本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

「三人寄れば文殊の智慧」は正しいのか??~『群衆の智慧』のレビュー~

今回紹介する本はこちら。

 

群衆の智慧 (角川EPUB選書)

群衆の智慧 (角川EPUB選書)

  • 作者: ジェームズ・スロウィッキー,小高尚子
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
  • 発売日: 2014/10/10
  • メディア: Kindle版
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アメリカのビジネスコラムニストが書いた群集心理(智恵)の本。

 

 


本書は改題して、文庫版でも出版されている。

 

「みんなの意見」は案外正しい (角川文庫)

「みんなの意見」は案外正しい (角川文庫)

  • 作者: ジェームズ・スロウィッキー,小高尚子
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2009/11/25
  • メディア: 文庫
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まあ、こちらのタイトルのほうが結論がわかりやすい。

 

集団は賢いの?それともバカなの?

 

本書のテーマは「衆人は賢いのか、それともバカなのか?」というもの。もちろん、著者のスタンスは基本的に「人が集まると、けっこう正しい考え方になる」というものだ。

そもそも、人は画期的なアイディアやすばらしい政治、大成功したビジネスの影に「個人」を求める。たとえば諸葛亮孔明とか、織田信長とか、坂本竜馬とか、ナポレオン・ボナパルトとか、田中角栄とか、スティーブ・ジョブズとか、アインシュタインとか。

人々がこのように「ヒーロー」を求めるのは、「1人の天才は100人の凡人に勝る」と心のどこかで信じているからに他ならない。しかし、本書では、本当にそれは正しいのだろうかという疑問を投げかける。

 

集団の知力を示す実験としていちばん有名なのは、ファイナンス分野で有名なジャック・トレイナー教授の「ビンの中のジェリービーンズ」だ。その名のとおりビンの中のジェリービーンズの数を当ててもらう実験だが、この実験を行うと、必ず集団の推測のほうが個々人の推測のほとんどよりも正確だという結果が出る。

トレイナー教授の授業でジェリービーンズが八五〇粒入ったビンを見せられたグループ全体の推測値は八七一粒だった。暮らすには五六人の学生がいたが、その中でグループ全体の推測値、つまり集団の意見よりも正確な推測をした学生はたった一人だった。

(中略)

グループよりも正確な推測をする個人は(ほとんどと言っていいくらい)必ずいる。だが、特定の個人がつねに集団よりも優れた判断を下せるという事実は実証的に確認されていない。ジェリービーンズの数を数える実験を一〇回行えば、毎回ほぼ確実に集団よりも正確な数字を当てる学生が一人か二人はいる。だが、毎回同じ学生が正確な数字を当てられるわけではない。実験を一〇回繰り返せば、集団としての推測がもっとも正確になる。

 


ここでポイントは「正しい判断をする人間はそのつど分散される」というところ。100人の人間が同じ1つの問題について考えるのは、「1つの問題に対して100回の思考が行われる」というのと同義だ。すると、当然ながらそのなかのひとつは、性格に判断できる可能性が高まると考えられる。

 

集団が正しい意思決定をするために必要な条件


ただし、集団が正しい推測や判断、ソリューションなどを生み出すためには、いくつかの条件がある。

 

1.集団に多様性がある

同じような人間が集まって考えても、同じような結論しか導き出されない。構成する人間が多種多様であればあるほど、個人を凌駕する意思決定は行われやすい。

 

なんとも奇矯な結論だと思われるかもしれないが、それが真実なのだ。似たもの同士の集団だと、それぞれが持ち込む新しい情報がどんどん減ってしまい、お互いから学べることが少なくなる。組織に新しいメンバーを入れることは、その人に経験も能力も欠けていても、より優れた集団を生み出す力になる。その集団に前からいるメンバー全員が知っていることと、新しいメンバーが知っているわずかなことが重複しないからだ。

 

2.個々人の自主性が十分に保たれている

いくら集団で考えても、ある個人の意見に誰も反対できないような力関係があると集団の価値は途端に損なわれる。たとえば会社の会議で、上司が言ったことは誰も覆せない状況にあれば、その会議は会議としての意味を成していない。

 

ただし、これは強権的な個人の問題ではなく、人間は本質的な性質の問題でもある。人間は集団になり、意見の多数派と少数派に分かれると、明白に従わせるそぶりを見せなくても、「空気」でプレッシャーを与える。そして同時に、人間は「本当は違うと思うけどなぁ」と思っても、易きに流されてしまうので、自分の意見を割りと簡単に捻じ曲げてしまう。

