本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『「学力」の経済学』のレビュー~いい本にはパッションがある~

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私はエントリーを書くとき、とりあえずぼんやりとタイトルを決めてから本文を書き始める。

もくじ

パッションフルーツの名前の由来

だし、最終的に本文を書き終えてからタイトルを直すことが多々あるので,現時点ではこのエントリーのタイトルがどういうものになっているかわからない。少なくともいまは「いい本にはパッションがある~『「学力」の経済学』のレビュー~」というタイトルになっている。

なんでこんな話をしたかというと、とりあえずタイトルで「パッション」という言葉を入れた後、「そういえばなんでパッションフルーツパッションフルーツという名前なのだろうか?」という疑問がふと浮かんだからである。調べてみると、この「パッション」は情熱ではなく、「キリストの受難」を意味しているようだ。このフルーツとキリストの受難になんの関係があるのかというと、これは結構入り組んだ面倒くさい話になる。ので、それについては以下のブログ記事を参照していただきたい。ちなみに、パッションフルーツは日本語ではクダモノトケイソウという名前である。

パッションフルーツの「パッション」はキリストの受難: 極東ブログ

しかし、改めてパッションフルーツの写真を見てみると、なんとも気持ち悪くてゲロ……失礼、酔っぱらいの吐しゃ物みたいな食べ物だ。かといって味もすごくおいしいわけでもない。なんか変にすっぱいだけで、マンゴーほど市民権を得ていないのもうなづける話である。

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『「学力」の経済学』の概要

回のテーマはパッションフルーツとは一切関係ないので、パッションフルーツのことは忘れていただいて構わない。今回読んだのはこちらの本だ。

「学力」の経済学

「学力」の経済学

 

内容を簡単に説明すると、世の中に蔓延している「個人の主観だけで判断された、間違った教育手法」に疑問を投げつけ、あくまで統計的に効果があると判断された学力向上方法を紹介していく内容である。

著者の中室牧子氏は慶應義塾大学で「教育経済学」を教えている准教授だ。慶応大学を卒業後、日銀や世界銀行で働いたこともある、超エリート。ただし、本書の冒頭でも語られている通り、中室氏ご本人は子どもがおらず、子育ての経験がない。そんな自分でも、統計調査に基づくエビデンスさえあれば、正しい子どもの教育方法を伝えられる、というわけである。

ということで、本書ではおもに海外で行われた実験の数値を引き合いに出しながら、あくまでデータに基づいて子どもの学力を上げる手法を紹介している。なかには教育を投資の一つと考えてリスクやリターンなども考慮し、まさに子どもをリソース(資源)と捉えてその資源の効率的な運用法を考えている姿勢で書かれた部分もある。そのため、一部の感受性豊かな人には非常に人間味を欠いた、冷徹な感じも受けるだろう。

また、そうした感情論を抜きにしても、当然ながら本書で紹介されている教育方法が絶対的に正しいわけではない。統計の結果はあくまで世の中の「大多数」に効果があった方法であり、一人ひとりスペックの異なるすべての子どもに当てはまるわけではないのだ。

本書の魅力は統計的な裏づけではない

てこの本、よく売れているのは紛れもない事実である。発売されたのは2015年の6月だが、私の手元にある本は8月時点ですでに6刷りとなっている。羨ましい。Amazonのレビューや読書メーターの感想を見ても、おおむね評価が高い。

ここからは本書が売れている理由に対する考察だが、はっきりいって、一般の人々に対しては統計データを羅列することは必ずしも売れ行きにつながらない。グラフや表をいっぱいだしても、それをほとんど確認せずに読み進める人だって多いだろう。かくいう徒花も、本書で紹介されている図版はオマケに見る程度で、基本的には本文だけを読み進めていた。

じゃあなにが本書の魅力なのかといえば、それはこの本の本文からあふれだす著者のパッションだろう。この本、一見すると「こうするのが正しい子どもの教育法だ!」と読者に答えを提示しているが、よくよく読んでみると著者が本当に訴えたいのはそこではない。著者が本書を通じて切実に訴えているのは「日本の教育現場にエビデンスベースを導入せよ」ということである。

本書で取り上げられている統計データは、既に述べたように、ほとんど外国、とくにアメリカで行われたものだ。なぜなら、日本の教育現場では統計学的に価値のある実証実験がほとんど行われていないからだ。そのため、批判を浴びた「ゆとり教育」や少人数学級など、はたしてこれらの教育政策が実際にどのような効果(プラスもマイナスも含めて)をもたらしたのかが判然としない。著者の中室氏は、自らも大学で教鞭を執る身としても、そこを激しく糾弾しているのである。

その本に「パッション」はあるか?

はこのブログを通じてたびたび伝えているが、良い本というのは読者(および社会)に「答え」を与えるものではなく、むしろ「問い」を与えるものである。もしもこの本がアメリカで導き出された統計データを元に「こういう風に子どもを育てなさい」と親に指南するだけのハウツー本だったら、これほど売れなかっただろう。

しかし、本書では著者が(この本を通じて)どうしても多くの人に伝えたい」という強い思いが込められていた。だから著者は、日本の教育現場でこれからどのような政策を採用するのが望ましいのか、エビデンスがないからわからないし、これから探っていかなければならないと述べている。そしてそのためには、教育関係者のみならず、ひとりでも多くの日本人が主観的な経験ではなく、客観的なエビデンスを重視するようになることが大切だと訴えているのだ。こうした問いを投げかけているからこそ本書は売れているのだと思うし、私はこの本はとても「良い本」だと思う

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私は編集者として著者を探すとき、もちろん文章能力や経歴などを重視しているが、同時にその人に強い「パッション」があるかを探っている。本というのは結局のところ、自分の考えを伝えるメディア(媒体)なのだから、その書き手に「どうしてもこのことを伝えたい!」という思いがないと、いいものができない。以下のエントリーで「おもしろい人がいない」とちょっと刺激的なことを書いたりしたが、実際、1冊の本にまとめられるほど強いパッションを持っている人はなかなかいないのだ。

短絡的な答えばかりを追い求める人々

はいうものの、世の中の多くの人は短絡的に「答え」だけを追い求めている。自分で解決策を考えるのは面倒くさいから、誰かが苦労して考えた末に生み出した「正しい答え」だけをほしがっているのだ。そして、それに賛同したり、反対したりしている。

だからこそ、本書のカバーの帯文のところでも「ゲームは子どもに悪影響?」「ご褒美で釣るのはいけない?」など、あたかも本書にその「答え」が書かれているような煽り文が書かれている。この煽り文を考えた編集者は、本書の核心がほんとうはそこではないことを重々承知しつつ、大衆が短絡的な答えを追い求めていることを理解しているからこそ、こうした文言で人々の興味を惹こうとしてるのである。

おわりに

の中には、パッションがまったく感じられない薄っぺらい本があふれている。だが、やはりロングセラーを続ける本には、著者の「伝えたい」という思いが込められているのだ。そこに私は希望を見出している。さて、次の本を読もう。

ここからはまったくもって余談だが、これを買ってしまったので、この3連休はひたすらこれのマルチプレイに励んでいた。最大20vs20人で大乱戦ができるのだ。

Star Warsバトルフロント
 

しかし、FPSってこれまでほとんどやったことがないので、とにかくエイムができない! フィールドで敵と鉢合わせしてもだいたい打ち負けてしまう……。聞くと、こればかりは練習あるのみらしいので、来るべき反乱軍との戦いに備えて、しばらく私は射撃の訓練をしようと思う。

 

それでは、お粗末さまでした。