『トコトンやさしいエントロピーの本』(石原顕光・著)のレビュー
世の中には聞いたことがあるけれど、じつはなんのことだかよくわかっていない言葉ってたくさんありますよね。
「エントロピー」というのはそんな言葉の1つじゃないでしょうか。
図書館をフラフラしていて、たまたま目についてこの本を読んでみました。
結果、エントロピーについてわかったのか?
わかったような、わからないような感じです。
エントロピーを私なりに解釈してまとめると「世界全体の不可逆的な出来事の発生度合い」を示すもの……でしょうか。
ブラックコーヒーにミルクを垂らすと、混じっていきますよね。
そして、そのミルクコーヒーは、なにをどうやってもブラックコーヒーに戻すことはできません。
もしかしたら、ものすごい性能を持った遠心分離機とかを使えば、もとのブラックコーヒーに戻すこともできるのかもしれません。
しかし、そのためには遠心分離機を動かすための電力を消費し、遠心分離機自体も摩耗します。
もし、ミルクコーヒーを「ブラックコーヒー」と「ミルク」という状態に戻せたとしても、「世界全体」で見ると、やっぱり元の状態には戻らないのです。
ほかにも、以下のような出来事でエントロピーは増大すると表現できます。
・まわりより温かいものは自然に冷める
・床に転がっているボールは摩擦で止まる
・高いところから落とした物体は低いところで止まる
・鉄はだんだん錆びていく
・潮に水を入れてかき混ぜると、溶ける
・芳香剤の香りが広がっていく
・携帯用カイロは開封すると暖かくなる
エントロピーを知るために理解しておきたいのは、「質量保存の法則」と「エネルギー保存の法則」です。
質量保存の法則というのは、ようするに、どんな状態になっても、その物質がこの世から消えてしまうことは絶対にない、ということです。
水の入ったコップを放置しておくと空になりますが、水がこの世から消滅したわけではなく、水蒸気という形で目に見えなくなってしまっただけ。
どんな化学変化が起きても、物質はただ状態が変化するだけにすぎません(核分裂や核融合は別みたいですが)。
次に「エネルギー保存の法則」。
エネルギーというのは、端的に言うと「ものを動かす力」と表現できます。
私たちがふだん、いちばん使っているのは「電気エネルギー」ですね。
ただ、火力発電や水力発電などは、「熱エネルギー」「位置エネルギー」を「電気エネルギー」に変換しているだけで、電気エネルギーを無からつくりだしているわけではありません。
また、電気を使ってコタツや扇風機を動かすときも、最終的には電気エネルギーをふたたび熱エネルギーに変えたり、運動エネルギーに変えたりしているだけなので、電気エネルギーは単に媒介エネルギーとして役に立つから使われているということです。
このエネルギーも、物質と同じように、ただ状態が変わり続けるだけで、消滅することはありません。
たとえば扇風機をつけると、電気エネルギーが羽を回転させるモーターの運動エネルギーに変換されます。
その運動エネルギーは、羽が動かすことで発生した熱エネルギーに変換されて、拡散してしまったのです。
基本的に、エネルギーは最終的に「熱エネルギー」に変化していきます。
じつはこの熱エネルギーがエントロピーの鍵を握っています。
たとえば、摩擦も空気抵抗もない世界で振り子を降ると、これは永久に触れ続けます。
このときに起こっているのは、振り子の持っているポテンシャルエネルギー(位置エネルギー)が「運動エネルギー」に変換されたり、「運動エネルギー」が「ポテンシャルエネルギー」に変換されるのを繰り返すだけだからです。
この2つの状態からエネルギーが変換され続けるだけなので、永久に続きます。
しかし実際にやってみると、振り子はそのうち止まります。
これはなぜかというと、振り子が空気に触れることで空気抵抗が生じたり、振り子の根本のところで摩擦が生じたりして、少しずつ「熱エネルギー」に変換されるからです。
熱は空気中に分散されていきますから、振り子が持っていたエネルギーはどんどん拡散されてしまい、最終的には振り子の動きが止まってしまうということです。
しかし、エネルギー保存の法則だけでは説明できない事柄もあります。
それはエネルギー変化の方向性についてです。
たとえば、水を置いておいたら勝手に回りの空気の熱を奪って動き出すことはありません。
もし、そのようなことが起こったら、そのコップの水が周囲の「熱エネルギー」を「運動エネルギー」に変換しているということです。
