小説も「チームで書く」時代が来るかもしれない
ピクサーの名前を知らない人はあまりいないと思うが、じつはその設立にあのスティーブ・ジョブズが深くかかわっていたことはあまり知られていない気がする。
もくじ
今回紹介するのはこちら。
ピクサー流 創造するちから―小さな可能性から、大きな価値を生み出す方法
- 作者: エド・キャットムル著,エイミー・ワラス著,石原薫訳
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2014/10/03
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (11件) を見る
ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオおよびピクサー・アニメーション・スタジオの社長が書いた自伝的ビジネス書だ。
近年のディズニー作品誕生秘話が明かされる
ビジネス書は数限りなくあるが、やはり現役の社長が書いた本はおもしろいものが多い。それは、読んで役に立つかどうか、という側面ではなく、どちらかというと伝記的な要素の物語として楽しめる――という意味でだ。
それはおそらく、ひとつの企業を成功させる際にさまざまな苦難を経験するからだろうし、現役ということはそれらの苦難が、読者にとって「歴史上の物語」として読まれることが少ないからだろう。
しかも本書は原著も2014年に刊行されたものだし、『トイ・ストーリー』『バグズ・ライフ』『カーズ』『塔の上のラプンツェル』など、耳なじみのある作品のが生まれたいきさつなども書かれているので、読みやすいかもしれない。
伝記とビジネス書が織り交ぜられた一冊
本書は4部構成でできている。簡単に説明しよう。
第Ⅰ部 はじまり
これは著者のキャットムル氏がどのようないきさつでピクサーを立ち上げ、その名を世に知らしめた『トイ・ストーリー』を生み出したのかなどが描かれている電気的な部分。
第Ⅱ部 新しいものを守る
こちらはピクサーというクリエイティブ集団をマネジメントする立場になった著者が、完成度の高い創作物を作り上げるために必要なことを伝えるクリエイティビティ論を交えた、ビジネス書的なパート。
第Ⅲ部 構築と持続
こちらはピクサーが組織として創作物を作り上げていく中で、いかにして作品の質を高め、そのための最高のチームを作り、維持していくかという方法を書いたビジネス書的なパート。
第Ⅳ部 検証
こちらはピクサーがディズニーに買収され、著者がピクサーとディズニー・アニメーション・スタジオのどちらのマネジメントも任されるようになってから、いかにしてディズニーを暗黒期から脱却させていったのかを述べる伝記的なパート。
と、最後に膵臓がんで若くしてこの世を去ったスティーブ・ジョブズという人間について語っている。
天才を必要としない作品づくり
知っている人も多いと思うが、ピクサーは「一人の天才に頼らない作品づくり」を標榜している。
もちろん、ジョン・ラセターという天才的な脚本家が黎明期にいたのは成功の大きな要因ではあると思うが、ラセターに「おんぶにだっこ」することがいつかピクサーをつぶすと考えたキャットムル氏は、チームによる脚本作りの体制を構築していったのである。
だからこそ、ピクサーはジブリ映画よりもハイペースでクオリティの高いエンターテイメント作品を世に送り出していけるし、おそらくラセターが亡くなったとしても、それを持続させることができるのである。
この反面教師として本書で取り上げられているのがディズニーだ。
ディズニーは創業者であるウォルトがなくなった後、しばらく暗黒の時代を迎えた。社員たちは「ウォルトだったらどう考えただろう?」とウォルトの亡霊に縛られ、まったくヒット作を出せなくなっていったのだ。
※ちなみに、スティーブ・ジョブズは「『スティーブだったらどうするだろう?』と考えるのはやめろ」と社員たちに伝えていたらしい
よくよく考えれば、大ヒットしている『君の名は。』も、新海誠氏が作り出した原案を川村元気氏というプロデューサーがうまく大衆に迎合するように調節したからこそ、おそらくこれだけのヒットになったのだろう。どちらかだけだったら、難しかったと思う。
ビジネス書も共同執筆が増えている
私が思うのは、映画に限らず、これから世の中を席巻する創作物はこのピクサーの手法を取り入れていくのかもしれない……ということだ。
たとえばドラマも始まったベストセラー『嫌われる勇気』も、アドラー心理学の研究者・岸見一郎氏と、ライターの古賀史健氏がうまくかみ合ったからこそ作り出された一冊にほかならない。
『嫌われる勇気』に限らず、ストーリー仕立てのビジネス書ではこういうケースが結構ある。先日紹介したばかりの『猿の部長』も、2人の著者が名前を連ねている。
こちらはどちらも生粋のビジネスパーソンだが、おそらく、どちらかがストーリー作りがうまい人なのだろうと思われる。
