本は役に立たない~『孤独論』のレビューなのかどうかよくわからない~
今回紹介する本はこちら。
芥川賞を受賞した田中慎弥氏が書いた、人生論。
今回はいろいろと面倒くさいことが書いてあります。
kindle版が月替わりセールスになっていて安かったので購入した。
ちなみに、今月の月替わりセールスでは、こんなのがあったので、即買いしてしまった。194円!
著者について
田中氏は2002年『共喰い』で第146回芥川賞を受賞した人物だが、メディアで注目されたのは作品内容ではなく
「高校を卒業してから一度も働いたことがなく、40歳になっても母親とふたりで暮らしている」
という、なかなかマイノリティなライフスタイル。
本を読まない人でも記憶に残っている人は多いかもしれない。
ちなみに、私は『共喰い』をはじめ、田中氏の小説は一度も読んだことがない。
本書の内容
で、本作の内容はタイトルのとおり、「孤独であれ」というメッセージ。
SNSを通じて四六時中だれかとつながっている現代社会では、むしろ孤独の濃度が高まっているのかもしれない。ふとした瞬間に抱く孤独感は、かつてのそれとはまったく異なるものになっているかもしれないのだ。
とはいえ、主張そのものに何か目新しさはない。
というのも、最近は孤独を勧めたり、主体的に自分で考えることができなくなった現代人を「奴隷」と揶揄する本が増えているからだ。
スマートフォンは私たちの「できること」を増やしたが、それと同時に、私たちの「できないこと」も増やしたのを忘れてはいけない。
もし、このあたりの主張に興味があるのなら、私としてはむしろ、栗原康さんの『はたらかないで、たらくふ食べたい』をおススメする。こちらのほうが、独特な文章とリズム感があり、たいへんおもしろい。
ただし、栗原氏は無政府主義者(アナーキスト)なので、この本はどちらかというと自己啓発書というよりは社会評論としての色味が強い、というのは留意していただきたい。
はたらかないで、たらふく食べたい 「生の負債」からの解放宣言
- 作者: 栗原康
- 出版社/メーカー: タバブックス
- 発売日: 2015/04/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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もしくは、世間を代表するニート・pha氏もオススメだ。
持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない
- 作者: pha
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2015/05/26
- メディア: 単行本
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どちらかといえば、pha氏のほうが田中氏の主張には近いかもしれないが、pha氏のほうがもう少し器用。少なくとも、インターネットは使いこなしている。
残念な点
さて、本書が残念だったのは構成や執筆でライターの力を借りてしまっている点だ。おそらく、著者はそんなに乗り気じゃなかったか、こういう本を書くのが苦手なんだと思う。
もちろん、ライターはプロなのでしっかり読みやすい文章にしてくれるのだが、おそらく田中氏が本来持っている文相の妙味というものはそがれてしまっているのだろう(田中氏の小説を一冊も読んでいない私がそういうのもおこがましいが)。
もし、本書がすべて田中氏によって書かれていたら、この本のおもしろさはもう少し変わったものになったのかもしれない。ということを考えると、ちょっと残念。
本はなくても生きていける
私が本書でむしろ興味深かったのは、生き方とか、そういうまっとうなことではなく、作家らしく、本について語っている部分だ。引用しよう。
本を読まなくても生きてはいけます。本を読まないからといって飢えるわけでも、病気になるわけでもない。 それでもわたしは、読書を強く勧めます。
いまあなたを取り巻く環境とまったく異なる世界が、この世のどこかに間違いなく存在するという実感を書物はもたらしてくれます。読書を通してあなたはいろいろな人生を体験することができる。
読書とは、時間がかかる行為です。しかも、そこに書かれている内容の意味がよくわからない、何度読み返しても理解できない、そんな事態もままある。
