本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『戦国自衛隊』(半村良・著)のレビュー

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新装版 戦国自衛隊 (角川文庫)

新装版 戦国自衛隊 (角川文庫)

 

 

1974年に発表された、たびたび映像化や舞台化などもされた、日本を代表する歴史SFの名作ですね。

 

戦国自衛隊1549

戦国自衛隊1549

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 
戦国自衛隊

戦国自衛隊

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

文庫本を買ってみてまずびっくりしたのは、本の薄さでした。

「解説」を抜かすと165ページで終わり。

とにかくテンポが早いです。

状況説明が淡々としており、いつのまにか数年くらいの時間が経っていたりします。

といって、読者が状況についていけなくなるようなこともない。

自衛隊や日本の歴史についてしっかり調べて書かれているので、突拍子もない物語ながらリアリティが付け加えられています。

あ、ちなみにWikipediaのページには普通にネタバレが書かれているので気をつけてください。

 

近代兵器を装備した自衛隊が、日本海沿岸一帯で大演習を展開していた。新潟県富山県の県境に陸上自衛隊から第1師団、第12師団、そして海上自衛隊が集結して臨時の補給施設が設けられたが、そのうちの30名あまりを突如、「時震」が襲った。

次の瞬間、伊庭義明(いば よしあき)・三等陸尉を中心とするその一団は、携えていた大量の補給物資や近代兵器とともに戦国時代へタイムスリップ。まもなく、戦国武将の1人である長尾景虎(現実の歴史では、後の上杉謙信)と邂逅した伊庭たちは、合戦三昧の世の中へ組み込まれていく。

やがて伊庭たちは、この戦国時代と彼らが知る歴史とには微妙なズレが生じていることや、斎藤道三織田信長が存在していないことを知る。伊庭は景虎と手を組み、現代の兵器と戦術を用いることで戦国時代を勝ち続け、川中島の戦いを経て天下統一すら間近にするが、「我々が知る歴史と異なる歴史を持つこの世界における自らの役割は何か?」という疑問を拭えずにいた。

 

これは物語が始まって中盤くらいくらいでわかることですが、じつは自衛隊員たちが体験したのは単なるタイムトラベルではなく、パラレルワールドへの転移だったのです。

今風のマンガだったら、これら30人くらいの自衛隊員は仲間割れを起こしたり、じつは黒幕がいるみたいな展開にあるかもしれませんが、本作の場合はタイムトラベルという未曾有の異常事態に対しても自衛隊員はさすが冷静で、指揮系統に乱れが生じることもなく、バッサバッサと敵をなぎ倒していきます。

唯一、近代兵器を使っても苦戦させられたのは武田信玄でしょうか。武田信玄、強すぎ。

 

歴史ものというとどうしても登場人物が多くなり、しかも名前がコロコロ変わるし、ライトノベルみたいに個性的な名前ばかりというわけでもないので、だんだんだれがだれだかわからなくなってくるものだと思うのですが、『戦国自衛隊』の場合は店舗が良いせいか、それともその辺がうまく割愛されているのか、あまり混乱を来さないで物語を読み勧めることができましたね。

 

とちゅう、これはSFなのかなんなのかわからなくなりましたが、「大垣」のところで一気にSFに引き戻されました。

 

「しかしそれにしてもおかしいですね。美濃の土岐家の由緒をくわしく訊ねたんですが、僕らの世界にあった土岐氏の歴史とほとんど同じなんですよ。応仁の乱からの動乱で室町幕府の権威が失われると、それにともなって貴族と僧の経済を支えていていた制度も崩壊しちまうんです。京の公家の三条西家というのがこの美濃に荘園を持っていて、実際にその経営に当たっていたのが守護職の土岐家なんです。土岐家は清和源氏出だからそのつながりはほとんど武家と公家の関係のオリジナル・パターンと言っていいんです。そして守護代が斎藤氏なんですが、どうもこの世界の斎藤氏はまるで威勢が悪いんです。どうやら僕らの世界で有名な、あの油売りの松波庄九郎という男は、この世界では出世しそこなったんでしょうね。したがって斎藤道三は出現せず、その道三と深くつながるはずの織田信長も、歴史のプログラムからカットされてしまったんでしょう」

可能は聞かれるともなしに、ひとりで好きな歴史について喋っていた。が、義明はその言葉の中にハッとするものを感じた。

「すると可能は斎藤道三のほうが、歴史のプログラムの上では優位にあったというのか」

「いや、たとえですけれど……でも多分そうでしょう。だって、信長より道三のほうがずっと年上だし、歴史のファクターとして登場するのも先きなんですよ。僕らは歴史というと逆から見るしかないけど、実際には古い順に並んでいるわけです。時代の変化の過程は無限の可能性の中から、それぞれのファクターがただひとつの決定を行い、その決定を新しいファクターとして次の可能性が展開されるわけです」

「だった有名な乞食になった織田信長がいてもいいし、名家に生まれた木下藤吉郎がいたったいいはずじゃないか」

「それもそうですね。でも、それはあくまで原則論的に議論を進めた場合であって、こんな風にいろいろな歴史、つまり宇宙が多元であるなら、それは隣接した別の歴史の影響だって受けるのかも知れません。そうでなければな、何かとても大きなもの……たとえば時間とか空間とかを支配する、第五次元的な力がひとつの目的、あるいは意志のようなものを持ってずっと先きの先までひとつのプログラムを作ってしまっているということだってあり得ることですよ」

「すると何か、加納のいう無限の可能性をもつひとつのファクターが、任意にただひとつの決定をして行くという考え方は見せかけのことになるわけか」

「そうです。僕らはときどきそれを宿命という呼び方で意識するじゃないですか。この世界ではなぜか松波庄九郎を斎藤道三にはさせない仕組みになっていたんです。(略

 

なぜ、自衛隊員たちは突如として戦国時代に送り飛ばされてしまったのか。

歴史という第五次元的な力が彼らに何を求めていたのかという答えに答えは最後に明らかにされます。

サクッと読めて楽しかったので、気になる方はぜひ。

 

後記

最近LINEマンガで読んでた作品をザザッとまとめました。

 

 

いま小栗旬星野源で実写映画化されていますね。

未解決事件として有名なグリコ森永事件をベースにした社会派ミステリーです。

 

