本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

文末に(微笑)を使うのはキモチワルイからやめてほしい~『アンドロイドレディのキスは甘いのか』のレビュー~

インターネットを回遊していると、たまに「人をイラつかせる文章」に出会うことがあると思う。

 

本を読んでいると、あまりそういう文章に出会うことはない。おそらく編集者が目を通しているからだと思うのだが、それでも、たまーに読んでいてイライラする文体の本にぶつかる。最近読んだ、こちらの本がそうだった。

 

アンドロイドレディのキスは甘いのか

アンドロイドレディのキスは甘いのか

 

 

 

 

ようこそ、地球へ!

 

著者の黒川伊保子氏はいくつかの著書を出している人で、プロフィールを参照すると「脳科学と独自のマーケティングをもとに人間の思考や行動」を分析している。もともと富士通で人工知能の研究に従事していたらしく、そのゆかりで本書は成立したのだろう。

ただ、あまりにも本書の文章がイライラしてしまう。ちょっと引用しよう。

ただねぇ、「知的に動くメカ」を、従来のコンピュータプログラムで実現しようと、脳神経回路モデルで実現しようと、一般ユーザにはどうでもいい。

ディスカッションの焦点も、ここにあった。「ヒトの知識モデルは、もっと複雑だ」と主張するヨーロッパの研究者に対し、「いや、ヒトの知性なんて、こんなものだ。論理式で十分書き尽くせる」と豪語したのは、身体の大きなアメリカ人だった。
その瞬間、私の前に座っていたイタリア人のイケメンが、英語でこうつぶやいた。
Because you have an American brain…
(アメリカ人の脳ならね・・・・・・)
結局、こんな大事な世界観の創生に、たった一回のディスカッションで結論が出るわけもなく、ヒトの知識モデルによってLISPに向くものとPrologに向くものがあり、いずれも捨てきれない、という帰結になった。
私は、デートするのなら、「論理式で書き表せるアメリカ人の脳」より、ハンサムな(脳に関係ない?)イタリア人の脳がいいなぁと、思っていた。

人工知能は、心を痛めない。
人工知能は、死なないし、産まないからだ。
だから、人工知能が、人類を超える日はやってこない。それは、母としての直感であり、確信である。
もちろん、この章を、それだけでゴリ押しするつもりはないから、安心してほしい(微笑)。

でもね、この本を読んでいる若い研究者の皆さんは、ぜひ、覚えておいてほしい。完成の科学に挑戦すると、どうしてもそうなる。でも、それを恐れていては、何も始まらない。

私は、息子が再びミルクを倒したとき、思わず「ようこそ、地球へ」と言ってしまった。かなり興奮したのを覚えている。だって、ミルクのコップを倒して面白がり、そこから液体のありようを知る人工知能なんて、到底、作れないもの。

 

ここに引用したのはごく一部だが、私が特に怖気が立ったのは「(微笑)」という表現だ。本を読んでいる最中、私はただ閑静の問題として「キモチワルイ」という感想を抱いただけだったが、改めて、この本の文体に対して私が「キモチワルサ」を抱いたのかを考えてみたい。

 

(笑)の効用とは


まず「(微笑)」という表現が、どのような意図を以て使われているのかを考えてみたい。

 

そのまえに「(笑)」という表現について考えてみよう。私もこの表現を使う人と本を作ったことがあるし、場合によっては全部消したり、残したりするケースがあった。

「(笑)」が表現するメッセージはいくつかあるが、私が文中で(笑)を残す場合、その意図は「本気で受け取らないでね!」である。たとえば、次の2つの分を読み比べてみてほしい。

 

これは政府の陰謀だ!
これは政府の陰謀だ!(笑)

 

前者は、マジで「政府の陰謀説」を考えているように読める。しかし後者は、「これは思わず政府の陰謀だと考えてしまうくらいひどい状況だ」とも受け取れる。文中の主張を、書き手も本気で言っているわけではないことを匂わせているのだ。
これは(笑)の有無で意味が大きく変わってしまうので、(笑)を残しておいてもいい使い方といえる。

 

ダメな(笑)の使い方


逆に、もしライターや作家さんから届いた原稿で、(笑)が次のように使われていたら、私は容赦なく「トル」指示を出すだろう。

 

なんと、そこでイカが干からびていたんです!
なんと、そこでイカが干からびていたんです!(笑)


この場合、(笑)は「ここで笑ってくださいね」という読者への指示の意味合いが強い。しかし、その文章で笑うかどうかを決めるのは読者自身だし、かえって(笑)がついていると寒くて笑えなくなるものだ。

 

(微笑)は何を意図しているのか


では(微笑)だが、これはなんだろう?
書き手は、この表現を使うことによって読者に何を伝えたがっているのだろうか?

