『ステレオタイプの科学』(クロード・スティール著)のレビュー
よほど情報の伝播が遅い僻地(つまりど田舎)などでない限り、「女性だから」「高卒だから」などという理由で人をあからさまに差別するようなことは少なくなりました。
ただ、じつは差別行為を行わなくても「女性だから~の傾向がある」と本人が思い込んでいる(あるいは「社会的にそう思われている」)ということを意識してしまうと、それが本人のパフォーマンスに影響を与えてしまうのです。
そのことについて書かれているのが本書です。
特定のアイデンティティ(人種、性別、年齢、経済状況、恋愛指向など)によって特定のアイデンティティを持っているがゆえに対処しなければならない物事のことをアイデンティティ付随条件と呼ぶのですが、本書のメインテーマになっているのがその一つである「ステレオタイプ脅威」です。
ステレオタイプというのはつまり「固定観念」のことで、たとえば「黒人は暴力的」「女性は数学が苦手」などのような、別に根拠があるわけじゃないけど、世間一般の多くの人が特定の人達に対して抱いているイメージのことですね。
本書の第1章に出てくる実験では、白人男性と黒人男性にそれぞれ「運動神経を測定する」という実験の目的を告げてからゴルフをやってもらいました。
そうすると、白人は何も告げられなかったときとくらべてスコアが落ちましたが、黒人のスコアは変わらなかったのです。
これは、「黒人のほうが運動神経がいい」というステレオタイプが影響していることを示唆しています。
反対に、「これはスポーツ・インテリジェンスを測定する実験だ」と告げられると、今度は黒人の方がスコアが下がってしまうのです。
こちらは、黒人より白人のほうがインテリジェントだというステレオタイプに支配されてしまうことを示唆しています。
もうひとつおもしろいのは、こうしたステレオタイプ驚異にさらされる人のほうが、「過剰努力」によってかえって本来のパフォーマンスを発揮できなかったりすることもあるということです。
著者の友人の話ですが、プリンストン大学で「必須だけどとても難しい」科目があり、真面目に受けて成績が悪いと医科大学院に入れなくなるものがありました。
そこで、歴代のプリンストン学生たちはこの科目の攻略法として、一度目は履修登録しないで二度目で成績をつけてもらう方法や、レベルの低い大学で履修してその単位をプリンストンに移す方法などでしのいでいました。
さて、白人やアジア系の学生はこうしたアドバイスを聞き入れ、こうした「ズルい方法」を実践するのですが、黒人の学生は拒絶して真正面からこの講義に挑み、みすみす医科大学院に進みにくくなることがあるという。
つまり、ステレオタイプ(黒人は頭が悪い)というステレオタイプをはねのけようとするために、もっと楽で効率的な方法を避けてしまう傾向があるということです。
もうひとつ本書でおもしろいのは、ほんとうにこうしたステレオタイプ脅威が人間のパフォーマンスに影響を与えるのかということを調べる過程がわりと詳細に述べられている点ですね。
著者は大学の先生なので、すべてを「仮定」として考え、その仮定が正しいかどうかをうまく証明できるような実験を考えます。
その際、ほかの要素が実験に影響を与えないように、ほかの要素を除外できるような実験の設定をしたりして、調査結果をとっていくのです。
心理学系の話ではよくこうした社会実験のようなものがエピソードとして提示されることが多いですが、実際に研究者たちがどのようなことを考えながら実験を行っているのかまではわからないことが多いです。
そのあたりの思考回路が覗き見できるのはちょっとめずらしいですね。
もちろん、結論だけをさっさと知りたいという人にはちょっと回りくどく感じるかも知れませんが。
また、これは大学の先生が書いたからかもしれませんが、全体的に文章がちょっと回りくどいというか、若干わかりにくく感じる箇所が多いです。
あるいは翻訳がよくないのか。
それと、アメリカの本なのでどうしても人種によるステレオタイプが多いですが、ここらへんは各自で日本に当てはめていくべきでしょうね。
ともあれ、なかなかおもしろい本ではありました。
後記
『センゴク』を2巻まで読みました。
主人公は織田信長に攻め落とされた斎藤家家臣の仙石権兵衛秀久。
若くて体格が良くて馬鹿力であることだけが取り柄ですが、信長に気に入られて家臣になり、秀吉の配下になるという物語です。
やたらと織田信長がかっこよく描かれています。
残酷だけどどこか照れ屋で、カリスマ性がすごいですね。
秀吉も、秘境で抜け目がないけど憎めない感じが味があります。
あと、わりと戦国時代の戦い方や用語の解説などもしっかりしてくれるので、勉強にもなりました。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。