また、ビジネス書ではないが、経済思想的なものではこんなものもある。こちらは保守系の経済評論家・三橋貴明と、小説家のさかき漣がタッグを組んだ作品だ。
哲学やビジネス・経済に造詣が深くて、しかもそれをうまくシナリオに落とし込める人なんてよほど限られている。であれば、「専門知識を持っている人」と「文章を書くのがうまい人」をそれぞれそろえて、それを組み合わせてひとつの作品に昇華させれば質の高いものが生まれる……という発想はもう珍しくない。
※そもそも、表紙で著者名が一人しかないビジネス書でも、実際の文章はブックライターが書いた本は腐るほどある。結局、文章はそれが得意な人が書いた方がいいのだ
マンガも最近は原案が別の人の場合が多い
マンガだってそうだ。
最近は原案とマンガをそれぞれ別の人が担当していることは多い。『DEATH NOTE』だってそうだし、私の好きなマンガで言えば『ワンパンマン』がそうだし、最近読んだ本では『虚構推理』もそうだ。
DEATH NOTE デスノート(1) (ジャンプ・コミックス)
- 作者: 大場つぐみ,小畑健
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2004/04/02
- メディア: コミック
- クリック: 211回
- この商品を含むブログ (925件) を見る
そもそも、作者が一人であっても、人気マンガ家になれば背景や群衆などはほかの人に描かせるのは昔からやってきたことだろう。もちろん、編集者が出したアイディアに沿ってシナリオが進むことだってある。
そう考えれば、むしろ逆に、すべて一人で作り上げるのはよほどの才能か情熱がないと成しえない、かなりハードルの高いことだとわかる。手塚治虫はすごい人だったが、誰でも手塚治虫になれるわけではない。
昨今話題の絵本『えんとつ町のプペル』も、そんなに突飛な発想ではないともいえるかもしれない。
小説も一人で書く必要はない?
そう考えると、次に私が考えるのは小説だ。
もちろん世の中には共同執筆した作品もあるだろうが、ほとんどの場合、小説は著者が一人で一生懸命書きあげている。そのために取材に行ったりもする。
しかし、そういう専門的な部分をほかの人に借り、その人と共同でプロットを練り上げながらチーム体制で小説を書きあげていった方が、もしかしたらもっと早く、そして面白い作品が仕上がるのかもしれない……とも考えている。
とくに、個人的に思うのは、「小説家になろう」や「カクヨム」といったWeb上の小説投稿サイトだ。せっかく執筆途中の作品が人々の目に触れられているのだから、むしろ制作途中から誰でも文章を改変し、複数人でひとつの作品を磨き上げていく手法で作り上げていく方が、良い作品になるのかもしれない。
そしてそれが主流になり、将来は芥川賞や直木賞もひとつの作品で複数の著者が受賞する時代がやってくる……かもしれない。
もちろん、ひとりで小説を書きあげることにこだわりたい人はそれにこだわればいい。それは、単に小説を書く「目的」が違うだけだからだ。
ただ、もし小説を書く目的が「より速く、よりたくさん、よりおもしろい」ものを作り上げることなら、ひとりで作るよりも複数人のアイディアをまとめたほうがいいように感じる。
おわりに
この本を読んでいて、ピクサーの作品を見た。これだ。
おもしろかった。ぶっちゃけ、ストーリー自体は平凡かもしれないが、個人的に心に響いたのは、本作における最大の敵である料理評論家・イーゴ氏が最後に書いた論評の独白。引用しよう。
評論家というのは気楽な稼業だ。危険を冒すこともなく、料理人たちの努力の結晶に審判を下すだけでいい。辛口な評論は書くのも読むのも楽しいし、商売になる。
だが評論家には苦々しい真実がつきまとう。たとえ評論家にこき下ろされ三流品と呼ばれたとしても、『料理自体のほうが評論より意味がある』のだ。
しかし、ときに評論家も冒険する。その冒険とは新しい才能を見つけ、守ることだ。世間は往々にして新しい才能や創造物に冷たい。新人には味方が必要だ。
人間には現状維持バイアスがあるので、今までの既成概念を覆すような発想や行動を起こすと、人々は拒否反応を起こす。普段は作品を厳しく批評する評論家は、そんなとき、もしかするとその人を擁護するような冒険をすることが必要とされるのかもしれない。
ピクサー流 創造するちから―小さな可能性から、大きな価値を生み出す方法
- 作者: エド・キャットムル著,エイミー・ワラス著,石原薫訳
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2014/10/03
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (11件) を見る
今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。