本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『読書について』(ショーペンハウアー著)のレビュー

f:id:Ada_bana:20210103001412j:plain


「読書術」をテーマにした本は実用書の鉄板ジャンルの1つで、その多くは「読書はいいものだ」と読書を全肯定しています。

読書術の本を手に取る人は普段から読書習慣があるわけですから、「読書する人はそうじゃない人よりすごい人なんだよ」と言ってもらえれば、それだけでちょっとだけ自己肯定感を高めてもらえるわけですね。

 

本を読む人だけが手にするもの

本を読む人だけが手にするもの

  • 作者:藤原 和博
  • 発売日: 2015/09/29
  • メディア: 単行本
 

 

読書する人だけがたどり着ける場所 (SB新書)

読書する人だけがたどり着ける場所 (SB新書)

 

 

とくに現代はスマホの普及により、ちょっとした空き時間があれば大抵の人はスマホをいじってSNSを見たり、ゲームに興じたりしています。

暇な時間の過ごし方の選択肢が増えたことで、以前よりも「本を読む習慣がある人」と「本を読む習慣がない人」が明確に区別されるようになってきたのです。

そうした前提から「収入が高い人はたくさん本を読む」だの「頭がいい子どもは本をたくさん読む」だのといった主張がされ、読書を肯定する本が次々に生まれるわけです。

 

さて、1851年にドイツで出版されたこの本は、タイトルだけを見るとそうした現代の日本の読書本と同じように読書を全肯定し、読書の技法を教えてくれる本に見えます。 

 

しかし、じつはこの本、むしろ「本を読みすぎることの危険性」について主張しているのです。

 

読書は、読み手の精神に、その瞬間の傾向や気分にまったくなじまない異質な思想を押しつける。ちょうど印章が封蝋に刻印されるように。読み手の精神は徹底的に外からの圧迫をこうむり、あれやこれやを考えねばならない――いまのところ、まったくその気がなく、そんなムードでもないのに。(中略)

重圧を与え続けると、バネの弾力がなくなるように、多読に走ると、精神のしなやかさが奪われる。自分の考えを持ちたくなければ、その絶対確実な方法は、一分でも空き時間ができたら、すぐさま本を手に取ることだ。これを実践すると、生まれながら凡庸で単純な多くの人間は、博識が仇となってますます精神のひらめきを失い、またあれこれ書き散らすと、ことごとく失敗するはめになる。

 

ショーペンハウアーは哲学者ですが、哲学者らしく、大切なのは「自分で考えることである」という主張が繰り返しされています。

読書というのは他者の思考をなぞるだけのものであり、それはあまり自分の頭を働かせる行為ではない。

だから、本を読んでばっかりいると、自分で考える力が損なわれてしまうというのが、彼の主張なのです。

 

読書は自分で考えることの代わりにしかならない。自分の思索の手綱を他人にゆだねることだ。おまけに多くの書物は、いかに多くの誤った道があり、道に迷うと、いかにひどい目にあうか教えてくれるだけだ。けれども創造的精神に導かれる者、すなわちみずから自発的に考える者は、正しき道を見出す羅針盤をもっている。だから読書は、自分の思索の泉がこんこんと湧き出てこない場合のみ行うべきで、これはきわめてすぐれた頭脳の持ち主にも、しばしば見受けられる。これに対して根源的な力となる自分の思想を追い払って本を手にするのは、神聖なる精神への冒瀆にひとしい。そういう人は広々とした大自然から逃げ出して、植物標本に見入ったり、銅版画の美しい風景をながめたりする人に似ている。

 

このような引用文を読んでもらえればわかると思いますが、ショーペンハウアーはけっこう辛辣に読書ばっかりしている人間を批判しているので、「読書は無条件に善!」と考えていると、フライパンで頭を殴られるような衝撃があるかもしれません。

 

そしてもう一つ、本書では「良書と悪書」についても述べられています。

これは編集者として現在の日本の出版に携わっている私にとってはなかなか心苦しさを感じるところでもあります。

 

まず物書きには二種類ある。テーマがあるから書くタイプと、書くために書くタイプだ。第一のタイプは思想や経験があり、それらは伝えるに値するものだと考えている。

第二のタイプはお金が要るので、お金のために書く。できるかぎり長々と考えをつむぎだし、裏づけのない、ピントはずれの、わざとらしい、ふらふら不安定な考えをくだくだしく書き、またたいてい、ありもしないものをあるように見せかけるために、ぼかしを好み、文章にきっぱりした明快さが欠けることから、それがわかる。ただ紙を埋めるために書いているのが、すぐばれる。(中略)

それに気づいたら、ただちにその本を投げ捨てなさい。なにしろ時間は貴重だ。要するに、書き手が紙を埋めるために書くなら、その時点でただちに、その書き手は読者をあざむいていることになる。つまり、書くのは伝えることがあるからだと偽っている。

 

この部分なんかを読むと、まさに現代の日本の出版業界のことを言っているのではないか……と思ってしまいます。

残念ながらショーペンハウアー先生のいうように、世の中には「そんなに出す必要のない本」「そんなに読む必要のない本」であふれています。

そして著者も編集者も、そのことを理解していながらも、お金を稼ぐためにせっせとそうした本を作り続けているのが現状です。

私も、そうした行為に加担している人間のひとりなのです。

 

本は何でもいいからたくさん読めばいいというものではありません。

そういうクソみたいな本を100冊読むよりも、いい本を一冊読んだほうがよほどためになりますし、時間が有用に使えます。

 

しかし問題は、そうした「いい本」を見分けるのは、至難の業であるということです。

売れている本がいい本とは限りません。

Amazonで高評価がついていて、たくさん売れていても、中身が薄っぺらいクソみたいな本もあります。

(そういう本を「なぜいま、この本が売れているのか」を分析するために読むのは有用かもしれません。私はそのような視点で読んでいます)

 

また、分厚くて難しそうな本だからといって「いい本」とは限りません。

回りくどくて難解な文章はなんだか高尚な感じもしますが、じつは内容が紆余曲折していたりしていて、あまり内容がないこともあります。

たとえば今回紹介しているショーペンハウアーの『読書について』は間違いなく良書ですが、本文は160ページ程度で終わっていて、たいへん簡潔に書かれています。

 

……と、ここまで書いていてなんですが、このショーペンハウアー先生の主張も、鵜呑みにしてはいけません。

これは私がたびたび主張していることですし、ショーペンハウアー先生もいっていることですが、本の内容を「なるほど!」とまるごと信じて鵜呑みにしてしまうことほど危険なことはないのです。

いかなる本でも、「ホンマかいな」と心の片隅に疑う姿勢を持ち続けなければなりません。

 

さて、古典を読む場合、著者がその本を書くに至った経緯のようなものを把握しておくと、なぜその著者がその本を書いたのか、その動機がわかることがあります。

本書の場合、解説によってショーペンハウアーの生涯がカンタンに説明されています。

そこに、なぜ彼が『読書』というテーマについて本を書いたかの動機が伺い知れる事実があるので、説明していきましょう。

 

