本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

考えが足りない人は言葉にできない~『「言葉にできる」は武器になる』のレビュー~

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先日、とある編集者の会合に参加して「紙の書籍と電子書籍は食い合うか?」ということを話した。

 

もくじ

 

結論的に言えば、食い合わない。

というのも、電子書籍を利用する人と紙の書籍を購入する人は多くの場合、住み分けられているからだ。だから、紙の書籍と同時に電子版をリリースしたとしても、それで神の本の売り上げが落ちるとは考えにくい。

むしろ、逆の効果もある。紙の本と電子書籍をどちらも購入する人がいるからだ。たとえばそれは「通勤電車で読むときは荷物にならない電子版を、デスクや家でゆっくり読むときは付箋やマーカーが付けやすい紙の本を読む」という人も、一定多数存在するからだ。

 

また、Kindle Unlimitedという月額サービスで無料で読めるようにしておくのも、同様に、本の売り上げにはマイナスにならない。というのも、全体を読んでみて本当に良い内容だった場合、所有欲を刺激して「やっぱり神の本で手元に置いておきたいな」と思い、さらなる購入を促すケースもあるからだ。

ただし、手間のデメリットはある。特に中小出版社の場合、大手の出版社とは異なり、電子化の手続きを専門に行う人員がいないため、紙の本の編集者が片手間で電子化するケースが多い。そうすると、本当は神の本と同時にリリースしたいのだけど、著者との契約書の交付や電子データ作成のための外部手続きなどを同時にやる暇がないため、とりあえず紙の本を刊行したあとに電子化に取り掛かり、結果的に紙の本から遅れて電子版がリリースする場合もある。

 

『「言葉にできる」は武器になる』

 

それはともかく、今回紹介するのはこちら。

 

「言葉にできる」は武器になる。

「言葉にできる」は武器になる。

 

 

かなり売れているビジネス書で、おそらくもう10万部を突破したのではないかと思う。著者の梅田氏は広告のコピーライターで、最近はこのようにコピーライターが著したビジネス書がヒットするケースは多い。

言葉によって人を動かすのを生業としている人たちだから、彼らは具体的な事例を挙げられるし、メソッドは非常に説得力があるのだ。

 

言葉にできないのは考えるのが足りていないから

 

本書のメッセージは、端的に述べれば「言葉にできない=考えていない」ということである。本書では次のように述べられている。

 

「言葉は思考の上澄みに過ぎない」

 

たとえば、ある映画を見てそれがすごくおもしろかったのに、他の人にそのおもしろさを伝えようとしてもうまくいかないケースがある。この場合、その人は、「自分にとってこの映画のどの部分が、どのようにおもしろく、そしてそれが相手にとっても同じなのかどうか」という部分を考えないまま言葉にしてしまっているから、相手に伝わらないのだ。

 

たとえば、上司に何か企画を提案したとき、相手に反論されてそれが通らないこともある。その場合、「この企画の素晴らしさはどこか? 上司はどのような反論を持ち出すと考えられるか? そうした反論を覆すだけの材料は何か?」というところまできちんと考えないまま企画を提案してしまうから、通らないのである。

 

にもかかわらず、既存の多くのコミュニケーション本は、思考を深めることなく、単に伝え方を工夫することでなんとか自分の意見を相手に伝えられるようにすることを勧めている。

しかし、そうした枝葉末節のテクニックが本当に効力を発揮するのは、本書で述べているような方法で十分に自分の思考を熟成させ、伝えるべき内容に確信を持てるようになってからなのだ。

 

考えるとは、頭のなかの言葉を認識することである

 

で、ここからが問題なのだが、それでは「考える」とはどういうことなのか?

それは本書に従って端的に述べれば「内なる言葉」である。私たちは普段、考えているという言葉を安易に使うが、それは自分のなかで言葉を作っている状態と言える。

考えを深めるということは、自分がなにかを考えている時、自分の頭の中にどのような言葉が浮かんでいるのかを認識することだと考えてもらって間違いない。

 

これをやってみるとわかるのだが、実はうまく言葉で表現できないモヤモヤした感情を私たちは抱えている。

そして、そのモヤモヤを解消しないまま言葉にすると、それは相手に伝わらないのだ。

 

文章を書くという思考

 

じゃあどうすればいいのか、というのは本書を読んでもらえばいいが、ひとつ有効なのは、自分の考えを文字にして書き出すという作業だ。個人的には、たとえば読んだ本の感想を書くのは有効な手段だと思う。

いろいろな人のレビューを読んでいるとわかるが、うまい人のレビューを読むとその本が無性に読みたくなってくる。逆に、どれだけ賞賛していても、その本のおもしろさが伝わらないケースも少なくない。

「おもしろかった」というのは簡単だが、そこをもっと突き詰めて、「どこがおもしろかったのか? なぜそれをおもしろいと感じたのか? どんな人がおもしろいと感じられそうか?」を考え、それを端的に伝えられれば、それを読んだ人にも納得感が生まれるわけだ。

 

書くというのは考えるのと同義である。考えていないことを言葉にできないのと同様に、考えていないことを文章にすることはできない。実際に、書いてみて「おもしろいと思ったところがあまり思いつかない」のであれば、それはまだ自分の感情を分析しきれていないということを意味している(もしくは、本当はおもしろいと思っていなかったか)

 

おわりに

 

ちなみに、もう一つ大事なのは、その文章に気持ちがこもっているかである。

つまり、本のレビューの場合、「どうしてもこの本をほかの人にも読んでほしい」という思いが込められているか否かだ。

 

これは、けっこう読者は敏感に感じ取る部分で、読んでいるとそれが伝わる文章とそうでない文章がある。ビジネス書の場合、それが如実に表れるのは「はじめに」「おわりに」あたりだとおもう。だから、私なんかはかなり「はじめに」の部分の原稿には気を遣い、自分でかなり書き直したりする。

 

このブログは私にとって、自分の考えをまとめるためのいい機会となっているのかもしれない……とも考えたりする。

 

「言葉にできる」は武器になる。

「言葉にできる」は武器になる。

 

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。