もっとも単純に考えれば、「この文章を書いているとき、著者は微笑をたたえています」ということだ。なるほど、確かにこの文章を読んでいると、黒川伊保子センセが母親のような微笑をたたえながら語りかけてくるような印象を受けなくもない。

 

で???

 

書き手が微笑んでいることがわかって、読者には何があるのだろう? これは(笑)の悪い使い方のように、読者に何かの反応を求めているわけではない。そうではなく、書き手はこれだけの慈愛を持ってこの文章をあなたに伝えるために書いているんですよ、という書き手側のスタンスを主張しまくっているのではないか。

 

許諾するしかない著者のスタンス

 

これはタチが悪い。(笑)のように、読者になんらかのリアクションを求めるなら、読者はそれを受け入れるなり、突っぱねるなり、無視するなり、自分で対応を選べる。しかし、(微笑)と書かれてしまうと、それは書き手が一方的に著者の心情を伝えるだけなので、読者は「お、おう」とそれを受け入れるしかない。(微笑)は書き手が勝手にやっているだけなので、読者はそれをどうしようもない。

 

私が気味の悪さを感じるのは、このような書き手の心情を有無を言わさずに押し付けてくるスタンスと、それを(微笑)という稚拙極まりない表現で伝える手法に起因しているのだと思う。

ちなみに、この(微笑)という最低の言い回しは、何回か出てくる。

 

ところで、我が家にもしもあったら一番押される回数が多いのは、タクシーのダッシュボタンである。クリーニングのダッシュボタンも欲しいところだ。……あ。息子ボタンも欲しいな。彼から、優しいメールか電話が速攻来るボタン(微笑)

私は、1980代(ママ)に、「世界の最初の一粒」を手のひらに載せた人工知能エンジニアの一人だった。幼心の君とは言いにくいけれど(微笑)、その私の手のひらでも、仲間たちの豊かな想像力によって、世界がぐんぐん膨らんでいった。


勘弁してくれ……。

 

著者と読者の距離感問題

 

問題は(微笑)だけではない。それどころか、より根深い問題として、本書の文章全体に漂う著者の「距離感」が私にとっては気に食わない要因なのだ。上に引用した部分を見てもらえればわかるように、本書では、ところどころ著者がやたらと読者(つまり私)に寄り添ってくる。まあ、端的に言えば「馴れ馴れしい」のだ。

 

パーソナルスペースという言葉がある。赤の他人にそれ以上近づかれたくないと感じる身体的距離感のことだ。これは、リアルの人間同士だけではなく、言葉でのやり取りや、「本(著者)と読者」の間にもいえると思う。

 

著者の黒川センセは研究者であると同時に母親でもあるので、おそらく読者に対して母性的なものを示しているのかもしれない。しかし冷静に考えてほしい。Twitterで会ったこともないオバチャンからいきなり母性たっぷりのリプライをもらった気色悪くて仕方がない。それと同じで、人工知能について理解を深めようという目的で本書を読んでいたのに、そこでいきなり著者のスタンスと母性を押し付けられたら気色悪くて仕方がなくなるのは私だけではないのではないか。

 

こうした読者と著者の間の温度差を生み出してしまうのは、(これは著者の責任ではないが)、本の作り方の問題だ。もし、本書が完全なるエッセー本として作られ、売られていたなら、本書のような文章で著者のスタンスを思いっきり押し出すのも結構だろう。なぜなら、エッセーの場合、読者の多くは黒川ファンである可能性が高いからだ。しかし、本書は人工知能をテーマにしていて、タイトルや想定もちょっとビジネス書に寄せている。

 

本書の良いところ

 

さてここまでボロクソに書いてきたが、だからといってまったく読む価値のないクソのような本かというと、一概にそうも言えないのが口惜しいところだ。たしかに、皿や盛り付けは味に少なからぬ影響を与えるが、だからといって料理そのものがすべて台無しになるわけではない。

 

本書の特徴は、単に人工知能とそれに伴う社会の変容を述べているだけではなく、著者の得意とする「語感分析」「男女の違い」を絡めてまとめている点だ。とくに「語感分析」は私があまり知らなかったので、興味深かった。引用しよう。

 

私たちは、ことばを見たり聞いたりしたとき、言語野と呼ばれる機能ブロックで、ことばの意味を理解する。
しかし、それとは別に、発音の体感によって、ことばのイメージが作られるのである。筋肉を硬くして発音する音韻を並べれば(K、Tなど)硬いイメージを、息がすばやく抜ける音韻を使えば(K、S、H、Pなど)スピード感を、脳は感じる。
(中略)
発音の運動特性は、意識さえすれば、客観化できる。しかも、万人に共通のものだ。たとえば、K音は、喉を硬く締めて、息を強くぶつけて出す破裂音で、喉の筋肉の硬さは子音中最高の硬さになる。日本語では、カキクケコの共通子音のKだが、その中でもカが最も硬い。


