本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』(管賀江留郎・著)のレビュー

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鎌倉時代浄土真宗を起こした親鸞は「他力本願」「悪人正機」という考え方を世に打ち出しました。

この考え方を端的に表現しているのが、有名な『歎異抄』のなかの次の一文です。

善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや

(善人だって極楽に行けるんだから、悪人だったら極楽に行けるに決まってるでしょ)

ふつうに読むと「は?意味わからん」となりますね。

善人が極楽に行けるのはわかるけど、なんでそれで「悪人も当然、極楽に行ける」という結論に行き着くのか。

 

ここでポイントになるのは「悪人」がなにを意味するのか、ということです。

ここでいう悪人とは「自分が悪い人間、至らない人間だと自覚している人」のことです。

そもそもの話、私たちはこの人間界に生まれている時点で善人ではないのです。

なにも曇りがない、迷わない、悟りを開いた人であれば、極楽浄土に行っているはずですからね。

善人というのは逆に「自分は悪いことをしていない」と考え、悪人である自覚のない人のことです。

仏さまはこういう「自分が悪人だと自覚していない人」ですら救おうとしてくれるのだから、「自分が悪人だと自覚している人」であれば当然救ってくれる……ということを親鸞は提言しているのです。

 

この「悪人」は「悪気」とも言いかえられると思います。

たとえば、ちょっとした発言でだれかを傷つけてしまって「悪気はなかった」と言い訳する人がいたら、これはなかなか、たちが悪いですね。

「悪気がなかった」ということは、自分の発言のどこが相手を傷つけてしまったのか、自分で理解できていないということです。

ここで自分の行いを反省すればまだいいですが、そもそもこの場合「自分は別に悪いことをしていない」と考えている可能性が高いわけですから、この人はまた同じように人を傷つけてしまうと考えられるわけです。

物事の善悪は主観によるところも大きいし、時代によっても変わってしまいます。

セクハラとかモラハラとか、政治家とか著名人の失言とかも、時代とともに変わっていったコモンセンス(大多数の主観)と外れてしまっていることに無自覚だったから起きてしまうものなんでしょう。

 

本書『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』は、昭和に起きた冤罪事件が起きた背景を読み解きながら、人間全般に応用できるこの心のメカニズムを明らかにした一冊です。

言ってみれば、冤罪事件を引き起こしてしまった刑事さんとか、あるいは罪を犯していないのに罪を認めてしまった人とか、司法の人間とか、あるいは実際に人を殺したサイコパス的な犯人でさえ、みんな悪気がないのがこの本を読むとわかります。

とくに拷問を交えた自白によって誤認逮捕してしまった紅林麻雄氏などは人情味のある人柄で、世のため人のために事件を解決したいがために数々の冤罪事件を起こしてしまったきらいがあります。

本書では親鸞の話は別に出てこないのですが、その代わりに後半ではアダム・スミスの『道徳感情論』をベースに、著者の持論が展開されていきます。

 

道徳感情論 (講談社学術文庫)

道徳感情論 (講談社学術文庫)

 

 

そのくわしいロジックをここで書くのはなかなか骨が折れるので、気になる人はぜひ読んでほしいのですが、

・人間が知能を得たことで見知らぬ他者の心情を共感できるようになったこと

・それにより直接的な関係のない他者によって作り出される<評判>を重視するようになったこと

・自分に直接的な関係がなくても正しく賞罰を与えることに躍起になってしまうこと

などといえるでしょうか。

 

なお、500ページを超えるこの本、見た目のゴツさとは裏腹に読み始めるとけっこうのめり込んで一気に読める感じなのですが、個人的には文句をつけたいというか、もうちょっとこうしたほうがいいんじゃないかなと感じる点がありました。

「はじめに」です。

最後まで読み終えてから改めて「はじめに」を読むと、なるほど著者のいいたいことがまとまっているように感じられるのですが、私のようにこの本に関する予備知識がなく、あたかも社会心理学の本として読み始めた読者がこの「はじめに」を読むと、いったいなんの本なのか混乱するというか、なんか難しくてわかりにくい本にしか感じないのではないかなあと思ったのです。

「はじめに」で述べられていることを要約すると

・戦後の昭和の時代にシャーロック・ホームズ顔負けのすごい推理力を持った犯罪分析官がいた

・でも、そもそもこの本はそういうすごい人を紹介するためじゃなくて、あんまり取り上げられることのない少年犯罪の真相を解明しようとして書き始めた

・だけど調べているうちに冤罪を引き起こした刑事さんのこととか、冤罪を暴くために私生活と家族を犠牲にした刑事さんとかがいて、そういう人たちのことも紹介したくなった

・そういうことを調べていたらそもそも戦後日本の警察組織とか省庁の派閥争いとか司法のゴチャゴチャとかそういうドロドロしたものも垣間見えてきたからそれも紹介する

・とかいうことを考えていたら、こういうことのすべてがアダム・スミス道徳感情とか進化生物学的な視点から共通点があるんじゃないかと思えてきたらそれについてもまとめた

という感じでしょうか。

この認識というか、順番が正しいかどうか、私もあまり自信がもてません。

よくいえばまさにこの本の内容を網羅しているとも表現できますが、これだけの本を一冊書き上げる文章力があるならもうちょっとうまくわかりやすくまとめられるでしょ、とツッコミを入れたくなるような感じの文章だったのが残念でした。

まあでも、この「はじめに」はふーんと軽く読み流して、サッサと第1章に入ってしまえばグイグイのめりこめるので、そういう読み方をするのがいいかもしれないです。

 

 

後期

クラッシュ・バンディクー ブッとび!マルチワールド」をしばらくやってみたんですが、やめました。

https://www.king.com/ja/game/crashontherun

 

メーカーはキャンディークラッシュが有名な会社です。

いわゆる縦スクロールのランゲームで、ゲーム自体はまあまあおもしろいです。

グラフィックもきれいで、うごきもなめらかです。

ただ、いちいち先のステージに進むのにアイテムが必要なのがひたすら面倒くさいですね。

ステージに挑戦するために必要なアイテムの種類と個数が固定されていて、その素材を集めるためには別のステージを走らないといけないのですが、そのアイテムの個数と手に入るための手間のバランスがいまいちな気がします。

ちなみに本家クラッシュ・バンディクーは3までプレイしていました。

2がいちばん楽しかったですね。

 

クラッシュ・バンディクー

クラッシュ・バンディクー

  • 発売日: 1996/12/06
  • メディア: Video Game
 
クラッシュ・バンディクー2

クラッシュ・バンディクー2

  • 発売日: 1997/12/18
  • メディア: Video Game
 

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。