ショーペンハウアーは商人の父と小説家で旅行記なども執筆しベストセラー作家であった母親の間に生まれます。

最初は父の意向にしたがって商人になったショーペンハウアーですが、やはり哲学の道を志して哲学書を刊行するも、まったく売れませんでした。

ここであったのが、母親との確執です。

流行作家だった母は自分の息子をライバル視するようになっていた。本になったばかりの博士論文『充足理由律の四根について』を息子から手渡された母は、「薬屋さん向けの本じゃないの?」とからかう。当時、薬屋では主として薬草を扱っていたので、薬草の根っこの話かとあてこすったのである。息子がカッとなって「お母さんの本がこの世から消え去っても、ぼくの本は読み継がれます」と言い返すと、母は「お前の本は初版がそっくりそのまま売れ残るのよ」と負けずに切り返したという。こうして母と息子の関係は決定的破局をむかえ、一八一四年ショーペンハウアーはヴァイマールを去り、ドレスデンへ向かう。以後、母と息子は生涯二度と顔を合わせなかった。この母にして、この息子ありというべきか、ショーペンハウアーの才気や激しい気性は母親ゆずりとも言われている。

 

良書と悪書の部分についてなどは、おそらくは流行作家で軽薄な内容の本を出していた母親の本を意識した部分もあるかもしれませんし、母親のような人が書いた本をいくら読んでもタメにならない……という意図もあったかもしれません。

ちなみに、実際にその後、ショーペンハウアーが出した力作『意志と表象としての世界』は100冊くらいしか売れなかったらしいので、母親の予言は当たったわけですが、一方でショーペンハウアーが言った「自分の本は読み継がれます」という言葉も当たったわけですね。

ただし、ショーペンハウアーの作品がいまも読みつがれているのは、哲学書よりも、本書のようなエッセーで、これは晩年になってから出版されてベストセラーになり、これにより、彼は有名人になったのです。

 

もうひとつ、知っておきたいのは当時のドイツ社会の文化の様子です。

一九世紀半ば、長く保たれてきた真・美・善の統一的美的価値観は危殆に瀕していた。都市化や工業化の波、プロレタリアートの台頭とともに、貧困や犯罪などの社会問題が発生し、通俗犯罪小説、ホラー作品が愛好され、大衆の刺激的快感を求める嗜好はどんどんエスカレートしてゆく。大衆はより強烈なもの、よりグロテスクなものを求め、そのために大衆の感覚はますます鈍磨してゆく。浮薄なもの、どぎついものが幅をきかせ、大衆文化の全面に「卑俗なもの」「醜悪なもの」が押し出され、こうして美と崇高の概念はかつてないほど凋落する。

いまもたまに「日本語の乱れ」という言い方がされますが、ショーペンハウアーも当時のドイツ語が乱れ、文法がメチャクチャな本が増えていることを痛烈に批判しています(このあたりのことにもけっこう紙面が割かれていますが、日本人は読み飛ばしてもいいでしょう)。

なので、本を読みすぎることの害については、現代でも果たして当てはまるのか、あるいは文芸と実用書で変わるものなのかは、それこそ個々人が考えて判断する必要があるでしょう。

 

後記

『十三機兵防衛圏』をようやくプレイ&クリアしました。

 

十三機兵防衛圏 - PS4

十三機兵防衛圏 - PS4

  • 発売日: 2019/11/28
  • メディア: Video Game
 

 

発売されたのは2019年で、『オーディンスフィア』『朧村正』をつくったアトラス&ヴァニラウェアだったので期待していたのですが「そうはいっても半年くらいたてばメルカリで中古品が安く手に入るやろ」と思っていた私が浅はかでした。

このゲーム、半年たっても1年たってもまったく値崩れを起こさず、恐るべきことにメルカリでも定価と同じくらいの値段で取引されていたのです。

いい加減にやりたくなってきたので、結局新品で買いました。

 

このゲームは架空の街に暮らす13人の少年少女を操作しながら、何処からともなく襲来する謎の怪獣を倒し、街を防衛するもの。

1940年代から1980年代、さらに2020年代など、いくつかの時代区分に分かれて、13人の主人公たちが交錯していくのですが、いかんせん物語設定や時系列がバラバラに進むので、かなりプレイヤーは混乱します。

私もたぶん、なにがどうなってそうなったのか、おそらく半分くらいしか理解できないままクリアしましたが、問題ありません。

すべてを理解する必要はないのです。

なぜなら、じつはそこにあまり意味などないからです。

捉えようによっては「なんじゃそら!」という壮大なモニョモニョラストですが、これはこれでアリだと思います。

 

それより私としては、アクションシーンが物足りなく感じました。

せっかく機兵のデザインがかっこいいのに、怪獣とのバトルフェイズではドット絵のようなものだけで表現されていて、めちゃくちゃ味気ないのです。

もちろん、すべてのグラフィックをリアルにする必要はないと思うし、バトルシステム自体はおもしろかったのですが、せめて技を出すときは搭乗者あるいは機兵のカットインイラストを入れるとか、そういう演出はあってもよかったんじゃないかなと……。

総じて判断すると、いいゲームだけど、絶賛できるほどではないかなという感じでした。

いま、Amazonの初売りで安くなっているみたいです。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。

年末年始はコレを読んどけアワード2020 ~小説・人文・ビジネス・実用~

f:id:Ada_bana:20201230230957j:plain


今年は新型コロナの影響で私の仕事も在宅になったりして、わりと本を読む時間が増えました。

2020年12月7日時点で、今年読んだ本は259冊。最多は5月で、41冊も読んでいました。

なかにはマンガも含まれるのですが、今年も年末年始のお休みのときにぜひ読んでいただきたい本を10冊ご紹介していきます。

では始めましょう。

 

もくじ

 

1.『書くことについて』(スティーブン・キング/小学館

書くことについて (小学館文庫)

書くことについて (小学館文庫)

 

 

現代を代表するベストセラー作家のひとり、スティーブン・キングが「小説家になる方法」をあけすけに語った自伝的な一冊です。

もしも小説家になりたい、という方がいれば、この本は一度は読んでおくべきでしょう。

そもそも小説とはなんなのか、人々から支持される小説とはどんなものかということがすっごくわかりやすく語られています。

大事なのは「わかりやすさ」です。難しい言葉を使わない。文章は短くする。そういう基本的なルールを守りましょう。

今回はあえて選びませんでしたが、こちらの『ベストセラーコード』もたいへん参考になります。

こちらはアルゴリズムを駆使して、売れている小説によく使われているテーマや単語などを分析した一冊です。アメリカの小説ばかりなので直接的な参考にはならないかもしれませんが、じつは結論はキングの『書くことについて』と似ています。

また、小説家を目指すということであれば、森博嗣さんの新書もなかなか刺激的でおもしろいので一読の価値があります。小説家になるに当たって、「役に立つか」どうかはわかりませんが。

 

2.『PIXAR 世界一のアニメション企業の今まで語られなかったお金の話』(ローレンス・レビー/文響社

 

