もなく笑顔を作ってしまう
・いつのまにか声が大きくなってしまう
・「すごい」「やばい」など決まった言葉を返してしまう
これらはコミュニケーションにおいてついついやってしまうクセだが、ほかにも
・会話に間ができるとついつしゃべりだす
・早口になって相手にしゃべらせる機会を与えない
・人によって態度が変わってしまう
こういうのも緊張のバリエーションのひとつだと著者は説明する。
緊張を自覚するためのトレーニング
これはなかなか変えるのが難しい。
なにしろ本人はまったく自覚せずにやってしまっていることだからなかなか自覚しづらいし、クセになっているから気づいてもやめられない。
他者の観察
ここでまず著者が大切だと説くのが、「他者の観察」だ。誰かが話し合っているのを見て、その人たちの動作を観察する。
そのように客観的な立場から会話を観察すると、当人たちも気づいていないであろう動きのズレがあり、それが会話の摩擦やすれ違いを生じさせていると見つけられる。
できれば会話の内容も聞こえたほうが望ましいのだけど、これはカフェや電車の中で誰かが会話しているのをこっそり見聞きしていると簡単にできると思う。
フォーカシング
次が「フォーカシング」だ。
これはアメリカの臨床心理学者ユージン・ジェンドリンらが開発したカウンセリング手法で、自分の体の違和感を知覚するメソッド。
詳しいやり方は本書を読んでみていただきたいのだが、大切なのは、自分がイヤな気持ちになったとき、体のどの部分に力が入っているのかを感じるように意識することだ。
当たり前のことだけど、痛みをとるには痛みの発生源を突き止められないと対処できない。
なので、まずは自分の体のどの部分がとくに緊張しているのかを自分で見つけられるようにすることが大切なわけだ。
フォーカシングとは別なのかもしれないが、本書では気功法のひとつである「スワイショウ」も紹介されている。
やり方は単純に説明すると、「立って両腕を振る」だけ。この動作で自分の体のどこが緊張をしやすいのかを自覚できる。
とにかく、なかなか普通のコミュニケーション本とは違うアプローチから会話の違和感、対人関係の苦手意識の解消方法を伝授してくれるおもしろい本だった。
ちなみに、本書のなかにもちょびっと出てくるが、著者はナンパのアドバイスなどもしていて、男女間コミュニケーションも研究している。
コミュニケーションなら、こちらの過去記事もご参照あれ。
今日の一首
3.
足曳の 山鳥の尾の しだり尾の
長々し夜を 獨りかも寝む柿本人麿
現代語訳:
山鳥の尾のように長い長い夜を、わたしは一人ぼっちで寂しく寝るのだろうか。
解説:
「足曳の」は山に対する掛詞なので意味はない。「足曳の 山鳥の尾の しだり尾の」と、あえて「の」を4回連続で使うことで独特のテンポを生み出しているのが特徴的。また、山鳥はオスとメスで谷を隔てて離れて寝る習性があるので、このたとえを用いることで愛しい人が遠くにいることを表現している。
後記
映画『この世界の片隅に』を見た。
評判がいいから多分おもしろいんだろうなあと思ったけど、控えめに言って最高だった。
太平洋戦争真っ最中の広島・呉市を舞台に、絵を描くのが好きな主人公の日常生活をつづった作品で、当然ながらテーマとしては「戦争」なんだけれど、よくある「戦争の悲惨さ」を前面に押し出したものではない。
(私は『火垂るの墓』は見てるとつらくなるので苦手)
むしろ、作品の中で大きな比重を占めているのは、主人公すずを中心に描かれる当時の人々の素朴な生活。
すずの性格によるところも大きいんだろうけれど、とにかくのんびりとした雰囲気で、あと登場人物がみんないい人すぎる! すずちゃんがかわいすぎる。
すずは結婚して夫の家に入るのだが、いびられたりするドロドロの愛憎劇はないし、絵柄も全体的にやさしい色彩でとてもやさしい。
もちろん、呉市はたびたび空襲にあうし、とんでもない惨事も起こる。原爆の描写だってあるし、ちょっとグロテスクなシーンもある。
でも、あえてそこを前面に押し出さず、ひとりの女性の人生と恋愛を主軸に置いているすごく純朴なラブストーリーでもあるから、また見たいなと思わせてくれる。
原作も読んでみようかな。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末様でした。