すべて、これのおかげでございます ~『禁断の説得術 応酬話法』のレビュー~
村西とおると聞いても、ある年代以上の人でないと、ピンとくる人は少ないかもしれない。
もくじ
ごくごく簡単に説明すると、村西とおるはAV監督である。AVとはアダルトビデオのことである。
空からスケベが降ってくる
「ビニ本の帝王」「アダルトビデオの帝王」「ハメ撮りの帝王」など、数々の帝王の座に君臨したアダルト産業のエンペラーオブエンペラーで、1980年代には知名度が高まって子どもや主婦まで知っていたという人物であるらしい。
(私はまだ生まれていないのでうわさでしか知らない)
その後、「空からスケベが降ってくる」との謳い文句で衛星放送事業に乗り出すも失敗して50億円もの負債を抱えて倒産し、すっかりメディアから姿を消す。
が、ここ最近は再び活動をし始め、テレビ番組でも『月曜から夜ふかし』や『アウト×デラックス』『バラいろダンディ』など、なぜかマツコ・デラックスと親和性の高いテレビ番組に出演したり、Webインタビューに答えたり、こんな著書まで出版したりしている。
で、今回紹介するのはこちらの一冊。
上の2冊は自伝的要素が強いが、こちらの本は信書サイズでもうちょっと実用的(?)な内容だ。
知っている人は知っている応酬話法
タイトルの応酬話法というのは村西氏が作り出した言葉ではなく、営業マンのセールストークの手法としてはけっこう昔から知られていたもので、簡単に説明すると「クロージング(契約締結)の成功率を上げる、お客様からの質問に的確に答えるためのテクニック」といえば問題ない。
試しに国会図書館で検索してみると、タイトルに「応酬話法」を関した本は一九六〇年代に二冊、一九七〇年代に二冊、一九八〇年代に十一冊が発行されています。しかし、一九九〇年代は三冊になり、一九九六年以降は一冊も発行されていません。
代わって、「セールストーク」と銘打った本が多く出版されるようになりました。一九六〇年代には一冊だったものが、一九九〇年代は十九冊、二〇〇〇年代には二十八冊と劇的に増えています。
懐かしい村西とおるが、これまたキャリアの長い営業マンにとっては懐かしさを抱くだろう「応酬話法」を引っ提げて帰ってきたというかたちで、まさにうってつけのテーマだったというわけだ。
ちなみに、村西とおるといったら「~でございます」という語尾が特徴的で、自伝本などではそれらが忠実に再現されているのだが、本書ではわりと普通の文章(?)になっている。
じつはもともとセールスマン
なぜAV監督が営業法の話をするのかというと、じつはこの人はAV監督をやる前は英語の百科事典のセールスマンをやっていて、そこでトップセールスマンになっていたからだ。
それ以外にも、素人の女性をAVに勧誘したりしていたし、事業に失敗して50億円の借金を背負い借金取りに殺されそうになった時にもなんとか口先三寸で苦難を逃れるという破天荒な人生を送っている。
まあ言ってみれば、「口先の達者さ」で世の中を渡ってきたレジェンドなので、その人の会話術にはやはり学ぶところもあるということだ。
ただし、だからといって本書が、営業マンが読んだら役立つハウツー本かというと、そうだとも言い切れない。
たしかに、本書では村西氏がこれまで実践してきたコミュニケーションノウハウが満載だ。しかし、もう営業やコミュニケーションの本は死ぬほど出尽くしていることもあり、テクニックそのものにはさほど目新しさはないのである。
そもそも、村西氏が全盛期として活躍していた時代はインターネットがいまほど整備されていなかったのだから、環境がまったく違うのも小さくない。
人生訓まで学べるよ
じゃあ本書の魅力がどこにあるかというと、やはりテクニックの紹介とともに語られる村西氏本人のエピソードだろう。
村西氏の話術の巧みさをおもしろく読みながら、ついでに営業に役立つかもしれないコミュニケーション術もちょっと学べるよ。というスタンスで読み進めるのが正しいんじゃないか。
ちなみに、最後の章ではちょっと自己啓発っぽくなり、生き方指南になっているので、最後にそこの部分を引用しよう。
自分が何者であるかを知るために、世界のはてまで自分探しの旅に出たり、家に引き籠って万巻の書に埋もれて沈思黙考したりしても、答えを出すことなどできません。
なぜなら、自分が何者であるかは自分が決めることではないからです。他人が自分をどう思うか・思われるかで、自分が何者であるかを判断できるのです。社会における自分の有用性が、自分を知る判断基準となります。
自分を知るもっとも効果的な方法は、仕事を通じて社会生活のなかで自分の存在の意味を知ることです。自分の仕事が、社会や会社や他人の役に立っていることを知れば、自分の価値がそこで明確になります。
今日の一首
48.
風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ
砕けてものを 思ふころかな
現代語訳:
風が激しくて岩を打つ波が砕け散るように、
私だけ心が砕けて思い悩んでいるこの頃だよ。
解説:
「いたみ」というのは「いたし=はなはだしい」ということ。波を自分、岩を思い焦がれている相手の女性にたとえ、なかなか叶わない恋を自然の情景に例えている。ちなみに、源重之は三十六歌仙のひとり。
後記
こんなゲームを見つけましてね……。
女子高生が茄子にまたがって、茄子を投げつつ悪霊を浄化していくゲームなのだが、シューティングゲームというわけではない。どちらかというと、育成してポイントをためて女の子を育成していくゲームといったほうが正しい。
茄子も進化していって、ビームを出したりできるようになる。それと、悪霊の設定が自撮り棒を使う人やYoutuberだったりと、世相を反映したものになっているほか、茄子が進化するところは完全にポケモンだったりと、いろいろシュールすぎるゲーム。
ただ、基本的にはひたすら画面をタップし続けるだけなので、単調ですぐやめてしまった。気になる人はやってみてはいかが。
というわけで今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。