世界を代表するアニメーション制作会社「PIXARピクサー)」の元財務責任者が、どんな紆余曲折を経て現在のピクサーが誕生したのかを語るビジネス書です。

とにかくレビーさんがいろいろたいへんな目にあうので、読んでいると否が応でも著者に感情移入してしまいます。基本的に自分勝手でわがままなスティーブ・ジョブズと、クリエイター陣との軋轢に悩まされ、最後の最後まで裏方に徹してがんばります。

あの『トイ・ストーリー』がどれだけの苦労を経て、世に生み出されてたのか。へたなフィクションよりぜんぜんおもしろい物語です。

こうしたビジネス系の物語はちょこちょこおもしろいものがあります。今年読んだものののなかでは、『コンテナ物語』や『NETFLIX コンテンツ帝国の野望』もまあまあおもしろかったですね。

 

3.『ぼぎわんが、来る』(澤村伊智/KADOKAWA

 

ド直球のホラー小説です。死ぬほど怖いです。一人暮らしの人は読まないほうがいいでしょう。マジで怖いので。ひたすら怖いです。それ以上の説明は不要でしょう。

「怖い」について知りたい人は、こちらも読んでみましょう。

 

4.『13歳からのアート思考』(末永幸歩/ダイヤモンド社

 

美術には興味がない人でも、これはぜひ一度は読んでほしい一冊です。

世間評価されている「名画」には、名画と言われるだけの理由があります。それを子どもでもわかるように、非常に論理的に、明快に解説してくれる本です。

ピカソはなにがすごいといわれているのか、なぜ現代芸術は絵の具を塗りたくっただけのようなものが評価されたりするのか、その意味がよくわかります。

もう一冊、どちらを選ぼうかすっごく悩んだのが、こちらの『絵を見る技術』です。

この本もめちゃくちゃおもしろいです。

名画が名画たる所以を説明してくれるのは『13歳からのアート思考』と同じなのですが、 これはどちらかというと古典的名画の美しさを理路整然と解説している本なので、ちょっととっつきにくいかもしれません。しかしこちらも最高におもしろいです。

 

5.『三体』(劉 慈欣/早川書房

三体

三体

 

 

これはもう、文句なくおもしろい超傑作SFです。なかなかのボリュームなのですが、読み始めると止まらなくなります。これこそ正月に読むべき本かもしれません。

中国の歴史や宇宙物理学などの知識が求められる部分が出てきますが、けっこう丁寧に説明してくれますし、物語全体の進み方がとてもうまいのでグイグイ惹きつけられていきます。

 

6.『13歳からの世界征服』(中田考/百万年書房)

13歳からの世界征服

13歳からの世界征服

  • 作者:中田考
  • 発売日: 2019/10/17
  • メディア: 単行本
 

 

今年読んだなかでブッチギリの、ぶっ飛んだ怪作です。私はこういう本が大好きです。

自らムスリムになったイスラム教法学者が、中学生くらいが悩みそうなことの解決策を提示していくいわゆる人生相談的な本なのですが、イスラムの教えに基づいて導かれるロジックは、日本人には奇々怪々、理解を超越したところにあります。

ただ、よくよく読んでみると、実は唯一神だけを大事にしてそれ以外のものを軽視するという考え方は、ある意味で日本人にとってすごく生きやすくなる指針となりうるのかもしれません。読むとムスリムになりたくなるかもしれませんが、そのあたりは自己責任で。

 

7.『メインテーマは殺人』(アンソニーホロヴィッツ/早川書房

 

今年読んだなかで一番おもしろかったミステリーです。

特筆するべきは、探偵役であるホーソーンの嫌な奴っぷりです。名探偵は奇人変人の宝庫ですが、ホーソーンの場合は「まじでこんなやつと仕事で付き合わなくなったら嫌だな」と感じさせるような、リアリティのある嫌な奴なのです。でもそれがいい。

肝心のトリックとストーリーラインはミステリーの黄金律に従い、キッチリカッチリ最後に落としてくれます。不完全燃焼感はなし! すべての伏線を回収し、謎をスッキリ解いてくれる爽快な一冊でした。

 

8.『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』(山下泰平/柏書房

 

 

タイトルだけでインパクト抜群ですが、タイトルに負けないくらい中身もギュギュッと凝縮された濃い~一冊です。私はこういう、日常生活でとくに役に立たないけれどムダに凝った本が好きです。

著者自身のスタンスがふざけたりしているわけではないのですが、とかく明治時代のエンタメ小説の主人公たちが何でもかんでも暴力と勢いだけで解決しようとしてしまうので、読んでておかしみが出てきます。

ちなみに、著者の山下さんははてなブロガーであり、新書も一冊出しています。

こちらは実用書に寄せていますが、やはり明治の人たちのぶっ飛びぶりがいかんなく表現されていて趣のある一冊となっています。

 

9.『壱人両名:江戸の知られざる二重身分』(尾脇秀和/NHK出版)

壱人両名: 江戸日本の知られざる二重身分 (NHK BOOKS)

壱人両名: 江戸日本の知られざる二重身分 (NHK BOOKS)

  • 作者:尾脇 秀和
  • 発売日: 2019/04/25
  • メディア: 単行本
 

 

江戸時代というと士農工商と身分がはっきりと別れていて、窮屈な世の中だったように感じられるかもしれないけれど、じつは身分というのは現代の私たちがカンガよりも柔軟で、いい加減なものだったんだよということを伝える一冊です。

この本でおもしろいのは、日本は昔から「本音と建前」をうまく使いわけて社会を形成していたというところです。いちおうルールは決めるけれど、それは場合によっては守らなくても良かったりする。

そして、彼らは時と場合に応じてさまざまな名前と身分を使い分けていました。副業が解禁され、働き方が多様化して、ネットとリアルの2つの社会を生きている私たちにはなんだか馴染みがあるルールに思えます。

 

10.『高校生からわかる「資本論」』(池上彰/ホーム社

 

ada-bana.hatenablog.com

 

今はにわかにマルクスの『資本論』ブームが来ていています。

今更ながらちゃんと資本論の内容を理解しようといくつか解説本を読んだなかで、抜群にわかりやすくてなるほどなあと思ったのがこちらの一冊でした。さすが池上先生。

なぜ、格差は縮まらないのか。それは資本主義が構造上、そうなるべくしてそうなるようなシステムになっているからなのです。

いわゆる労働者、サラリーマンこそ、資本論の内容は理解しておくべきなんじゃないでしょうか。

 

ベスト・オブ・ベストは……

これでしょう。

 

「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考

「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考

  • 作者:末永 幸歩
  • 発売日: 2020/02/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

これは本当にいい本でした。

そして、この本が売れるのはなんだか嬉しい気持ちもあります。

それでは、良いお年を。

『トコトンやさしいエントロピーの本』(石原顕光・著)のレビュー

f:id:Ada_bana:20201222120241j:plain

 

世の中には聞いたことがあるけれど、じつはなんのことだかよくわかっていない言葉ってたくさんありますよね。

エントロピー」というのはそんな言葉の1つじゃないでしょうか。

図書館をフラフラしていて、たまたま目についてこの本を読んでみました。

結果、エントロピーについてわかったのか?