 

じつは、こうした弊害をなくすためにも有効なのが、1.で延べたような「多様性の確保」である。

 

集団思考で重要な点は、異なる意見を封じ込めるのではなく、異なる意見が合理的に考えてあり得ないと何らかの形で思わせるところにある。最初は実質的な合意など存在しなくても、何となく合意があるような雰囲気が漂っていて、やがて集団としてのまとまりがその雰囲気を現実に変えていく。合意がつくられる家庭でメンバーの持っている疑念は消し去られてしまう。

 

ただ「同調圧力」はかなり強力なので、実際問題、集団のメンバーが完全な自主独立を保つのは難しい。このことは「情報カスケード・モデル」としても説明されている。

 

3.バラバラの意見を集約・まとめるシステムがある

いくら集団で多様な意見が生まれても、最終的にそれをうまくまとめられなければ、集団は最適な意思決定ができない。企業の場合、これをうまくするのが組織の作り方だったりする。

しかし、まとめる人間はそれなりの権力を持つことになるので、これは個人の自由な意見発信を阻害することになりかねない。うまくいっているのは、リナックスなどだ。

 

いちばん望ましいのは個人が専門性を通してローカルな知識を手に入れて、システム全体として得られる情報の総量を増やしながら、個人が持つローカルな知識と私的情報を集約して集団全体に組み込めるようになっている状態だ。こういう状態をつくりだすために、市場であろうと、企業であろうと、諜報機関であろうと、あらゆる集団は二つの命題の間でバランスをとらなければならない。個人の知識をグローバルに、そして集合的に役立つ形で提供できるようにしながらも、その知識が確実に具体的でローカルであり続けるようにしなければならないのだ。

 

集団思考は自己中心主義であるべきか?

 

以上の3つは「おそらく必要だろう」というもの。本書では確固たる結論を出してはいないものの、群衆で思考する際に重要な要素となりえるトピックスについて述べられている。

 

●自分の考えに集中するべきか、それとも同じ集団のほかの構成員の考えかも推測したほうがいいか

 

このあたりは突き詰めていくと「資本主義vs共産主義」にまで発展していくのだが、どちらのほうが本当にいいのかはよくわからない。どちらもケースバイケースで、メリットもデメリットもあるように感じる。

 

なぜ、行列には割り込ませてくれないのか?


本書ではいろいろな具体例も挙げながら、群集心理のメカニズムについて多角的に述べられていておもしろい(後半、とくに7章以降は各論に走りすぎてちょっと退屈になるが)。たとえば、次のような感じだ。

 

●電車で「座席を譲ってください」とお願いすると承諾してくれる人が多いのに、行列で「割り込ませてください」とお願いすると承諾してくれなくなるのはなぜか?
●なぜ、映画館は人気のある映画と人気のない映画のチケットを同じ価格で販売するのか?
●なぜ、人々は脱税や癒着といった、直接的に個人の利害に関係ない悪事に強い拒否反応を起こすのか

 

気になった人はぜひ読んでみていただきたい。

 

群衆の智慧 (角川EPUB選書)

群衆の智慧 (角川EPUB選書)

  • 作者: ジェームズ・スロウィッキー,小高尚子
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今日の一首

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71.

夕されば 門田の稲葉 おとづれて

あしのまろやに 秋風ぞふく

大納言経信

 

現代語訳:

夕方になると門の前に広がる稲穂が音を立てて、

葦づくりの小屋に秋風が吹いているよ

 

解説:

京都の山荘で「田園の家の秋風」というお題で詠われたもの。とくに技巧派凝らされておらず、心情表現も一切ないが、情景の説明だけで、気持ちのよい秋風が田園の中でサラサラと吹いている様子が伝わってくる。

 

後記

 

最近ハマってるアプリがこれ。

 

 

まあ別に、システムそのものは平凡なのだが、物悲しい雰囲気に包まれたダークファンタジー名雰囲気が個人的には好み。キャラクターデザインや音楽、エフェクトもいい。ついで、セリフがいちいち厨二くさいのもいい。

ただ、「アナザーエデン」と比べて思ったのが、ガチャで引くのはやっぱり武器ではなくキャラクターのほうが燃えるということだ。また、ギルドを組んでみんなで協力して闘ったりするのが、やっぱりチャットをしたりするのが面倒くさいと感じたり……。やはり私は人と協力してゲームをするのが苦手だと感じてしまう。

 

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。