『友だち幻想』(菅野仁・著)のレビュー
私は友だちが多い方ではないです。
いまも付き合いがあるのは高校時代に1人、大学時代に2人の計3人でしょうか。
友だちの定義は難しいですし、男女によって差が出る気もしますが、私の場合は「なにも理由がなくても会える間柄」が基準かなと思っています。
実際、計3人と述べましたが、この3人とは定期的に連絡をとっているわけではありません。
LINEをするのも、年に数回くらい、実際に会うのは年に一度あるかないかくらいの頻度ですね。
ただ、どれだけ時間が空いてしまっても、気軽に「飯でもくおうぜ」と呼びかけられる関係性は、この年齢になるとなかなかありがたみを感じますね。
……と、友だちという関係についてこんなふうに妙にありがたみを感じてしまうのは自分がいつの間にかオジサンになってしまったからなのかもしれないですが、一方で友だちという関係について悩みを抱えている人もきっと少なくないわけで、そういう人にとってこの本はありがたい存在なのでしょう。
この本、初版は2008年ともう10年以上前ですが、2018年に日テレ系の番組「世界一受けたい授業」でピースの又吉さんが本書を紹介したことで人気に火が付き、25万部を突破したようです。
余談ですが、「世界一受けたい授業」はTBSの「王様のブランチ」と並んで、書籍をよく紹介してくれる出版業界にとってたいへんありがたい番組の一つであります。
さて、本書の帯には「『みんな仲良く』という重圧に苦しんでいる人へ」というコピーが大きく乗っていますので、読者対象としては小学生、中学生、高校生、大学生、あとはママ友との付き合いなどで問題を抱えているお母さんなどでしょうか。
じつは私自身は、率直に言えばそういう人の気持ちはよくわかりません。
というのも、学生時代からあまり友人関係を重視しない人間だったからです。
今でも覚えているのですが、中学時代、家が近くて一緒に下校する友人が1人いたのですが、私は「今日はなんか一人で帰りたい気分だから一人で帰らせてくれ」とつたえ、週に一度くらいは一人で帰っていました。
そんな失礼極まりない私に対して友人関係を続けてくれていた彼は、いま考えると大変広い心の持ち主だったと思います。
いかんせん当時はまだ携帯も持っていなかったので、いまでは彼と連絡がつかない状態ですが、いいやつでしたね。
そんな感じなので当然ながら団体行動はできず、部活は幽霊部員、大学に入ったサークルでもレアキャラ(前触れもなく現れてフッといなくなる奴)でした。
よく考えれば、書籍の編集者も、ぜんぜんチームプレーを必要としない職種ですね。
もちろん、ライターやデザイナー、イラストレーター、印刷会社の人など、関係する人々をまとめてディレクションする立場なのですが、いわゆるなれ合い的なものではなく、プロジェクトごとに関係がリセットされます。
企画を立てるのも、著者と交渉するのも、個人プレーばかりです。
著者の人たちともわりとビジネスライクでドライな付き合い方しかしないし、そもそもお酒が飲めないので、著者とお酒を飲みに行くということもせず、せいぜいたまにコーヒーをご一緒して雑談するくらいの関係性ですが、それで仕事は滞りなく行えています。
攻殻機動隊的な言い方をすれば「あるとすればスタンドプレーから生じるチームワークだけ」な感じですね。
今回のエントリーに関してはやたらと自分語りが多くなってしまいますが、とにかく私自身がこういう性格なので、じつのところを言えば本書で述べられている内容についてとくにこれといった感銘を受けたことはなくて、どちらかというと、普段自分が友だちという関係についてぼんやりと考えていることをいい感じで言語化してくれているなあと言ったような印象でした。
ピースの又吉さんもそうですが、おそらく読書家という人種は、本当に人間関係に困っていてこの本に救いを求めるというよりも、私のように本書の内容に納得感を抱く人が多いのではないでしょうか。
読書家という人たちには、なにしろ「本」という最高の友人がいるわけですしね。
さて本書の中身に入りましょう。
本書のキーワードとなるのは「並存性」というやつです。
現代社会においては、「気の合わない人」といっしょの時間や空間を過ごすという経験をせざるを得ない機会が多くなっているのです。だから「気の合わない人と一緒にいる作法」ということを真剣に考えなければならないと思います。そしてそれが、「並存性」というキーワードで私が表そうとしている中味です。
私たちはすべての人と友だちにならなくてもいいし、すべての人と良好な関係をつくる必要もありません。
ただ、そうはいっても気に食わないやつのそばにいなければならないことは多々あるので、そういう人たちとはうまく付き合う方法を学んだほうがいいということですね。
並存性というのは、「異なるものが同時に存在する」という意味です。
この並存性を日常で実践するのがどういうことかというと、つまり「やりすごす」ということです。
同じ空間にいても必要最低限のコミュニケーションしかとらない。
接触頻度をなるたけ減らす。
これが大事ということですね。
菅野先生は「態度保留」と称していますが、大人であれば、仕事上でお付き合いする多くの人がこの態度保留の関係性でお付き合いしているんじゃないでしょうか。
もうひとつ、本書のタイトルになっている「友だち幻想」とはなんでしょうか。
世の中には「この世には自分のことを百パーセント理解し、受け入れてくれる人がどこかにいるはずだ」と考えている人がいるようです。
これは幻想であり、そんなものは存在しないと菅野先生は言います。
自分の考え、価値観が百パーセント共有できる人間がいたとしたら、それはもはや他者ではなく、自分の分身であるということです。
友だちのみならず、恋愛や親子関係でもこうした幻想を持ちやすいものですが、恋人であろうが親子であろうが、人間としては赤の他人であるわけですから、そもそもこういう幻想を抱かないようにするだけで一気に生きやすくなるということですね。
内容は少し抽象的なところも多いですが、適度にイラストもまじり、平易な言葉で書かれています。
もともと本をよく読む人には益の少なめな本かもしれないですが、人間カン家に振り回されてしまうことが多いのであれば、大いに学びになる一冊です。
後記
LINEマンガで無料だったのでこちらのマンガを2巻まで読んでみました。
海の底で魚たちと幸せに暮らしていた人魚姫のエラ。ある日、仲間の魚・鰹男が人間に捕まったということで助けに地上へ上がります。
しかし、居酒屋で見つけたのはかつての友の変わり果てた(料理された)姿。
その無残な光景に人魚姫は帰ろうとしますが、そこで隣の席にいた飲兵衛がもらした「(料理されたのに食べてもらえないなんて)これじゃあ釣られたカツオも成仏できねぇな」という一言でエラは意を決してカツオのたたきを口にします。
その瞬間、エラはあまりの美味しさに感動。それから、いろいろな展開で仲間の魚たちを食べてしまうという異色の罪悪ファンタジーグルメマンガなのです。
とはいえ、展開だけでいえば、もう最近はありとあらゆるグルメマンガが登場していますから驚きはあまりありません。
エラが食事をするときにちょっとエロく見せるのも、「食戟のソーマ」で慣れてます。
この作品で個人的におもしろかったのは、好きあらば突っ込んでくる小ネタというかパロディですね。
ありとあらゆるマンガ、アニメ、ゲーム、テレビ番組やドラマなど、気づかないとスルーしてしまうようなところにネタが仕込まれています。
意外とそういうグルメマンガはなかったような気がするので、なかなか楽しめました。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。