 

 

 オンラインゲームのトラブルによって全身クマ装備で異世界に送られてしまったゲーマーの女の子の物語です。

もはやこの種の物語設定は様式美のレベルですね。

 

 

 『動物のお医者さん』が代表作である大ベテラン・佐々木倫子先生による北海道の新人アナウンサーを主役にしたドタバタお仕事コメディ。

佐々木先生のいつものノリです。好きです。

 

 

突如学校に怪物が現れて閉じ込められてしまうのですが、この怪物、サイズの割には少食のようで、1日ひとり食べれば満足する模様。

そこで、毎日一人ずつ怪物にエサを与えることにした生徒たちのサバイバルホラーです。といっても、物語が始まった時点で7人くらいしか残っていなかったので、これどうやって展開するんだろうなーと不思議です。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。

『高校生からわかる「資本論」』(池上彰・著)のレビュー

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池上彰の講義の時間 高校生からわかる「資本論」

池上彰の講義の時間 高校生からわかる「資本論」

  • 作者:池上 彰
  • 発売日: 2009/06/26
  • メディア: 単行本
 

 

最近わりと、「資本論」がブームになっていますね。

これはやっぱり新型コロナによって不況になっていることが影響しているのかな……などと私はぼんやり考えています。

不況になると、だいたい割りを食うのがアルバイトとか派遣社員とか、いわゆる非正規雇用と言われる人たちです。

正社員でも、夏とか冬のボーナスが減った人が多いとは思いますが、それでも仕事と固定給がもらえるだけマシでしょう。

 

実際、2008年にリーマン・ショックが起こり、「年越し派遣村」というものができたときには、小林多喜二の『蟹工船』ブームがありました。

 

蟹工船・党生活者 (新潮文庫)

蟹工船・党生活者 (新潮文庫)

 

 

蟹工船』はプロレタリア文学とよばれるもので、資本家に搾取される労働者の悲哀を描いたものです。

 

日本が「世界一成功した社会主義国家」とよばれるわけ

さてマルクスの「資本論」というと、共産主義を礼賛するだけの本のように感じている人もいるかも知れませんが、実際はむしろ、「資本主義」の構造を明らかにした本だといえます。

そして本書によれば、日本には欧米諸国に比べて、マルクスを研究する学者が多いようです。

その理由について、次のように述べられています。

 

戦前、第二次世界大戦前に日本でも社会主義を主張したり、戦争に反対した人たちもいたわけだよね。でも、日本は日中戦争や太平洋戦争など戦争の道へ進んでしまった。アジア諸国を侵略して、結局戦争で負けました。

その時に多くの日本人がいろいろ反省したわけだよね。「何でこんな戦争をしちゃったんだろうか。戦争なんかすべきでなかった」ということになったら、実は戦争中、あるいは戦争の前から戦争に反対した人たちがいたことに気づいた。その人たちは、たとえば日本共産党や、日本共産党以外でもマルクス主義という考え方を持っている人たちだった。

(中略)

みんなが「戦争、万歳」と言っている時代にも、「戦争はいけない」と言っていた人たちがいたんだって、戦後みんながこの人たちを見直したのね。そして、マルクス経済学を研究している人たちが全国の大学の経済学部の主流になった。マルクス経済学を教えるのが主流になったんですね。

たとえば東京大学の経済学部でも多くの教授がマルクス経済学を教えていたのね。そうすると日本の官僚たち、あるいは日本の大企業のトップたちは学生時代、みんなマルクス経済学を学んだものです。資本主義というのは、自由勝手にやっておくと労働者の権利が失われて、労働者が貧しい状態になる。革命が起きるんだよ、ということをみんな学んだわけ。だから戦後日本の霞ヶ関の中央省庁の役人たち、あるいは政治家たち、それから大企業に就職してやがて社長になった人たちの頭の中に、マルクス経済学的な発想が入り込んでいたのです。

 

たしかに、「日本はもっとも成功した社会主義国家」などといわれることもあります。

終身雇用、年功序列なんていうのは社会主義的ですよね。

成果に関係なく、ただ「長く会社にいるから」「年長だから」という理由だけでたくさん給料がもらえる。

最近はこうした日本独自の制度が崩れて、実力主義的な側面が増えてきましたが、それはある意味で社会主義的よりだった制度が、本来の資本主義に近づいてきたということが言えるわけです。

 

社会主義国家が失敗したわけ

歴史を振り返ると、第二次世界大戦後、ソ連や東欧諸国など、いわゆる社会主義を標榜した国は衰退していきました。

だから「やっぱり社会主義共産主義は間違いだったんだ」ということで、いまも資本主義の国が幅を利かせています。

ただ、じつはソ連などの行った社会主義は、マルクスが主張した社会主義共産主義とは違うものでした。

マルクスが主張したのは、「資本主義が成熟し尽くしていくと、やがて搾取されまくった労働者による革命が起きて社会主義に進む」というものです。

しかし、ソ連がやったのは、一部のインテリが半強制的に国を社会主義で運営していくと決めるやり方だったので、そもそも社会主義に慣れるような土壌になっていなかったと言えるわけです。

そのため、こうした社会主義は、ロシア革命を起こしたレーニンと結びつけて「マルクス・レーニン主義」とよばれたりします。

 

資本論」をめっちゃ要約すると

ここでありがたいことに、池上先生は「資本論」の骨子を短くまとめてくれています。

次の文章です。

 

人間の労働があらゆる富の源泉であり、資本家は、労働力を買い入れて労働者を働かせ、新たな価値が付加された商品を販売することによって利益を上げ、資本を拡大する。資本家の激しい競争により無秩序な生産は恐慌を引き起こし、労働者は生活が困窮する。労働者は大向上で働くことにより、他人との団結の仕方を学び、組織的な行動ができるようになり、やがて革命を起こして資本主義を転覆させる。

 

いやこれ、たぶん多くの人がチンプンカンプンだと思うのですが、何冊か本を読んで「資本論」についての理解を深めると、なるほど~と思う要約なのです。

 

資本論」はただの翻訳書を読むとめちゃくちゃわかりにくいのですが、池上先生によれば、その理由としては

マルクスがわりと意図的に難しい言葉を使っているふしがある

キリスト教徒じゃないとピンとこない表現も多い

ということを述べています。

 

