本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

サングラスをかけてない人はこんなに損している

海外旅行に行くと人生観が変わる、というのはよく聞く話だ。しかし海外旅行に行ったことがなかった私は、そんな与太話を鼻で笑ってあしらっていた。

しかし私は先月、ついに、いよいよ海を越えた。向かった先はアメリカ合衆国でありながら日系人がやたら多く、アロハマハロなど現地の独自な言葉が飛び交う摩訶不思議な島・ハワイである。お店の人に「ハロー」と話しかけると、「いらっしゃいませー」と返されてちょっとこっ恥ずかしくなる(かと思うと日本語が一切通じない店もあったりする)

 

結論を端的に述べると、私の人生観は変わった。過去の自分にアッパーカットを食らわし、すぐに逆四の字固めをお見舞いしてやりたい。そこで今回は、私が初めて海外に行ったことが変わったことを説明したい。今日は本も映画も、百人一首もナシだ。

 

私は何が変わったのか? サングラスである。表にするとこうだ。

 

【表1】

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これだけだと意味がわからないと思うので、以下、順次説明していこう。

 

まず、従来の私は海外旅行と同じように、サングラスを忌避していた。あれは佃島あたりで小さい犬を散歩させているセレブな奧さんとか、チェーンをジャラジャラさせたやたら髪の長いシンガーとか、金髪マッチョで特に意味もなく渋谷や六本木をぶらぶらしているちょっと怖めのお兄さんなど、極々限られた人だけが日常生活でつけられるスーパースペシャルなアイテムだと思っていたのだ。普段の私だったら、本気で殺しにかかってきた太陽が照りつけていても、サングラスをかけようとはみじんも思わなかっただろう。

 

しかしご存じの通り、欧米人は猫も杓子もサングラスをかけている。奨学生くらいの子どもだってサングラスをかけている。つまり、日本だと恥ずかしくてかけられないサングラスも、海外だったらほかの外国人に混じって、しれっとかけられちゃう。これを専門的には「海外では日本人とサングラスとの親和性が高くなる」などと表現する。

 

サングラスのなにがすごいのか?

 

ここで私がzoffで買った5000円のサングラスを旅行2日目でなくし(たぶんダイヤモンドヘッド登頂中に落とした)、奧さんにしこたま怒られたことは脇に置いておくが、とにかくサングラスは最高だった。何が最高かというと、まぶしくないのである。多くの人がわかっているようでわかっていないことだと思うが、じつはサングラスをかけると、直射日光の照りつける屋外に出てもまぶしさを感じにくくなるのだ。

 

【表2】

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もっとすごいのは、サングラスをかけても、視認性は損なわれないという点だ。真っ黒なサングラスをかけると視界が真っ黒になって何も見えなくなるんじゃないかと心配する人も少なくないと思うが、そんなことはない。どんなに色が黒くても、ペカペカ光が反射しても、ちゃんとジャンケンで相手が出した手がパーなのかチョキなのかを見分けられる。

私が現地で新たに購入したのは、ABCマーケットという、ハワイに行った日本人なら平均1日3回くらいのペースで利用するコンビニで買った20ドルくらいの安物だが、これがレイバンとかだったら、さらに何かがもっと最高すぎるはずだ。

 

【表3】

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というわけで、私は最近、日本にいるときでも外出するときはシレッとサングラスをかけるようになった。明らかにハワイよりも日差しは厳しくないし、電車に乗ったり屋根のあるところを通ったりしてそんなに必要性は感じないのだが、サングラスというやつは一度かけるとヤミツキになる中毒性があるのかもしれない。お店に入るときはスッと外してポロシャツやTシャツの袖口にかけるスタイルをまさか自分がするとは思わなかった。

 

【表4】

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サングラスをかけることの真の意義

 

だが、ここまでの内容は序の口に過ぎない。私はしばらく意味もなくサングラスをかける生活を続け、上のメリットをすべて超越するような、サングラスの最高すぎる効用に気がついた。それは「目の前の相手に目線を悟らせない」ということである。

 

このくらいの時期なると誰しも経験することが、電車内や街中にはなかなか刺激的な格好をした、若くて可愛い女の子がいる。その場合、中学生以上の健全な男子諸氏は、生まれながらに備え付けている「見ずして見る」という技術を駆使し、さながら剣豪・宮本武蔵が好敵手を前に打ち込むそぶりを見せずに打ち込むような心境になると思うのだが、残念ながらそうした高等テクニックはとっくの昔に女性たちに見抜かれていて、見知らぬ女の子から「きめえ」と思われているのもまた周知の通りだ。また、ひとりのときならともかく、奧さんや恋人などと一緒にいれば、あたかもそんな女性などその場には存在しないかのように振る舞うことが求められる。

 

こんなとき、サングラスをしているとガッツリ見れる。裸眼だとまぶしすぎて直視できない胸元や太腿も、サングラスという武器を装備することでへっちゃらになるのだ。ただしもちろん、いくらサングラスをかけても真っ正面から見つめるのはまずいので、あくまでも視線は中空に泳がせつつ、ちょっと眼球をひねって脇目にするのがこつだ。これぞ、サングラスの知られざる真の効用である。

 

【表5】

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サングラスの精神的効用を計算する

 

見知らぬ女の子の胸元や足を見ることで得られる精神的な充足感(E)は、基本的に距離(M)と時間(T)の商によって表現される。(もっとキチンと計測しようとすると、対象の女の子のスペックや同行者の有無などの外部要因が影響するが、それはまた別の複雑な計算式を用いなければならないので、ここでは割愛する)

 

E=T/M

 

ただし、ここで忘れてはならないのが羞恥心(S)である。羞恥心が大きければ大きいほど、対象から目をそらしてしまうので、それだけTは減少してしまう。

 

E=(T-S)/M

 

サングラス(G)をかけるとこの羞恥心を劇的に減らし、かえってTを増大させる効果を持っている。つまりこうだ。

 

E=(T-S+G)/M

(たいていS<G)

 

ここで例を考えてみよう。5メートル先にいる女の子の大きく開いた胸元を30秒眺めるケースで、私の羞恥心(S)が15だとすると、サングラスをかけない場合、私の精神的な充足感Eは次のようになる。

 

E = (30-15)/5 = 3

 

もし、ここで私がそこそこ性能がいい(Gの値は色の濃さ(Gc)と肌との隙間の大きさ(Gs)によって計算される。紫外線をどのくらいカットするかは関係ない)サングラス(G=20)をかけたとすると、次のようになる。

 

E = (30-15)+20/5 = 7

 

おわかりのように、サングラスをかけただけで私の精神的充足感は2倍以上の伸びを見せた。もし、ひと夏でこうした場面が30回繰り返されるとしたら、Eの差は計120になり、10年で1200にも達する。Eの多寡はストレスやモチベーション、集中力に影響を与えると考えられるから、サングラスをかけていれば得られるはずだった分だけ、私は仕事や日常生活で機会損失をこうむっていたことになる。これは非常に深刻な問題だ。

 

【表6】

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これですべてが明らかになった。サングラスをかけることで羞恥心は中和され、これまで逸していた精神的な充足感を得ることができる。私は海外旅行に行くことでこれに気づき、大きく人生観を変えることができた。海外旅行しゅごい。

 

結論:

海外に行こう。サングラスをかけよう

 

 

 

P.S.

色ばかりが濃くて紫外線カット効果のないサングラスをかけると、かえって紫外線が目の奥まで入ってしまうリスクがあるらしいので、できたらちゃんとスペックを見てそれなりの値段がするサングラスを買ったほうがいいと思う。

 

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今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。