私たちは野グソをすることしかできない~『くう・ねる・のぐそ』のレビュー~
現代社会に生きる人は誰しも、多かれ少なかれ「固定観念」や「常識」「思い込み」を背負って生きている。
もくじ
たとえば「よい大学を卒業しないとよい仕事に就けない」「お金がなければ子育てはできない」「いつかはマイホームを買うべきだ」「社会的マイノリティをギャグのネタにしてはいけない」などなど。人は往々にして、このような思い込みを勝手にしょい込み、それに悩んで、最悪の場合、自ら命を絶ってしまうことがある。
しかし、それらはまだマシだ。なぜなら、「もしかしたら自分の常識は間違っているのかもしれない」「時代によって常識は変わるもんだ」と考える余地があるからだ。
それよりも深刻なのは、そうした疑問を一切挟まず、ほとんどの人が完全に信じ込んでしまっている事柄についてである。
たとえばそれは、なんだろう?
そう、、、、
「ウンコはトイレでするものである」
という固定観念・常識・思い込みだ。
我々がさらにこの社会を発展させ、より高次の幸福を追求し、平和と安寧を享受するには、あらゆる固定観念を根本から疑い、「それが本当にベストなのか?」と問いを立てていくことが不可欠である。
私たちはいま、ネットインフラによる知識の平均化や人工知能の発達、そしてテロリズムの常態化という世界の曲がり角に直面している。
この難局を打破するために、ひとりひとりの市民がなすべきことこそ、野グソである。我々は自分の尻および排泄物を便器というくびきから解放し、大自然の中にある大いなる可能性を追求するべきときが来たのだ。
とはいえ、これはなかなか難しいことでもある。イカダだけ渡して荒れ狂う海に漕ぎ出せといっているようなものだ。帆なり、コンパスなりが必要だろう。そこで読んでいただきたいのがこの本である。
他の多くの命をいただいている私たちが、自然に返せるものはウンコしかない。著者は、野糞をし続けて40年。日本全国津々浦々、果ては南米、ニュージーランドまで、命の危険も顧みず、自らのウンコを1万2000回以上、大地に埋め込んできた。迫り来る抱腹絶倒の試練。世界でもっとも本気にウンコとつきあう男のライフヒストリーを通して、ポスト・エコロジー時代への強烈な問題提起となる記念碑的奇書。
本書の紹介より
この説明だけでいかに著者が気違えた人物かはうかがい知れると思う。彼は野クソを極めるあらゆる方法を模索し、最終的には「伊沢流インド式野糞法」という、なにがなんだかよくわからない方法を編み出している(簡単に説明すると、葉っぱで尻を拭いてから仕上げに水を使う手法である)。
しかしここで誤解してはいけないのは、著者の伊沢氏だって、最初から何の恥じらいもなく野グソができていたわけではないという点だ。
彼はキノコの研究および自然保護活動の観点から野グソを始めるわけだが、当初は「野グソ率33%(3回に2回はトイレを使ってしまった)」「自分のウンコでも触れない」「野グソ現場を人に見られて狼狽し固まってしまった」などの失敗談を語っている。
ムラムラと闘志が湧きおこり、脱糞
そこらへんの、もともとはごく普通のトイレ利用者だったこともあってか、本書では野グソを繰り返す著者自信を、自ら自虐およびおもしろおかしく描写するシーンが結構ある。すこし抜粋してみよう。
新潟からの列車は、村上を過ぎると海岸線にへばりつくようにして北上する。山家育ちでほとんど海に縁のなかった私には、目を見張るような光景がつぎつぎと車窓を流れていく。思えばこの一年、あちこちで野糞をしてきたが、いつも野山ばかりだった。日本海の絶景を眺めているうちに、ムラムラと闘志が湧き起こってきた。それまで風景を楽しんでいた目は、たちまちハンターの眼に豹変。野糞のできそうな浜探しに全神経を集中する。なるべく海岸に近いところで降りたつと、そこは温海温泉駅だった。駅を出て、海岸沿いに走る国道を渡って海岸に下りる。日本海の雄大な波を眺めながら気持ちよく用を足し、浜に転がっている丸い石ころで尻を拭いた。
野グソのポイント
それではここからお待ちかね、実際にどのようにウンコをするべきか、野グソ初心者の人にとって重要なポイントを本書から少しずつ紹介していく。
もちろん、実践するにあたっては本書をより熟読し、野糞にまつわる注意事項をしっかり学んでおくことが望ましいことは言うまでもない。
野グソをしながら先制攻撃
どうすればスムーズに野グソができるのか。
ポイントは、「開けた場所に正面を向いて事を成せ」ということである。
前方から人が来る場合には、早い段階から相手の行動を判断できる。手早くすませるなり、隠れるなり、または先制攻撃を加えるなり、対処の仕方はいろいろある。先制攻撃とは、相手が気づく前にあいさつするなど、声をかけてこちらの存在を知らせてしまうことだ。ウンコをしながら話しかけてくる変なヤツに相手はギョッとして、よほどの人物でないかぎりは気味悪がって逃げてしまう。もしそれでも近寄ってきたら、だれでもウンコはしているのだからと腹をくくり、世間話やウンコの話題で友好的に座り話(立ち話はできない)をするまでだ。