わかったような、わからないような感じです。

 

エントロピーを私なりに解釈してまとめると「世界全体の不可逆的な出来事の発生度合い」を示すもの……でしょうか。

ブラックコーヒーにミルクを垂らすと、混じっていきますよね。

そして、そのミルクコーヒーは、なにをどうやってもブラックコーヒーに戻すことはできません。

もしかしたら、ものすごい性能を持った遠心分離機とかを使えば、もとのブラックコーヒーに戻すこともできるのかもしれません。

しかし、そのためには遠心分離機を動かすための電力を消費し、遠心分離機自体も摩耗します。

もし、ミルクコーヒーを「ブラックコーヒー」と「ミルク」という状態に戻せたとしても、「世界全体」で見ると、やっぱり元の状態には戻らないのです。

ほかにも、以下のような出来事でエントロピーは増大すると表現できます。

・まわりより温かいものは自然に冷める

・床に転がっているボールは摩擦で止まる

・高いところから落とした物体は低いところで止まる

・鉄はだんだん錆びていく

・潮に水を入れてかき混ぜると、溶ける

・芳香剤の香りが広がっていく

・携帯用カイロは開封すると暖かくなる

 

エントロピーを知るために理解しておきたいのは、「質量保存の法則」と「エネルギー保存の法則」です。

質量保存の法則というのは、ようするに、どんな状態になっても、その物質がこの世から消えてしまうことは絶対にない、ということです。

水の入ったコップを放置しておくと空になりますが、水がこの世から消滅したわけではなく、水蒸気という形で目に見えなくなってしまっただけ。

どんな化学変化が起きても、物質はただ状態が変化するだけにすぎません(核分裂核融合は別みたいですが)。

 

次に「エネルギー保存の法則」。

エネルギーというのは、端的に言うと「ものを動かす力」と表現できます。

私たちがふだん、いちばん使っているのは「電気エネルギー」ですね。

ただ、火力発電や水力発電などは、「熱エネルギー」「位置エネルギー」を「電気エネルギー」に変換しているだけで、電気エネルギーを無からつくりだしているわけではありません。

また、電気を使ってコタツや扇風機を動かすときも、最終的には電気エネルギーをふたたび熱エネルギーに変えたり、運動エネルギーに変えたりしているだけなので、電気エネルギーは単に媒介エネルギーとして役に立つから使われているということです。

このエネルギーも、物質と同じように、ただ状態が変わり続けるだけで、消滅することはありません。

たとえば扇風機をつけると、電気エネルギーが羽を回転させるモーターの運動エネルギーに変換されます。

その運動エネルギーは、羽が動かすことで発生した熱エネルギーに変換されて、拡散してしまったのです。

基本的に、エネルギーは最終的に「熱エネルギー」に変化していきます。

じつはこの熱エネルギーがエントロピーの鍵を握っています。

たとえば、摩擦も空気抵抗もない世界で振り子を降ると、これは永久に触れ続けます。

このときに起こっているのは、振り子の持っているポテンシャルエネルギー(位置エネルギー)が「運動エネルギー」に変換されたり、「運動エネルギー」が「ポテンシャルエネルギー」に変換されるのを繰り返すだけだからです。

この2つの状態からエネルギーが変換され続けるだけなので、永久に続きます。

しかし実際にやってみると、振り子はそのうち止まります。

これはなぜかというと、振り子が空気に触れることで空気抵抗が生じたり、振り子の根本のところで摩擦が生じたりして、少しずつ「熱エネルギー」に変換されるからです。

熱は空気中に分散されていきますから、振り子が持っていたエネルギーはどんどん拡散されてしまい、最終的には振り子の動きが止まってしまうということです。

 

しかし、エネルギー保存の法則だけでは説明できない事柄もあります。

それはエネルギー変化の方向性についてです。

たとえば、水を置いておいたら勝手に回りの空気の熱を奪って動き出すことはありません。

もし、そのようなことが起こったら、そのコップの水が周囲の「熱エネルギー」を「運動エネルギー」に変換しているということです。

しかし、エネルギー保存の法則に従えば、別に「運動エネルギー」が「熱エネルギー」になるのも、「熱エネルギー」が「運動エネルギー」になるのも変わらないはず。

どうして、「運動エネルギー」はどんどん「熱エネルギー」に変換されるのに、「熱エネルギー」が勝手にほかのエネルギーに変換されることはないのか……という疑問が残ります。

ここで知っておきたいのが、エネルギーの質についてです。

エネルギーはできる仕事の量によって質が決まっていて、熱エネルギーはもっとも質の低いエネルギーなのです。

 

エントロピーが増大するのには2つの道があります。

(1)エネルギーの質が低下する

(2)物質の存在空間の拡大する

たとえばミルクがコーヒーに混じっていくことでもエントロピーは増大していくのですが、この場合、別にエネルギーの変換は起こっていません。

にもかかわらずエントロピーの増大が起こるのは、エントロピーという概念がそういうもんだと決められているからです。

ここがまさに、私がよくわかっていない点です。

 

エネルギーの質と物質の存在空間の広さは、根本的に、まったく関係のないことですね。そしてエネルギーの質が低下するとエントロピーが増大し、また、物質の存在空間が拡大するとエントロピーが増大します。それらもまた、根本的に、お互いに関係ありません。しかしながら、それらが同時に起こるような変化、たとえば化学変化などの場合には、それらの変化に伴うエントロピー変化の総和、すなわち全体のエントロピーが必ず増加する方向にのみ、エネルギーの質と、物質の存在空間の広さとの兼ね合いで、どちらに変化できるかということを知っているのです。

エネルギーの質と物質の存在空間の広さという、まったく関係のない現象が、エントロピーという1つの物理概念でまとめて取り扱えることはすごいことです。そこにこそ、エントロピーの真骨頂があるといっていいでしょう。

自然の変化の方向性をエントロピーでまとめてみましょう。まず、全体のエントロピーが増大する方向にのみ変化は進みます。全体のエントロピーが減少する方向には、絶対に進みません。そして、エントロピーを増大させる要因は2つあります。1つは、「エネルギーの質の低下」で、もう1つは、「物質の存在空間の拡大」です。したがって、すべての変化の方向性は、このエネルギーの質の変化と物質の存在空間の広さの変化の兼ね合いで決まることになります。

 

ちなみに、このブログ記事を書くためにエントロピーのことについて検索をしていたら、めちゃくちゃわかりやすい記事を見つけました。

gendai.ismedia.jp

引用します。

 

