アメリカの貧困層のリアル ~『ヒルビリー・エレジー』のレビュー
ドナルド・トランプ氏がアメリカの大統領に決まったのが2016年11月のことだ。
もくじ
アメリカの大手メディアはヒラリー・クリントン候補優勢の報道を繰り返し、トランプ氏が大統領になることがいかに危険かを一生懸命に喧伝した。
にも関わらず、アメリカ国民は大統領を選んだ。
なぜ、このような結果になったのか。その議論を呼んだ。
そんな状況の中で、一冊の本がひっそり話題になった。
トランプ当選の秘密を解き明かすヒントが詰まっていると話題になったのがこの本だ。
ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち
- 作者: J.D.ヴァンス,関根光宏,山田文
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2017/03/15
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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ヒルビリー=田舎者
もちろん、この言葉はただの地方在住者ではなく、
「単純労働に従事している低所得者」
というニュアンスを含んでいる。
アメリカがシビアな格差社会であるというのは知っている人も多いと思う。
多くの場合、貧困者のステレオタイプとされるのは黒人やアジア系など白人以外の人々だ。
しかし当然ながら、白人同士でも圧倒的な経済的格差が存在する。
そして人口だけで言えば、そうした貧困にあえいでいる白人のほうが多い。
こうした貧しい白人たちの存在は、なかなか人々の目にはつきづらい。
あまりにも地味で、人種差別のような大きな社会問題になりにくいからだ。
じゃあ、いわゆるヒルビリーとはどういう人たちなのか。
ちょっと引用してみよう。
私は白人に違いないが、自分がアメリカ北東部のいわゆる「WASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)」に属する人間だと思ったことはない。そのかわりに、「スコッツ=アイリッシュ」の家計に属し、大学を卒業せずに労働者階層の一員として働く白人アメリカ人のひとりだと見なしている。
そうした人たちにとって、貧困は、代々伝わる伝統といえる。先祖は南部の奴隷経済時代に日雇い労働者として働き、その後はシェアクロッパー(物納小作人)、続いて炭鉱労働者になった。近年では、機械工や工場労働者として生計を立てている。
他人に期待する貧困層
最大の問題は、彼らが貧困であり、その現状が認識されにくいことではない。
むしろ、彼らをむしばんでいるのは「無希望」と「怠惰さ」だ。
あまりにも多くの若者が、重労働から逃れようとしている。よい仕事であっても、長続きしない。支えるべき結婚相手がいたり、子どもができたり、働くべき理由がある若者であっても、条件のよい健康保険付きの仕事を簡単に捨ててしまう。
さらに問題なのは、そんな状況に自分を追い込みながらも、周囲の人がなんとかしてくれるべきだと考えている点だ。つまり、自分の人生なのに、自分ではどうにもならないと考え、なんでも他人のせいにしようとする。
本書の著者であるJ・D・ヴァンス氏は自らもいわゆる貧困世帯に生まれた人だ。
母親は離婚を繰り返して新しい男を作り、アルコール中毒になる。罵詈雑言と暴力が飛び交う家庭が普通だった。
しかし、ヴァンス氏はのちのち大学に進学してロースクールにも通い、現在はシリコンバレーで社長をしている。
そんな特異な経歴だからこそ、この本を書くことができたのだろう。
自分の感じたままに、白人として最貧困の場所の人々がどのようなことを考え、どのような暮らしをしているのかが克明につづられている。
オバマが好かれない理由
この本はアメリカの社会を理解したり、経済学を学ぶことができる本ではない。
むしろ、内容のほとんどは、著者のヴァンス氏の自伝と彼の家族のエピソードだ。
だからこの本の内容は、あくまでもアメリカの片田舎にいる、ある一族の話をまとめているにすぎない。
しかし結局のところ、アメリカの繁栄の影には、このようにろくな教育を受けられず、文化も言葉遣いすらまったく違う人々が少なからずいる。
そして、2016年の大統領選では、トランプ氏はこうしたサイレント・マジョリティたちが心の中で考えている不満・欲望を見事に体現したといわれている。
じつは、ミドルクラスの住民がオバマを受け入れない理由は、肌の色とはまったく関係がない。
私の高校時代の同級生には、アイビー・リーグの大学に進学した者がひとりもいないことを思い出してほしい。オバマはアイビー・リーグのふたつの大学を、優秀な成績で卒業した。聡明で、裕福で、口調はまるで法学の先生のようだ(実際にオバマは大学で合衆国憲法を教えていた)。
私が大人になるまでに尊敬してきた人たちと、オバマのあいだには、共通点がまったくない。ニュートラルなまりのない美しいアクセントは聞きなれないもので、完璧すぎる学歴は、恐怖すら感じさせる。大都会のシカゴに住み、現代のアメリカにおける能力主義は、自分のためにあるという自信とともに、立身出世をはたしてきた。
日本のマイルドヤンキーに思う
これがアメリカだけの話かというと、そうでもない。
日本でも2014年には「マイルドヤンキー」という言葉が生まれたように、東京や都市圏とそれ以外の場所ではライフスタイルがまったく違う。
いわゆる「一億総中流」という幻想は終わり、社会階層は復活しつつある。サイレントマジョリティは本当に見づらい。
そして問題なのは、そうした人々は、多くの場合、インターネットすらあまり活用していないことが多い点だ。
そもそも人間関係もクローズドなので、SNSを使う理由がない。
文章を書く習慣も目的もないから、ブログも書かない。
本も、あまり読まない。
私は普段、ビジネス書とか自己啓発書を作っているけど、結局のところ、そういう本を手に取って読もうとする人は、すでにそのレベルに達している人なのだともいえる。
人間関係と情報の隔絶。
貧困を貧困たしめる原因なんじゃないかと、そんなことを考えた。
ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち
- 作者: J.D.ヴァンス,関根光宏,山田文
- 出版社/メーカー: 光文社
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今日の一首
43.
逢ひ見ての 後の心に くらぶれば
昔は物を 思はざりけり
権中納言敦忠
現代語訳:
あなたと一夜を共に過ごした後の心に比べれば、
それ以前の物思いなど、物思いの数に入らないほどだよ。
解説:
『源氏物語』の光源氏とかだと、パッと目についた女性の部屋にいきなり侵入したりしちゃうけど、基本的に当時の恋愛においては、まず男性が女性に恋文や和歌を何度も送り、いよいよ一夜を共にするということが多かったので、この歌の場合、あなたに会う前から思いを募らせていたけれど、実際に会って一晩を共にしたらますますその気持ちが強くなりましたというスーパー情熱的な歌になっている。
後記
すでに人気だけど、DA PUMPの新曲はやばい。
何がやばいって、圧倒的な「ダサさ」。
ダンスの振り付けも、メロディラインも、歌詞に至るまで、突き抜けたダサさが心地いい。それでいてノリが最高だから、耳から離れなくなる。
このあたりのインタビューもおもしろい。
今回はこのへんで。
それでは、お粗末さまでした。