やっぱり献本っていらないかも~『人魚の石』のレビュー~
『本が好き!』の献本で当たったので読んだ。
もくじ
田辺青蛙(せいあ)って、なんか聞いたことがある人だなぁと思っていたが、プロフィールを見てわかった。この本を書店で見て、印象に残っていたのだ。
印象に残ったのは、単純に装丁のイラストがかわいかったからだ。
この人はSF作家の円城塔さんの奥さんで、『読書で離婚を考えた』では、夫婦で読書リレーをやった顛末が書かれているエッセーみたいなもの(らしい)。円城塔さんといえば、若くしてこの世を去った伊藤計劃氏の遺稿『屍者の帝国』を引き継いで完成させた人というのが私の中の認識で、じつはちゃんと著作を読んだことがない。
ただし田辺氏はSF作家ではなく、ホラー作家である。なぜかWebで検索すると鬼太郎の服を着た写真が出てくるが、コスプレが趣味らしい。
妖怪ファンタジー?
本題に入ろう。『人魚の石』である。
あらすじ
幼年時代に10年ほど兄と一緒に預けられていた祖父母の古寺。大人になった主人公は、祖父母亡きあと主を失ったこの寺にひとり住み込み始める。だが、掃除のために庭の池の水を抜いてみたところ、その底で眠っていた男の人魚を発見。飄々とした真意のつかめない人魚は主人公の祖父とも付き合いがあったようで、この山にだけ現れる特殊な力を持つ石と、それを探し出す主人公の能力を教える。こうして、人魚と主人公の奇妙な共同生活が始まったのだった。
連作短編形式で、全体的にほのぼのとした雰囲気。あまり物事に動じない主人公と、ことあるごとに主人公を小ばかにしてマウントとってくる美青年人魚の組み合わせは耽美的だ。中盤になるとさらにつかめないキャラクターの「天狗」も登場したりする。雰囲気的には『夏目友人帳』に近いものを感じた。
終盤で期待を裏切られる
ただし、ただし、ただし。
本作を単なるほのぼの妖怪日常譚だと思うと、終盤で裏切られる。そこはやっぱりホラー小説の大賞でデビューしただけあって、とあるシーンから一気に物語全体の毛色が変わり始めるのだ。
明言は避けるが、想像以上に生々しくてグロテスクな恐怖がいきなり降りかかる。また、この展開を機に、そもそも物語の語り部だった主人公の記憶や認識に確証が持てなくなってくるので、過去の話についても、主人公の言う部分がどのくらい信用が置けるものなのか、読者にはわからなくなってくるのだ。
気に入らなかった点
序盤・中盤と終盤のギャップは楽しかったけど、やはり個人的にはちょっと肌が合わなかった。理由は以下の通り。
・そもそも日常系のほのぼのテイストが好きじゃない
・中盤あたりが退屈
・ラストが意味不明
とくに私がいちばん気に入らなかったのは、終わり方。最後の最後「未来の石」「夢の終わり」「人魚の石」はいずれも数ページで終わる短い章で、このようにした意図がよくわからない。また、抽象的な文章が続いて「結局どうなったんだ?」というモヤモヤが残る。
とはいえ、和風モノノケファンタジーが好きで、世界観に浸ったりしたい人は楽しめるかもしれない。
今日の一首
75.
契りおきし させもが露を 命にて
あはれ今年の 秋もいぬめり
藤原基俊
現代語訳:
あなたが約束してくれた言葉を命のように大切にしていたのに、
ああ、今年の秋も虚しく過ぎていってしまいます。
解説:
一見すると恋人の女性のことを詠んでいるようにも読めるが、違う。ただ、あえて恋の歌のように読めるのを意識しているのだろう。
作者の藤原基俊の息子は僧侶で、毎年秋に開かれる「維摩講(ゆいまこう)」の講師を希望していた。そこで、基俊が有力者である藤原忠道にお願いし、彼は了承してくれたのだが、約束したはずなのにいつまでたっても息子が選ばれないのをうらんだもの。ちなみに「させもが露」とは「ヨモギの葉の上の露」のことで、儚い望みのたとえ。
後記
献本が当たるとうれしいし、新刊がもらえるお得さもあるけど、この本を読んでちょっと感じたのは「やっぱり自分がそんなに読みたくない本を無理やし読んでも楽しめない」ということだ。
同様のことを感じたのは別にこの本が初めてではなくて、前々から「献本で当たったから読んでるけど、ぶっちゃけそんなに趣味の本じゃないな」と思うことはあったが、それが確信に変わった感じだ。
とくに『本が好き!』の場合、献本に当たると受け取ったのを連絡して、指定期間内に書評を書かなければならない。私は基本的に自分が気に入った作品か、なにか一言言いたい作品だけをブログに書くようにしているので、その基準に照らし合わせれば本書はその条件を満たしていないのだが、どうせ詳しい書評を『本が好き!』のサイトにアップしなきゃいけないんだから、せっかくだから自分のブログに先に書いてしまおうというしみったれ根性のためにここに書いた。
よく考えればわかることだが、やたらめったら献本に応募するのはよろしくない。読みたい本だけ読んで、読みたくない本は読まない……というのが読書精神上やっぱり健全だ。それに、この本をもっと楽しんで読める人が読むべきだと思う。
編集者として書籍を作っている私は、もちろん一冊でも多く自分が作った本が売れる事を望んでいるが、本というのは読書を選ぶのも事実であって、へたにベストセラーになって多くの人が読むということは、それだけその本がマッチしない読者を生み出してしまうことにつながるのかもしれないとも思う。むつかしい。
あとモンハンワールド楽しい。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。