エネルギーは、温度差があれば、高いほうから低いほうへ、差がなくなるように移動します。カルノー・サイクルにおける仕事のエネルギーから熱エネルギーへの変換とは、低温の物体から高温の物体にエネルギーを移すことなので、温度の自発的な流れに逆行することになります。そのため、よけいにエネルギーを消費することになるので、100%の熱効率を実現することは不可能なのです。
こうしてクラウジウスは、「熱は低温から高温へ自発的に移動することはない」という「熱力学第二法則」を導いたのです(ちなみに「熱力学第一法則」は、エネルギー保存の法則とイコールです)。
そして、クラウジウスは、温度が高いほうから低いほうへ移るとき、「温度」とは表面的な現象にすぎず、より本質的な「なにものか」が移行しているのではないか、と考えました。そして、この「なにものか」を、大きさをもった、計算できる物理量として扱うことを考え、ギリシャ語で「変換」を意味する「トロペー」から「エントロピー」と命名したのです。
熱力学第二法則では、温度は放っておくと高いほうから低いほうに移ります。それは、エントロピーが放っておくと小さい状態から大きい状態へ移るのと同じことです。これが「エントロピー増大の法則」です。そして、温度が「高」から「低」へ、すなわちエントロピーが「小」から「大」へと移る現象に逆はありえないため、過去と未来が決定的に区別されてしまうのです。
たとえばボールが高いところから低いところへ落ちる落下運動も、過去と未来が区別できるように見えますが、地面に跳ね返ったボールは、上に逆戻りすることも可能です。つまり、ある瞬間のボールの写真を見ただけでは、上下どちらが過去か、未来かの判断がつけられないのです。
しかし、温度差がある2つの物体のあいだでの熱の移動では、はっきりと一方通行の流れが見てとれます。サーモグラフィーなどで温度を可視化できれば、いかなる瞬間も、そのとき温度が高いほうが過去で、温度が低いほうが未来です。その逆は決してありえません。つまり、そこには「時間の矢」があるのです。
これこそが熱力学第二法則、すなわちエントロピー増大の法則がもつ本質的な意味です。宇宙の中で、我々が知るかぎり、エントロピーだけは不可逆な物理量である――このことを示しているから、この法則は偉大なのです。

 

エントロピーはそもそも、「よくわからないけれどたぶん存在するなにか」を表現するためにつくられた言葉だからこそ、その正体を説明したりするのが難しいのでしょう。

ちなみにこの記事は以下の本から抜粋されているようなので、近々、この本を読んでみようと思います。

 

 

後記

いくつか映画を見ました。

 

『リトル・レッド ~レシピ泥棒は誰だ!?』

リトル・レッド ~レシピ泥棒は誰だ!?~ (字幕版)

リトル・レッド ~レシピ泥棒は誰だ!?~ (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

2006年にアメリカで公開されたフルCGアニメで、今見るとかなりCGが古くさく感じられますが、ストーリーがおもしろいので、見ているとそんなに気になりません。

グリム童話赤ずきんちゃんをベースにして、杜で頻発しているレシピ泥棒の容疑者として「赤ずきん」「オオカミ」「木こり」「おばあさん」の誰なのかというのを、一人ひとりに聞き込みをしながら解き明かしていくコメディ・ミステリーです。

これは明らかに『ユージュアル・サスペクツ』をオマージュしていますね。

ユージュアル・サスペクツ (字幕版)

ユージュアル・サスペクツ (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

ちなみに、主人公の赤ずきんの英語版の声優はアン・ハサウェイだったりします。

 

ザ・コア

ザ・コア (字幕版)

ザ・コア (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

2003年に公開されたパニックムービーです。

もう17年前の映画なので、やっぱり映像が古めかしく感じますね。

1996年に『インデペンデンス・デイ』が公開され、1998年に『アルマゲドン』『ディープ・インパクト』が公開されるなど、宇宙を原因としたパニック映画がけっこう出回っていた時期、「宇宙じゃなくて、今度は地底にしたら?」みたいなノリでつくられた映画のような気がします。

何度かみたことがあるのですが、基本的にはアルマゲドンの地底版だと考えてもらえれば問題ないでしょう。

ストーリーラインはパニックムービーのお手本のような感じで、一人ずつ人が死んでいき、隠された陰謀が明らかになったりして、最後は大団円です。

 

花とアリス殺人事件』

花とアリス殺人事件

花とアリス殺人事件

  • 発売日: 2015/08/12
  • メディア: Prime Video
 

 2004年に公開された岩井俊二監督の実写作品『花とアリス』の前日譚をアニメで描いたものです。

花とアリス』は、荒井花(花)と有栖川徹子(アリス)という女子高生が、男子高校生との三角関係になる物語です。

本作はその花とアリスの出会いがつづられています。

実写映像をトレースする「ロトスコープ」という手法が取られており、どこかCGのような不思議なタッチのアニメーションになっています。

全体の雰囲気は岩井俊二っぽいですが、ストーリーははっきりしていてわかりやすいですね。おもしろかったです。

 

スタンド・バイ・ミー

スタンド・バイ・ミー (字幕版)   

スタンド・バイ・ミー (字幕版)   

  • 発売日: 2016/03/18
  • メディア: Prime Video
 

言わずとしれた名作です。

12歳の4人の少年が、列車にひかれて事故死してしまった遺体を探すために線路の上を歩きながら冒険に出かけるという物語です。

日本人が見てもなかなか感慨深い作品だと思うのですが、アメリカの地方出身者とかが見ると、きっとすごいノスタルジアを感じさせる作品なんだろうなと思います。

日本人がゲーム『ぼくのなつやすみ』をプレイして感じる郷愁に近いかもしれません。

1時間半くらいと短い映画です。

 

若おかみは小学生!

若おかみは小学生!

若おかみは小学生!

  • 発売日: 2019/03/15
  • メディア: Prime Video
 

 

両親を交通事故でなくしておばあちゃんが経営する旅館で働くことになった女子小学生・関織子(せき おりこ)が、失敗を繰り返しながら著感の跡継ぎ・若おかみとして奮闘する模様を描いたアニメーション映画です。

原作は児童文学「講談社青い鳥文庫」の同名人気シリーズ。

 

 

テレビアニメ化もされていますが、本作は原作やテレビアニメ版とは独立した、この映画だけで完結したものになっています。

評判がいいことから気になっていたのですが、なかなか良作でした。

主人公の織子は両親を亡くしたのに立ち直り早すぎじゃない?と最初は思っていたのですが、そんなことはなかったのです。

彼女を取り巻く幽霊や鬼などのキャラクターたちもしっかり役割分担されていて、非常にうまくまとめられていました。

 

『イエスタデイ』

イエスタデイ (字幕版)

イエスタデイ (字幕版)

  • 発売日: 2020/02/20
  • メディア: Prime Video
 

なぜかいきなり、ビートルズが存在しないパラレルワールドに飛ばされてしまった売れないミュージシャンが、ビートルズの楽曲を自分のものとして発表し、またたく間にスターダムにのし上がっていくSFヒューマンドラマです。

売れないミュージシャン時代からマネージャーとして世話を焼いてくれた女性との関係、ささやかれるパクリ疑惑で、彼が最後にどういう結論を出すのか。

この結末はなんだか現代っぽい感じがしますね。

人気ミュージシャン、エド・シーランが本人役で登場していたり、あの伝説の人が現れたりして、なかなかおもしろいです。

当然ながら、ビートルズの楽曲もシーンごとに流れまくります。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。

『三体』(劉慈欣・著)のレビュー

f:id:Ada_bana:20201204223022j:plain



三体

三体

 

 

