ドーナツを穴だけ残して食べる4つの方法~『ドーナツを穴だけ残して食べる方法』のレビュー~
ドーナツになぜ穴が空いているのかという理由には諸説あるらしいが、一説によれば、油で揚げるとき、火の回りを早くするためだとされている。
もくじ
また、「ドーナツ」という言葉の由来だが、これもあまり信頼できるソースが見つからなかったので定かではない。
ただ、一応納得できる情報としては、英語で書くと「dough(生地)+nut(ナッツ)」で、もともとはクルミなどを乗せて作っていたのが語源だという。
ポン・デ・リングの由来
ちなみに、ミスタードーナツに「ポン・デ・リング」という商品があるが、これはブラジルのドーナツ「ポン・デ・ケイジョ」に由来する。
ブラジルの公用語はポルトガル語で、ポンは「パン」、ケイジョは「チーズ」のことだ。キャッサバ芋の粉末を原料にしながら、生地にチーズを練りこんで作るらしい。(ポン・デ・リングの原料にチーズが使われているかはわからない)
だが、ここでの主題はドーナツではない。穴のほうだ。
ドーナツを穴だけ残して食べる方法 越境する学問―穴からのぞく大学講義
- 作者: 大阪大学ショセキカプロジェクト
- 出版社/メーカー: 大阪大学出版会
- 発売日: 2014/02/14
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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疑問というのは大体「なぜ」か「どうやって」に大別される。「なぜ」は研究者思考で、「どうやって」は技術者思考だ。前者は過去に焦点を当て、後者は未来に視野を広げている。
どちらがより重要かはあまり意味のない問いかけだが、強いて述べれば、「どうやって」は目的であり、「なぜ」は手段だから、「どうやって」ありきの「なぜ」のほうが有意義ではあるだろう。(有意義であるかが重要かは、また別の問題だが、ビジネス実用書では断然「どうやって」を考えるほうが重視されるし、実社会ではそうだと思う)
目的としての「どうすれば」と手段のための「どうすれば」
この本の場合、論点は「どうやって食べればドーナツの穴だけ残せるか?」というもののように思えるが、じつはそうではない。むしろ、この問いは本の真の目的を達成するための手段でしかない。
常識を疑うこと.だれもがあたりまえだと思っていることを,本当にそうだろうかと突き詰めて考えてみること.それは学問に携わる人々にとって基本的な姿勢です.これまでだれもがあたりまえだと考えてきたことを覆していく点に,学問の醍醐味があります.学問はそのようにして発展してきたのです.
そう考えてみると,「ドーナツの穴だけ残して食べる方法」という,一見したところ常識はずれの問題も,「馬鹿げている」と一蹴できないかもしれない,そんな気がしてきます.それは,一見,馬鹿げた問いに見えるけれども,だからこそ,ものすごく大事な問いなのかもしれません.
本書はそれぞれの研究者たちが、「ドーナツの穴だけ残して食べる方法」という問題にどうアプローチし、どう持論を展開していくかを示すことで、一般の人々に学問の真髄、おもしろさを伝えることを目的としている。
つまり、「どうやって一般の人々に学問のおもしろさを伝えればいいのか?」という問いに対する方法としての「どうやってドーナツの穴だけ残して食べればいいのか」という問いなのだ。
半分くらいはタイトルと違う内容だけど
とはいえ、この本がその最終的な目的を無事に達成できているかは、私としては首を傾げざるを得ない。というのも、タイトルとは裏腹に、本書は第1部「穴だけ残して食べるには」と、第2部「ドーナツの穴に学ぶこと」の別れていて、タイトルに沿った内容は前者だけだからだ。しかも、全276ページのうち、第1部は122ページまでと半分程度に過ぎない。
平たく言えば、タイトルから読者が想像できる内容は全体の半分程度に過ぎず、だいぶ期待はずれ感がある本だと感じるわけだ(そのことは制作陣もうすうす感じている節がある)。
それでも、私がおもしろいと感じた部分があるので、このエントリーではそれを紹介しようと思う。
それは、第2部の第8章「法律家は黒を白といいくるめる?」の部分である。ここでは、国際公共政策研究科の教授が、「法律家」の立場からこの問題に対する見解を展開する。
法律家のアプローチ
まず法律家のアプローチは「法律ではどういっているか?」である。そのため、まずは法律にドーナツという文言がかいてあるか、裁判の事例にドーナツについて争われたものがあるか、を調べなければならない。
ちなみに、東京地裁や知財高裁は「ドーナツ」という用語に対する商標使用に関する争いに際し、次のように判断している。
「ドーナツ」の語が中央部に切り欠き部ないし窪みを有する事物の形状の意味を持つことは辞書に掲載されていない.中央部に窪みを有する事物の形状と言っても,当該事物の外縁あるいは事物全体が特定されるものではなく,窪みの形状には様々なものがありうることに照らすと,そのような事物の形状には広範なものが含まれる.したがって,「ドーナツ」の語からそのような事物の形状が想起されるものとは認め難い.
