『言ってはいけない 残酷すぎる真実』のレビュー
ポケモンGOをインストールしようとしたら「お使いの端末はこのバージョンに対応していません。」という非情すぎるメッセージが表示されたことでこの世に絶望し、道端で遊んでいる人を見かけるとこっそり「(スマホよ)爆発しろ!」と呪いをかけるなどすっかりダークサイドに堕ちている徒花です。
もくじ
今回紹介する本はコチラ。
橘玲氏について
著者の橘玲(たちばな・あきら)氏はたくさんの著作を出している人気作家さんで、「経済」「社会問題」「マネー」が得意なジャンルだ。元・宝島社の編集者である。
代表作には以下のようなものがある。
お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方2015 知的人生設計のすすめ
- 作者: 橘玲
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2014/10/10
- メディア: Kindle版
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もう、タイトルから「売れるセンス」がにじみ出てる。
本書について
本書では、軽々しく話すと回りの人間から人格を疑われてしまうような「タブー」の話を盛り込んでまとめられた新書である。「宝島社らしい」本だ。
あんまり親しくない人とかに本書の内容を話すと、まず「ヤバイ人」と思われるので、要注意。
今回は、本書からトピックスをいくつか抜き出して紹介していく。
全部紹介すると営業妨害になってしまうので、「ここに書かれているのは本の一部に過ぎず、実際の本にはもっとキワドイことが書かれているから買うともっと楽しめるヨ」という意図で私が伝えていること理解した上で、読んでもらえればいい。
精神疾患は遺伝する
本書では、統合失調症の遺伝率は82%、双極性障害の遺伝率は83%という研究結果が紹介されている。
つまり、精神疾患は遺伝による影響のほうが、環境から受ける影響よりも大きい……といえるわけだ。遺伝率というのは、「遺伝による影響力がどのくらいあるか」を示したものと考えればだいたい間違っていない。
ちなみに、身長の遺伝率は66%、体重の遺伝率は74%とのことなので、単純に比較すれば身長や体重よりも精神疾患は遺伝の影響を受けやすい――といえるのかもしれない。
※ここらへん、本書でもうまく書かれているが、言葉の使い方をちょっと間違えるとかなり間違ったことをいってしまうことになるので、くれぐれも注意していただきたい。
白人・アジア系の人種は、黒人・ヒスパニック系の人種よりも知能が高い
アメリカの教育心理学者アーサー・ジェンセンは知能を2つにわけた。記憶力で測定する「レベルⅠ」と、概念理解で測定する「レベルⅡ」だ。
レベルⅠについて差は見られなかったが、レベルⅡについては、白人・アジア系人種のほうが統計的に優位に高いことが示されたという。
しかも、この差は貧困といった環境だけでは説明しきれないという。ちょっと引用しよう。
私たちは、運動能力や音楽的才能に人種間のちがいがあることをごく普通に受け入れている。――「黒人の並外れた身体能力」とか、「天性のリズム感」とか。アフリカには多様な民族が暮らしており、適正もさまざまだろうが、スポーツや音楽を語るときに肌の色で「黒人」という人種にひとまとめにすることが問題とされることはない。
それに対して知能格差は差別に直結し、政治的な問題となってはげしい論争を生む。なぜなら私たちが暮らす「知識社会」が、ヒトのさまざまな能力のなかで知的能力(言語運用能力と論理数学的能力)に特権的な価値を与えているからだ。――政治家や弁護士は言語的能力が高く、医者や科学者は論理数学的知能が高い。逆にIQが低いと経済的に成功できず、社会の落伍者になってしまう……。
こうした現実から、「潜在的な知能は人種にかかわらず均質でなければならない」というイデオロギー的な要請が生まれる。しかし、これはきわめて危うい論理ではないだろうか。
顔の横幅が広い人は年収が低い
もう10年以上前に刊行された書籍だが、『人は見た目が9割』という本が売れたのを覚えている人も多いかもしれない。人間は見た目によってかなりの部分が評価される。性格はもちろん、頭の良さすら、人は見かけから判断する。
おもしろいのは、人間は顔の縦横比だけで「攻撃的か否か」を判断している――というものだ。
つまり、「縦長の顔」よりも、「幅広の顔」(とくに男性)のほうが攻撃的だと判断されやすいらしい。
原因はハッキリとはわからないが、テストステロンというホルモンの影響が本書では指摘されている。このテストステロンが多く分泌されると、競争を好んで野心にあふれ、冒険的・攻撃的な性格になるようだ。
そして、たとえば胎児のときのテストステロンの濃度が高い人ほど、生まれるときに顔が幅広になる可能性が高くなるという。
で、問題はここからだ。