ついに読みました。

アジア人として初めて、SFの賞のなかでもっとも権威があるといわれているヒューゴー賞を受賞した傑作です。

ヒューゴー賞は1953年から続くもので、ファン投票によって決められます。

過去の受賞作では、『タイタンの妖女』『月は無慈悲な夜の女王』『アルジャーノンに花束を』『ニューロマンサー』などがあります。

 

タイタンの妖女

タイタンの妖女

 
月は無慈悲な夜の女王
 
アルジャーノンに花束を〔新版〕

アルジャーノンに花束を〔新版〕

 

 

まあ、「もっとも権威あるSFの賞」といっても、じつはファンタジー作品も候補に含めているので、さりげなく『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』とか『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』が受賞していたりもします。

また、あくまでも選ぶのは一般の人々なので、ゴリッゴリのハードSFとかよりもエンターテイメント性の高い作品が選ばれやすいように感じます。

個人的にはハードSFよりも、ファンタジー要素が混じってもいいからエンタメ性が高いほうが嬉しいので大歓迎ですが。

 

さて、本作は前評判がよかったのでかなり期待しながら読んだのですが、これは間違いない傑作です。

抜群におもしろかった。

かなりページ数があるのですが、「長さを感じさせない」とはこのことで、読み始めるとなかなか止まらず、ついつい夜ふかしをしてしまうタイプの本ですね。

ただし、冒頭はいきなり中国の文化大革命の話から始まるのと、いかんせん登場人物が中国の方々なので、「あれ、この人の名前はなんて読むんだっけ?」というフラストレーションを感じたりします。

(漢字で表記せず、カタカナ表記で統一してくれたほうがありがたいような気もするけれど、そこは逆に同じ漢字語圏の弊害といえるかもしれません)

 

あらすじはこんな感じです。

ウィキペディアのページはスーパーネタバレ祭りですが、このエントリーではネタバレはしないようにするのでご安心を。

 

文化大革命のとき、目の前で紅衛兵に物理学者の父を殺された葉文潔(イエ・ウェンジエ)は、政府の秘密研究所で働くことになる。巨大アンテナが建造されるその施設では人類の運命を大きく変える、謎の研究が行われていた。

それから数十年後、世界中の科学者たちが自殺を遂げる謎の事件が発生。やがてナノマテリアル研究者の汪淼(ワン・ミャオ)の視界には、どこを向いても移り続ける不気味なカウントダウンが始まっていた。汪淼は、警察官・史強(シー・チアン)に導かれて、各国の軍事関係者が集う会合に加えられる。なかなか全容を明かされないが、どうもとある秘密結社が暗躍して、それが科学者たちの自殺と結びついているらしいとのことだった。

秘密結社の目的はなにか? 視界に映るカウントダウンの正体は? 科学者たちはなぜ自殺してしまったのか? そして、それらのカギを握るらしいVRゲーム「三体」にはどんな謎が仕掛けられているのか?

 

この作品をスムーズに理解しておきたいのは、「文化大革命」と「三体問題」です。

カンタンに説明していきましょう。

 

まず文化大革命から。

毛沢東によって建国された中華人民共和国ですが、毛沢東はいろいろ政策に失敗して失脚してしまいます。

しかし、権力欲の強い毛沢東はなんとか政権に返り咲きたい。

そこで、毛沢東は10代の若者たちに「いまの政権は資本主義的だ。もう一度革命を起こして、真に共産主義的な社会を目指そう」と煽りまくるのです。

こうして結成されたのが「紅衛兵」という10代の若者を中心とした組織で、彼らは「非共産主義的なもの」をことごとく攻撃していきました。

金持ちや地主はもちろんのこと、学校の教師や知識人、宗教関係者などのインテリをどんどん虐殺、吊し上げを行います。

これが文化大革命とよばれる運動です。

ただし、当然ながらこんなことをしていては経済がどんどん停滞していくので、毛沢東がなくなったことでどんどん沈静化して、むしろ紅衛兵だった人たちは地方の農村に回されて行き場を失っていったのです。

 

次に三体問題です。

これは天体力学の問題で、「3つの天体が互いに万有引力を有する場合の軌道は、性格には計算できない」とされているらしいです。

(ただし、特殊な条件下では軌道を計算することができるとのこと)

小説の中では、作中に登場するVRゲームでこの用語が登場します。

このVRゲームは地球ではない別の惑星が舞台になっていて、そこには質量がほとんど同じ3つの太陽があります。

この3つの太陽が三体問題をはらんでいるわけですが、とにかく天候がめちゃくちゃなのです。

うまく3つの太陽の一つの軌道を集会すれば、地球のように穏やかな日々が続きます。

しかし、急に太陽が3つとも惑星から遠く離れて極寒の機構になってしまうこともあれば、逆に太陽に近づきすぎてすべてが蒸発してしまうような地獄になってしまうこともある。

ゲームの中では穏やかな期間を「恒紀」とよび、一日のリズムが全く狂ってしまう期間のことを「乱紀」とよんでいます。

ゲームのプレイヤーはそうしたなかで文明を発展させるために、どうすればこの問題を解決できるのかを考えていくというものです。

 

この2つに対する基礎知識があると、特に冒頭がスムーズに読み進められるようになると思います。

私は当初、VRゲームが登場するという設定は知っていたので、てっきり「自分とはなにか」みたいな哲学的なSFの作品かと思っていたのですが、ぜんぜん違いました。

もっともっとエンターテイメント性の高い、「なるほど、こっちの方に話が進んでいくのか」という話で、中盤から後半にかけての感情ボルテージがやばいことになります。

 

すでに第二部の「暗黒森林」も日本語訳版が出ているので、お正月のうちに読もうかと思案中。

これがまた上下巻に分かれていて、すごいボリュームなんですよね。。。

 

三体Ⅱ 黒暗森林(上)

三体Ⅱ 黒暗森林(上)

 
三体Ⅱ 黒暗森林(下)

三体Ⅱ 黒暗森林(下)

 

 

後記

『地獄楽』っていうマンガがおもしろかったです。

 

地獄楽 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

地獄楽 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

舞台は江戸時代。

江戸時代末期、かつて最強の忍として畏れられた画眉丸は、死罪人として囚われていた。そんな中、打ち首執行人・山田浅ェ門佐切に極楽浄土と噂される島から「不老不死の仙薬」を持ち帰れば無罪放免になることを告げられる。画眉丸は幕府の追手からも忍びの里からも二度と追われることがないことを約束される「御免状」を手に入れ、「愛する妻にもう一度会うために」、その引き換えとなる仙薬探しの道を選ぶ。無罪放免を求める他の死罪人達やそのに同行する山田一門と、一見美しいが恐ろしい化物の住む謎の島で仙薬を巡る戦いが行われる。

本作で主人公・画眉丸(がびまる)のパートナーとなる山田浅右衛門は実在した首切り役人で、作品の設定の通り、代々「山田浅右衛門」という屋号を名乗っていた一族です。

明治時代まで続いていたようですね。

絵柄がキレイで、戦闘シーンもスタイリッシュ。

かつ、登場する罪人たちや、ほかの山田浅右衛門たちがキャラクター豊かでなかなか見ていて楽しいです。

さらに、島に救う異形の怪物のデザインも不気味さが際立っていて好きです。

LINEマンガで1巻無料で読んだのですが、続きが気になるから買おうか悩み中。。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。

