みんな手を抜いている~『安売り王一代』のレビュー~
今回紹介する本はこちら。
驚安の殿堂 ドン・キホーテの創業者が書いた自伝的ビジネス書。安田氏は何冊か本を出しているが、おそらくこの本が一番売れているはず。
もくじ
大企業の創業者が書いた本は概しておもしろいものが多いのだが、この本もその例に漏れず、たいへんおもしろかった。
ジェットコースターのようにあがったり下がったりを繰り返す破天荒そのものの人生で、大変にドラマチック。そして、ドンキの代名詞といえる「圧縮陳列」や「手書きPOP」はそもそもどうやって生まれたのか、そのルーツがわかる。
ドン・キホーテの歩み
かいつまんで説明すると、安田氏の歩みはこんな感じ。
大卒後、入社した会社が10ヶ月で倒産
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麻雀で糊口をしのぐ自堕落な生活
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一念発起して企業を決意。しかし、専門知識も技術もないので、単純に「モノを売る」商売を始める
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普通に仕入れてもまったく売れず、とにかく原価ゼロのクズ商品をいっぱい集めて狭い店舗に押し込み、手書きPOPで紹介。これが話題になる。
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店に限界を感じたので、小売をやめてディスカウントアイテムの問屋業を開始。ノウハウがあったので、すぐ軌道に乗る
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また小売業がやりたくなり、「ドン・キホーテ」をスタート。従業員を雇ったが、「圧縮陳列」を理解してくれず、「教える」のを放棄。すべて担当者に任せ、それが功を奏する。
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周辺住民の出展反対運動や、従業員に死者が出た放火騒動、医薬品のテレビ電話販売にかかわる厚労省との戦いを繰り広げる
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老害になるのがいやなので経営そのものを委譲して引退
「はらわた」で考える
なんといっても、この安田哲学の根幹を成すのが「はらわた」という言葉だ。
もうどうにもならない。このままでは死あるのみ。ついに俺の人生も終わったか……。そんな思いに駆られ、絶望の淵で苦悶することの連続だった。
そのたびに、もがき苦しみ、唸りながら、考えに考えた。それは冷静に理詰めで考えるなんてもんじゃない。はらわたの底から振り絞るようにして、なんとか生き残るための活路を必死で考える。その場しのぎの泥縄でもかまわない。とにかく今、この瞬間を生き延びるために苦しみ抜いて考えるのだ。
すると、ある瞬間に天啓のようなひらめきがやってくる。隘路を抜ける方策が、ハッと思い浮かぶ。半信半疑でその方策を試してみると、これが見事に当たる。
私もそうなのだが、じつはみんな「本当に真剣になる」ということができない。アニメ『サマーウォーズ』の主人公・健二はクライマックスシーンで暗号解読のためにとんでもない計算をし、鼻から血を流していたが、まさに鼻から血が出るくらい必死で何かを考えつくすという経験をしたことがある人はいないと思う。
それはなぜかというと、じつは、そこまでみんな、追い詰められていないからだ。つまり、じつは精神的には余裕があり、心のどこかで「失敗してもいいや」という思いを抱えてしまっている。
みんな、手を抜いている
話は本筋から外れるが、私は先日、とんでもないヒットメーカーの編集者と話をした。そのとき、彼はこう断言した。
「世の中の売れていない本は、絶対にどこかで誰かが手を抜いて作っている」
私はまさにハンマーで頭を殴られたような衝撃だった。それは私自身、詳細に思い返してみると、あてはまることだったからだ。
「もうちょっと文章を整理したいけど、時間もないし、間違ってないからいいか」
「このレイアウトでデザインを組んでもらって、上司からもOKもらっちゃったから、本当はもうちょっと修正したほうがいいかもしれないけど、これでいくか」
「時間もないし、見返し部分なんて誰も見ないだろうから、とりあえず入れておいた文言のまま進めるか」
必ずどこかでこういう気のゆるみがあって、妥協したり、サボったり、なんとなくで仕事を進めてしまっているところがある。だから、実際に本が発売されたあと、その売れ行きが芳しくなかったりすると
「やっぱりあの部分をもうちょっとああしておけばよかったかもな」
という後悔の念が沸き起こってしまうのだ。しかし、こう思っている限り、私は絶対にベストセラーを出すことができない。どこかひとつでも、自分の仕事で後悔の念がある本は、売れるはずがないのだ。
穴だらけのバケツ
私は、これは多くの人に当てはまると思う。
べつにみんな、わざと手を抜いたり、テキトーに仕事をしているわけではない。みんなマジメだ。しかし、それでも、やっぱりどこかで「これくらいでいいか」という思いがあって、そこで思考をとめてしまっているから、本当にそれぞれの世界で活躍しているトッププレイヤーになれないのだろう。
たとえば私は本の企画を立てるとき、本当に「はらわた」の底からその本が売れるかどうか、真剣に考えているだろうか。本当にそのタイトルでいいのか、本当にその見出しでいいのか、本当にそのデザインでいいのか、本当にその目次の順番でいいのか、本当にその言葉遣いでいいのか、本当にそのフォントでいいのか、本当にその用紙でいいのか、そもそも本当にその著者でいいのか・・・・・・
超一流の人間というのは、少なくとも自分の仕事で妥協しない。でも、おそらく平凡な人間は、仕事で少なくとも一日10回くらいは妥協していると思う。
「本当はこうしたほうがいいと思うけど、まあわざわざ言わなくてもいいか」
「ちゃんと挨拶したほうがいいけど、しなくても相手は気にしないか」
「本当はこのメールにすぐ返信しなきゃいけないけど、あとでもいいか」
これはまるで、自分で自分のバケツに小さな穴を空けているようなものだ。超一流の人たち持っているバケツには穴が開いていない。でも、私たちが持っているバケツは、小さい針で開けた穴が無数に空いているから、いくら水を汲んでもそこから漏れてしまう。これでは、いつまでたっても追いつけるはずがないのだ。
やっぱりなにかしらの道で成功した人物というのは、そうじゃない人たちと心持の部分で大きな違いがある。そして、自伝的な書物というのは、ノウハウではなく、実際にその心持の部分を学ぶことができる点ですごくおもしろいと思うのだ。
今日の一首
94.
みよし野の 山の秋風 小夜更けて
ふる郷さむく 衣うつなり
参議雅経
現代語訳:
吉野山に秋風が吹いて、夜が更けた。
昔栄えたこの地も寒くなり、(衣をやわらかくするために)砧で着物を打つ音が聞こえてくるよ
解説:
坂上是則の「み吉野の 山の白雪 つもるらし ふるさと寒く なりまさるなり」をもとに詠んだ本歌取り。季節を冬から秋に変え、すっかり寂れてしまった土地と秋風、そして山の静けさを一体化している。
後記
最近、ニコニコ動画で見つけたこの動画が最高だった。
編集がうますぎて泣ける。アンパンマンの劇場版はこれまで見たことがなかったけど、これはちょっと見てみようかなと思った。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。