美貌による収入の格差は確かに存在して、男だろうが女だろうが、美形のほうが年収は多くなる。
そして、いちばんその割をくってしまうのが、……幅広の顔の男なのだ。なぜなら、こういう男を見ると人は無意識的に「攻撃的なんじゃないか?」と疑われてしまい、信用を得られないらしい。難儀な話だ。
余談:ホルモンはおもしろい
ここで余談に入る。本書でもちょびっと紹介されているが、オキシトシンというホルモンについて書かれた健康本がこちら。
ホルモンってそもそもなにかというと、人間の体のいろいろなものを刺激する物質のことだ。
有名どころだと、アドレナリンとかインスリンとかがある。アドレナリンは心拍数や血圧を上げて体を興奮状態にし、インスリンは血糖値を下げたりする。
で、このオキシトシンというのは「幸せホルモン」などと呼ばれるもので、オーガズムなどを感じたりすると放出されて、女性の子宮とか乳腺を収縮させるなど、妊娠・出産を促進させるような働きがあるとされる。
オキシトシンはもちろん男性でも放出されるものなのだが、とにかくこの本によればその効能はすさまじく「高血圧」「認知賞」「動脈硬化」「高血糖」「免疫不全」「肩こり」「不眠」「イライラ」「心臓疾患」「胃腸の不調」を予防したりするだけではなく、「自律神経を整える」から「共感力が高まる」「人に優しくなる」などの効果があるらしい。(あくまで著者の話によれば、ね)
そして、このオキシトシンを出すための方法がいろいろと教えられているのだが、一番良いのはセックスすることだという。もちろん、これはただセックスをするだけではダメで、十分な信頼関係のある相手と愛のあるセックスをしなければならないわけだ。「老いも若きもセックスしろ」と本書では訴えられている。
そもそもヒトは一夫一妻制ではなく、「乱婚社会」の生き物
閑話休題。
ヒトのオスとメスはほかの動物といろいろ変わっている点がある。なかでも、特徴的なのはオスのペニスだ。
じつは、ヒトのペニスはゴリラのそれよりも大きい。しかも、「亀頭」とよばれる、先端に独特のふくらみがある。じつは、この秘密を紐解いていくと、「そもそも人間は一夫一妻制の動物じゃない」という推論にたどり着く(この結論に達するまでの根拠はほかにもいろいろある)。
乱婚というのは、要するに、グループ内でメスをみんなで共有する制度のことだ。同じグループ内であれば、どのメスとオスがセックスしても、自由なのである。
そして、生まれてきた子どもはみんなで面倒を見る。ここがかなり大切だ。
みんなで子どもの面倒を見るのは、種全体で見れば、かなり効率的な仕組みだ。
しかし、オスというのは、やっぱり「自分の遺伝子を引き継いだ子どもだけを育てたい」と考える生き物である。そこで、ヒトのオスはセックスをするとき、まず先にそのメスとセックスしたほかのオスの精子をかき出してから、自分の精子を流し込むことで、「自分の遺伝子を持った子ども」が生まれる可能性を高めてきたのではないか――と考えられるのである。
それが、ヒトのペニスが体に比べて大きく、亀頭という部位を持っている理由なのではないか……という主張が本書で紹介されている。
はっきりいって、一夫一妻制と言うのはオスにとってもメスにとってもかなりリスキーなことだ。ヒトの子どもは育てるのに時間や手間がかかるから、できるだけリスクは避けたいと考えるのが自然なのだ。
というわけで、じつは結婚制度や純愛などの社会通念は幻なのかもしれない……ともいえるのである。
おわりに
一応、本書の目的を最後に紹介しておこう。
社会には耳障りの良い情報ばかりが流れている(実際にはそうではないけど、ヒトは無意識的に「自分に関心がある、自分に賛同してくれる」情報を集めてしまう習性がある)。
テレビなどで食べ物や動物、芸能人の内輪ネタなど、死ぬほどつまらない番組ばっかりやっているのは、それが「誰からも文句を言われない、無難な情報」だからだ。そうした状況に義憤を抱き、「残酷すぎる真実」をまとめたとされるのが本書である。
ただ、私は本書の内容を信じも否定もしない。あえていうならば、「話半分に聞く」というスタンスで読んでいた。
これは、本だけではなく、インターネットの情報に触れているときなども、けっこう大事なスタンスなのではないかと思う。
賛成or反対だけが意見ではない。
信用はしないけど、否定もしない――つまり、「とりあえず知識としてとどめて、どうするかは保留」という先送りも、それはそれでひとつの立場だと考えている。とくに、こういう取り扱いに気を使わなければならない情報に関しては。(今月末の都知事選も、私は「この人にしようかな」というのはあるが、今のところ確定させずに保留している)
つまりまぁ、本書の内容を最初から全否定するのも良くないし、盲目的に信じてしまうのも良くない……という、ありていな結論にたどり着くのだが、世の中には直情的に物事を判断するヒトがけっこう多いので、一応書いておいた。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。