『ベストセラーコード』(ジョディ・アーチャー&マシュー・ジョッカーズ著)のレビュー

f:id:Ada_bana:20201126001341j:plain

 

 人工知能が小説を書き上げる未来というのは、おそらくそう遠くない将来に実現するでしょう。

www.fun.ac.jp

私はなんだかんだ10年近く編集者として本づくりに携わってきましたが、結局、人間がおもしろいと思うもの、興味を持つものには特定のパターンがあって、あとは細部を工夫したり、組み合わせを工夫したりして、目新しさを演出し、うまくプロモーションすることが大事だと思っています。

セレンディピティという言葉もありますし、名著『アイデアのつくり方』にも書かれていますが、新しいアイディアというのは既存のモノ同士の新しい組み合わせに過ぎないのです。

 

乱読のセレンディピティ (扶桑社文庫)

乱読のセレンディピティ (扶桑社文庫)

 
アイデアのつくり方

アイデアのつくり方

 

 

文章というのは突き詰めていえば、言葉の組み合わせにすぎません。

そして、すでに人間によって紡ぎ出された言葉と物語は無限に近いほど存在します。

であれば、そうした言葉と物語を組み合わせ続ければ、延々と新しい物語をつくることは不可能ではないと思います。

 

そして、歴史は繰り返すともいいます。

ファッションの世界もそうですが、トレンドや「好まれる作品」の傾向はだいたいパターン化しています。

国民全体が長寿になったとはいえ、人間の寿命はせいぜい80年くらい。

半世紀くらい前にブームになった作品をベースにして現代風に焼き直しをしたりすれば、そのときのメイン購買層の人々には「新鮮」に映るものです。

 

ただもちろん、ランダムに組み合わせてもそれが「おもしろい」物語になるかどうか、あるいは「売れる」物語になるかどうかはわかりません。

おもしろいかどうか、売れるかどうかの方程式は解明されておらず、端的に言ってしまえば、出版社の編集者などの勘やセンスに委ねられているのが現状です。

これが何を意味するのかというと、勘の悪い編集者の手によってボツにされてしまった作品や、あるいは改悪されてしまって低評価の憂き目を見ている作品も少なからず存在するということです。

 

実際、『ハリー・ポッター』シリーズを生み出した作家J・K・ローリングは、ブルームズベリーという出版社から本を刊行するまでに12社からボツにされています。

それでも諦めなかった彼女の執念もすごいですが、それだけ多くの出版のプロの目が節穴だったということを示す例でもあるでしょう。

ただ、ここが難しいのですが、じゃあブルームズベリーより前に別の出版社が『ハリー・ポッター』の刊行を決めたとしたら、果たしてそれが21世紀を代表するベストセラーになったかどうかはわかりません。

たとえば、たまたま担当になった編集者が

ハリー・ポッターなんてダサい名前は変えよう。額に稲妻マークがあるのもカッコ悪いから、星の傷型にしよう」

なんて言い出して、その意見にローリングが折れていたら、おそらくここまでのヒット作にはならなかったと思います。

 

さて、今回紹介する本は、そんな出版業界の未来の一端を垣間見れるようなスリリングで刺激的な一冊でした。

こちらです。

 

 

本書はスタンフォード大学の准教授で、計量文献学とテキストマイニングの第一人者である著者がフリージャーナリストと協力して、世の中の「ベストセラー」とよばれる本のテキストデータをコンピュータにぶち込み、「どんな言葉が」「どんな順番で」「どのくらいの頻度で」使われているのかを計測し、ベストセラーの条件を見つけ出そうとする仮定と、その結果の一部をまとめたものとなっています。

 

もちろん、彼らはアメリカ人なので、調べた大賞はアメリカで刊行された本ばかりで、当然ながら英語で書かれたものです。

また、ノンフィクションやハウツー本などは対象から外されていて、フィクション、小説に限定されています。

そのため、べつにこの本を読んだからといってベストセラー小説が書けるようになるとか、ベストセラーの企画が立てられる……というわけではありません。

 

ただ、この本でまとめられているデータを読み解いていくと、おそらく日本の書籍市場でも通用する、「売れる本」の傾向のようなものも読み取ることは可能です。

そこで、本記事ではそこの部分をちょっとまとめておきましょう。

 

やたらトピックを詰めこむな

まずテーマ、というか売れる小説で描かれているトピックについてです。

人の注目と興味を引くものといったら「セックス」「ドラッグ」「ロックンロール」などが想像されますが、こうした要素はベストセラーのおよそ0.001%くらいしか占めていませんでした。

じゃあ、なにが多かったのか?

これには正解はありません(がっかり)。

 

ただ、黄金律はあります。

・知っていることを書け

・本全体の3分の1は「1つのトピック」に偏らせろ

ということです。

 

作家にはそれぞれ得意なトピックがあります。

それは往々にして自分の得意分野、つまり「知っていること」です。

自分にセックスの経験があまりない、あるいは興味がないのにセックスの話を盛り込んだって、おもしろい本にはなりません。

また、「このほうが売れるだろう」とあまりにもいろいろなトピックを詰め込みすぎるのもダメです。

売れる作家はもっとも大切な30パーセントにひとつかふたつのトピックしか入れていないのに対して、売れない作家はたくさんの項目を詰めこむ傾向があるということだ。後者は、3分の1に達するまえに少なくとも3つ、あるいはそれ以上を書きこむ。40パーセントの時点で、ベストセラー作家は4項目を織り込み、それ以外の作家は平均で6項目を詰めこんでいる。数字を並べすぎだと思われるかもしれないが、この点が読書体験や物語のまとまりに与える影響はきわめて大きいので、ここは強調しておきたい。物語の核心をより少ないトピックで伝えるということは、大切なところに集中しているということであり、無駄な話はそぎ落とされることになる。そこからうかがえるのは、秩序と精密さを重視する作家の姿勢であり、経験の豊富さである。

こうして見てきたなかで重要なのは、トピックはジャンルを超えるということだ。本を書きたい、あるいは出版したい、あるいはベストセラーを予測したいというなら、まずは業界にしっかり根づいているジャンルという概念を忘れることだ。どんなジャンルの小説にも結婚は出てくる。愛や犯罪もしかり。ジャンルによってその割合は異なるかもしれないが、鍵となるトピックが原稿のなかにあるということが大切なのである。たくさんの小説を研究してわかったのは、ジャンルは足かせになるということだ。忘れたほうがいい。それができたら、コンピュータの予測モデルのような思考のスタートラインに立ったと言える。

 

主人公の感情で「波」をつくるべし

基本的に読者は主人公に感情移入するものです。

主人公がよろこべば自分もうれしいし、主人公がピンチに慣れば自分もハラハラする(そうでない小説もありますが)。

ずっとホノボノした、なんの事件も起こらない平和な小説はまったくおもしろくないものですが、主人公の感情がジェットコースターのように上がり下がりを繰り返すのがベストセラーに共通する傾向のようです。