しかし、エネルギー保存の法則に従えば、別に「運動エネルギー」が「熱エネルギー」になるのも、「熱エネルギー」が「運動エネルギー」になるのも変わらないはず。
どうして、「運動エネルギー」はどんどん「熱エネルギー」に変換されるのに、「熱エネルギー」が勝手にほかのエネルギーに変換されることはないのか……という疑問が残ります。
ここで知っておきたいのが、エネルギーの質についてです。
エネルギーはできる仕事の量によって質が決まっていて、熱エネルギーはもっとも質の低いエネルギーなのです。
エントロピーが増大するのには2つの道があります。
(1)エネルギーの質が低下する
(2)物質の存在空間の拡大する
たとえばミルクがコーヒーに混じっていくことでもエントロピーは増大していくのですが、この場合、別にエネルギーの変換は起こっていません。
にもかかわらずエントロピーの増大が起こるのは、エントロピーという概念がそういうもんだと決められているからです。
ここがまさに、私がよくわかっていない点です。
エネルギーの質と物質の存在空間の広さは、根本的に、まったく関係のないことですね。そしてエネルギーの質が低下するとエントロピーが増大し、また、物質の存在空間が拡大するとエントロピーが増大します。それらもまた、根本的に、お互いに関係ありません。しかしながら、それらが同時に起こるような変化、たとえば化学変化などの場合には、それらの変化に伴うエントロピー変化の総和、すなわち全体のエントロピーが必ず増加する方向にのみ、エネルギーの質と、物質の存在空間の広さとの兼ね合いで、どちらに変化できるかということを知っているのです。
エネルギーの質と物質の存在空間の広さという、まったく関係のない現象が、エントロピーという1つの物理概念でまとめて取り扱えることはすごいことです。そこにこそ、エントロピーの真骨頂があるといっていいでしょう。
自然の変化の方向性をエントロピーでまとめてみましょう。まず、全体のエントロピーが増大する方向にのみ変化は進みます。全体のエントロピーが減少する方向には、絶対に進みません。そして、エントロピーを増大させる要因は2つあります。1つは、「エネルギーの質の低下」で、もう1つは、「物質の存在空間の拡大」です。したがって、すべての変化の方向性は、このエネルギーの質の変化と物質の存在空間の広さの変化の兼ね合いで決まることになります。
ちなみに、このブログ記事を書くためにエントロピーのことについて検索をしていたら、めちゃくちゃわかりやすい記事を見つけました。
引用します。
エネルギーは、温度差があれば、高いほうから低いほうへ、差がなくなるように移動します。カルノー・サイクルにおける仕事のエネルギーから熱エネルギーへの変換とは、低温の物体から高温の物体にエネルギーを移すことなので、温度の自発的な流れに逆行することになります。そのため、よけいにエネルギーを消費することになるので、100%の熱効率を実現することは不可能なのです。
こうしてクラウジウスは、「熱は低温から高温へ自発的に移動することはない」という「熱力学第二法則」を導いたのです(ちなみに「熱力学第一法則」は、エネルギー保存の法則とイコールです)。
そして、クラウジウスは、温度が高いほうから低いほうへ移るとき、「温度」とは表面的な現象にすぎず、より本質的な「なにものか」が移行しているのではないか、と考えました。そして、この「なにものか」を、大きさをもった、計算できる物理量として扱うことを考え、ギリシャ語で「変換」を意味する「トロペー」から「エントロピー」と命名したのです。
熱力学第二法則では、温度は放っておくと高いほうから低いほうに移ります。それは、エントロピーが放っておくと小さい状態から大きい状態へ移るのと同じことです。これが「エントロピー増大の法則」です。そして、温度が「高」から「低」へ、すなわちエントロピーが「小」から「大」へと移る現象に逆はありえないため、過去と未来が決定的に区別されてしまうのです。
たとえばボールが高いところから低いところへ落ちる落下運動も、過去と未来が区別できるように見えますが、地面に跳ね返ったボールは、上に逆戻りすることも可能です。つまり、ある瞬間のボールの写真を見ただけでは、上下どちらが過去か、未来かの判断がつけられないのです。
しかし、温度差がある2つの物体のあいだでの熱の移動では、はっきりと一方通行の流れが見てとれます。サーモグラフィーなどで温度を可視化できれば、いかなる瞬間も、そのとき温度が高いほうが過去で、温度が低いほうが未来です。その逆は決してありえません。つまり、そこには「時間の矢」があるのです。
