本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『ブルシット・ジョブ』(デヴィッド・グレーバー著)のレビュー

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アルベール・カミュの随筆『シーシュポスの神話』には、神々の怒りを買ったシーシュポスが、ひたすら山の山頂に岩を運び続ける罰を与えられるという話があります。

でもシーシュポスが苦労して山頂に岩を運んだ瞬間、岩は絶対に山のふもとまで転がり落ちてしまいます。何度やっても、この結果は変わりません。

 

シーシュポスの神話 (新潮文庫)

シーシュポスの神話 (新潮文庫)

  • 作者:カミュ
  • 発売日: 1969/07/17
  • メディア: 文庫
 

 

私たちが日々やっていることも、このシーシュポスとなんら変わらないのかもしれません。

自分がやっている仕事に意味があるのか……という思いを抱いたことがある人は少なくないのではないでしょうか。

少なくとも私はけっこう頻繁に感じます。

そもそも本なんて生活になくても死なない嗜好品みたいなもんですし、古今東西の名著が古びることはありませんから、商品は増え続けるばかりです。

すでに世の中にありとあらゆるコンテンツは出尽くしている感がありますから、あえて無理くり新しい本をつくる必然性は高くないでしょう。

とくに、「そろそろ新しい企画を考えて会社に提案しないとなあ」と考えながら書店をぶらついていると、山のように積まれた新刊書籍を前にして「すでにこんなに本が出ているのに新しい本を作ることに意味なんてあるんだろうか」などという思いが去来して虚しくなってきたりします。

といっても、その一方で新しい企画を思いついて本を作りはじめると楽しくなってきてしまうのも事実で、虚無感と一時的な熱狂を行き来しつつ、そんな自分の感情に折り合いをつけながら働いている毎日です。

ほかの業界のことはよくわかりませんが、おそらく、多くの業界で働く人が私と同じように「別に自分の仕事がなくなっても社会(とか会社)は回るよね」と考えている人は少なくないんじゃないかと思います。

そういうあまり表面に現れてこないモヤモヤを言語化してまとめたのが、たぶんこの本なのでしょう。

 

 

ブルシット・ジョブというのは、サブタイトルにもなっていますが、「クソどうでもいい仕事」という意味です。

 

ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。

 

ブルシット・ジョブのもっとも厄介なポイントは、上の説明文の最後の一文に尽きるでしょう。

みんな薄々、自分の仕事の無意味さに気づいているけれど、その無意味な仕事によってこの資本主義社会が回っているし、それによって自分は生活するためのお金を得ることができているのだから、口に出すことができない状況なのです。

 

さて本書誕生のきっかけは、文化人類学者の著者が思いつきでウェブマガジンに投稿したブルシット・ジョブの考察からでした。

この投稿をしたところ、サーバーがダウンするほどの大量のアクセスが集まり、多くの人々が「自分の仕事もブルシット・ジョブだ」ということコメントを寄せまくったのです。

ある意味、この本はパンドラの匣を開けてしまったのかもしれません。

 

さて本書は以下のような内容で構成されています。

・ブルシット・ジョブとはなにか

・ブルシット・ジョブにはどんな種類があるか

・ブルシット・ジョブは人間の精神にどのような悪影響を及ぼすか

・なぜブルシット・ジョブは増え続けるのか

・ブルシット・ジョブの増大は社会にどのような影響をもたらすのか

 

ぶっちゃけ、かなりボリューミーで読むのはなかなかしんどい本です。

著者のもとに寄せられた具体的なメッセージを多数紹介しつつ持論を展開していきますが、なんとなく論理がまとまりきれていないような印象も受けます。

たぶん、私たちの仕事の多くが「ブルシット・ジョブ」なのは間違いないだろうけれど、じゃあ私たちはどうすればいいのか、ということはわかりません。

もしかすると今後、AIとか人工知能がさらに進歩して、もっともっと人間が働かなく慣れば、それにともなってブルシット・ジョブは減少していくかもしれないし、逆に、そういったAIなどが人間からさらにエッセンシャルな仕事を奪い、それでも働くことを共用される人々が増えることでブルシット・ジョブの増加につながる未来もありえます。

 

そういえば、新型コロナの感染拡大で、小池百合子都知事が「エッセンシャルワーカー以外は東京に来るな」的な発言をしたことがニュースになっていました。

 

news.yahoo.co.jp

 

新型コロナによって私も打ち合わせとか飲み会がかなり減りましたが、じゃあそれによって仕事にどうしようもなく差し支えがあるかとか、なにかすごく困った事態になっているかというと、そんなことはありません。

できなきゃできないで、なきゃないで、大概のものはなんとかなるもんです。

その意味では、新型コロナという災害はこの社会における「必要」と「不必要」をふるいにかける装置みたいな役割を担っているのかもしれませんね。

この本を読んでなにかがスッキリ解決するとか、そういう類のものではないし、読むのもなかなかしんどい本なのですが、どうせゴールデンウェークもあまり遠出できなさそうなので、この機会に読んでみるのはアリかもしれません。

 

 

後記

ここ最近は「ココロインサイド」というゲームをやってました。

syupro-dx.jp

ファミコンを彷彿とさせる2Dドット絵のアクションアドベンチャーゲームで、ガチャ要素もありますが、無課金のまんま最後のシナリオまで到達できました。 

ココロインサイドという、他人の心のなかに入り込めるスマホアプリを手に入れた主人公が、街で起きているさまざまな問題を解決するという物語です。

シナリオのボリュームがちょうどいい感じですね。

ちょっとしたアクションを必要とするバトルも、シンプルながらほどよい難しさで楽しめます。おもしろかったです。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。