 

このプロットラインの流れにはいくつかのパターンがあり(本書では7つ紹介されています)、とくにどれが優れているというものはありません。

たくさんのプロットラインを分析してみて、ベストセラーは基本的な三幕構成のいずれかの形をとっていることがわかった。しかし、これがいちばんというものはなく、「穴に落ちた男」が「貧乏から金持ちへ」よりも有利だということはない。おおまかなプロットラインは必ずしも重要ではないが、シーンごとの鼓動がどのような形になっているかは重要だ。大ヒットする小説には力強い鼓動がある。

 

意味のない言葉をグダグダ書くな

トピック、ストーリーラインときたら、次に文章ですね。

 

ここで、スティーブン・キングの名作『シャイニング』(深町眞理子訳、文藝春秋)の出だしを見てみましょう。

 

シャイニング(上) (文春文庫)
 

 

鼻持ちのならん気どり屋のげす野郎め、というのがジャック・トランスのまず感じたことだった。

 

この一文だけで、主人公がジャック・トランスという人物であること、そしてジャックは口が汚い、つまりあまり育ちがいい男ではなさそうだということがわかります。

そしてどうもジャックは「鼻持ちのならん気どり屋のげす野郎」と出会って、その人物を気に入らないながらも、そのことを面と向かって口に出せない状況にあるようだ、ということがわかるわけです。

 

なぜジャックは声に出して言わないのか。何があったのか。なぜいらだちを伝えることができないのか。売れる本のなんたるかを熟知しているキングは、読者をいきなり人間同士の対立に放りこむ。冒頭のたった6語で、いがみ合うふたりの登場が予想されるのだ。文体をものにしようとするなら、ここはしっかりと理解する必要がある。最初の一文はつかみであり、つかみには声と対立が欠かせない。そして、それらを生み出せるかどうかは、言葉の選択と構文(シンタックス)にかかっている。

 

一方、売れなかったとある小説の出だしはこんな始まり方でした。

 

夜の町には眠りながら涙を流し、何も語らない男たちがいるのが私には感じられる。

 

『シャイニング』と比べると、なにがいいたいのかサッパリわからない文章ですね。

 

ここには行動もなければ交流もなく、ベストセラーの冒頭文が持つ推進力がない。並ぶ単語はどれも空虚だ。「夜」「眠り」「何も語らない男たち」。男たちは自分の涙を見ることすらない。読者に語りかけるI(私)は誰なのか。その存在は読者を動かす力を持っているか。読者は彼の存在を信じられるか。

おそらく答えはノーだろう。

 

ちなみに、ベストセラーの場合、「?」はそこそこ使われますが、「!」はあまり使われません。

 

たとえば、バーで男が飲んでいるシーンを想像してください。彼は最近彼女に振られたばかりです。そこでこの男は、カウンターの隣で飲んでいた友人の男に「これからは一度に5人の女と付き合おうと思っている」と伝えました。ビールを飲んでいた友人はむせび、相手に言います。

 

A「それで無傷でいられたら、驚きだなあ!」

B「なるほど、それで無傷でいれたら、驚きだな」

 

すぐわかると思いますが、ベストセラー作家が使うのは「B」のような言い方です。

 

主人公に主体的に行動させる

ベストセラーの主人公は男女問わず、かならず何かを必要として(need)いて、それを表明している。かならず何かをほしがって(want)いて、読者は主人公が求めているものを知る。needとwantは、ベストセラーには欠かせない動詞なのだ。あまり売れていない小説の場合、needとwantが使われる回数は明らかに少なくなる。ベストセラー小説の世界では、登場人物は自らの主体性(エージェンシー)を自覚し、コントロールし、表現する。使われる動詞は迷いがなく、自信が伴っている。

一方、あまり売れない小説の主人公たちは、なにを目的としているのかがわからず、行動もせず、語りもしないし、達成もしません。

彼らは立ち止まり、じっと待って、邪魔をしたり、あきらめたりします。

読者というのは、たとえば主人公がピカレスク(悪人)であろうと、なにか目的を持って積極的に行動してほしいと望むものなのです。

そうでない主人公だと、イライラしてきます(もちろんこれは売れる小説の主人公の傾向であり、そういう主人公がいいとか悪いという話ではありません)。

 

これは主人公のキャラクターだけに言えることではありませんが、読者はある程度、物語がどのように進むのかの予測が立たないと小説をなかなか楽しめません。

たとえその予想が著者によるミスディレクションだったとしても「予想ができる」ということが大事なのです。

その点で、主人公がちゃんと自分が目指している方向を明らかにしてくれるのは、読者のストレスを軽減させることにつながるのでしょう。

 

というわけで、以上です。

 

最初にも述べたように、これらのデータはあくまでもアメリカのベストセラー(しかもハリポタなどの児童文学は除外)だけで計測されたものであり、発展途上な部分もあるので、どのくらい日本の市場において参考になるのかはわかりません。

ただ、この本で明らかにされたことは、じつはすでにベストセラーの条件としてハシラれているものでもあり、すごく目新しいことというわけではないのです。

これは本書の解説を書いたビジネス書のベストセラー『統計学が最強の学問である』の著者の西内啓さんもいっていますが、大事なのはこうしたことがデータというエビデンスで示されたことなのです。

 

統計学が最強の学問である

統計学が最強の学問である

  • 作者:西内 啓
  • 発売日: 2013/01/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

だれか、同じように日本でベストセラーを分析し、アルゴリズムで解析してほしい。

そうなったら、現在の編集者は軒並み職を失うことになるかもしれないけど……。

 

後記

この本を読んでいて、本書の中で紹介されていた『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』を買って読み始めてしまいました。

 

 

この本、読書が好きな多くの人から「下品だ」「最悪な内容」「ひどい本」と酷評されながらも、なぜかみんなブツクサ文句を言いながらシリーズの3作目まで読んでしまう、曲者のベストセラー作品なのです。

私もまだ読んでいる途中なのですが、あらすじをザックリ説明すると、

「女子大生が超絶イケメンな社長に出会って恋に落ちるんだけど、その社長がドSな性癖で、同意の上で性奴隷になってSMセックスしまくる」

という物語です。濡れ場濡れ場のオンパレードのようです(私はまだそこまでたどり着いていません)。

アメリカの業界では「ママのためのポルノ」と名付けられているとか。

すでに説明したように、ベストセラーではセックスがあまり主要トピックに取り上げられることはないのですが、この作品はストーリーライン、主人公の感情の起伏グラフが見事で、しかも文章もうまいので、グイグイ引き込まれてしまうのです。

たしかに、読んでいると「いい出来事」と「悪い出来事」が交互に起こり、ポンポンと物語が進んでいきます。

先日読んだ『戦国自衛隊』も、舞台設定やテーマは壮大なんですが、その割にストーリーが軽快に進んでいくので大変読みやすい一冊でした。

 

新装版 戦国自衛隊 (角川文庫)

新装版 戦国自衛隊 (角川文庫)

 

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。