虫よけグッズを忘れずに
野グソにとって最大の敵は動物である。とくにハエは即座にウンコのにおいをかぎつけ、行為の最中でも尻に突進してくる。とはいえ、自然を保護するために、彼らをいたずらに殺すことは好ましくない。
目的に着くちょっと前に線香に火を点ければ、穴を掘ったりパンツを下ろしたりしているうちに、よい香りとともに煙が立ち上ってくる。蚊除けの効果と安堵感に加え、そんな線香の匂いの中での野糞は趣があり、夏をしみじみと感じるひとときだ。
また、野グソは野生の中で無防備な尻を突き出すリスキーな行為であることを忘れてはならない。ヒルや蚊はもちろん、ヘビやムカデ、イノシシ、クマなどの野生動物に襲われる危険性があることは十分認識しておく必要がある。
チリ紙は使ってはいけない
紙というのは想像以上に分解されにくい物質だ。
そのため、事を終えたらできるだけ紙は使わず、周囲の葉っぱや水を使って尻をきれいにする必要がある。
伊沢氏のおススメはフキ、ヨモギ、キウイ、ヒマワリ、ミヤコザサなど。
明日のウンコを今日出す努力
人の体はよくできたもので、努力を重ねれば新たな能力が備わる。私はついに「明日のウンコを今日してしまう」という技を身につけた。私の場合、食べたものは通常半日から一日で直腸にたどり着く。これは辛いカレーを食べた後に、肛門で再度辛さを味わったり、イカスミなど色の濃い食べ物がウンコを染めるのを見て、食から排便までの時間差を何度も調べて得た自信のデータである。通常は一日分のウンコが直腸にたまったところで、食事などなんらかの刺激が加われば便意を催し、ひり出すことになる。
野グソにとって最大の敵は「下痢」である。食生活と健康に気を配り、体調管理を万全にしなければ、健やかな野グソライフはおぼつかない。
シリアナン・コントロール
ホジホジ!
ふだんトイレでウンコをしている人は、肛門の位置を意識することなどないだろう。しかし、直径20センチの穴というのは意外に小さく、無造作にウンコをしようものなら、穴からはみ出してしまうことも珍しくない。正確に穴に納めるには、肛門の位置を穴の中心にもってくる必要がある。しゃがみ込んだときのその位置には個人差があり、姿勢によっても多少ちがうが、ほぼ左右のかかとを結んだ線上にある。このことをしっかり意識して、足を置く位置を決める。
「尻の穴は左右のかかとを結んだ線上」。
これが非常に重要だ。
本書の袋とじには要注意
本書ではこれ以外にも
・自分のウンコがほかの昆虫や動物、微生物によってどう自然に還っていくかの過程を詳細に観察した結果
・自分のウンコを糧に成長したキノコの写真
・都会での野グソの手法
・ネパール式野グソ法
・冬場の野グソ
・ウンコ千日行への道
・ウンコ料理
・糞土の味わい
などが記載されている。
また、巻末には袋とじで、自分のウンコが分解されていく家庭を撮影したカラー写真などが掲載されている。図書館で借りた本だと袋とじが開けられた状態になっており、非常に危険である。注意されたい。
高品質なノンフィクション・エンターテイメント
高いエンターテイメント性とメッセージ性を併せ持ち、この著者でなければ書けないオリジナリティもある、非常にクオリティの高いノンフィクション作品としては、まさに世界に誇れる一冊だろう。
あまりのすごさに、あなたの固定観念はもろくも崩れ去り、読み終えるとところかまわず尻を出したくなるかもしれない。ただ、場合によっては軽犯罪法違反になる可能性もありうるので、固定観念から解放されるのもTPOだけはわきまえておきたい。
ちなみに、このあいだテレビでやっていて「屁ー」と思ったのが、「膝を高く掲げたほうが直腸の筋肉の具合から脱糞しやすくなる」という知識だった。
というわけで、最近はこんな商品も売れているらしい。これを利用すれば、便秘気味の人でも驚くほどウンコが出るとか、出ないとか。
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ウンコは人を魅了する。それは大人だって同じなのだ。
今日の一首
89.
玉の緒よ たえなばたえね 永らへば
忍ぶる事の よわりもぞする
式子内親王
現代語訳:
私の命よ、絶えるなら絶えてしまえ。
生きながらえてしまうと、この秘めた思いが人に知られてしまうかもしれないから。
解説:
玉の緒(玉緒)は命のことだが、これはもともと魂を肉体に結び付けておく緒(糸)のこと。「もぞ」という言葉には「そうなっては困る」というニュアンスがある。ちなみに、恋の相手は10歳以上年下だった藤原定家だったとか。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。