たとえば、

「使用価値または財は、抽象的に人間的な労働がその中に対象化されている、あるいは受肉しているからこそ意味を持つ」

という一節について。

これは要するに、

「価値がある商品というのは、その商品ができあがるまでに、つくった人がいろいろ苦労しているからこそ価値があるんですよ」

ってことです。

 

受肉というのは本来、神の子であるキリストが人間という肉体を持って地上に生まれたことを意味しています。

神様というのはもともと私たちが五感で感じられるものではないのですが、人間の肉体をもつことによって、私たち人間はそれを認識できるようになった、ということです。

 

ここに受肉という言葉を使うことによって、キリスト教社会の人たちは、「ああ、それだけ貴重な尊いものが商品の中には含まれているんだな」ということがわかる。キリスト教を常識として子どものころから学んでいないと、こういう言い方ってなかなかわかりにくいよね。

余談ですが、欧米のさまざまな文学作品や論文を読むと、読者にキリスト教的な常識があることを前提に論理が展開されていることが多いのです。だから、将来あなたが小説や論文を理解しやすくなるように、一度は旧約聖書新約聖書を読んでおくことをお勧めします。

 

「資本家」をめちゃくちゃカンタンに説明すると

資本家というのは、「お金を使ってお金を増やそうとする人たち」のことです。

 

いわゆる労働者は、自分の労働力とお金を交換して、それで食べ物などを買います。

労働力と食べ物などの商品を「W」、お金を「W」と表現すると、

W(労働力) → G(給料) →食べ物(W)

という行動になります。

労働者が自分の持っている商品(労働力)をお金に替えようとする目的は、じつは別の商品を手に入れるためです。

 

しかし、資本家(いわゆる会社の経営者)は違います。

資本家の行動は次のような感じです。

 

G(お金) → W(商品) →G’(お金+利益)

 

たとえば100円でリンゴを買います(G→W)。

そのリンゴを一口大に切り分けて種を取り除き、皮をむいて「カットリンゴ」として120円で販売します(W→G')。

はい、お金が増えました。

これが資本家です。

労働者は100円でリンゴを買っても、それを自分で食べて終わりですね。

ただの等価交換です。

 

ただ、マルクスは同時に資本家のことを「意志と意識を持つ人格化された資本」とも表現しています。

細胞が自己増殖を目指すように、資本が自己増殖を目指すために意思を持って行動しているようなものだということですね。

 

 

だれでも心がけひとつで、資本家になれます。

「お金を使ってお金を増やす」という発想を持って行動すれば、それはもう資本家としての行動だってことです。

しかもピケティ先生の本によって

「お金がお金を生み出すほうが、労働がお金を生み出すより速い」

ということがすでに明らかにされています。

 

21世紀の資本

21世紀の資本

 

 

お金がほしいなら、自分の労働力をお金に変えるのはすごく非効率的だということですね。

 

本書では後半で

・資本家がどうやって利益を生み出していくか

・なぜ労働者は搾取されてしまうのか

・なぜ資本主義は自己崩壊するのか

などがつづられています。

かなりおもしろいので、ぜひ読んでみてください。

 

なお、こちらの本を読んだら、以下の本もおすすめです。

 

超入門 資本論

超入門 資本論

 

 

人新世の「資本論」 (集英社新書)

人新世の「資本論」 (集英社新書)

  • 作者:斎藤 幸平
  • 発売日: 2020/09/17
  • メディア: 新書
 

 

後記

お金とはなんぞやというテーマに沿ったマンガでは、『ゴールデンゴールド』もおすすめです。

 

 

福の神伝説が残る島・寧島で暮らす中2の少女、早坂琉花。ある日、海辺で見つけた奇妙な置物を持ち帰った彼女は、ある「願い」を込めて、それを山の中の祠に置く。すると、彼女の目の前には、“フクノカミ”によく似た異形が現れた――。幼なじみを繋ぎ止めるため、少女が抱いた小さな願いが、この島を欲望まみれにすることになる。

 

フクノカミがいると、なぜかどんどんお金持ちになります。

といっても、別に空からお金が降ってくるわけではなくて、急にビジネスセンスが冴えてお金が儲けられるようになるのです。

ホラーともギャグとも取れない不思議な世界観。

絵柄はなんとなく石黒正数さんに似てますね。

あと、なんだかんだ恋愛要素もあります。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。

『ベストセラーを書く技術』(晴山陽一・著)のレビュー

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ベストセラーを書く技術──「書いて伝える力」があれば、一生負けない!

ベストセラーを書く技術──「書いて伝える力」があれば、一生負けない!

  • 作者:晴山 陽一
  • 発売日: 2018/08/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

私は気になる本があった場合、とりあえずAmazonの「欲しい物リスト」に放り込んでいます。

気になる本を片っ端から買っていくと、私の財布がスッカラカンになってしまうのと、置く場所がなくなるからです。

たぶんいまは200冊くらいがストックされているはずです。

 

「ほしいものリスト」は定期的に見直します。

あんまり読む気がなくなった本はリストから削除し、「やっぱり読んでみよう」と思った本はだいたい図書館で借ります。

図書館でも手に入らなくて、それでもどうしても読みたい本は買います。

また、図書館で読んだ本でも、やっぱり手元に置いておきたいなと思った本は、改めて買ったりします。

 

さて、「ほしいものリスト」が200冊くらいもあると、古いものでは「なんでこの本をリストに入れたたんだろう?」と過去の自分の行動原理がサッパリわからないものも出てきます。

この本も、そんな一冊でした。

いったいなにがきっかけでこの本を見つけ出し、なにが気になってリストに打ち込んだのか、よくわからなかったのです。

 

ただ、タイトルや装丁の雰囲気的に「すぐ読み終えられそうな本だなあ」と感じたので、気軽に図書館で予約して読んでみました。

すると意外や意外、思って異常に骨太な内容というか、内容がけっこう詰まっていて、特に私のようなへっぽこ編集者にはタメになるコンテンツが多かったので、これは手元に置いておこうと、読み終わったあと、あらためてAmazonで注文した次第でした。

 

ということで今回は、『ベストセラーを書く技術』を解剖していきます。

 

ベストセラーを書く技術──「書いて伝える力」があれば、一生負けない!

