アウトサイダーは幸せなのか? ~『アウトサイドで生きている』のレビュー
取材は2通りある。
「メッセージ」が目的の取材と、「人」が目的の取材だ。
もくじ
前者の場合、インタビュアーのなかにはすでに伝えたいメッセージが明確にある。
そして、その結論にもっていくために話を聞く。
そのメッセージに説得力を持たせられる人、自分と同じメッセージを持っている人を探す。語弊はあるかもしれないが、「結論ありき」の取材だ。
人が目的の場合、取材前にこういう結論は決まっていない。
純粋に取材対象者への興味関心から始まり、淡々とその話をまとめる。
ただ、「人」が目的の取材の場合も、何かしらの結論がつくことが多い。
美談はうんざり
私がゲンナリするのは、「人」目的の取材が単なる美談で終わることだ。
もちろん、話を聞くうちにあるメッセージが生まれることもあるだろう。
けれど、とってつけたような美談はいらない。
人が目的であるならば、取材者はクールな傍観者でいるべきではないかとも思う。
今回紹介するこの本の良かったところは、一般社会から大きくはみ出しているアウトサイダーな表現者たちの話をまとめつつも、そこに美談や、読者および社会への訓戒を入れていないところにある。
たぶん、この本にメッセージはない
著者の櫛野展正さんは日本唯一のアウトサイダー・キュレーターとして、「クシノテラス」というアウトサイダーな人たちだけのギャラリーを運営している。
文章の端々から感じるのは、櫛野さんのクールさだ。
もちろん、櫛野さん独自の意見や解釈がまったくないわけではないが、彼の興味は単純に「作品」と「人」に向けられている。
たぶん、この本を通じて伝えたい、ひとつのメッセージというものは存在しない。
なぜなら、櫛野さんはただ「こういう人たちがいる」というファクトを伝えたいだけだと思うからだ。
自由は幸福なのか
この本ではさまざまな表現者が登場する。
有名どころは、90歳近くながらカメラと画像加工ソフトを使いこなし、自分をネタにして不謹慎写真を撮り続けている西本喜美子さんだろう。
ほかにも、高地県内をパンダの気ぐるみを来て自転車で走り回る「忍者ぶきみ丸」さんや、昆虫の死骸で鎧兜を作る男性、上着にすべての持ち物を詰め込むホームレス「爆弾さん」、人気コンテンツ『ラブライブ!』のキャラグッズを全身にまとって秋葉原を歩く武装ラブライバーの「トゥッティ」さん、妻に追い出された愛人とその子どもを思いながらイラストだらけの喫茶店を経営する大沢武史さんなどなど、一人ひとりが恐ろしく濃い。
普通の人たちが彼らに抱く感情はいろいろあるだろうが、おそらく「自由」という言葉は思い浮かべられるんじゃないだろうか。
自由というのは、一般的にはポジティブな言葉だ。
彼らは会社や家庭というしがらみにとらわれず、自分がやりたいことだけに全力投球して、幸福な人生を送っているんじゃないかと考えがちなのではないかと思う。
でも、彼らが本当に幸福なのかは、本人にしかわからない。
この本に登場する人のなかには、自分がやりたいから創作活動をしているというよりも、「それ以外にできることがないから、そうせざるを得なかった」という人も少なくない。
お話を伺う中で、爆弾さんは常に「物を盗まれるかもしれない」という恐怖心があることに気づいた。普段意識することはなかったが、改めて考えてみると、路上は恐怖であふれている。必要な情報が得られず、いつ危険なことに巻き込まれるかわからない。特に、爆弾さんのように家族との繋がりがなくなれば不安は一層大きいだろう。話の最後に「もう、なにかやるのも、なにかを始めるのも遅いと思う。新しい服やカバンより金が欲しいね。そりゃ多けりゃ多いほど欲しい。金さえありゃ解決することが多いと思うね」とつぶやいた。
館内にあふれる仮面に目を凝らすと、自転車のサドルや扇風機の部品などが仮面の一部として使われており、その多くが廃材とされているものばかりだ。
ゴミからゴミをつくったんです。俺は世間のゴミだしね。「最終的に人間社会は滅びるぞ」と言われて、50年は経ってると思うんですよね。今の社会って、ずる賢く立ち回ってる奴しか生き残れないじゃないですか。そういう人間の余りの傲慢さに対して、何もできないからやってるんですよ。
表現は不満からしか生まれない
もちろん、本書に登場する人々がみんなこのような鬱屈とした感情を抱えているわけではなくて、純粋に自分の活動を楽しんでいる人もいる。
結局のところ、みんなそれぞれ事情があり、まったく別の思惑でそれぞれ活動をしている。それを一括りにすることは難しい。
ただ私がひとつ思うのは「表現は不満からしか生まれない」というものだ。
あらゆる面で十分に満たされている人がなにかを表現することは、おそらくない。
その意味において、こうして読んだ本の感想をブログという形で表現している私もまた、彼らと同じようにどこかで満たされなさを抱いているに違いないのだろうと考えたりはする。
今日の一首
22.
吹くからに 秋の草木の しをるれば
むべ山風を 嵐と云ふらむ
現代語訳:
吹き荒れるとすぐに秋の草木がしおれてしまうから、
なるほど山風のことを「嵐」というんだなあ。
解説:
ダジャレかよと思うような一句だけど、いちおう秋の草木を「荒らし」とかけている。平安時代はこうした漢字をパーツに分けてとらえる言葉遊びが流通していたようで、紀貫之も「雪降れば 木毎に花を咲きにける いずれを梅と わきて折らまし」という歌を詠んでいる。
後記
Amazonのプライム会員でない人にはまったく関係ないけれど、プライムデーです。
やっぱり家電や食品がお値打ちだと思うけれど、地味なところで書籍も全部10%のポイント還元をやっているので、本もいまのうちに買っておこうかなと。
ほかにも何か買おうと思ったけど、冷静に考えると「安いから買う」というのは本当にほしいものではない可能性が高い。
ので、セールだから無理に何かを買おうというのはあまり賢い思考ではない……のではないか。まあ、見ていると欲しくなってくるんだけど。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。