本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『大人の教養として知りたい すごすぎる日本のアニメ』(岡田斗司夫・著)のレビュー

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ここのところブログの更新が滞り気味なのは仕事がいろいろ忙しくてあまり本を読めなかったというのもあるのですが、同時に「これはおもしろい。紹介せざるを得ない」と感じるような本に出会えなかったことも理由の1つにあるような気がします。

おもしろい本に出会えない原因はいくつか考えられます。

1つは、単純に読んでいる本が少なすぎる、あるいは書店に行く時間が少なすぎるということです。

結局のところ、なにをおもしろいと感じるかなんて十人十色なので、自分がのめり込める本に出会うには有象無象の本を読みまくるしかないでしょう。

 

あとは、「つまらない本でも読まざるを得ない状況だった」というがあります。

これは私が編集者をしているからで、ふつうの人であまり当てはまることはないと思いますが、編集者という仕事をしているといまつくっている本(あるいは企画している本)の資料としていろいろな本を読まなければいけないことが多く、そういう本を読んでも大概はあまりおもしろいとは感じられないもんです。

あとは、「とりあえず売れているから目を通しておかなきゃかなー」というスタンスで読んだりするケースもあります。

そういう場合は「おもしろい/つまらない」という視点は脇においておいて、「なるほど、いまはこういう内容の本が売れているのね」という分析になってしまうことが多く、その場合もあまりのめり込めないもんです。

というよりも、そういう本は「読む」という行為をあまりしていないかもしれません。ページに目を落としながらいまの自分に必要な情報を取捨選択する作業をしている……というのが近いかもしれません。

 

あとは「Kindle Unlimitedの弊害」もあるように思います。

Kindle UnlimitedはAmazon電子書籍の読み放題サービスで、月額980円を支払うことで対応している作品を10冊までレンタルしながら読むことができます。

このサービス、コスパはぜんぜん悪くないんですけれども、ついつい「そんなに読みたいと感じない本も読んでしまう」という側面があるように感じます。

そんなに読みたくないし、実際に読み始めてみてもそんなにおもしろくは感じないんだけど、せっかくKindle Unlimitedで読み放題になっているし、来月になるとまた新しいラインナップが出たり、いま読んでいる本がKindle Unlimitedの対象外になっちゃうこともあるだろうからいまのうちに読んでおいたほうがいいかなーという意識が働いたりして、ついついそっちを優先的に読んでしまうんですね。

あと、スマホで読めるから電車のなかで本を取り出すより楽だったりするというのもあります。

 

ただ、ときどきやっぱりそうやって読んだ本のなかにも「おもしろー!」と感じるものがあったりするのです。

この本はまさにそうでした。

 

大人の教養として知りたい すごすぎる日本のアニメ
 

 

岡田斗司夫さんは一定年齢以上のオタクの人であれば知っていると思いますが、知らない人もいるだろうから、簡単に説明しておきます。

岡田さんはガイナックスというアニメ制作会社を立ち上げ、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』『トップをねらえ!』『ふしぎの海のナディア』などを手掛けたプロデューサーさんです。

ガイナックスはいまをときめく庵野秀明監督が所属していて、『新世紀エヴァンゲリオン』はもともとガイナックスから生まれたのですが、これは岡田氏がガイナックス代謝したあとの出来事で、ガイナックス退社後はアニメを始めとするサブカル領域の評論家・文筆家みたいな立ち位置になっています。

ちなみにその後、いろいろなゴタゴタがあったみたいで庵野秀明氏はガイナックスと袂を分かち、カラーというアニメ制作会社を立ち上げて、ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズを制作しました。

 

さて本書は岡田氏がニコニコ動画などで語ったアニメ論をまとめた一冊で、『シン・ゴジラ』『君の名は。』『風の谷のナウシカ』『機動戦士ガンダム』『この世界の片隅に』と、それぞれの監督の作品についての持論が展開されます。

いずれの解説も岡田氏の深い知見と洞察で織りなされていて興味深いのですが、もちろん本書の内容は岡田氏の持論であり、実際どうなのかはわかりませんが、おもしろいからそれはあまり考えすぎなくてもOKでしょう。

どの話題もおもしろいのですが、やはり特筆するべきは『シン・ゴジラ』です。

アニメを解説するといっておきながら、いきなり特撮映画です。

「『シン・ゴジラ』は、特撮だし、CGも使っているけど、実写映画じゃないの?」

そう思われたことでしょう。

では、アニメと実写作品の違いとは何でしょうか?

