本の帯文を書く専門家がいたんだって。 ~『イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑』のレビュー~
AIとかロボットがこれからどんどん人間の仕事を奪っていくとかいわれている今日この頃、みなさんいかがお過ごしだろうか。
もくじ
ビジネス書なんかだと人々の危機感を駆り立てるが、実際問題、現実味のある切迫感を持って「はやくAIに奪われない働き方に変わらなくっちゃ!」と思っている人なんて皆無だと思う。
仕事が消えていくのは間違いない
とはいえ、じゃあなにもせずに安閑と今までどおりの仕事をしていりゃいいのかというと全然そんなことはなくて、将来的に「消える職業」が少なからず存在するのは間違いない。
※ただ、「AIが人間の仕事を奪う」というのはちょっと語弊があって、「AIが人間の作業を奪う」というのが正確なんじゃないかとは思う。前者の言い回しが適用されるのは「単一の作業しかない職業」で、その点においては「仕事を奪う」という言い回しも当てはまるだろうけど。
昭和の消えた仕事
このような時代において、温故知新ではないが、未来ばっかり見てないで過去を振り返るのも大切かもしれない――ということで、今回紹介するのはこちらの一冊。
内容はタイトルの通りで、昭和以前にそこそこの人が従事していたが、現在はすっかり見ることがなくなった仕事をイラストとともに紹介する本だ。ただし、厳密には現在も存在する職業や、「仕事」というよりもお店・地位……みたいなものもある。
そんなことまで仕事にしてたんだ
この本で紹介されている仕事にはいくつかの類型があるが、まず個人的に紹介したのは「そんなことでお金をもらってたんかい」と思った仕事だ。
たとえば「押し屋(立ちん坊)」と呼ばれた人々は、坂を登る荷車を後ろから押すだけだ。
また、「棒屋」という人々は、鍬・鋤・鉈・鎌などの柄の部分の木の棒だけを専門的に作る職人さんである。
ほかに、戦中は「天皇陛下の写真売り」という仕事もあって、これはそのまんま、一般家庭に訪問販売して、けっこう高額で販売したりしていたらしい。
さらに、太鼓持ちという言葉だけ残っている「幇間(ほうかん)」は、宴会で芸者と客の間を取り持ち、お客さんのご機嫌をとる人々である。
この仕事、ピンポイントすぎる
ほかにも傾向として「ピンポイント過ぎる仕事」というのもあった。
たとえば個人的に一番驚いたのは「帯封屋」だ。これは本の帯文を書くのを専門にしていた人々で、今風に言えば「書籍専門のコピーライター」である。
いまの出版業界では、帯などのキャッチコピーは編集者が考えるのが常識なので、わざわざそれだけをほかの人に頼むというのは考えにくい(著名人の推薦メッセージは別)。
ほかにも、下駄の修理を行う「下駄の歯入」「こうもり傘修理業」「ドックかんかん虫」などが紹介されていた。
ただ、これらの人々がテクノロジーや社会の発展とともに即失業したのかと言うと、おそらくそうではないだろう。
たとえば、電気冷蔵庫が一般家庭に普及していない時代に存在した「氷屋(氷売り)」という人々は、冬は「木炭売り」をしていたという記述がある。つまり、こうした人々はダブルワーク・トリプルワークしているものであり、フレキシブルに収入口を変えていたともいえるのだ。
それ単なる詐欺やんけ
オレオレ詐欺というのがはやったけど、「オレオレ詐欺師」という職業があるわけではない。なので、「職業」と読んでいいものかどうかは微妙なところだが、このように時勢に乗った詐欺の手法はどんな時代でもあったようだ。
たとえば「泣きばい」という人たちは、「工場が倒産して、退職金代わりに万年筆をもらった。これを金に換えないと生きていけない」と人々を集めて商売する人々で、サクラを利用したりした。
また、「つぶ屋」と呼ばれる人々は、わざわざスーツを着て一般家庭に訪問し、「会社がつぶれた」と懇願して金をもらう人々だ。昭和初期はまだスーツを着たサラリーマンがインテリだったので通用したらしい。
もっとあくどいのだと「倒産屋」というのもある。これは企業の倒産情報を聞きつけて在庫を安く買い叩き、それを転売して儲ける仕事だが、わざと悪いうわさを流して中小企業を倒産に追い込むこともあったという。
また、戦後は傷痍軍人(戦争で負傷して帰還した軍人)が街角で金銭をもらうこともあったが、それを単なる失業者がまねして金をせびることもあったという。
技術によって失われた職業
ココから紹介する職業は、本当に「AIが仕事を奪う」に近いメカニズムかもしれない。
たとえば「文選工」と呼ばれる人々は、まだ出版業界が活版印刷で文字の金型を一つ一つ選んで組み立てなければならないときにいた人々だ。熟練工になると作家の難解な文字を読みながら1時間で1200字を拾うことができたらしいが、当然ながら現在はDTPによるデータ入稿になっており、ごくごく一部を除いて活躍の機会はほぼない。