ベストセラーを書く技術──「書いて伝える力」があれば、一生負けない!

  • 作者:晴山 陽一
  • 発売日: 2018/08/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

本書の内容はタイトルのとおりです。

著者は元編集者で、実用書作家に転身し、現在は出版コンサルティングなどを生業にしているようですね。

10年連続で10万部突破した本をつくったらしく、これはとんでもない実績です。

 

実際、本書の原稿はとっても読みやすいです。

しかも読みやすいだけではありません。

エモいのです。

エモいってわかるようなわからないような言葉ですが、ビジネス系のシーンで使う場合、要するに「読んだ人の感情を揺さぶる」「その気にさせる」というニュアンスだと思います。

 

さて、本書のなかで一編集者として参考にして真似してみたいものがあったので、そうした物を中心に抜粋していきます。

 

●川柳ワーク

とにかくなんでもいいから「五・七・五」のリズムにまとめてみるフレームワークです。

「五・七・五」のリズムに乗っていれば思いつきでも、支離滅裂でもなんでもかまいません。

自分の頭に思い浮かんだことを、とにかく「五・七・五」でいう。

これ、めちゃくちゃ便利だと思います。

アイディアってウンウン考えているとなかなか出てこなんですが、とりあえず最初のご文字だけを考えると、残りの「七・五」も無理やりくっつけられちゃいますよね。

アイディア出し、ネタ出しにかなり使える気がします。

 

●本の構造は「?」でつくる

私は仕事の半分くらいは新しい本の企画を考えて会社に提案することなんですが、企画書を作るとき、意外と苦労するのが「構成案」です。

ネタって、意外と思いつくものなんです。

著者も探せばいい感じの人はすぐ見つかります。

問題は構成案ですね。

これはしっかりリサーチをしながら、順列に沿って組み立てていかないといけないので結構たいへんです。

そこで本書が構成づくりのためにお勧めしているのが、疑問・クエスチョンをベースにして、それをブレークダウンさせていくというやり方。

そもそも実用書は何かしらの課題を解決するために存在するわけで、そうした課題は「なぜ~は~なのか?」という形に置き換えられます。

 

たとえば、「なぜあの人はお金持ちなのか?」という本の企画の構成案をつくろうと考えると、たとえば次のようにブレークダウンしていけますよね。

 

『なぜあの人はお金持ちなのか?』

第1章 なぜあの人は収入が多いのか?

第2章 なぜあの人は貯金や資産が多いのか?

第3章 なぜあの人は収入が多いのにアクセクしてないのか?

第4章 どうすればあの人のようにお金持ちになれるのか?

第5章 あの人のようにお金持ちになるためにいますぐできることはなにか?

 

はい、こんな感じで構成案が出来上がります。

構成案の骨格が出来上がったら、さらにそれぞれの章のなかに「なぜ~なのか?」という疑問形のコンテンツをぶっこんでいきます。

 

LSD理論

これは文章を各段階のテクニックです。

200ページの本を最後まで読ませるということは、「ページを100回目暮らせることである」と著者は述べています。

これはけだし名言です。

いや、アタリマエのことを言っているだけなんですが、けっこうそういう当たり前のことを忘れがちになってしまうのです。

だって冷静に考えてみると、100回も同じ動作を相手にさせるのってかなり大変ですよね。

「このボタンを100回押してください」っていわれても、私だったらやりません。

 

じゃあ、どうすれば100回ページを捲らせることができるか。

そこで役立つのが「LSD理論」なのです(薬物ではありません)。

 

LSDとはなにか。

L:ロジック(理屈)

S:ストーリー(物語)

D:データ(事実)

この3つです。

人間はそれぞれ、このLSDのどれかをとくに重視します。

私の場合は、ロジックが好きです。

でも、もちろんストーリーが好きな人もいればデータが好きな人もいて、売れる本を作るためにはそうした人々のすべての興味を引く必要があります。

なので、このLSDのバランスを考え、原稿を作りなさいよ、ということなんですね。

 

パッと見た感じ、ちょっと胡散臭さも感じましたが、以外にも中身の濃い、タメになるほんでした。

 

後記

最近、『お金の大学』も読みまして、たいへんいい本でした。

 

本当の自由を手に入れるお金の大学

本当の自由を手に入れるお金の大学

 

 

いまいちばん売れているお金の本ではないかと思います。

ただ、網羅的な、まさに「お金の家庭の医学」的な本なので、あまりレビューであれこれ語るような本ではありません。

ただ、労働収入と資本収入の違いについてはしっかり説明されていました。

やはり、自動的にお金が入ってくるシステムを1つ持っているのは大切だよなあと実感した次第です。

 

んで、私もひとつちゃんとアフィリエイト収入が得られそうなブログをつくってみようということで、レンタルサーバーを契約してドメインを獲得し、新たにブログをつくってみました。

adabanabooks.com

 

まだいろいろ試行錯誤中ですが、なかなかいい感じです。

ただ、ワードプレスのブログの方はちゃんと収益化を目指してつくっていこうとおもうので、のんべんだらりと書き綴るこちらのブログも引き続き続けていこうと思います。

まずは目指せグーグルアドセンス合格!

