『ぼぎわんが、来る』(澤村伊智・著)のレビュー
私はホラーが苦手です。
ただ、「怖い話」が苦手というわけではありません。
「びっくりする演出」が苦手なのです。
だから、『不安の種』みたいなホラーマンガは読めるし、『新耳袋』みたいなホラー小説は読めます。
ただ、お化け屋敷とかホラー映画やホラーゲームはダメです。
ストーリー的にはおもしろそうで気にはなるのですが、どうしても向こうの都合で驚かされる演出は無理なのです。
ただホラーにもいろいろな種類があって、本当に背筋が寒くなるようなこわーい話というのは、意外となかなか出会えません。
ちょっと前に『お見世出し』というホラー小説も読みましたが、こちらもまあ小説としてはおもしろいっちゃおもしろいけど、「怖い」かというと、そんなでもありませんでした。
『粘膜人間』の続編である『粘膜蜥蜴』も、いちおう「角川ホラー文庫」というレーベルから出版されていますが、いわゆるホラー小説というよりも単なるスプラッターという感じですね。
しかもギャグ要素まであります。
そもそも、マンガだったらゾッとするような怖い演出がしやすいですが、文章だけで人を怖がらせるというはなかなか至難の業のように思います。
文章だけで人を笑わせるのが難しいのと一緒でしょう。
そんななか、今回紹介する『ぼぎわんが、来る』は、まさに「怖い」小説でした。
これぞまさにホラー。
こわい、としか言いようがありません。
読んでいると鳥肌がたち、背筋がゾクゾクします。
主人公は結婚して小さな子どももいる普通のサラリーマン田原秀樹。
彼は幼少のとき、おじいさんから「ぼぎわん」という怪物の話をされます。
いわゆる子どもをしつけるためのお話で、「言うことを聞かないと”ぼぎわん”に山につれていかれる」というものです。
しかしある日、彼のもとに謎の電話が届きます。
電話の声の主はなぜか田原秀樹の名前を知っていて、さらに奥さん、そして子どもの名前も知っていました。
「返事をしてはいけない」とされる謎の声がせまるなか、田原秀樹は知り合いのツテを通じて霊媒師に助けを求めますが、その霊媒師たちですら、話を聞いただけで「いや、これは無理」と匙を投げる始末。
唯一助けてくれようとした中年女性の霊媒師に至っては、喫茶店で話を聞いた直後、謎の存在に腕を噛みちぎられて死んでしまうのです。
果たして"ぼぎわん"とはなにか?
なぜ田原一家が狙われたのか? 助かるのか?
こんな話です。
さて本書は3部構成になっています。
第1部は田原秀樹が語り部、第2部は田原秀樹の妻が語り部、そして第3部は霊媒師・比嘉真琴の付添人が語り部になっています。
もっとも怖いのは第1部です。
ここではひたすら、正体不明の”ぼぎわん”に付け狙われる被害者の視点から語られます。
ひたすら怖い。
冒頭のシーンは第1章の最後につながるのですが、ここは鳥肌モノです。
どうしたら文字だけで人を怖がらせられるか、というところの真髄がありますね。
それにたいして、第2章から第3章は毛色が変わります。
まあ正直に言えば、怖さはだんだん落ちていきます。
相手の正体が徐々に明かされ、物語の全体像が見えていくので仕方ないですね。
恐怖は「わからない」ことと、それに対する人間の「想像力」が生み出すものなんでしょう。
恐怖という感情の仕組みについては、こちらの本もおもしろいです。(ちょっと観念的で、内容は難しいですが)
とくに第3章になると「最強の霊媒師」と"ぼぎわん”との戦いがメインになるので、なんだか急にラノベチックなバトル小説っぽくなっていきます。
このあたりは評価が分かれそうなところですが、私は嫌いじゃありません。
むしろ、最初から最後まで第1章のようにひたすら読者を怖がらせることだけに注力していたら、物語としてのおもしろさは削がれてしまったのではないかと思います。
ちなみにマンガや映画にもなっています。
映画はアマプラにあったら観てみようかと思ったのですが、残念ながらありませんでした。
後記
映画「ファウンダー」を観ました。
マクドナルドを世界ナンバーワンのチェーン店にした名経営者レイ・クロックの自伝的映画です。
ただ、映画のなかでクロックは必ずしも「善人」としては描かれていません。
というのも、クロックはそもそもの生みの親であり、フランチャイズ化に消極的だったマクドナルド兄弟から半ば強引に経営権を買い取ったからです。
しかも、「買い取ったあとも売上の1%をロイヤリティとして支払う」という口約束を反故にしています。とんでもないやつですね。
この結果、マクドナルド兄弟がもともと経営したハンバーガー店は「マクドナルド」を名乗ることができなくなり、「ザ・ビッグM」と名前を変えました。
しかし、クロックはそのすぐ近くにマクドナルドを出店し、「ザ・ビッグM」すらも潰してしまったのです。とんでもないやつですね。
このような倫理的な正しさは脇においておくと、この映画で描かれているクロックはとても人間的です。
上昇志向が強く、豪腕で独善的、そして力技で物事を推し進めます。
これまで苦労してきた奥さんに離婚を突きつけ、若い女性と再婚します。
徹底的な効率性を追求するために、生乳ではなく粉ミルクを使ったシェイクに変えたりもしました。
しかしその一方で、家族が安心して食事ができる環境を整えるために率先して店のゴミを拾ったり、ノンキャリアでも優秀な人間をマネージャーに昇格させたり、投資家を説得したり、自分の家を抵当に入れて経営資金を作ったりするなどもしています。
つまり、彼はマクドナルドというビジネスに自分の人生をかけ、「やれることはなんでもやる」という覚悟を決めて動いていたのです。
人間としてはクズだったかもしれないけど、経営者・ビジネスパーソンとしては優秀だったということですね。
実際、クロックという人間がいなければ現在のマクドナルドはなかったわけで、その意味ではレイ・クロックこそがマクドナルドの「創業者(ファウンダー)」であるというのは間違いではないのです。
それにしても、いまだマクドナルドがさまざまなメディアに広告料を支払い、多大な影響力を持っているにも関わらず、その本拠地であるアメリカで、そんなレイ・クロックを貶めるこのような映画が公開されるのはすごいことですね。
日本ではテレビ業界と映画業界が密接に結びついているのでこういう作品を作るのが難しいと思いますが、これは自由の国アメリカのいいところなんではないでしょうか。
主役を務めた俳優マイケル・キートンの演技も素晴らしいものでした。
ちなみに、原著でもあるレイ・クロックの自伝書は経営者の名著にもなっています。
成功はゴミ箱の中に レイ・クロック自伝―世界一、億万長者を生んだ男 マクドナルド創業者 (PRESIDENT BOOKS)
- 作者:クロック,レイ・A.,アンダーソン,ロバート
- 発売日: 2007/01/01
- メディア: 単行本
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。