映画『SING』と日本のアイドルグループの位置づけ
映画『SING』を見てきた。
簡単に説明すると、歌とダンスが得意なフレンズたちがどったんばったん大騒ぎする映画。登場するキャラクターたちはそれぞれ何かしら悩みを抱えていて、「歌が好き」な自分をどこかで抑圧している。そうしたメンタルブロックを打破し、本当の自分をさらけ出すまでの群像劇だ。
ディズニーの『ズートピア』と比べると動物キャラクターの描き方にデフォルメが強すぎる感が否めないが(というか、ディズニーはあり得ないくらい丁寧に動物を描く)、オーソドックなシナリオと個性的なキャラクターたちを両立させたいい映画だった。
劇中で使われていた洋楽の数々
もう一つの見どころは、実際にリリースされているヒット洋楽がたくさん使われているところ。私は一時期、洋楽をよく流すオサレラジオJ-WAVEを聴いていたりしたので、なかなか懐かしかったりした。
日本のCMソングとして使われている曲も多いので、普段はあまり洋楽を聞かない人でも一度は耳にしたことがある楽曲が多いのではないか。日本語吹き替え版も声優が豪華だが、やはりこれは英語字幕版で見たほうがいいように思う。
ちなみに、EDテーマはスティービー・ワンダーとアリアナ・グランデがデュエットしている『Faith』という楽曲。こちらも良曲。
個人的に気になったのは、この映画における日本のアイドルの位置づけだ。
ストーリーの中で、歌のオーディションに参加するために大勢の動物が駆けつけるのだが、そのなかで、明らかに日本のポップアイドルグループをイメージした5人組のレッサーパンダの女の子が登場する。
彼女たちはきゃりーぱみゅぱみゅの楽曲を歌って、劇場オーナーであるコアラのバスター・ムーンを苦笑いさせる。結局、彼女たちは落選するのだが、それでも彼女たちはしつこくムーンの前に現れては踊りを披露する。結局、ムーンは片言の日本語を話しながらなんとか彼女たちに帰ってもらうというくだりがあるのだ。
アイドルミュージックは外道か
これは2つの解釈ができると思う。
ひとつは、世界のミュージックシーンで日本のポップミュージックがそれなりの位置を占めてきたため、取り上げられたというポジティブな捉え方だ。本作はアメリカで作られた映画なので、当然ながら、劇場で歌われるのはアメリカの曲ばかりである。そのなかで異彩を放つ楽曲としてきゃりーぱみゅぱみゅの楽曲が使われたのは、ある意味でそれだけ世界的な人気がある……とみられなくもない。
ただ、もうひとつ、ネガティブな捉え方もある。たしかに、きゃりーぱみゅぱみゅやその他のアイドルの楽曲は世界的な音楽ジャンルのひとつとして確立しているのかもしれないが、それでも、アメリカ人の視点に立つと、アイドルなどの日本のポップミュージックはゲテモノ扱いされているということだ。上に張り付けた動画をちょっと見てもらってもわかるが、女性アーティストの魅力は「大人の色気」がテンプレートになっている。つまり、セクシーさだ。
日本語の「カワイイ」という言葉は世界で通用するようになっているらしいが、それは女性に「可愛さ」を求めるという価値観が世界標準から外れていて、それを適切に表現する方法がないからこそ、世界で通用する言葉になったと考えることもできる。
(もちろん、この言葉は単に女性のみならず、世界観やキャラクターなど様々な言葉に対応できるものではあるが)
つまり、個人的な主観にはなるものの、日本のアイドルミュージックは「音楽ではない」というような描かれ方をされていたようにも捉えられるのだ。
おわりに
アメリカの映画などを見ていると、ときどき向こうの国の価値観が垣間見れるシーンがある。それについて批判したりするのも自由だが、「向こうはそういう風にとらえているんだな」と理解するのもアリだろう。
とりあえず今回はこんなところで。
それでは、お粗末さまでした。