 

というわけで、今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。

 

『一人の力で日経平均を動かせる男の投資哲学』(cis著)のレビュー

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私は、すべての活動は「投資」であると思っています。

 

たとえば、私が仕事の帰りにコンビニで、「青汁アイス」(税抜120円)という新商品を見つけて、買ったケースで考えてみます。

このとき、私は「この青汁アイスは120円に相当する価値がありそうだ」と思ったから、買うという行動に出たわけです。

つまり、私は青汁アイスに120円の投資をしたとも言えるわけですよね。

 

もし、青汁アイスがすごくおいしくて、「150円でも買っちゃうな」と私が感じたとすれば、この投資は成功です。

でも、青汁アイスが死ぬほどまずくて、「こんなのタダでもいらない」と思ったら、その投資に失敗したというわけです。

 

これは私の仕事である出版も同じです。

新しい本を作って発売するということは、「この本はこれだけ売れそうだ」という予測をして、そこに会社のお金を使って投資しているということです。

たとえばその本をつくるのに、さまざまな経費等もひっくるめて500万円かかるとします。

その場合、その本を発売して、500万円以上の収益があれば会社としては投資に成功したことになるし、500万円に満たなければ失敗したことになります。

 

お金を出していなくても、すべてのことは「投資」になります。

これはたしか、けらえいこさんのエッセーマンガにあった話だったと思うのですが、

「道に落ちている一円玉を拾うためには、1円以上のエネルギーを消費してしまうから、一円玉が落ちているのを発見しても拾わないほうがおトク」

という理論がありました。

 

セキララ結婚生活

セキララ結婚生活

 
たたかうお嫁さま

たたかうお嫁さま

 
いっしょにスーパー

いっしょにスーパー

 
7年目のセキララ結婚生活

7年目のセキララ結婚生活

 

※このあたりのどこかに一円玉のエピソードがあったはずです

 

体を動かしたり、頭を働かせたりすればエネルギーを使います。

それどころか、なにも活動していなくても、私たちは「時間」という限りある資源を消耗しています。

つまり私たちは毎日、エネルギーや時間という資源を投資して、快楽・満足を最大化させようとしているわけです。

 

あるいは、もう少し過激な言い方をすれば「すべての活動はギャンブルである」という言い方もできるかもしれません。

青汁アイスを買うのもギャンブルだし、新しい本を出版するのも出版社にとってはギャンブル、一円玉をひろうか拾わないかの意思決定もギャンブルです。

(もしかしたら、その一円玉がじつは1万円くらいの価値があるすごいレアな一円玉だった、という可能性もゼロではないですから)

 

ここでいうギャンブルとは、「損するか得するかわからない行為」のことだと考えてください。

人生におけるすべての意思決定は、それがプラスになるのかマイナスになるのかわかりません。

でも、絶対にどれかを選ばなければならない。

(「どれも選ばない」というのも、選択肢の1つにすぎません)

 

となると、私たちは、じつは思っている以上に勝ち続けている投資家やギャンブラーの人たちから学ぶことが多いのではないか、ということがいえるのです。

もちろん、投資や各種ギャンブル(カジノや麻雀、パチンコなど)は独自のルールが敷かれている世界で、細かく見ていくと、勝つための方程式が異なることは事実です。

ただ、その根底にあるセオリーや、マインドの部分を見てみるとけっこう示唆に富んでいて、勉強になります。

 

ということで前置きが長くなりましたが、今回紹介するのはこちらの一冊です。

 

 

「一人の力で日経平均を動かせる男」とはまたすごいパワーワードですよね。

 

著者のcis(シス)氏は本名非公開、メディアに顔出しもしていない個人投資家です。

2011年、かつて放送されていたフジテレビお昼のバラエティ番組『笑っていいとも』に出演されたことがあるようですが、そのときも顔は隠していたとのことです。

おもに掲示板サイト「2ちゃんねる」で積極的に活動・発言されている方のようなので、ねらーの人たちにはかなり名前が知られています。

 

帯にもでかでかと書かれていますが、個人資産は230億円。

アフリカのガンビア共和国の国家予算と同じくらいな感じです。

もちろん、230億円をつねに動かしているわけではないですが、それでも個人トレーダーとして数億円レベルの取引を行っているわけですから、cis氏の取引で実際に日経平均に影響を与えることも多いようです。

 

ちなみに日経平均というのは「日経平均株価」のことです。

勘違いしている人もけっこういるのですが、これは東証一部に上場している企業のうち、有力とされる225社から算定されています。

すべての株式の平均というわけではありません。

けっこう、母数は小さいです。

東証一部に上場している全銘柄から算出されるのは「東証株価指数TOPIX)」です。

 

さて、タイトルに「投資哲学」とあるように、本書は株式投資のハウツー本、マニュアル本ではありません。

もっといえば、読者に投資を勧めているわけでもありません。

cis氏がこれまでどのようなことを考えて株式投資をしてきたのか、ふだんどんな暮らしをしているのか、どんな考え方を持っているのかを赤裸々につづったエッセーのような感じだと考えていいと思います。

そもそも、一般の人はcis氏のような投資はできないと思います。

たとえばこんなエピソード。

 

たとえば専業トレーダーになって2年めのゴールデンウィークに妻と一緒に旅行したことがあったけれど、ゴールデンウィークの途中に平日が2日あって、その日にわざわざ相場をやるために東京に戻ってきていた。乗り物酔いするからなるべく飛行機なんて乗りたくないのに、1日だけ相場をやるために九州から東京に戻って、すぐまた九州に戻る。そのあいだ妻には一人で観光してもらっていたりした。

目の前をマンモスがいっぱい通っていくのに逃すわけにはいかないよ、みたいな感覚。

その年は20億円ほど稼いだから、時給にしたら100万円は軽く超えている。そうなると、どうしても休めなくなる。

 

冷静に読むと、プロフェッショナルというよりも、「株式投資依存症」の患者みたいですね。

実際、このくらいやっていたときには病院の検査で白血球が異常値を示したり、抜け毛がすごくなったり、お腹に水が溜まって胃がんの疑いをかけられたり、年間200回くらいお腹を下したりしていたそうです。

こんなのマネしようと思ってもできることではないし、マネしたいとか、羨ましいという気持ちにもならなくなってくるように思います。

 

本書ではこんなような感じで、あまり自分のことを美化せず、年間数十億円を稼ぐトレーダーがどんな毎日を送っているのかが垣間見えます。

たとえば

 

・たまたま気に入った青りんごゼリーがおいしかったので、製造元である寿スピリッツとい会社の株を買って2ちゃんねるで「寿スピリッツいいぞ」と投稿し、翌日株価をストップ高にさせる

・家の近くにコンビニがなかったので、近くのビルを買ってコンビニを入れたら楽なんじゃないかと考え、ビルを購入する

スマホゲーム「リネージュ2 レボリューション」に9000万円課金する

・中3のころにはパチンコを攻略し、友達に打ち子(いい台を見つけて自分の代わりにパチンコをさせる)させて高校生のうちに200万円を貯める

・「1時間後に銀座に来れる人募集」と掲示板にオフ会の告知をして80人以上集まり、飲食場所代に300万円くらい払う

・「1億2000万円持ってます、彼女募集中」と掲示板に投稿して3000通以上のメールに目を通し、週3~4人のペースで会い続ける(いちいちセックスするとつかれるから本当にご飯を食べるだけ)

