薄暗くて物悲しくてモヤモヤする10の物語 ~『10の奇妙な話』のレビュー
仕事が忙しすぎてぜんぜんブログを書く余裕(メンタル的にもフィジカル的にも)がなかったけど、私は元気です。
さて言わずもがなだが、本の装丁はめちゃくちゃ大事だ。
基本的に、まず本を手にとってもらうためには装丁で目を引かないと話にならない。
ビジネス実用書の場合、その意味では、少し楽な部分もあるかもしれない。
というのも、タイトルで思いっきり「読者のメリット」を打ち出せるからだ。
どういうことかというと、
「この本を読めばお金持ちになれますよ」
「この本を読めば出世しますよ」
「この本を読めばモテますよ」
といったことをタイトルや帯のコポーでアピールできる。
文芸になると、この手が使えない。
文芸は、基本的にこのような直接的なメリットはとくにないからだ。
文芸というのは、基本的に役に立たない。
もちろん、ある一篇の小説が、読者の人生を大きく変えることはあるかもしれないけど、じゃあ著者がそれを狙ってその作品を書いたのかといえば、たぶんそれは違う。
あまり知名度のない作家さんが本を出す場合、装丁におけるビジュアルの強さが勝負になってくる部分は多々ある。
『10の奇妙な話』
なんでこんな話になったのかというと、今回紹介するこちらの本を私が読んだのも、単純に、デイヴィッド・ロバーツ氏というイラストレーターの人の装画に目を引かれたからだ。
正直、パッと見た瞬間、「これはティム・バートンか?」と思った。
血の通っていないような白い肌、虚空を見つめるギョロリとした瞳、過剰にデフォルメされた肉体、針金のような細い線。
これはまさに、『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』などで知られるティム・バートンの絵にそっくりなのだ。
しかし違った。
デイヴィッド・ロバーツ氏は1970年生まれのロンドン在住の挿絵画家で、絵本の挿絵などを描いている人らしい。
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たまたま代官山蔦屋書店を所用で訪れた際にこの本を目にし、ついついタイトルをメモってあとで買ってしまった。
それくらいインパクトのある装画だった。
元ロックミュージシャン、元映画監督
さて本書は、ミック・ジャクソンというイギリス人作家による短編集だ。
このミック・ジャクソン氏はなかなかおもしろい経歴の持ち主で、20代のころはロックバンドで活動し、そのあとはドキュメンタリーを中心に短編映画の脚本・監督をやり、30代後半になってから『穴掘り公爵』という作品でデビューしている。
本書の巻末にある「訳者あとがき」によれば、ジャクソン氏はわりと芸術家気質の硬派な作家のようで、人口に膾炙するために慮ることを良しとしない気質を持っているらしい。
要するに、読者を楽しませるために物語を演出したり、ニーズに合わせたりすることを嫌っているということだ。
ふわっとしてるけど、短編だから読みやすい
とはいえ、じゃあ本書に収録されている「10の物語(原題は『Ten Sorry Tales:10の哀れな物語』」が難解で読みにくいのかというと、そういうわけでもない。
翻訳者の手腕によるところも大きいと思うけれど、物語事態は非常にシンプルで、使われている表現や言葉はとてもわかりやすい。(短編だから、というのもあるだろう)
ただし!
本書はいわゆるエンターテイメント小説ではなく、どちらかというと「海外文学」とジャンル分けされるほうが正しい作品だ。
なので、「え? で?」という感じで、あまり読後感がスッキリしない作品もある。むしろ、そういう作品ばかりだ。
つまり起承転結があまりハッキリしておらず、「読者に解釈の余地を残した」ものであるということだ。
このモヤモヤ感はけっこう評価するのが難しい。
というのも、「心地よいモヤモヤ」と「不完全燃焼間だけが残るモヤモヤ」は個々人の好みに左右されるからだ。
私の場合、『10の奇妙な話』はわりと好きなモヤモヤ感だった。
以下、それぞれの話を簡単に紹介する。
「ピアース姉妹」
海辺の掘っ立て小屋に住んでいる中年過ぎの姉妹がある日、おぼれていた美しい男を助ける。だが、目が覚めた男は姉妹の醜い姿を見て逃げ出す。男を追いかけた姉妹は……
まずしょっぱな、この話から始めるあたり、「この本はこういう話がいろいろ入っているんですよ」という読者への警告のように思える。
物語は終始淡々と、スピーディに繰り広げられ、静かな狂気とともにソッと幕を閉じる。
「眠れる少年」
原因もわからずひたすら眠り続けてしまう少年。そしてそんな少年の身の回りの世話を続ける両親。やがて長い年月を経て、少年は久しぶりに目を覚ます……