ただし、黒川センセによれば、彼女が考えた「語感分析」が認められるのは大変だったようだ。そもそも言語学の分野で権威となっていたのは、近代言語学の祖・ソシュールだ。簡単に言うと、彼は「シニフィアン(表現)」「シニフィエ(内容)」という言葉を作り出したのだが、両者の関係には必然性がないと述べたのである。つまり、言葉を構成する単一の音が単体で意味を持っていないということだ。

 

これは興味深いが、もちろん黒川センセの主張が本当に正しいのかはわからない。とはいえ、たとえば英単語でも、意味がわからなくても、その単語を読んだときの音で「ポジティブな言葉」か「ネガティブな言葉」かはなんとなくわかるような気がするので、ここに関しては、その可能性もあるかもしれないとは思えた。

 

アンドロイド“レディ”のキスは甘いのか?

 

またもうひとつ、男女と女性の脳と完成の違いについては、タイトルにある『アンドロイドレディのキスは甘いのか』という質問に対する答えにつながる。その回答については、まあ、本書を読んで確認して欲しい。人工知能本は疑問形のタイトルが多いが、もちろんこれは『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』を意識したものと思われる。

 

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

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アンドロイドは法律で禁止すべきだ


ちなみに、黒川センセは人間に近いアンドロイドを作るのは反対のようだ。

 

日本は、世界で一番アンドロイドを作りたがる国、とも言われている。
鉄腕アトムやドラえもんのおかげなのだろうけれど、ここは無邪気に、その道に入るべきじゃない。ロボットアームに危険なのに危険じゃないふりをさせただけで、脳はちゃんととまどう。健在意識は面白がっても、潜在意識にはストレスになるのである。
しょくばだけならまだしも、生活空間でそれは、やがて心の健康に関わるだろう。先の工業用ロボットの例から言えば、擬似生物のかたちをしていなくたって、気をつけなければいけない。AI自動車だって、同じだ。
ましてや、心がないAIに、心があるふりをさせたりしては絶対にいけない。人間のかたちをした、人間のようにしゃべる、心を持つふりをしたアンドロイド……法律で禁止すべきである。

 

なかなか過激な書き方だが、ここで注意しなければならないのは、黒川センセが禁止すべきだと主張しているのは「心がないのに心があるふりをした生物に似せたアンドロイドの一般化」である。もし、万一、人間の心が解明されて、正真正銘の人工知能が出来上がったら、それが人間と実社会に進出することの可否は、おそらくはまた別問題であるだろうことは留意しておきたい。


今日の一首

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68.

心にも あらでうき世に ながらへば

恋しかるべき 夜半の月かな

三条院

 

現代語訳

心ならずもこの憂き世に生きながらえることがあれば、

たぶん今のこの夜中の月を恋しく思い出すんだろうなぁ

 

解説

もともと天皇だった三条院が、「2度の火災」「目の病気」などを理由に、藤原道長に退位を迫られ、決断したときに詠んだ歌。そのうち目が見えなくなるかもしれないから、いまのうちにこの月を焼き付けておこうという気持ちが垣間見える。ただし、三条院は退位の翌年、逝去している。

 

後記

 

どんな本であれ、そこから学べることはある。「駄本だ」と切り捨てることは容易だが、そこから一歩踏み込んで「なぜ、自分はこの本を『駄本だ』と判断したのか」を考えてみると、おもしろい。

少なくとも私が本書を読んで学べたことは2つある。「(微笑)」という言葉を恥ずかしげもなく使っちゃう著者がいること、そして、そんな言葉をそのまま出版させてしまう編集者がいる、ということだ。

本書でも語られているし、最近読んでいる人工知能本でもおおむね同じことが述べられているのだが、これから否応なく人工知能が発展し、社会に進出していく中では、論理的に物事を考えられることは、おそらくいままでよりも価値を持たなくなる。もちろん、論理的に物事を考える力は必要だが、それ以前に大事なのは「感覚的な部分」に目を凝らすことなんだろう。たぶん。

だから、「キモチワルイ」と感じることは重要だ。少なくとも、ある文章を読んで「キモチワルイ」と感じ、その正体を知りたい、考えたいと思うのは、少なくとも現在においては人間だけができる技能だからである。

 

アンドロイドレディのキスは甘いのか

アンドロイドレディのキスは甘いのか

 

 
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。