『体育館の殺人』を読んで、「読者への挑戦状」を考える
高校生時代は帰宅部だった徒花です。
もくじ
今回紹介するのはこちら。
「平成のエラリー・クイーン」
著者の青崎有吾氏は1991年生まれで、明治大学の文学部在学中に本作を書き、2012年に第22回鮎川哲也賞を受賞。「平成のエラリー・クイーン」と称されているミステリ界期待の新鋭である。
派手じゃないけど、正統派
作風は、とにかくロジカルロジカル! 事実を丁寧に積み上げながら隙のない論理を構築して、有無を言わせぬ推理で真相を解決する。かといって、森博嗣氏や西澤保彦氏のような理系ではない。どちらかというと、弁論部のような文系のロジカリストといえばいいだろうか。
そのため、主題はトリックを暴くハウダニットとフーダニット。動機なんて飾りですよ。偉い人にはそれがわからんのです――といわんばかりに、動機はけっこうおざなり。だが、それでいいのだ。
そして、派手さはない。キャラクターはテンプレ通りのコテコテなもので、探偵役の裏染天馬(うらぞめ・てんま)くんはアニメオタクだが、純然たるミステリージャンルの王道を行くもので、「恋愛」「SF」「ホラー」「コメディ」「ファンタジー」など、ミステリーに付随しやすいほかのジャンルを一切付加しない、ある意味で無味無臭な作品である。だからこそ、ミステリー好きじゃないとそこまでのめりこむものではないかもしれない。
簡単に言うと、「体育館で密室殺人が発生するお話」
あらすじをすんごく簡単に述べると「ある高校の体育館で密室殺人が発生し、探偵役の男子生徒がそれを鮮やかに解決する」という物語である。タイトルのまんまだ(ちなみに、章タイトルも飾りっ気のない無機質なものになっている)。
それだとあまりにシンプルすぎるから、もう少し丁寧なあらすじを述べていこう。
あらすじ:
女子卓球部の袴田柚乃(はかまだ・ゆの)が放課後、部活動のために旧体育館に行くと、なぜか舞台の幕が下がっていた。あとからやってきた演劇部が幕を挙げると、ステージの中央で、放送部の部長・朝島が胸にナイフを刺されて死んでいた。
体育館はどのドアも鍵がかかっているなどして、人の出入りはできない。やがて警察は、死亡推定時刻のアリバイがない卓球部の部長・佐川奈緒(さがわ・なお)を容疑者として取り調べる。だが、部長の無実を信じる柚乃は、彼女の無実を晴らすため、学校に住み着いている変人の秀才・裏染天馬に助けを求め、10万円を支払うことで彼に探偵役を依頼するのだった。
トイレに打ち捨てられていた新品の黒い傘。わざわざステージの中央に動かされていた死体。落ちていた女子生徒のリボン――それらが意味することがすべて明らかにされたとき、たったひとりだけ該当する犯人が浮き彫りになる。
「読者への挑戦状」の意義
本書の特徴の一つとして、解決篇に入る前に「読者への挑戦状」がある点が挙げられる。その部分を一部、引用しよう。
幕間――読者への挑戦
現代において、推理小説の途中に「読者への挑戦」が挟まっていたところで、実際にその挑戦を受け問題編を読み返して犯人やトリックを当てようとする奇特な読者などもはやどこにもいるはずがなく、したがってそんなものを挟むのは紙の無駄であり時間の浪費であり愚の骨頂である、というのが作者の個人的な考えであったが、ひょっとすると世の中には我々の想像をはるかに超えるような圧倒的物好きもしくは暇人がいるやもしれず、また、この知的で紳士的な素晴らしい発明をないがしろにするというのも実に無粋な愚行であると思うので、伝統にのっとりここに「読者への挑戦」を挟むこととする。
第四章のタイトルをご覧いただければおわかりの通り、現時点で、謎を解くための材料は全て出そろった。「この何気ない会話の中にヒントがあるのでは」「この一見無関係なシーンが伏線なのでは」などと気を張らなくともよろしい。全ての手がかりは、第一章の出だしから第四章末尾までの間に、あからさまな形で記してある。飛躍した発想も必要ない。読者諸兄が手がかりの一つ一つをごく当たり前に分析し、論理的に考えていけば、自ずと答えは導き出せるはずだ。
作者は、読者諸兄に挑戦する。あの学校に住みつく駄目人間が構築した推理と同じ道筋を辿り、ぜひ彼よりも先に真実を――すなわち朝島友樹を殺した犯人の名前、並びに密室の謎の真相を――言い当てていただきたい。皆さんにも、それは充分可能なのだから。
著者も言っている通り、「読者への挑戦状」があるからといって、バカ正直にそれまでの部分を再度読み、なんとか犯人を当てようとするのはよほどの数寄者だろう。私自身、ミステリーは大好きだが、そのようなことはしない。
でも、それでも私は「読者への挑戦状」が大好きだ。たしか、初めて読者への挑戦状を目にしたのは、島田荘司氏の『占星術殺人事件』だったように思う。
私はこの小説で初めて「読者への挑戦状」を見て、大きな衝撃を受けた。なぜなら、この小説を書いた本人である著者が、ほかでもないこの私に語りかけているのである!!!! こんなものは、ほかの小説ではなかなかお目に書かれない。
ふつう、小説の作者は黒子に徹している。とくにミステリーの場合は下手なことを書くとヒントを与えることになるので、「あとがき」すら書かないのが普通だ。つまり、読者はその本を読んでいる間、著者の作り出した世界にのめりこむことはできるが、そこで「著者の存在」を感じることはできない。(もちろん、有栖川有栖氏のように、著者と同姓同名のキャラクターが作中に登場することはあるが、基本的に著者とは別のキャラクターとして認識する)
だからこそ、著者からの直接のメッセージであるこの「読者への挑戦状」に、ミステリ好きはいたく興奮するのだ。たとえそれがあまり意味をなさないものでも、そんなのぜんぜん関係ない。「読者への挑戦状」があることそのものに意味があるのだ。
「私は読者に挑戦する」
この言葉に、読者は痺れてしまうのである。やはり、ミステリーはよい……。
そして、著者の青崎氏はそのことを重々承知しているからこそ、あのような前口上を述べながらも、しっかり「読者への挑戦状」を挟んでくれているのだ。青崎氏はツンデレなのである。うれしいぞチクショウ
おわりに
ちなみに、「読者への挑戦状」は、たまに著者ではなく、作中の登場人物が読者に向かって語りかけてくるパターンもある。たとえば古野まほろ氏の「探偵小説のための~」シリーズは、名探偵にして陰陽師の小諸るいか(こもろ・るいか)が、読者に挑戦してくる。
この場合、結局著者と読者をつないでいるわけではないが、それでもやっぱり私は興奮してしまう。これがミステリ好きの悲しき性なのか。。。。
しかし、ある意味でこの「読者への挑戦状」があるという点だけでも、私は青崎氏が好きになってしまった。本作は続編も出ているので、読んでみたい。探偵役の裏染くんの素性も明らかにされていないし。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。