「ピアース姉妹」に比べるとかなり単調な物語。ぶっちゃけると、うえのあらすじに書いた以上のことは何も起こらない。そしてそのまま、物語は終わる。
「地下をゆく舟」
定年を迎えてやることがなくなったモリスは自宅の地下室でひっそりボートを作り始める。苦労した末につくりあげたボートだが、完成したあと、入り口が小さくて外に運び出せないことに気づく。落胆するモリスだが……
こちらはこれまでの3作品のなかではもっとも起承転結がハッキリしている物語。しかもファンタジックで、いちおうハッピーエンドっぽい結末になっている。
「蝶の修理屋」
大人顔負けの教養を持つキャンベル少年は博物館で蝶の標本を見てショックを受ける。なんとか蝶たちをよみがえらせたいと考えた彼は、ある骨董品屋で『蝶の修理屋(レピドクター)の手術道具』を見つけて……
こちらもわりと起承転結がしっかりしているファンタジー形式の物語。ただし、結末はちょっぴりブラック。あと、若干ボリュームがある。
「隠者求む」
裕福な新郎新婦は新居の敷地内に洞窟を発見する。「洞窟には隠者が必要だ」という妻が、新聞広告でこの洞窟に住んでくれる隠者を求めたところ、薄汚れた男がやってきた洞窟に住み着くことになったのだが……
たぶんこの本のなかで一番カオスかつダークな物語。自業自得といえばそれまでなのだが、それにつけても後味は悪い。
「宇宙人にさわらわれた」
とある授業中、ひとりの少年が暇すぎて窓の外に見えた光を「火星人の宇宙船が着陸した」と紙に書いて渡したことから、子どもたちの大運動が巻き起こる。彼らは市役所に押しかけ、最近姿を見ないボーウェん先生がさらわれたと騒ぎ始め……
個人的には一番よくわからなかった話なんだけど、要するに集団パニックの様子を描いたものなんだろうか?
「骨集めの娘」
ギネスという名の少女はある日、丘の上で苛立ちからブーツのかかとで地面を蹴り上げると、興味本位から骨を見つける。それに見せられた彼女は骨集めを続け……
タイトルは興味深くてインパクトがあるが、これもよくわからん話だった。とにかく短い。あと冒頭が唐突。
「もはや跡形もなく」
ついひと言多い一人親の少年フィンは、やはりひと言多い母親と大喧嘩をし、家を飛び出して森に入る。森での生活にすっかり魅了されたフィンが数年暮らしていると、彼は森の中で一匹の犬に出会う……
とりとめもない物語で、全体的にそこはかとない寂寥感がただよう作品。犬についてはいろいろな解釈ができると思う。犬は犬だけど。
「川を渡る」
葬儀屋になることが運命付けられているかのように陰気なウッドラフ一家は、ある日、霊柩車でとある老人の遺体を運んでいるときに遺族とはぐれてしまう。やっとのことで目的の教会にたどり着いた彼らの前には、大きな川が流れていた……
この本のなかでもっともコメディ色が強い作品。陰鬱かつマジメなウッドラフ一家が、終始マジメにバカバカしいことをしているのが笑える。最後のオチも秀逸。
「ボタン泥棒」
年の割りにセルマは、ある日、牧場で馬のいたずらに遭い、お気に入りのコートのボタンを食べられてしまう。彼女はボタンを取り戻そうと、夜の牧場にもぐりこみ……
最後の物語。これはわりと王道のジュブナイルものみたいな感じで、最後も穂っこ利した気持ちで読み終えられる。まあ、つまらないといえないこともないが。
後記
キングダムハーツⅢをクリアしました。
いやあ、……うーん、どうなのかな、あれ。
もうけっこういろいろなところでいわれているけど、とにかく本筋の物語の進め方が「雑」すぎる。
私もKHシリーズをすべてプレイしているわけではないけれど、少なくとも終盤はなにをやっているのか半分くらいは理解できなかった。
むしろ制作しているスタッフ側もなにがどうなっているのかよくわかってないまま作っているんじゃないかとすら感じた。
主人公ソラの感情の起伏もやたら唐突だったりするし、そのくせバトルの展開はいろいろまどろっこしい。
これだったらもう逆に、FFシリーズだとよくあった、最後の最後に出てくるよくわからない謎の強大な敵みたいなものを突発的に登場させてそいつをラスボスにしちゃったほうがすっきりしたような気もする。
ただ、ゲーム自体は初心者でも楽しめるくらい簡単で、ディズニー映画の世界を自由に歩きまわれるという楽しさはある。
もうキングダムハーツシリーズは、これから出ても買わないかもしれないけど。
この感覚が、私がオッサンになってしまったことによる感覚の古さからくるものなのかは判断がつきかねるが。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。