『生き方』(稲盛和夫)を読んでも、どうかみんな実践しないでおくれ
「野球は筋書きのないドラマである」という名言を残したのは三原脩氏だが、個人的には筋書きのあるドラマのほうが好きな徒花です。
もくじ
今回紹介する本はこちら。
京セラの創業者・稲森和夫氏が書いた自己啓発書の名著。かなり売れているし、多くの人に読まれている。
生き方に王道なし
ギリシャの数学者・ユークリッドはエジプト王のトレミーに数学を教えていたが、そこで「もっと簡単に幾何学を勉強する方法はないのか?」と訊ねられた。そこで、ユークリッドが答えたのが、以下の名言である。
「学問に王道なし」
つまり、手っ取り早く学ぶ方法なんかない。地道にコツコツ勉強する以外、学問を修める方法はない、ということである。本書で稲森氏が再三にわたり読者に伝えているのは、まさに「生き方に王道なし」ということに近い。
人は幸福を求めている。そして、できれば手っ取り早く、幸福を手に入れ、充足した生活を手に入れたいと考えている。だが、そんな裏ワザは存在しない。結局、まじめに(そして情熱的に)働き、自らを律し、倫理的に日々を重ねることでしか、幸福な生き方は得られないのである。
似たようなことを言っているのが、ベテランコンサルタントの小宮一慶氏である。
小学校で習う道徳を、大人になってからも実践すること
結局、いい人生を生きるためには、「勤勉であること」「悪いことをしたら謝ること」「困っている人を助けること」「人に感謝すること」「謙虚でいること」「礼儀正しいこと」「ものごとに真剣に取り組むこと」など、いずれも小学生の道徳で習うようなことを愚直に続けていくしかない。多くの人はそれを忘れ、結局はエゴイズムに支配されてしまうから、不幸せになってしまう。才能があっても、熱意があっても、その力が向かう先が「正しく」なければ、先に待っているのは破滅である――と稲森氏は伝える。
ジョン・F・ケネディの演説の有名な一節がある。
Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.
国が自分たちに何をしてくれるのかを問うのではなく、自分たちが国に何ができるのかを問うてください。
これは相手が国でなくても、成り立つ。他者が自分になにをしてくれるのかを問うのではなく、自分が相手になにをできるのかを、つねに自らに問いかけなければならない。
稲森氏に反論したい
本書に書いてあることは、この社会で確固たる実績を上げている稲森氏が自身の経験をもとに書いたことなので、どうしようもなく正論である。ただ、ひとつ、個人的には反論したいことがある。
稲森氏は本書の中でたびたび、「今日の日本人はかつて持っていた美徳を失ってしまった」ということを主張している。しかし、これはちょっと誤りだと思う。もちろん、今日において美徳を持っている人は多数派ではないだろう。だがそれは、別に今日に限った話ではないと思う。
江戸時代であれ、幕末であれ、戦後であれ、どの時代でも、おそらく多くの人間は美徳と無縁に生きてきた。ただ、私たちがその時代に生きた経験がないから、それを実感できないだけだ。たとえば明治維新のとき、語られるのは近代日本の礎を築いた偉人たちばかりだが、そうした人々はほんの一握りで、市井の多くの人々はズルくて、日本国のことなんか考えていない人のほうが多かったのではないか。天邪鬼な私などは、そう考えてしまうのである。
宇宙の力を信じましょう
ちなみに、本書には宇宙の力的なスピリチュアルな内容も含まれてくる。それ自体は別に、こういう自己啓発書では珍しいことではない。というよりも、自己啓発書というやつは突き詰めると、基本的には同じことを言っているに過ぎない。山の頂上を目指すとき、どのルートを使って登山するかの違いしかないのだ。
- 作者: ナポレオンヒル,Napoleon Hill,田中孝顕
- 出版社/メーカー: きこ書房
- 発売日: 1999/04
- メディア: 単行本
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どうかみんな、悟らないでおくれ
稲森氏は賢者である。悟ってる人だ。ブッダだ。
だが、世の中の多くの人々は、だいたい稲森氏の域に達していない。だからお金がなかったり、いつもなにかに怒ったり、悲しんだり、妬んだり、僻んだり、愚痴を言ったりしたり、自分のことが嫌いになったり、犯罪を犯したり、嘘をついたり、暴力をふるったりする。
世の中の人が全員、稲森氏のような人になれば、世界は素晴らしくなるだろう。だが、天邪鬼な私はそんな世界には住みたくない。そんな世界は全然おもしろくない。
だから私は本書を紹介しつつ、「どうかみんな、この本を読んでも、ここに書かれていることを実践しないでおくれ」と願っている。みんな「いい人」になってしまったら、世界は一気につまらないものになる。自分勝手で、ウソつきで、暴力的で、残忍で、冷酷で、怠け者で、自堕落で、弱くて、ネガティブな人々が多いからこそ、この世界はおもしろい。
稲森和夫は人間ではない
私は世界の傍観者でいたい。これから先、たとえば100年後の世界がどうなっているか、この目で見てみたい。
どれだけ人類が進歩して、そして進歩していないのかを見てみたい。きっとどれだけ科学技術が進歩し、医療が発達し、社会制度が改良されて、知識が増えても、たぶん、隣のだれかはつまらないことでイライラしているのだろう。それが人間なのだ。
悟っている人は、もはや人間ではない。つまり、稲森和夫は人間ではないのだ。松下幸之助とか、手塚治虫は「神様」などとよばれるが、それは比喩ではなく、もはや彼らは「人間のレベルを超えていた」のだ。
おわりに
おそらく本書を読んでも、人間のレベルを超越できる人はほんの一握りだろう。それくらい、「人間のレベルを脱する」のはムツカシイ。逆にいえば、人間が人間であろうとする意志は強い。
ただ、誤解してはいけないのは、生まれたときから「人間を脱するレベルを持っている人と持っていない人がいる」わけではない、ということだ。誰でも人間を超越する能力は持っている。そこをしっかり理解しておかないと、自らをさらに不幸のどん底に叩き落すことになってしまうので、注意が必要だ。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。