また、「馬方(馬子)」は、まだ自動車が一般に普及しておらず、馬に荷物を引かせていたからこそ存在していた職業だ。
ちょっと意外なところだと、「灯台守」ももういないらしい。本書によれば、平成18年に日本最後の有人灯台が自動化されたという。灯台の機械化や情報提供システムの高度化により、そもそも灯台の重要性が薄れたのだ。
映画が無音だった時代には、映像に合わせて声を当てる「活動弁士」が必要不可欠だったし、水洗トイレがない時代には「屎尿汲み取り人」が各家庭を回っていた。
ガチな貧困・差別
システムエンジニアなどは「現代の3K(きつい・厳しい・帰れない)」などと呼ばれ、正社員と派遣社員の賃金格差などが問題になったりしている。
もちろん、それはそれで是正するべきなのかもしれないが、この本を読んでいると、やっぱり現代の日本社会はお金がない人でもそれなりの生活が送れる社会なんだなぁと思ったりする。
たとえば、最初に紹介した「押し屋(立ちん坊)」も、基本的には家や定職がない人が、ひたすら坂道の下で荷車を押す人が来るのを待っていたのだ。うまく荷車が通りかかれば金がもらえるが、通らなかったらその日は飯が食べられない。
また、現代でも新橋などでは見ることができる「靴磨き」も、本来は戦後日本で親を失った戦災孤児たちが自分や母親などを食っていかせるためにやっていた。いまも靴磨きは新橋とかで見られるけど、本当にプロフェッショナルとして働いていて、たぶん状況は大きく違う。
「バタ師」と呼ばれた人々は、午前3時に起きて街中のゴミ箱をあさり、金物やガラスなど、少しでも換金できそうなものを問屋に売っていた。
こうした人々は狙っているものによって呼び方が変わる。工事現場付近に散らかった銅線・ハンダなどを狙うと「ヨロク拾い」、川や溝に落ちているものを拾う人は「よなげ師」、火災現場で半焼の衣類や金物を拾えば「火事場稼ぎ」、料理屋の残飯を拾う「ワタ拾い」などなどがあった。
また、これは現代でもドキュメンタリー番組で紹介されたりするが、日雇いによってその日その日を食いつないでいる人も少なくなかった。特に、昭和24年に東京都が「最低日当」である240円を定めると、彼らは「ニコヨン」と呼ばれた。ただ、ほとんどが肉体労働で宿代や飯代が差っぴかれ、雨が降ると仕事ができずに食いっぱぐれる。
とくに、戦争などで未亡人になった女性が日雇い労働をしていると「エンヤコラ(ヨイトマケ)」と呼ばれた。ちょっと引用しよう。
エンヤコラたちは朝六時に家を出て、近くの職業安定所に向かう。格好は地下足袋を履き、モンペを着る。不安は、今日も現場にありつけるかということである。すでに安定所には多くの日雇いが集まって仕事を待っている。もしありつけなければ、その日の収入はない。午前七時に登録番号順に並び、求職票を手にして、現場に行けるとわかったときがもっとも安心する。(中略)
一日の労働を終えて給金を貰うとき、これで明日一日も生きられるという安ど感に包まれた。帰り道に甘納豆など子供の好きなものを買って帰るのが楽しみだった。子供たちに食べさせるために、銭湯代を節約して食事代に回すときもある。
<生活の 最低限に生きる吾 媚びることなく へつらうこと無く>
思ったよりもいろいろ内容を紹介してしまったが、書籍の中だともっといろいろ書いてあるし、それぞれの職業のイラストが描かれているので、気になった人はぜひ読んでみてほしい。
今日の一首
12.
天津風 雲の通ひ路 ふきとぢよ
をとめの姿 しばしとどめむ
現代語訳:
天を吹く風よ、(天女たちが通る)雲の通り道をふさいでおくれ。
(天女のように美しい)舞姫たちをもう少しここにとどめておきたいのだ。
解説:
六歌仙のひとりが詠んだロマンチックな歌。まだ出家する前、良岑宗貞(よしみねのむねさだ)と名乗っていたときに、宮中の行事「豊明の節会(とよのあかりのせちえ)」で踊る舞姫を天女に見立て、その美しさをたたえている。
後記
ちょっと暇だったからこれを見た。
まったく予備知識なしで鑑賞したのだけど、よくよく調べると映画『バットマン ビギンズ』と『ダークナイト』の間の時系列を生めるオムニバスアニメであるとのこと。オムニバスなので作品全体としてのおもしろさはないけど、『鉄コン筋クリート』の西見祥示郎が監督をしていたり、Production I.Gやマッドハウスなんかがそれぞれ手がけたりしていて、いろいろなバットマンをみれるのはおもしろい。
プライム対応だったら見るのもいいけど、残念ながらAmazonでも有料の作品なので、積極的に勧めはしない。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。