これこそが熱力学第二法則、すなわちエントロピー増大の法則がもつ本質的な意味です。宇宙の中で、我々が知るかぎり、エントロピーだけは不可逆な物理量である――このことを示しているから、この法則は偉大なのです。
エントロピーはそもそも、「よくわからないけれどたぶん存在するなにか」を表現するためにつくられた言葉だからこそ、その正体を説明したりするのが難しいのでしょう。
ちなみにこの記事は以下の本から抜粋されているようなので、近々、この本を読んでみようと思います。
後記
いくつか映画を見ました。
『リトル・レッド ~レシピ泥棒は誰だ!?』
2006年にアメリカで公開されたフルCGアニメで、今見るとかなりCGが古くさく感じられますが、ストーリーがおもしろいので、見ているとそんなに気になりません。
グリム童話の赤ずきんちゃんをベースにして、杜で頻発しているレシピ泥棒の容疑者として「赤ずきん」「オオカミ」「木こり」「おばあさん」の誰なのかというのを、一人ひとりに聞き込みをしながら解き明かしていくコメディ・ミステリーです。
これは明らかに『ユージュアル・サスペクツ』をオマージュしていますね。
ちなみに、主人公の赤ずきんの英語版の声優はアン・ハサウェイだったりします。
『ザ・コア』
2003年に公開されたパニックムービーです。
もう17年前の映画なので、やっぱり映像が古めかしく感じますね。
1996年に『インデペンデンス・デイ』が公開され、1998年に『アルマゲドン』『ディープ・インパクト』が公開されるなど、宇宙を原因としたパニック映画がけっこう出回っていた時期、「宇宙じゃなくて、今度は地底にしたら?」みたいなノリでつくられた映画のような気がします。
何度かみたことがあるのですが、基本的にはアルマゲドンの地底版だと考えてもらえれば問題ないでしょう。
ストーリーラインはパニックムービーのお手本のような感じで、一人ずつ人が死んでいき、隠された陰謀が明らかになったりして、最後は大団円です。
『花とアリス殺人事件』
2004年に公開された岩井俊二監督の実写作品『花とアリス』の前日譚をアニメで描いたものです。
『花とアリス』は、荒井花(花)と有栖川徹子(アリス)という女子高生が、男子高校生との三角関係になる物語です。
本作はその花とアリスの出会いがつづられています。
実写映像をトレースする「ロトスコープ」という手法が取られており、どこかCGのような不思議なタッチのアニメーションになっています。
全体の雰囲気は岩井俊二っぽいですが、ストーリーははっきりしていてわかりやすいですね。おもしろかったです。
言わずとしれた名作です。
12歳の4人の少年が、列車にひかれて事故死してしまった遺体を探すために線路の上を歩きながら冒険に出かけるという物語です。
日本人が見てもなかなか感慨深い作品だと思うのですが、アメリカの地方出身者とかが見ると、きっとすごいノスタルジアを感じさせる作品なんだろうなと思います。
日本人がゲーム『ぼくのなつやすみ』をプレイして感じる郷愁に近いかもしれません。
1時間半くらいと短い映画です。
両親を交通事故でなくしておばあちゃんが経営する旅館で働くことになった女子小学生・関織子(せき おりこ)が、失敗を繰り返しながら著感の跡継ぎ・若おかみとして奮闘する模様を描いたアニメーション映画です。
テレビアニメ化もされていますが、本作は原作やテレビアニメ版とは独立した、この映画だけで完結したものになっています。
評判がいいことから気になっていたのですが、なかなか良作でした。
主人公の織子は両親を亡くしたのに立ち直り早すぎじゃない?と最初は思っていたのですが、そんなことはなかったのです。
彼女を取り巻く幽霊や鬼などのキャラクターたちもしっかり役割分担されていて、非常にうまくまとめられていました。
『イエスタデイ』
なぜかいきなり、ビートルズが存在しないパラレルワールドに飛ばされてしまった売れないミュージシャンが、ビートルズの楽曲を自分のものとして発表し、またたく間にスターダムにのし上がっていくSFヒューマンドラマです。
売れないミュージシャン時代からマネージャーとして世話を焼いてくれた女性との関係、ささやかれるパクリ疑惑で、彼が最後にどういう結論を出すのか。
この結末はなんだか現代っぽい感じがしますね。
人気ミュージシャン、エド・シーランが本人役で登場していたり、あの伝説の人が現れたりして、なかなかおもしろいです。
当然ながら、ビートルズの楽曲もシーンごとに流れまくります。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。