ライブドアショックのときに失敗して1日に5億円の損を出したあと、2ちゃんねるに「おっすおら損五億」と書き込んでから麻雀をしにいく

 

こんな感じのエピソードがあります。

 

本の持つ魅力はいろいろあると思いますが、フィクションでもノンフィクションでも、自分がなかなか触れられない違う世界を垣間見れるのもあります。

本書はまさにそんな魅力に満ちていて、「なるほど、これが1日で数億円を稼いだりする男の生活なのか」というのを覗き見することができるのです。

 

さて、cis氏の投資の手法はとても凡人が真似できるものではありませんが、冒頭で長々と書いたように、私たちの日常生活のすべてが投資であると考えると、このcis氏の投資哲学から私たちが学べることはあります。

私の場合、もっとも大きな学びになったのは第1章にあるこの言葉です。

「上がり続けるものは上がり、下がり続けるものは下がる」

これは、cis氏が「何かアドバイスをください」とお願いされたとき、言うことが多い言葉だそうです。

 

投資の用語で「順張り」「逆張り」というのがあります。

順張りというのは、株価が上がっている会社の株式などを買うことです。

逆張りというのは、株価が下がっている会社の株式などを買うことです。

cis氏のアドバイスはいたってシンプルで、「逆張りをするな、順張りだけしろ」ということですね。

これ、すごく正しいと思うのですが、なかなか実践できる人はいないです。

私も最近になってようやく、順張りの正しさを理解できるようになってきました。

 

たとえば本の企画をつくるとき、以前の私だったら

・これまでにない本をつくろう

・まだ人気はないけど、新しいムーブメントを作れる本にしよう

・いまはこういう本が売れているから、それと真逆のカウンターカルチャー的な位置を狙おう

・いまは全然人気がないけど、この人はきっとこれから大物になるだろう

・いまの潮流から外れた本をつくろう

ということを考えてしまいがちでした。

これって全部、「逆張り」的な発送なんですよね。

みんながいまこうしているから、いまのメインストリームがこうなっているから、それと自分のやることを差別化させようという意識が働いています。

 

これを「順張り」的な発想に考えるなら

・売れている本をマネしよう

・いまのムーブメントに乗っかる本をつくろう

・いま人気がある著者さんに頼もう

ということになります。

本の文化的な価値とか、その本を作って楽しいかということは脇においておけば、明らかに、こっちの本のほうが売れます。

 

私たちはなんとなく「ブームに乗っかるのはかっこ悪い」「売れているものをマネするのは節操がない」「人と同じことをやってもつまらない」と考えて、なにか自分のオリジナリティを押し出そうとするのですが、そういうことをするから、商業的にうまく行かなくなってしまうわけです。

タピオカが流行っているならタピオカ店を開けばいいし、マンガを描くなら『鬼滅の刃』っぽい作品を描けばいいし、ライトノベル作家としてデビューしたいならとりあえず異世界転生モノを書けばいいのです。

 

……とはいえ、やっぱり順張りだけだと「おもしろくない」というのも事実ですね。

「順張り」の本だけ淡々と作るのが仕事であれば、私も編集者をやめているとおもいます。

問題はバランスです。

逆張りの売れない本ばっかりつくっていたら会社をクビになってしまいますし、順張りの本ばかりつくっていたらむなしくなる。

だから、順張りの本と逆張りの本をちょうどいい塩梅で作ればいいわけです。

個人的には順張りと逆張りで8:2くらいがいいんじゃないかなと思っています。

気を抜くとすぐに逆張りにしたくなるので。

 

あとは、見た目とか大部分は順張りにするけれど、その中に少しだけ逆張りの部分を入れるのもひとつのテクニックだと思います。

売れるか売れないかは客観的な事実なので自分ではコントロールしにくいところですが、「おもしろくない」とか「むなしい」というのは自分のメンタルの問題なので、自分で以下用にもコントロールできます。

要するに、逆張りの部分は自己満足でいいわけです。

 

こういう側面はcis氏も持っているように思います。

cis氏は株式投資を通じて自分の好きな会社を応援したいとか、社会を良くしたいとか、株主優待がほしいとか、そういう気持ちは基本的には持っていません。

ただ、株を始めた最初のころに買った松屋の株はいまも持ち続けていて、優待券を使ってたまに牛めしを食べたりするそうです。

また、旅先でたまたま見つけて気に入った青りんごゼリーがあったのですが、鳥取自体が過疎っていて大丈夫かとおもったので、そのメーカーさんの株を買って2ちゃんねるに投稿し、翌日にストップ高にもっていったこともあるみたいです。

あとは、ご自身が働いていた叔父さんの会社の取引先である会社の株も、「叔父さんの会社への注文を切らないでね」という情から持ち続けていると書いてありました。

人間誰しも、そんなふうにしてメンタル的なところのバランスを取っているのではないかなと思います。

 

本書は具体的な投資のエピソードとかロジック、ギャンブルの話もいろいろ書かれていますが、そういうちょっと小難しいところは適当に読み流しても、一冊の本としてなかなかおもしろいものだと思います。

 

後記

 

べつにKADOKAWAさんの回し者ではないですが、いま、私が本のレビューを投稿している「読書メーター」というサイトで、こういうキャンペーンをやっています。

 

 

読書メーターKADOKAWAさんの本のレビューを書いたときに、最後に「#ニコカド2020」と書いておくと、100人に5000円分の「図書カードNEXTネットギフト」という、要するに電子図書カードがもらえるというキャンペーンです。

ただ、私がざざっと見た感じ、あんまり認知されていないのか、それとも面倒くさいのか、意外と読書メーターのユーザーの皆さんはこのハッシュタグつけてないなあという感じがします。

ということは、もしかしたら当選倍率が意外と低く、当たりやすいかもしれません。

(とはいっても、キャンペーン期間が2021年1月10日までとめっちゃ長いので、なんだかんだ倍率は高くなりそうですけど)

 