エヴァンゲリオン』が実写だという人はいないでしょう。アメリカの映像制作会社、ピクサー・アニメーション・スタジオの3DCGアニメ『カーズ』も実写ではありませんよね。

でも、ハリウッドのド派手なアメコミ映画も、アクションシーンを中心にほとんどがCGを使うようになってきています。

実写とアニメの本質的な違うというのは、画面を絵やCGで描いているかどうかではありません。最大の違いは「画面に対する支配欲求」にあります。

 

いきなりすごいことをいいはじめますよね。

岡田氏いわく、画面のあらゆる動きや表現を監督の思い通りにつくるものは「アニメ」であるということです。

たとえば割れたガラスの破片が飛び散るシーンを考えてみます。

アニメやCGを使えば、それら飛び散るすべてのガラスの破片の大きさや飛ぶ軌道、スピードを1枚1枚コントロールすることができます。実写でそれを再現しようとするのは不可能です。

 

シン・ゴジラ』の家屋破壊シーンは瓦の崩れ方がやたらカッコいい。おそらく庵野は、特定の瓦だけ極端な動きで飛ばすよな指示をしているのでしょう。

シン・ゴジラ』のビルや街の破壊シーンの出来がなぜ、あんなにいいのかといえば、いい具合の「けれんみ」があるからです。

専門のCG業者に発注すれば、たしかに制度の高い物理演算を行ってリアルなシーンをつくるでしょう。しかしそれはリアルですが、けれんみが足りません。それでは、けれんみを重視して手描きアニメで表現するとどうなるのかといえば、特定の瓦だけはパッと吹っ飛ぶけれど、それ以外の瓦は単調な動きになってしまいます。

シン・ゴジラ』の屋根が破壊されて瓦が滑り落ちるシーンは、物理演算に手描きアニメ特有のデフォルメを加えた、庵野だからこそできる動きです。

これがディズニー映画なら、物理演算を使ってデフォルメも表現しようとするでしょう。たとえば『モアナと伝説の海』は、波や髪の毛の表現が素晴らしい。主人公モアナが振り向くときの、チリチリした髪の毛の動きがものすごくいいんです。

モアナの髪は、動きはじめはやや極端に広がり、振り向いたところですばやく静まります。物理演算で髪の毛を本物そっくりに表現するなら、広がった髪の毛はもっとゆっくり戻るはずですが、そうすると演技の邪魔になってしまう。振り向いたところでキャラクターはセリフをしゃべらないといけないから、その時点で髪の毛は静まっていてほしい。ですから、その部分に関しては髪の毛の動きを速くする処理を入れているわけです。もし庵野がモアナをつくるなら、特定の髪の毛だけ動かすのではないでしょうか。

 

シン・ゴジラ』では、登場人物たちがやたら早口で専門用語をまくし立てますが、あれも監督のイメージ通りに作品を仕上げるために「俳優たちに演技をさせない」という目的があるためだと岡田氏は述べます。

私はふだん、あまりテレビドラマは見ないし、あんまり邦画も好きじゃありません。

それはなぜかというと、すっごくわざとらしい感じがするからです。もしテレビドラマでしゃべっているような感じで職場の人がしゃべってきたら、「頭どこかにぶつけたりしたのかな?」と心配になりますよね。

これは俳優さんたちがしっかり「演技」をしてしまっているからです。

いってみれば、舞台で劇を演じているようなものですね。

本書のなかでも述べられていますが、日本人はふだんの日常会話ではものすごく表情の変化が乏しいです。テレビドラマのなかみたいに喜怒哀楽をハッキリ表現しません。そこに違和感を抱いてしまうのでしょう。

