『ハーモニー』のレビュー~「ほどほど」が大事なのよ、「ほどほど」が~
今度の土曜日(もう明日だ)に映画を見に行くので、急いで読み切った。
もくじ
なぜ急いだのかというと、この前読んだ『屍者の帝国』が思いのほか読みづらく、けっこう時間がかかったからだ。だから、『ハーモニー』も同じくらい時間がかかるだろうと予想して、意識的に急いで読んだのである。
『ハーモニー』は読みやすかった
しかし、それは私の杞憂であった。そのときの集中の度合いにもよるだろうが、個人的にはほかの2作品に比べて『ハーモニー』は格段に読みやすかったのだ。思うに、『屍者の帝国』は明らかに登場人物が多すぎた。しかも、歴史が絡んでくるので、世界史・日本史の知識がそれなりにないとスムーズに読み進められないのだ。
それに対し、『ハーモニー』は必要最小限度の登場人物によって織りなされた物語だったので、理解が容易だったのかもしれない。あと、やはり日本人が主人公というのも大きいかも。ガイジンさんの名前は憶えづらいのじゃよ……。『屍者の帝国』のレビューはコチラから。
ちなみに、ほんとうはAmazonで買おうと思ったのだが、ちょうど注文が集中していたのか、思いのほか届くのに時間がかかってしまうようだったので、近所の書店で購入した。
『ハーモニー』のあらすじと感想
まずはあらすじを紹介しよう。
21世紀後半、〈大災禍(ザ・メイルストロム)〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。生府が支配するその社会において、貴重なリソース(資源)である人々の健康は肉体に埋め込まれたメディケアによる管理が徹底され、風邪を引くことも頭痛になることもない。薬物やたばこ、アルコールはもちろん、カフェインの摂取でさえ眉を顰められるような社会だった。
そこに暮らしていた3人の少女、トァン、ミァハ、キアンはそんな世界に反発し、女子高生時代に自殺を図る。だが、自殺に成功したのは言い出しっぺのミァハのみ。その後、トァンはWHOの職員となり、紛争地帯で酒やたばこに明け暮れていた。
だがある日、世界を震撼させる事件が起こる。世界で同時に数百人もの人々が自殺を図ったのだ。しかも、その背後には死んだはずの友人・ミァハの影がちらつく。トァンは自ら志願し、この事件の真相を探り始めたのだった。
端的に感想を述べれば、「おもしろかった」。はっきりいってストーリー展開はワンパターンだが、作品ごとに掲げているテーマとそのテーマに対する掘り下げ具合がものすごいので、そこでぐいぐい引き込まれる。本作のテーマを一言で言えば「意識」だろう。つまり、文明が究極的に進めば、個々人の独立した意識は果たして必要なのか、という問いかけである。ただし、読後感の悪さは伊藤氏の著書の中でも一番ひどい。
ディストピアとユートピア
SFのジャンルのひとつに「ディストピア」というものがある。自然災害や核戦争、病気などによって人類が壊滅的な被害を受け、文明が衰退したりしたり、差別・言論弾圧・格差が蔓延している社会を舞台にしたものだ。たとえば『北斗の拳』も、ディストピア作品のひとつである。
それに対し、本作は皮肉を込めて「ユートピア小説」とも呼べるものである。たしかに生府という権力によって人々は管理こそされているが、そこには善意しかない。病気もケガもしない人々はつねに安心して幸せに暮らすことができる社会だ。誰もが周りの人を気遣い、社会倫理を大切にしている。だが、本作の紹介文でもあるように「ユートピアの臨界点」はある意味でディストピアと同義となる。
この社会では不健康になる自由や自殺する自由はない。人間は貴重なリソースなのだから、他人はもちろん、自分の体を損なうこともできないわけだ。だからこそなのか、この社会では若者の自殺が増加していた。問題は、それに対して生府が「人類の完全なる調和」――すなわちハーモニーを奏でることは可能なのかということを探求してしまったことだろう。
ハーモニーが意味するもの
あまり語りすぎるとネタバレになってしまうが、究極的に文明が発達し、人間が「賢く」なっていくと、だんだん「自己」と「他者」の境界線が曖昧になってくる。そのせいか、この小説の世界では「プライベート」という言葉がすごくエロいことを指すものに変質している。すべての人はテクノロジーを通じて個人情報をオープンにするのが当たり前なので、そもそも「プライベート」と「オフィシャル」という区分がなくなってしまったのだ。人類の完全なる調和は、それをさらに推進することである。
一番分かりやすい例を挙げれば、『新世紀エヴァンゲリオン』の「人類補完計画」だ。結局、個々人の自由意志があるから争いが起こるし、世界は壊滅の危機に瀕した。利己と利他が同じ意味を持つようになれば、人類は完璧なハーモニーを奏でることができる。こんな例えも作中にあった。アレクサンドル・デュマ作『三銃士』の名台詞、「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」である。
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ぶっちゃけ、こうした筋書きはよくある話だが、本作の場合、「意識の統合」ではないところがポイントだ。みんなの意識をひとつにしようとするのではなく、意識そのものを手放そうということである。ここら辺のくわしい話は、本書を読んでいただきたい。
人間の矛盾した感情
じつは同時進行で、私はこの本も読んでいた。
かなり売れた本なので読んだ人も多いかもしれないが、内容を簡単に紹介すると、絶えず脳内で続いている思考や感情の起伏に左右されずに生きる方法を仏教的な考え方とともに伝える一冊である。世の人々が苦しんでいるのは怒りや嫉妬、不安、恐怖といった感情に加え、刺激を求めすぎていることだと述べている。
タイミング的に仕方ないが、どうしても小池氏の主張と『ハーモニー』の中の世界を重ね合わせてしまう。そう、つまり人類の補完とか完全なる調和というのは、みんな仏教徒になって悟りを開いた状態に近いのかもしれない。人類総仏陀化である。しかし、それこそものすごいテクノロジーでも開発されない限り、個人の努力で悟りを開くことは難しいから、こういう本が読まれているのだろう。
日常的にはこういう本で「感情を制御すること」を希求しながら、SFの世界で「全員の感情が制御された世界」を見ると嫌悪感を覚えるのは、どうにも矛盾した感情に見える。結局、人間はないものばかりをねだるものなのかもしれない。
なにごともほどほどにね
とはいえ、そうした状況を解決するための便利な考え方が、すでに『ハーモニー』で提示されている。アフリカで暮らすケウ・タマシュクの戦士たちの言葉だ。
「そう、あなた方は程々ということを知らない」
「あなたたちは奇妙な種族だ。程々がいいという連中がそれだけいるのに、なぜ自分で自分を極端な禁則に縛りつける……」
そもそも私は、伊藤氏が本作によって伝えたかったのはこのことだったのではないかとすら考えている。感情の赴くままにしておくのもよろしくないが、すべての感情を抑圧するのも気味が悪い。極論から極論に走ろうとするから矛盾が生じてしまうわけだ。なにごともほどほどを目指しておけば、そう悪いことにはならないだろう。問題は、その「ほどほど」には明確な定義がつけられない、というところだが。
おわりに
『屍者の帝国』はホモホモしい映画だったが、うわさによると『ハーモニー』はレズレズしい映画らしい。たしかに、原作ではパイ揉みシーンがあったので、私もいまからwktkしている。ホモを見ているよりレズを見ているほうが眼福になる。映画の感想はそのうち書くかもしれないし、書かないかもしれない。すべては私の心次第だ。
それでは、お粗末さまでした。