作者を信用してはいけない ~『叙述トリック短編集』のレビュー
ミステリーの読み方は人によってそれぞれだと思う。
真剣に犯人当てやトリックの看破を考えながら読んでいく人も、まあいるだろう。
ただ、私はあまりそういうことを考えずにサッサと読み進めていく。
ただ、私としては、ミステリーには「驚かせてほしい」という期待があるから、あまり裏を読みすぎて、結末がそのとおりだとちょっとガッカリしてしまう。
騙されることが楽しい
そもそも人は、「気持ちよく騙されたい」という欲求が少なからずあるんじゃないだろうか。
手品とかも同じだ。(手品は種明かししてくれないからあまり好きじゃないけど)
ミステリーじゃなくても、最後に大どんでん返しがあると、やっぱりおもしろい。
というわけで、今回紹介するのはコチラ。
図書館をフラフラしていてたまたま見つけた1冊。
カバーイラストが『それでも町は廻っている』の石黒正数さんだったのも目を引いた。
そういえば、石黒正数さんも『外天楼』(←これもおもしろいからオススメ)とか、ミステリを題材にした作品があるし、本人もたぶんミステリ好きなんだろう。
叙述トリックとはなにか
叙述トリックというのは、「読者だけが騙される」というパターンの仕掛けだ。
たとえば、意図的にある情報を描写しないことによって、作中の登場人物たちにはわかりきっていることを、読者にわからなくする。
私がパッと思いつくのだと、『神のロジック 人間のマジック』がある。
ほかにも、こういう記事があるので、参考になる。
ただ、叙述トリックはその性質上、基本的に「この作品には叙述トリックが使われています」というのは明言しない。
そういう疑いを持って読んでいると、バレやすいものだからだ。
しかし、この『叙述トリック短編集』は、そうしたセオリーに真っ向から挑戦し、「この本の話にはすべて叙述トリックが使われています」というこをタイトルから明らかにした意欲作だ。
自らハードルを高くしている、といってもいいかもしれない。
著者はものすごく親切だけど、信用するな
さらに、この本の著者はとても親切である。
普通、文芸作品には「はじめに」「おわりに」がないが、本書の冒頭では「叙述トリックはなにか?」などの説明とともに、それ以外に以下のヒントを読者に明示してくれているのだ。
・一人だけ、すべての話に同じ人が登場している
・最終話はノーヒントで解けるでしょう
・その前の話では「それまでの話すべてを読み返してみる」とトリックに気付きやすくなるでしょう
・さらにその前の話では「たくさんいる登場人物をどこかにメモして並べておく」ことが重要
・その前の話では「最初のシーンがなぜ書かれたのか」が重要
・その前の話では「なぜ登場人物の名前がそれなのか」が重要
・その前の話では「なぜその形式で語るのか」が重要になる
親切だ。
でも大丈夫。
あまり深読みせずに読み進めていけば、最後の最後に気持ちのいい裏切りを見せてくれる。
一つヒントを与えるとしたら、著者を信用してはいけない、ということだろうか。
もちろん、ウソはついていないけど。
(本当に、叙述トリック系のミステリーは説明しすぎるとネタバレになるから書くのが難しい)
短編集なのでスキマ時間にちょこちょこ読めるが、やはりこの本全体の楽しさを満喫したいなら、あまり時間を書けずに一気に読み進めたほうが楽しめるだろう。
ちなみに、著者の似鳥鶏氏は2006年に『理由あって冬に出る』が鮎川哲也賞の佳作に入選してデビューし、いくつかのシリーズを執筆している。
文章はノリが軽くて、ライトノベルチックに、エキセントリックなキャラクターも出てくる。
文章は読みやすくておもしろかったので、今度、他の本も読んでみたい。
後記
なにかでたまたま知って、「ALTER EGO」というアプリゲームをやっている。
いわゆる「ノベルゲーム」と呼ばれるもので、文章を読み進めて選択肢を選ぶだけで物語が進むやつだ。
主人公は自分自身で、心理テストのようなものが「エス」という女性キャラクターから出題されるので、それに「あまり深く考えずに」答えていく。
その選択肢によって、エンディングが変わる。
とへいっても、そんなに種類が豊富なわけではない。
バッドエンドが2つ、ハッピーエンドが1つだ。
ただし、ハッピーエンドは2つのバッドエンドを見ないとたどりつけない。
あと、太宰治の『人間失格』や、中島敦の『山月記』、夢野久作の『ドグラ・マグラ』など、いかにも人間のねじくれた心理を描いたほんの一部を読み進めながら、ポイントを貯めていくと本筋が進められる。
ただ、全体的に広告が多いのが玉に瑕(無料ゲームだし、ユーザーがそんなに多くないだろうし、課金アイテムを使わなくてもクリアできる仕様ないので仕方ないところではあるが)。
ただ、アプリを閉じても自動的にポイントはたまっていくので、時間さえかければ問題ない。
ちなみに、「オルター・エゴ」というのは「他人格」、つまり他者の自我という意味を持つ心理学用語だ。
ただし、日本語で「オルター・エゴ」という場合は、芸能人などが別名義(別人格)で活動することも、こう呼ぶらしい。
たとえば最近だとピコ太郎なんかがそうだろう。
これは古坂大魔王さんがやっているものだが、本人は完全に別人だという設定を貫いているので、ピコ太郎は古坂大魔王さんのオルター・エゴである、と表現できる。
全体的にモノクロのデザイン、なにか不安になる音楽、あまり説明をしてくれないなぞめいたうトーリーで、けっこう好み。
気が向いたらやってみるのもいいかも。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。