一方、アメリカのドラマとか映画とかは、そういうのが気になりません。それはたぶん「アメリカ人が普段、リアルでどういうふうにしゃべっているのかを私が知らない」のと「実際にアメリカ人たちは日本人よりも身振り手振りや表情が豊か」というのがあるんだと思います。

シン・ゴジラ』でそういう演技臭さがあまりないのは、ものすごく大量のセリフを短時間で喋らないといけない状況を作り、そんなふうに演技をする余裕を俳優さんたちにもたせていないからです。俳優さんたちに「演技しないでください」といっても難しいから、物理的にそれができないようにしたということですね。

これもある意味、庵野監督による画面操作の一環であるということです。

 

あともう1つ、岡田斗司夫さんが喝破しているのは「庵野の真髄は破壊と爆発にあり」というところです。

庵野の描く「爆発」は、メカにとどまらず、繰り返しモチーフとして登場します。彼の作品の恋愛や情愛は、すべて壊れる瞬間でしか描かれていません。何かの関係が壊れる瞬間を描くことで、初めてその存在を実感する。

彼は物語をハッピーエンドにもっていくことが不得意です。きっとそれは彼にとって、嘘になってしまうから。彼は物事が爆発したり、壊れたりするときに初めて、存在を実感するという監督だと思います。

 

この発言、先日も再放送された『プロフェッショナル 仕事の流儀』の庵野秀明スペシャルと見ると、なかなか説得力があるように感じます。

 

「庵野秀明スペシャル」

「庵野秀明スペシャル」

  • メディア: Prime Video
 

 

庵野監督はとにかくちゃぶ台をひっくり返しまくるのです。

いったん「この方向性で行こうか」とまとまりかけたものを「やっぱりシナリオがダメだということがわかったから、シナリオから練り直す」ということを平気でやって、スタッフさんたちを右往左往させます。

これはたぶん、庵野監督のこだわりが強いとか、庵野監督が天の邪鬼だからということではなく、このようなプロセスを経ないと作品が作れない人なんだということだと思います。

これは私個人の予想ですが、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』から『シン・エヴァンゲリオン』までおそろしく長い時間がかかってしまった理由の一つは、「もう壊すものがなくなってしまった」ためなのかもしれません。

主人公のシンジくんはすっかり壊れてしまったわけですが、もう壊れてしまっているものをそれ以上壊すことはできないわけで、それをどうすりゃいいねん、というところがあったんじゃないでしょうか。

 

いろいろ書き出すときりがないのでこのくらいにしておきますが、とにかく本書はこんな感じの内容が延々と続きますので、こういうのが好きな人は楽しく、あっという間に読めると思います。

 

大人の教養として知りたい すごすぎる日本のアニメ
 

 

後記

映画『ゴーン・ガール』を観ました。

 

ゴーン・ガール (字幕版)

ゴーン・ガール (字幕版)

  • 発売日: 2015/03/06
  • メディア: Prime Video
 

 

いい意味で、すっごく「後味の悪い映画」でしたね。

あらすじを簡単に説明すると、アメリカで暮らすとある夫婦の奥さんが突然行方不明になってしまうという物語です。

旦那さんはメディアの力も借りて奥さんの行方を追うのですが、自宅のキッチンから血液反応が出たり、じつは旦那さんが浮気していたことが明らかになるなど、「じつは夫が奥さんを殺したんじゃないの?」という疑惑が噴出するけど、実際にはどうなんだ?という感じのサイコスリラーとなっています。

書きすぎるとネタバレになるのですが、後半になると物語の毛色がどんどん変わってきて、旦那さんとか奥さんに対する印象がコロコロと変わっていきます。

そして最終的には、ある意味ではハッピーエンドなのですが、どうしようもなく救いのない結末になるのです。

 

この映画のテーマはずばり「結婚」ですね。

「結婚は人生の墓場」などとよくいわれますが、その言葉を体現したような作品に仕上がっているので、夫婦で見るのはちょっとオススメできません。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。