本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

恋愛に必要な、たったひとつの能力~『愛するということ』のレビュー~

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映画『インフェルノ』を見てきました。『君の名は』は見ません!

 

もくじ

 

まあおもしろかったけど、とくにブログで書くほどの内容でもなかったので、サラッと流す。

 

 

ただ、俳優イルファーン・カーンはいい演者だなぁと思った。

この人はインド人の俳優さんで、非常に目力が強い。だから印象に残る。そして『インフェルノ』でなかなかカッコいい役回りだった。

なんか見たことがあるなぁと思ったら、この人は『ジュラシック・ワールド』でオーナーを務めていた人物であった。あと調べると『スラムドッグ$ミリオネア』や『アメイジング・スパイダーマン』にも出演しているらしい。今後もハリウッドでの活躍が期待される人物である。

それだけである。

 

 『愛するということ』

 

さて今回紹介するのはこちら。

 

愛するということ

愛するということ

 

 

まずお伝えしておきたいことがある。

この本はムツカシイ!

ということだ。

 

パッと見は恋愛のハウツー本のようにも見えるが、中身はかなり硬派な哲学書である。
そのため、基本的に観念的なことをグダグダと述べているので、しっかり丹念に読み込んでいかないとなにを言っているのか途端にわかりにくくなる。

ちょっと引用してみよう。

言葉の意味というのはいつでもやっかいなものだが、ここでも、答えは恣意的なものとならざるをえない。大事なのは「愛」と言ったとき、どういった種類の結合のことを言っているのかを、私たちが了解していることだ。「愛」と言ったときに、実在の問題にたいする成熟した答えとしての愛を指しているのか、それとも共棲的結合とも呼びうるような未成熟な愛のことを言っているのか。以下の記述においては、前者だけを愛と呼ぶつもりだが、まず後者から「愛」に関する議論をはじめよう。

人間を知るという問題は、神を知るという宗教的な問題と平行関係にある。西洋の伝統的な神学においては、思考によって神を知ろう、神について語ろうという試みがなされてきた。つまり、思考によって神を知ることができると考えられている。神秘主義は、一神論の必然的な帰結であるが(このことについては後に述べる)、そこでは思考によって神を知ろうとする試みは放棄され、神との合一体験がそれに取って代わり、もはやそこには神について知る余裕も必要もない。

こんな感じで、本書はまず本書の中で語られる「愛」の定義から親子愛、兄弟愛、異性愛、神への愛……など、およそ愛と呼ばれるものを対象ごとに分類してそれぞれの違いについて説明してくれている。

が、それを紹介しようとするとはなはだ面倒くさいことになる。

ので、本エントリーでは内容を要約し、わりかしすぐ理解できそうな部分だけをお伝えしていこう。


愛は技術である


著者のフロムさんは、「愛は技術である」と断言している。

技術であるということは、正しく誰かを愛するためにはそのやり方を学び、鍛錬しなければならないということだ。

 

多くの人は「愛するのに能力は必要ない。人間は生まれながらに相手を愛することができる」と思いがちだ。

しかし、フロムさんはそれが思い込みであり、3つの前提によって成り立っているまやかしだと主張する。

 

①「愛する」よりも「愛される」ことのほうが重要だ

人びとが考えているのは「どうすれば愛されるか」ということだけである。

愛の問題……といったとき、人びとは受身にしか考えていないのだ。

つまり人は、「愛すること」そのものを真剣に考えたことがない。

 

②愛にはそれにふさわしい「相手」が必要だ

学ばなくても愛することができると考えている人は、「自分が愛するにふさわしい相手」さえいれば愛することはたやすいと考えている。

これは近世になってから「ロマンティック・ラブ」という、いわゆる自由恋愛が生まれた影響が大きい。

また、資本主義社会の到来によって愛ですらも「等価交換」に差し出す資源の一つに成り下がっている。

すなわち、「愛=誰もが生まれながらに持っている流動資産」というイメージが定着しているのである。

 

③恋には勝手に落ちるだろ

人びとが「愛するのに能力は必要ない」と考えてしまう最後の前提は、「恋は勝手に落ちるもん!」と考え、そして恋と愛を混同しているからである。

恋は、たしかに修練しなくても勝手に落ちる。

だが問題は、一度芽生えた愛のなかにとどまり続けることであり、その方法を人びとはちゃんと学ぼうとしないことにある。


本当に愛するってどういうこと?