たとえば、そもそもある文学作品をまるごと一冊理解するのは、まず不可能です。もし理解できたとしたら、それは錯覚でしょう。簡単に理解できず、答えも見出せない。だいいち設問(テーマ)はなんなのか、それすらはっきりしない場合だってある。ということは答え自体が存在しないともいえる。
架空の人物たちが出てきて、とらえどころのない言動をし、当人たちですらうまく説明できない感情を披瀝するのですから、読み手に理解できるはずもない。
なぜこの著者は、登場人物にこんなことを長々語らせているのか、なぜこの著者は、こんな七面倒な書き方をしているのか。そう思うのは往々にしてあることで、だから、名状しがたいなにかに触れた、という実感さえ得られれば、もう充分だと思います。
読んだ成果として、あなたに実用性や実践性が備わるわけではなく、言ってみれば寄り道の時間を過ごしたようなものです。直接的な利益を目指すなら、そんな暇つぶしはやめて、コンピュータのプログラミング学習に打ち込んだほうがいいのかもしれない。
わたしは川端康成が好きですが、あんなに役に立たない小説ばかり書いた作家もまたとありません。川端の傑作として名高い『雪国』は、主人公の男の乗った列車がトンネルを抜けて、その先には雪が積もっていて、女が待っている、そんな場面からはじまる。それがどうしたのか。
そのことによってだれが喜ぶのでも、悲しむのでもない。経済や政治といった事柄ともいっさい関係ない。冒頭にかぎらず、『雪国』に書かれているのは徹頭徹尾、なんの役にも立たないことです。
本を読んでも基本的にあまり役に立たない、というのは私も同じスタンスを持っていて、そもそも役に立つとか立たないという基準で本の価値を測ろうとすることそのものがナンセンスに感じる。
本にはそもそも実用性がないと先に述べましたが、小説や文学にかぎらず、ビジネス書のたぐいであっても事情はさして変わりません。もちろん小説とは違って、そこには具体的な作法やノウハウが盛り込まれてはいます。
でも働く人の数だけ事情や状況はあるわけですから、果たして画一的に通用するメソッドというものが存在するのかどうかは、怪しいところです。 そこに書かれてあることをそのまま実践したとして、それは第一章で触れた、編集者の要望どおり作品を書き直せる新人作家のケースのように、じきに行き詰まるのではないか。どんな職業であろうと、小手先で切り抜けたところで、その場しのぎにすぎません。
ビジネス書でも自己啓発本でも、そこに確かな答えはないのだと、わきまえておいたほうがいい。
自分なりに考え、創意工夫をめぐらせなければ、言いなりになるだけです。そしてそのうち、つぶれてしまう。本の奴隷になってはいけない。
本とはあくまで、動機づけや思い切りの後押しにしかなりえないのです。
ほとんどの本は、一見すると実用書に見えるモノであってもそれが本当に何かの役に立つのかと言えば、決してそんなことはない。
とくに、私が自分つくっているビジネス書というのは、その顕著な例である。ビジネス書は一見すると、ビジネスの様々なシーンでいろいろと役に立ちそうな感じを装って売られているが、じつは、どの本も基本的にはクソの役にも立たない。
役に立つとすれば、「本を読んでいる自分は努力していて、向上心がある人間だ」という読者の自尊心を一時だけ満たすことくらいである。
無益の益
ただ、私が最近思うのは、ツイッターでつぶやいたこの考え方だ。
すべてのことに価値はないと思っていたけど、最近は「『すべてのことに価値はない』と理解しながら、価値のないものを作り出す行為そのものには価値があるのかもしれない」と思い始めてきた
— 徒花@読書 (@Ada_bana) 2017年6月1日
アリストテレスの無知の知ならぬ
無益の益、みたいな感じ
私は本を作る仕事をしているが、基本的に本は役に立たないもので、あってもなくても、誰も困らない。
しかし問題は、価値がないからこそ価値があるのかもしれないと信じながら、その価値のないものを研ぎ澄ましていく行為にこそ、価値があるのかもしれない、ということである。たとえば、ビジネス書なんか読んでも実際にビジネスの役に立たないのだが、しかし、読者がそれを頭の片隅で理解しながら、読んでいるその最中にその読者に湧き上がる一種の万能感に浸ることを純粋に楽しむなら、そこに価値が生じる可能性はありうる。結局、ビジネス書も小説もサブカル本も、本質的には変わらないはずだ。
これは、「価値」というものをどのように定義づけるかによるが、少なくとも上記の理論のうちでは、価値というのは以前のブログで少し説明した「ベネフィット」に近いものだと考えてもらえれば問題ない。つまり、その変化が客観的なものである、という前提に立っている。
