本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

原爆を予知した男 ~『最終戦争論』のレビュー

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「戦争」という言葉は、基本的に「国家同士の争い」というコンテクストで語られることが多い。

 

もくじ

 

今回紹介するこちらの本の著者である石原莞爾(いしはら・かんじ)は明治に生まれた日本陸軍の軍人で、今後「人類最後の戦争が起こるであろう」と予言した人物である。

 

最終戦争論 (中公文庫BIBLIO20世紀)

最終戦争論 (中公文庫BIBLIO20世紀)

 

 

石原莞爾について

 

どういうことか説明する前に、石原莞爾について説明したい。

 

彼は最終的に陸軍中将まで出世した人物で、満州事変の首謀者の一人である。

ただし、対ソ連との戦いに備えたかった石原は日中戦争勃発には反対していて、そのせいで東条英機と対立。

石原としては満州国は現地の人々に統治させて日本の同盟国化したほうがいいという考え方を持っていたらしい。

そのせいで参謀を罷免させられて太平洋戦争直前に退役。以降は思想家として講演・執筆活動にいそしむ。

 

戦争は2つに分けられる 

 

本書は昭和15年、つまり東条英機に罷免される前年に行った講演会の内容を速記したものに加筆したもので、この本が書かれた当時はまだ陸軍に籍を置いていた。

 

冒頭で彼が述べる持論が

「戦争には『持久戦争』と『決戦戦争』のふたつがある」

というものだ。

要するに戦争が短期間で終わるか、それともダラダラ続くか、というものである。

 

石原によれば、これまでの歴史の歩みを見ると、この2つの戦争形態は交互に繰り返されてきたものであり、兵器の進化や戦争規模によって変わるという。

 

たとえばフランス革命勃発前は、基本的に国家間の戦争は外部の傭兵を雇って行うものだったので、職を失いたくない傭兵が戦争を長引かせる『持久戦争』の時代だった。

が、そこでナポレオンが登場し、国民を総動員させたことで『決戦戦争』のフェーズに持ち込み、その変化に遅れた近隣諸国を次々と支配下におさめたというわけである。

(その後、重火器が発展して戦線が横に拡大すると膠着が続くようになり、また『持久戦争』に戻る)

 

原爆の登場を予言?

 

さて日中戦争当時の世界は『持久戦争』のフェーズにあるが、これも近いうちにまた『決戦戦争』へとフェーズシフトしていくであろう……というのが石原の持論だ。

では、次なるフェーズシフトはなにによってもたらされるのか。

それは「『決戦兵器』の登場」である、という。

無着陸で地球をぐるぐるいつまでも回れる飛行機から、たった一発で何万人もの命を奪い、町を壊滅させる兵器の登場こそが、現在の『持久戦争』時代を一気に『決戦戦争』へと変化させる。

 

これはまさに、のちのち広島・長崎に落とされる原子爆弾を予言しているようにしか感じられない。

さらに石原によれば、この決戦兵器の登場は最終的に「世界の覇者」を決める戦いへとつながる。

そこで日本が率いる東亜とアメリカで決勝戦が行われ、50年以内には真の意味での世界統一が行われるであろう……という。

 

戦争はなくなったのか?

 

石原の描く未来は非常に壮大で、「すごい大局観の持ち主」であるともいえるし「根拠薄弱な夢想家」ともいえる。

しかし、原爆投下による日本の敗戦と、米ソ冷戦を制したアメリカによる「パクス・アメリカーナ」の時代がいまも(かろうじて)続いている現状を見るし、彼の見解は的外れではなかったことがよくわかる。

 

しかし世界統一が行われたのかというと、とてもそんな風には思われないし、いまだに「戦争」は続いている。

もちろんある意味では、石原の時代の<戦争>はもうなくなったともいえる。

国家と国家がぶつかりあうガチンコ勝負はなくなったが、その代わりに経済戦争やサイバー空間での攻防、さらには国家とは異なるテロ組織との闘いがメインだ。

 

たとえば石原は

「人間に闘争心がある限り、戦争はなくならないのではないか?」

という疑問に対し、こう回答している。

 