この判断は一般人的な日本人の感覚に照らし合わせるとちょっと不思議な感じもするが、とりあえず裁判所は過去にそういう判断を下しているということが大事なのである。
法律化が導き出した4つの解法
ここから法律化が導き出した4つの結論は次のようなものだ。
判例に従うと、ドーナツとは必ずしも穴が空いたものであるとは限らない。
↓から
①穴の空いていないドーナツの中央部分だけを食べて「穴」を開けた状態にすれば、「穴だけ残してドーナツを食べた」といえる状態になる
②穴の空いていないドーナツの中央部分を切り取り、それ以外の部分を食べれば、「穴だけ残してドーナツを食べた」といえる状態になる
③「穴」には「欠けて不完全な部分」という意味が広辞苑にあるので、ドーナツのこげた部分は穴だと考えることができるため、この部分だけ残せば「穴だけ残してドーナツを食べた」といえる状態になる
④広辞苑によれば、「穴」は「窪んだところ」という意味もあるので、粉砂糖をボールに入れて、それにドーナツで窪みをつけたあと、ドーナツを食べれば「穴だけ残してドーナツを食べた」といえる状態になる
もはやこれは詭弁というか、エドワード・デ・ボノの「水平思考(ラテラルシンキング)」に近い。
が、個人的には本書の中で一番納得できる回答だった。のは、おそらく私が理屈っぽい人間だからだろう。
『ヴェニスの商人』もたしかに詭弁の話ではある
法律家はその後、『ヴェニスの商人』まで持ち出しながら、このような屁理屈・詭弁がまかり通ることを述べている。
ついこのあいだ、こちらの記事でも書いたが、個人的に最近は「意味のないことを考えることに意味がある」という考え方にハマっている。ので、この本は思考の体操的な意味では楽しめた一冊だった。
ドーナツを穴だけ残して食べる方法 越境する学問―穴からのぞく大学講義
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今日の一首
26.
小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば
今一度の みゆきまたなむ
貞信公
現代語訳:
小倉山の峰のもみじよ。もしお前に心があるなら、
今一度、天皇がいらっしゃるまで散らずに待っていておくれ
解説:
みゆきは「行幸」で、要するに天皇が外出すること。上皇や法皇、女院が外出する場合は、同じみゆきでも「御幸」と書く違いがあるらしい。ちなみに、これは貞信公(藤原忠平の死後に送られた名前)が宇多法皇と小倉山の紅葉を見に行ったとき、法皇が「(息子の)醍醐天皇にも見せたいものだ」とつぶやいたので、その心情を代わって歌に読み上げたものとなっている。
後記
最近はひたすらPS4でStar WarsのバトルフロントⅡをやってる。
北米版は課金ガチャでかなり炎上したようだが、いまのところ、日本版は課金ができなくなっているのだろうか? 私はあまり気にせずにデイリーコレクトをこつこつ貯めながら、しこしことクレジットを稼ぐ毎日。個人的にはヒーローvsヴィランが割りと暴れられるし、クレジットを稼ぎやすい。あと、シナリオモードが地味に長い。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。