本には明確なベネフィットがない。というのも、本はどうしようもないくらい、その価値のいかんを受け手に委ねてしまうものだからだ。つめきりを使えば誰でもつめを短くできるのとはわけが違う。そうしたなかで、本を使って真剣になんらかの価値を提供しようとするからわからなくなるのであって、最初から本に価値なんてないと考えながら、その無益さに真剣に取り組むことが精神衛生上は大切なのかもしれない。(これは作り手、読み手のどちらにもいえることだと思う)
じゃないと、虚無感に襲われて無気力なニヒリストになってしまう。
「自分には生きる価値がない」「自分のやっていることが無意味に感じる」という人がたまにいるが、そもそもどんな人間や行為にも価値や意味なんてない。自信満々な人たちは、「自分には価値がある」「自分のやっていることはこういう意義がある」と勘違いしているに過ぎないのだ(内面では自己の無価値を辞任している人もいるかもしれない)。
しかし、すでに述べたように、そもそもほとんどのことに価値がないことを理解しながら価値のないことをすることそのものには、その人にとっての価値があるのかもしれない。
本の選び方
だいぶ話が脱線したから本題に戻ろう。
さて田中氏は、本の選び方も紹介してくれている。もちろん、このアドバイスそのものに価値がないのは言うまでもないことである。
そこでわたしの経験にもとづいた、簡単な選び方をひとつ紹介します。
それは、あなたと目が合った本を選ぶこと。つまりインスピレーションということになるのですが、目の合った本は案外間違いないものです。
書店に足を運んで、書棚をひとしきり見渡しながら歩いてみてください。不意に目が合う本、一瞬釘付けになる本が見つかるはずです。タイトルや装丁のデザインが自分好みだとか、そういう影響もあるのでしょうが、なぜか気になるたたずまいというものがあります。 あらかじめ、こういう本を読みたい、という漠然としたイメージが頭の中にあって、それがタイトルやデザインと呼応して目に飛び込んでくる、そういうことなのかもしれません。
とにかく、目が合った本を手に取って、ページをめくってみましょう。そこでなにがしか引き込まれるものがあれば、たいていは当たりです。実際に通読してみておもしろくなかったとしても、得るべき刺激があります。わたしの場合はきまってそうです。
今日の一首
96
花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
ふりゆくものは わが身なりけり
入道前太政大臣
現代語訳:
強い風に誘われるようにして庭の桜が散らす花びらは雪のようだが、
じつは降っている(古くなっている)のは私自身なんだなぁ。
解説:
和歌にありがちな「いつの間にか老いている自分に気づくパターン」のやつ。「降る」が「古」にかかっている。
参考:
後記
お気づきの人もいると思うが、数日前からCloudTipというサービスのガジェットをブログ記事の下に配置している。
これはなにかというと、いま流行のビットコインを使って現金(仮想通貨)を受け渡しできるサービスだ(仮想通貨って何?という疑問への回答は、かなり説明が長くなるので割愛する)。ただし、当然ながらこのサービスを利用するにはユーザーがビットコインを持っていることが条件。まだまだビットコインの口座を持っている人はいないと思うし、利用するには
口座を開設する → 口座に入金する → 入金したお金でビットコインを買う → 購入したビットコインをCloudTipに移動させる → チップを送りあえる!
という、けっこう面倒くさい手順を踏まなければならないので、おそらく、このガジェットを置いておいてもまず私にチップをくれる人はいないだろうとは思っている。ただ、こういう装置があるのはおもしろい。
とくにおもしろいのは、つねに円とのレートが変動するビットコインの特性に合わせて、送金額を円換算してだいたいどのくらいか、イメージしやすいように表示しているところだ。
たとえば、この原稿を書いている現時点だと1mBTC(マイクロビットコイン)=約278円なので、缶コーヒー1本は0.5mBTCを送金することになる。私はもうCloudTipに少しだけお金を入れてみたので、誰かにチップを渡してみたいと思うのだが、まだこのサービスを取り入れている人が少ないので、できないでいる。
ブログをやっている人は、とりあえず置いてみるのはありかもしれない。
ちなみに、いまキャンペーン中なので、以下から登録すると1mBTCがもらえる。
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。