人間の闘争心は、ここ数十年の間はもちろん、人類のある限りなくならないであろう。闘争心は一面、文明発展の原動力である。しかし最終戦争以降は、その闘争心を国家間の武力闘争に用いようとする本能的衝動は自然に解消し、他の競争、即ち平和裡に、より高い文明を建設する競争に転換するのである。現にわれわれが子供の時分は、大人の喧嘩を街頭で見ることも決して稀ではなかったが、今日ではほとんど見ることができない。(中略)

以上はしかし理論的考察で半ば空想に過ぎない。しかし、日本国体を信仰するものには戦争の絶滅は確乎たる信念でなければならぬ。八紘一宇とは戦争絶滅の姿である。

 

まあここらへんは、石原があくまでも最終戦争で「日本が勝つ」というシナリオで話を進めるので、そもそもそれが外れてしまった(日本がアメリカとの闘いを早く始めすぎた?)ことも大きい。

 

自分が歴史の中に立っているという意識を持つこと

 

ここで興味深いのは、「自分が歴史の中に立っている」という意識を石原が持っているということだ。

 

私たちはせいぜい100年くらいしか生きられないし、その範囲内で経験したことをベースに考えてしまう。

そして往々にして「常識」というものは、せいぜい100年くらいしか賞味期限がないともいわれている。

 

もっと広い視座を持って眺めていると、違うものも見えてくる。

たとえばインターネットの発達や仮想通貨の登場、人工知能の進歩などは、まさに人間の定義や国家、資本主義経済など、これまでベースになっていた生活の根幹が変わってしまいかねない。

 

従来の持久戦争が「原爆」の一発でいきなり変わってしまったように、いま世界のどこかでだれかがひっそりやっていることが、ある日突然、生活を丸ごと変えてしまうことだって起こりうるし、個人的には今後数十年(下手したら数年)に起こるんじゃないかと思っている。

 

安定を求めるのは不安定である

 

最近はある人と話をしていて

「安定を求める人は近視眼的」

という話になった。

 

たとえば「安定を求めて公務員になる」というのがその典型例で、そういう人は「日本国家が破綻しない」というルーレットのマスに人生をかけているわけだが、当然ながらそんな保証はどこにもない。

そして、日本が破綻するときは、おそらく何の前触れもなく、いきなり破綻するから、そこで9割9分の公務員は唐突に職を失うだろうという話になった。

 

世界が変わるときは本当に一晩で変わるし、これまでの数十年の経験から、未来の数十年をあまりに楽観視するのも考え物だ……ということを頭の片隅には入れておいたほうがいいと思う。

 

今日の一首

49.

御垣守 衛士の焚く火の 夜は燃え

晝は消えつつ 物をこそ思へ

大中臣能宣

 

現代語訳:

宮中の門を守る衛士の焚くかがり火が夜には燃えて、昼には消えているように

私の思いも夜には燃え盛り、昼は消えそうなくらいに思い悩んでいます。

 

解説:

要するに昼間もあなたのことが忘れらなくて、早く夜になって会いに行きたいと考えているスーパー情熱的な恋の歌。それをかがり火に例えているところがおしゃれだし、「夜は燃え」「晝は消えつつ」の部分の言葉のリズム感がいい。わりと好きな一首

 

後記

人間は意識していないと基本的に「マンネリ」に陥りがちなので、最近は意識的に新しいことに挑戦するようにしている。

とはいってもそんなに大それたことではない。

個人的には新しいアプリをスマホにインストールするように心がけている。

最近はTik Tokにはまっている。

 

www.tiktok.com 

テレビCMも流すようになったから知っている人も多いと思うけど、これは短い動画を投稿できるSNSだ。

とりあえず見ればわかる。

イメージ的には、高校生や大学生のバカ騒ぎをみるようなものに近い。特に意味はないけれど、インターフェースがうまいのか、ついつい暇だとダラダラみてしまう。

(動画なので通信量はけっこう使う)

 

最初は「これのなにがおもしろいんだ???」と不思議だったが、とりあえず見続けているとなんかはまる。

どうせアプリを入れるだけなら無料だし、さほど時間も手間もかからないから、意識的に新しいアプリをスマホに入れてみるのはありなんじゃないだろうか。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末様でした。