 

すげー簡単に、一言で説明すると「同一化」である。

私と相手の境目がなくなり、相手が私となり、私が相手となっている状態のことだ。
だから、相手が悲しいと私も悲しいし、私がうれしいと、相手もうれしい。

 

ただし、ひとつになっていればそれで「愛だね」といえるほど簡単ではない。

同一化にも「高度な同一化」と「低度な同一化」があり、フロムさんが目指すべきだと述べるのは前者なのである。

それを本書中の言葉で述べると「自分の全体性と個性を保ったままでの結合」である。

 

たとえば私は奥さんを愛しているが、奥さんの愛を勝ち取るために自分をゆがめたりしないし、奥さんも私のために自己の趣味嗜好を変えたりはしない。

(例えば私の奥さんは本を読まないし、私が手がけた本を手渡しても全然読んでくれないが、それはそれで別にいいのだ)

互いが互いを自己と違う存在だと認識し、それを許容しながら同一化している2つ以上の個体の関係性を「愛」と呼ぶのである。

 

引用しよう。

成熟した愛は、自分の全体性と個性を保ったままでの結合である。愛は、人間のなかにある能動的な力である。人をほかの人びとから隔てている壁をぶち破る力であり、人と人とを結びつける力である。愛によって、人は孤独感・孤立感を克服するが、依然として自分自身のままであり、自分の全体性を失わない。愛においては、二人が一人になり、しかも二人でありつづけるという、パラドックスが起きる。

 

ドラゴンボールで例えるとフュージョンに近いものかもしれない。

 

愛の修練方法

 

本書の後半では「じゃあ具体的に、どうすれば愛する能力が身につけられるのか」を説明してくれる。

その一部を紹介しよう。


客観性と理性を身につけよ

誰かを愛するためには、自分を愛していなければならない。

なにしろ、相手を愛するために自分を変容させてはいけないのだから、自己肯定感(自分は自分のままでいいのだ)という感覚を持っていることが重要なのだ。

 

もちろん、ここでいう「自分を愛する」とは自己愛(ナルシシズム)とは異なる。

つまり、ナルシシズムを抜け出し、赤ん坊のような万能感から脱却して自分を客観視し、近親相姦的な固着(執着)から開放されなければ、真の意味で相手を愛することはできないのである。

 

「信じる」ことを練習しよう

愛には「信用」が欠かせない。

だがこの信用というのは厄介なやつで、人生を通じて修練していかないと「信じる力」は身につけられないのだ。

 

そしてこの信用というのも、また自分を愛していないとできない行為である。

なぜなら、信じるためには自分の経験・思考力・観察力・判断力に自信が必要だからだ。

自分の考えや決断、行動が正しいと確信できない人は、相手を信用することはできない。その状態だと「依存」になってしまうこともある。

 

つまり、自分自身を信用できる人は自分の抱いている愛情を信用できるわけであり、その姿勢こそが他者の中に「愛」を生むために不可欠な要素なのである。

チャートにするとこんな感じだ。

自己を肯定

  ↓

自己を信頼

  ↓

相手を信頼

  ↓

相手を愛する

 愛はいろいろな段階を踏んでいるのである。

 

最後に必要なのは「勇気」

これは信念とも深く絡んでくるのだが、条件のない自己への信頼を築くためには「勇気」が必要になる。

ここで言う勇気とは、「あえて危険を冒す能力」「苦痛や失望を受け入れる覚悟」を指す。

 

自分を信じられない人間は「自分は苦痛に負けてしまうだろう」と考えるから、困難にチャレンジすることができない。

愛というのは自分以外の人間を信用することなのだから、その苦痛に耐え切る覚悟を持ち、すべてを賭けることのできない人間は愛を勝ち取ることはできないのである。

 

引用しよう。

愛するということは、なんの保証もない行動を起こすことであり、こちらが愛せば相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。愛とは信念の行為であり、わずかな信念しか持っていない人は、わずかしか愛することができない。


人びとは「愛すること」を恐れている

 

幸いなことに、フロムさんによれば愛するのに必要な「信念」「勇気」は日常生活のいたるところで鍛錬することができるという。

そのためには「自分がどんなときに信念を失うか」を意識して生活すればいい。

すなわち、どんなときに

・自分を信用できなくなるか
・ずるい考えをするか
・そしてそれをどういう風に正当化するか

を意識し、それをなくしていけばいいのである。

 

だが、多くの人はこれらをしない。

自分の信念が弱い=自分を信じられない=人を愛せない

ということがわかってしまうことを恐れているのである。


おわりに

 

このエントリーを書きながら思い出したのはKinki Kidsの名曲『愛されるより 愛したい』である。

私の母がファンだったので、車に乗るときはだいたいキンキの曲がかかっていた。

ちなみに、母は光一くん派である。

 

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今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。