『壱人両名~江戸日本の知られざる二重身分』(尾脇秀和・著)のレビュー
ONE PIECEがいま「ワノ国編」をやってますね。
最近はジャンプの立ち読みもしなくなったのですっかり話についていけなくなりましたが、アニメはたまに見ています。
さて江戸時代というと「士農工商」によって明確に身分が区別され、農民に生まれたずっと農民でいなきゃいけない…という世界だと思っている人が少なくないと思います。
が、じつはそうでもなかったらしい、ということを教えてくれるのがこの一冊です。
簡単に言うと、農民でありながらときどき武士になったり、職業ごとに別の名前を持っている人が江戸時代にはけっこういた、ということです。
公家の正親町三条家に仕える大島数馬と、京都近郊の村に住む百姓の利左衛門。
二人は名前も身分も違うが、実は同一人物である。
それは、生のイカが干物のスルメになるように、時間の経過や環境の変化で、名前と身分が変わったのではない。彼は大小二本の刀を腰に帯びる、「帯刀」した姿の公家侍「大島数馬」であると同時に、村では野良着を着て農作業に従事する、ごく普通の百姓「利左衛門」でもあった。
なぜこのようなことがまかり通っていたのか。
それは、江戸時代の社会が現代以上に厳格な「縦割り社会」だったからだというのです。
江戸時代に置いて大事なのは、その人が「誰の支配下にあるか」ということ。(ここでいう支配というのは管轄という意味に近い)
だから、江戸時代の人たちが名前を名乗るとき「私は○○村の○兵衛だ」と名乗るのは、自分の所属する組織及び、自分を管轄している支配者を明らかにするためのものだったわけです。
コレがごっちゃになってしまうのは、統治する側に立てば、具合が悪い。
だから、先の引用文でいえば、「大島数馬」というキャラクターは三条家の支配下にあるが、「利左衛門」というキャラクターはその村の地主の支配下にある・・・というような形で、名前と人格を変えることによって統治しやすくしていたのです。
壱人両名は事実上、黙認されていた
とくに、武士(統治する身分)とそれ以外(統治される身分)のどちらも持っているというのは、統治する幕府などにとっては非常に都合が悪い。
統治する立場と統治される立場が簡単に行き来できる状況というのは、社会の規律を乱し、統治能力を損なうような行動だからです。
というわけで、実際に「壱人両名」なる人々はたくさんいたけれど、幕府などの社会的にそれは公に認められていたわけではありません。
そのため、壱人両名の人がなにかトラブルを起こしてしまうと、罰せられてしまうケースも有りました。
ただ、その場合も、2つの名前を使い分けていたことそのものが罰せられたことはあまりなかったようで、たとえば「武士の立場ではないときに帯刀していた」など、「我意(ワガママ)」をベースに行動していたことが咎められることが多く、二重身分については触れられないこともあったようなのです。
日本社会は「なあなあ」でうまく回っている
本書ではかなりの数の事例を上げながらさまざまな壱人両名を説明してくれますが、最終的な結論である終章「壱人両名とは何だったのか」がおもしろいところ。
要するに、日本社会では昔から「建前」というものを大事にしながら、でもそれではうまく回らない部分については「暗黙の了解」というか、例外のような独自のルールを用いてうまく回していたのです。
たとえば、大名は生前に相続者を選定して幕府に申請していないと、ただちに断絶・取り潰しになるというルールが有りました。
ただ、実際には届け出をする前に当主がなくなった場合、家臣たちは「当主はまだ生きてますよ」という体を装って相続者を申請していたし、じつは幕府の方でもそれに気づいていながら申請を受理していたらしいのです。
なぜかというと、ルールに厳格に従って大名を取り潰してしまうより、そっちのほうが幕府もラクだからです。
ここでもし、とても正直な家臣たちが
「当主が相続人を選ぶ前になくなりました。でも、相続はさせてくださいお願いします」
とバカ正直に幕府に嘆願したとしても、幕府は立場上、そんなお願いを聞き入れるわけには行かない。
なぜなら、一度でもそれを許してしまうと、世間的に「ルールを破ってもいい」ということを幕府が示してしまうことになるからです。
江戸時代の社会秩序は、極端に言えば、厳密に守られている必要はない。ただ建前として守られているという体裁がとられていることを重視するのである。
明治維新によってこの壱人両名の制度はなくなっていきましたが、このような「暗黙のルール」によって表のルールでは対処しきれない出来事に対応させるというのは、日本社会では今でもけっこうあるような気がします。
それに、今の時代なら、立場によって自分の名前を変えるというのは、違う意味でアリなのかもしれませんね。
私自身、「徒花」という、いわばネット上の別人格として活動しているわけですから、コレはある意味、現代における壱人両名ともいえるわけです。
後記
久しぶりに『グーフィー・ムービー/ホリデーは最高!』を見ました。
グーフィーとその息子マックスの父子仲をテーマにしたちょっと珍しいディズニー作品です。
多くの人が知るように、ディズニーのメインのターゲットは女の子たちです。
なので、基本的にはヒロインが活躍する作品が多いのですが、そうしたなかで、この作品には女の子の登場キャラクターが実質、マックスの想い人であるロクサーヌくらいしかいません。
グーフィーの奥さんも出てこないし、極力、男だけで物語が進んでいくのです。
そして、この作品はほぼ唯一と言っていいくらい珍しい、グーフィーのガチギレシーンがあります。
ちょっと重苦しいシーンも多いけど、おもしろいので未視聴の方はぜひ。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。