ちなみに今回紹介した『一人の力で日経平均を動かせる男の投資哲学』も版元はKADOKAWAさんなので、私はしっかりハッシュタグをつけて投稿しました。

せっかく5000円もらえるかもしれないなら、やっておいて損はないでしょう。

230億円と比べるとおそろしくスケールの小さな話で、今日は終わりにします。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。

『ヒポクラテスの誓い』(中山七里・著)のレビュー

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私がこのブログを解説したのが2015年のことなので、かれこれ5年も!書き続けていることになります。

あんまり書く気が起きないときはサボったりもしていましたが、そうはいっても更新が滞って「1ヶ月以上更新がないブログ広告」が出てしまうのはなんだかイヤだったので、(たぶん)1ヶ月も間が空いてしまったことはないはずです。

 

『本のレビューの書き方』なんて記事を偉そうに書いたこともありますが、5年以上本のレビューを書き続けていても、いまだにまだあんまりうまくなっていないようにしか感じません。

 

ada-bana.hatenablog.com

 

とくに小説のレビューは難しいですね。

実用書の場合はトピックスがいろいろ詰め込まれているので、たとえばその一部を抜粋して紹介する手法が成り立ちますが、長編小説の場合はそれがなかなか難しかったりします。

下手に紹介するとネタバレになりますし。

 

で、『ヒポクラテスの誓い』という本を読みまして、まあ本もおもしろかったのですが、最後に掲載されている「解説」が秀逸だったので、小説本体よりもむしろ「解説」のほうを紹介したいなと思ってこの記事を書いてます。

 

そうはいっても、まずは小説の紹介をしていきましょう。

著者の中山七里さんは2009年にデビュー作である『さよならドビュッシー』が「このミステリーがすごい!大賞」を受賞し、デビューした作家さんです。

 

さよならドビュッシー

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さよならドビュッシー (宝島社文庫)

さよならドビュッシー (宝島社文庫)

 

 

そんな中山七里さん、じつは1961年生まれで現在58歳。

つまり、48歳のときに小説家としてデビューした遅咲きの人だったのです。

 

もともと高校・大学時代に小説を書き続け、江戸川乱歩賞の予選を通過したことも合ったようですが、就職とともに執筆活動からは離れていました。

しかし、2006年に現代ミステリ界の巨匠・島田荘司御大のサイン会に参加したときに初めて生の小説家を目にし、「今小説を書かなければ、もう一生書かないに違いない」と思い立ち、ノートパソコンを衝動買して書き上げたのが『魔女は甦る』という作品です。

 

魔女は甦る

魔女は甦る

 

 

この作品は残念がら「このミス大賞」の受賞から漏れてしまいましたが、翌年に『さよならドビュッシー』でデビューとなりました。

ちなみに、ペンネームは故郷のほど近くにある岐阜県下呂市にある中山七里という公園のなかの渓谷の名前からとったようです。

 

 

さて本作『ヒポクラテスの誓い』は検視官が探偵役となり、死体からその死の真相を突き止めていく連作短編シリーズになっています。

一見するとただの病死、あるいは事故死にしか見えなかったものが、じつは死体を入念に調査していくと、隠された死の原因が見えてくるというものですね。

いわゆる法医学ミステリーとひとくくりにされるジャンルで、有名所では『チーム・バチスタの栄光』なんかも近いでしょう。

 

 

もうちょっとライトなものだと『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』もそうですね。

 

 

 

私は『さよならドビュッシー』は未読でしたが、『連続殺人鬼カエル男』は読んでいました。

 

連続殺人鬼カエル男 (宝島社文庫)

連続殺人鬼カエル男 (宝島社文庫)

 

 

どうも中山センセの作品は世界観が共有されているようで、『ヒポクラテスの誓い』に登場する探偵役の法医学教授・光崎藤次郎は『連続殺人鬼カエル男』にも登場していました。

小手川刑事はいかにも刑事さんのテンプレキャラクターだったのでまったく覚えていませんでしたが、光崎藤次郎は舌鋒鋭い監察医だった印象がうっすらと頭のなかに残っていました。

 

さて本作は、研修医である栂野真琴が不本意ながらも法医学の研修をすることになり、光崎の助手になりながら、一見すると事件性がまったくない事故死、病死をした遺体から導き出される光崎の鮮やかな推理劇を目撃していくという連作短編集となっています。

たとえば、

第1話目は河川敷で酒をかっくらって凍死したサラリーマン。

第2話目は交通事故で死んだ女性。

第3話目はテレビで放送されていたボートレースの真っ最中に激突ししたレーサー。

第4話目はマイコプラズマ肺炎が悪化して病院で息を引き取った女性。

そして第5話目は、腹膜炎で入院していたものの急に病状が悪化してなくなった女の子

という感じです。

 

それぞれの物語は一話ごとに完結していますが、最後の最後、じつはすべての事件が一本の糸で繋がります。

こういう展開は個人的に好きです。

サクサクと読み進めて行けて、最後の最後にいい感じのカタルシスが得られる、上質なミステリー作品でした。

 

さて最初の方でも述べましたが、本書でおもしろかったのは書評家・大森望さんによる「解説」のなかの、中山七里センセの紹介文章です。

 

引用の引用になりますが、とある取材のインタビュー記事が、中山七里先生の異質さを端的に表現しています。

 

サラリーマンを二十八年やってきましたが、その中で得た知識や経験は一切書いていません。デビュー作『さよならドビュッシー』は音楽のことをたっぷり書いていますけれど、ピアノを触ったこともありません(笑)。あの小説を書こうと思ったときに初めてドビュッシーのCDを買ったくらいです。物書きが生き長らえる理由に、想像力を物語に落とし込む能力があると思います。僕が五年の間、小説を書き続けられたのは「依頼された仕事を断らない」ことと「自分が書きたいものを書いてない」からだと思います。よく「作家は書きたいことが無くなってからが勝負だ」と言われますが、それなら最初から書きたいものを書かなかったら長持ちすると考えています。僕は戦略的に「皆が読みたいものを書く」ことに特化して、編集者との打ち合わせでも、この物語がどんな読者層にどれだけの波及力、訴求力があるのかを考えています。

(〈新刊ニュース〉二〇一五年三月号)

