『センスは知識からはじまる』(水野学・著)のレビュー
編集者はある程度のセンスが求められる職業であります。
たとえば本の表紙(厳密にはカバー)。
つくるのはもちろんデザイナーさんですが、デザイナーさんが出してくれた案にいろいろ注文をつけたり、いくつかデザイン案があるなかで最終的にどれにするかを決めるのは編集者に委ねられます。
また、それ以前の「企画コンセプト」や「タイトル」「帯コピー」「章タイトル」から文章の細かい表現に至るまで、書籍の編集者は自分が担当する書籍のさまざまなところで大きな裁量を任されます。(このあたりが雑誌の編集者と書籍の編集者のおおきな違いですね)
さて私は現役の書籍編集者をしていますが、基本的に、自分のことをセンスがない人間だと思っています。つまり、自分の感覚をあまり信用していません。
とくに、タイトルを決めるセンスは壊滅的にダメです。
そもそも、私は「自分のセンスは一般人とズレているかもしれない」という思いを抱いていました。だいたい、私が好きになる作品とか雑誌とかはあまり人気が出ないことが多いからです。
単純に、人気のあるものがあまり好きになれないという天の邪鬼な性格のせいもありますが、純粋に自分が気に入ったものはどうも世間では高く評価されないらしい……という経験を何度かしてきました。
ので、自分が編集する本のタイトルを決めるときも、自分が「これだ!これしかない!」と思ったタイトルを上司に提案すると、「え、まじで?」みたいな反応をされることも多いので、私はあまり自分の感覚を信用せずに、上司とか営業部からの「もっとこういうタイトルのほうがいいんじゃないか」という意見を割とすんなり受け入れてしまうタイプであります。
なので、こういう本のタイトルを見ると、ついグサッと刺さってしまうわけですね。
センスが技術であり、それを身につける方法があるのであれば、それはぜひとも学びたい、と考えてしまうわけです。
さて、本書の著者、水野学さんはクリエイティブディレクターという仕事をしている人で、具体的には熊本県のご当地キャラクター「くまモン」の企画立案など、企業の広告や各種キャンペーン、あるいは企業価値を高めたりするためのプロジェクトなどを統括するような仕事をしています。そもそも「クリエイティブ」を「ディレクション」するなんて、すごいことです。
センスとは、誰にでも備わった身体能力と同じです。
健康な人であれば、誰もが生まれつき走れるし、ジャンプもできる。ただ、そのジャンプがいかなるものになるかは、日々の筋トレや助走のスピードで変わってきます。どれだけセンスを磨き、使いこなせるか――その違いが、センスがいい/悪いということです。
本書では、センスを鍛えるトレーニング方法をお伝えするつもりです。
さて、具体的なトレーニング方法についてはぜひ本書を読んでみてほしいのですが、ここでは「センスがいい」とはなにか、そしてセンスの良さを身につけるための基本的なこと……について、水野さんの考え方を紹介していこうと思います。
センスがいい商品をつくるには、「普通」という感覚がこのとほか大切です。それどころか、普通こそ、「センスのいい/悪い」を測ることができる唯一の道具なのです。
(中略)
普通とは「いいもの」がわかるということ。
普通とは「悪いもの」がわかるということ。
その両方を知った上で、「一番真ん中」がわかるということ。
「センスがよくなりたいのなら、まず普通を知るほうがいい」と僕は思います。
私も編集者をやり始めてそろそろ10年くらいになりますが、この年齢だからこそ、この言葉が持つ意味をよく理解できるようになっている気がします。
本書の冒頭でも書かれているのですが、「センスがいい」といわれる人は、「斬新なものが思いつく」「奇抜なものを思いつく」ような人ではないんですよね。
一見すると凡庸な、パッとしないものなんですが、「王道感」があるんです。
まるで以前からそれがあったような、スルッと人の感覚に馴染む。
これは、くまモンを見てもわかると思います。
くまモンはなにか、すごくインパクトのある見た目があるわけじゃありません。
スゴイ一芸があるわけでもない。飛び道具なんて何も持っていないのです。
しかし、キャラクターとして圧倒的な安心感というか、王道感があって、どんな商品やサービスと組み合わせても馴染む。老若男女に親しまれやすい、覚えてもらいやすい。
当たり前なのですが、ほかのものと差別化しようとするあまり商品やサービスのエッジを立たせようとすると、それは「わかりにくいもの」「玄人好みのもの」「変態的なもの」になってしまって、いわゆる「普通の人」には受け入れてもらえなくなります。
とくに20代くらいの駆け出しのクリエイターとか編集者だと、どうしても新しいものをつくりたくって、「新しさ」をアピールしたがるものなのですが(そしてそういう磁気は絶対に必要だとも思う)、そういうことをしているとヒットするような商品サービス、あるいは本はつくれないものなのです。
これは文章でも同じですね。
文章を書き慣れていない人は、やたら難しい言葉を使ったり、気取った書き方が多くなります。プロフェッショナルは「普通の人」が読みやすい文章をしっかり書いてきてくれます。
これらの根底にあるのは、「視線の方向」にあるともいえるでしょう。結局、斬新で新しいものを生み出したいという考え方は「こんなに新しい、斬新なことを思いついた自分を認めてほしい」「こんなに難しい、気取った書き方ができる自分を褒めてほしい」という感情が背景にあります。でも、こういう気持ちを持っていては、いつまでたってもその道のプロにはなれないですね。視線が自分に向かっていますから。
そうではなくて、視線を自分が作り出したものを最終的に受け取る人に向けて、その人たちが満足するようなものはなにかを考えると、自然とそういうものは「普通」に近づいていくはずなのです。
といっても、とにかく平凡で当たり障りのないものを作ればいいというわけでもないのが、やっぱり難しいところです。
それだと最悪、ただ売れているもののパクリになってしまう恐れもありますから、なにかオリジナリティというか、ちょっとだけエッジを立たせなければいけません。
そこのところの塩梅がいまだに私が会得できないところでもありますし、そういう部分は改めて本書で学んでみてほしいのですが、とにかく「普通」の感覚がめっちゃくちゃ大事であるということは、クリエイター系の仕事をしている人であれば覚えておいておきたいところですね。
ちなみに、ヒット作を出すような編集者は流行りものにとりあえず乗っかる人が多いです。ミーハーです。
それは、普通の感覚を身につけるためであるかもしれません。なので私も、相変わらず天の邪鬼なので心から好きにはなれないのですが、とりあえずいま人気の音楽やサービス、マンガ、作品、本などには触れるようにして、コモンセンスを磨くようにしています。
後記
コモンセンスつながりで、話題になっている「PUI PUI モルカー」を見ました。
モルモットが車になっている世界をシュールに描く、ストップモーションフェルトアニメで、1話3分程度で完結するのでサクッと見られます。
基本的にセリフはなくて、ストーリー性みたいなものもありません。ネタは満載ですが、基本的には可愛いモルカーを愛でるアニメですね。
まあ、短くてすぐチェックできるからいいけど、個人的にはそんなにハマる要素がなく、なるほどなあという思いで見ています。
ちなみに、『呪術廻戦』もいちおう見ているのですが、どうもギャグテイストのあのノリがあんまり肌に合わないけれど、あれもなるほどなあという思いでなんだかんだ見ています。シリアスパートとバトルシーンの描き方はカッコいいですね。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。