 

まったくもって驚くべきことですが、中山センセは音楽や法医学の専門的なことをテーマにした小説であっても、まったく取材をすることなく、書き上げてしまうらしいです。

これには、解説を書いた大森さんも舌を巻いています。

 

なんとも見上げたエンターテイメント作家魂ではないか。これだけ職人に徹したうえで、なおかつハイレベルな作品を量産することに成功している作家も珍しい。

「私に支点を与えよ。そうすれば地球を動かしてみせよう」と言ったのはアルキメデスだが、中山七里の場合は「私にテーマを与えよ。そうすれば三日後に長編小説にしてみせよう」という勢い。しかも、本書を読めばわかるとおり、その小説には、解剖室のにおいまで再現するような、リアルなディテールに満ちている。頭の中だけでそれを完成させる特異な才能には脱帽するかない。

 

ちなみに、このような「自分が書きたいものは書かない」というスタンスは、ヒット作を輩出しているビジネス書作家の先生でも同じことが言えます。

とあるヒットメーカーの方がおっしゃっていたことですが

「自分も昔は自分が書きたいことをテーマにして本にしていたが、そういう本はだいたい売れなかった。しかし、編集者から『こういうテーマで書いてくれませんか?』という求めに従って書くようになってから、不思議とドンドン売れるようになった」

とのことです。

 

小説を書くにしても、ビジネス書を書くにしても、作家になる人というのはやっぱり普通の人とはどこか違う感覚を持っているものです。

つまり、本人たちがおもしろいと思ったものは、俗人にはよくわからなかったりするものなのです。

編集者はあんまり才能がいらない仕事だと思いますが、ひとつ大切な素養があるとすれば、それは俗人であること、凡人であることかもしれません。

「バカな編集者、難しい本をつくりたがり」

というのはかつての私のボスの名言です。

 

ヒットしたビジネス書などのAmazonレビューではだいたい「当たり前のことしか書いていない」「初歩的なことしか書かれていない」という一つ星レビューがあるものですが、これは的はずれな批評です。

なぜなら、著者も編集者も、それをわかりきって、あえてそうしているからです。

ちょっと知識がある人が読めば「当たり前のこと」でも、それをまったく知らない人にわかりやすく教えてくれる本がベストセラーになるための条件なわけですね。

 

その意味では、この中山七里センセは編集者にとっては非常にありがたい、稀有な作家先生といえるでしょう。

むしろ、長らくサラリーマン生活をしていたからこそ、こういう「相手のニーズに求めることに徹する」という姿勢ができたのかもしれません。

もちろん、もともと文才や発想力がずば抜けているのはあるでしょうが。

 

後記

編集者をしているとそれこそ年間何十本も企画書を提案されたり、会ってくれないかという連絡をいただくことがあるのですが、全部に対応しているとそれだけで仕事が終わってしまうのでだいたい無視しています。

が、それでも知り合いのつて(とくに著者先生からの頼みだっり)だと断れずに、一度はお会いしたりお話を聞いたりしないといけないこともあります。

そういう感じで、いままで本を出したいという人たちのべ2~300人くらいと会ってきたと思うのですが、だんだん「作家っぽい人」というのがわかってきます。

 

「作家っぽい人」というのは、「たぶんこの人は、遅かれ早かれ、どこかの出版社から本を出すだろうな」という予感させるような人です。

(その本が売れるかどうかはわかりませんが)

ぶっちゃけ、本が出るか出ないかは、企画のおもしろさはもちろんのこと、編集者との相性、出版社との相性、さらには会社の込み入った事情、編集者の忙しさの度合い、メンタルの状態などによって左右されます。

私も人間ですから、なんか疲れていて頭がいたいときに持ってこられた企画は、どうも判断がネガティブになりがちです。

でも、それは作家志望の人にはコントロールできない問題ですから、運としか言いようがありませんね。

 

とはいえ、「作家っぽい人」は話していると、それをすぐに感じます。

私が感じる共通点は、以下のとおりです。

 

(1)自分が興味、関心のあることだとめっちゃ喋る、とめどなくしゃべる(あと、すごく早口になる)

(2)関連する情報についてやたら詳しい、いろいろな情報が出てくる。それ以外のことについてはびっくりするほど無知だったりする

(3)やたら自信満々で、「自分の考えは世の中に広めるべきだと思う」という謎の責任感、使命感を持っている

 

とくに重要なのは(3)でしょうか。

これはビジネス書作家などに特有のことかもしれませんが、そもそも自分の考えを本にまとめて世に出そうなんて考える人はどこかしら傲岸不遜・大胆不敵な考え方の持ち主です。

でも、だからこそ物事を断定したり、説得力を持った本を書けるんだと思います。

この「説得力を持たせられる」というのがすんごーーーく大事なポイントなんですよね。

 

書籍はジャーナリズムではありませんから、じつは実用書であっても「それが絶対に正しい事実か」はあまり重視されません。

それはさまざまな健康本、宗教関連の本、自己啓発本なんかを見ているとわかるかと思います。

「正しいか、正しくないか」は、本の場合は問題ではないのです。

大事なのは「おもしろいか、おもしろくないか」です。

この判断基準が、新聞などの報道記者と、本の編集者の決定的な違いではないかなと思います。

たとえ倫理的にちょっとよくなかろうが、道義的に間違えていようが、事実関係が曖昧なところがあろうが、おもしろければまあ良いんじゃないかと考えてしまうのが編集者だと思います(少なくとも私は)。

 

たぶんこれは小説も同じじゃないでしょうか。

中山七里センセは取材などは一切しないで小説を書き上げるということですから、たとえば『ヒポクラテスの誓い』なんかも、法医学をかじったことのある人間からすれば間違いだらけ、矛盾だらけの作品なのかもしれません。

でも、べつにそれくらいいいじゃないか、ということです。

問題なのは、法医学をまったく知らない人たちが読んだときに「法医学っぽい」と感じさせることができるかどうかです。

大事なのはリアルではなく、リアリティということですね。

SFなんかでも、あまりにもリアルを追求しすぎると話が小難しくなってエンタメ性が損なわれるような気がします。

 

話がグネグネ蛇行しますが、要するに作家になる人間はどこか普通じゃないということですね。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。