『学問』のレビュー~男のオナニーは「自慰」ではない~
文学とエロスは親和性が高い。
もくじ
文学とエロスのかかわり
古典的名作だと田山花袋の『蒲団』だったり、谷崎潤一郎の『鍵』だったり、三島由紀夫の『憂国』だったり。
現代の作家も同様だ。村上春樹氏の『ノルウェイの森』『海辺のカフカ』、渡辺淳一氏の『失楽園』、林真理子氏の『不機嫌な果実』などなど。まぁ、文芸のエロスの場合、性的な描写をする場合は“不倫”のパターンが多い。
というわけで、今回紹介する作家さんはエロス要素の多い作品を生み出してきた文学作家、山田詠美氏である。
山田詠美について
1959年、東京都生まれ。現在、56歳である。幼少時は父親の転勤が多かったため、全国を転々としながら暮らしていた。高校卒業後は明治大学に入学し、そこでエロマンガ雑誌『漫画エロジェニカ』で山田双葉というペンネームを使い、マンガ家としてまずはデビューする。そう、この人、マンガ家でもある(あった?)のである。その後、大学を中退し、本格的にマンガ家として活動を始めた。これはちょっと、機会があったらぜひとも読んでみたい。
小説家としてのデビューは1985年。『ベッドタイムアイズ』である。河出書房新社が開催する文藝賞を受賞した。
その後、1987年には『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』で直木賞を受賞。そして同年、横田基地に勤務していた黒人男性と交際を開始、1990年に結婚した。山田氏は以前から黒人男性と交際していたが、先に交際していた男性とは別人。ただし、この人物とは2006年に離婚し、現在の夫は2011年に結婚した10歳年下の劇作家、可能涼介氏である。
ほかにも、著作がいくつもの賞を受賞している。1990年には『トラッシュ』で中央公論新社が主催する女流文学賞を、(ちなみに女流文学賞は2001年に終了し、現在では婦人公論文芸賞と名前を変えている)
そして『風味絶佳』で中央公論新社の谷崎潤一郎賞を受賞している。
この作品は2006年に『シュガー&スパイス 風味絶佳』というタイトルで、柳楽優弥、沢尻エリカを主演として映画化されたので、記憶に新しい人もいるだろう。私も見に行った記憶がある。いまでこそすっかり「エリカ様」というイメージが定着してしまった彼女だが、やはり演技力は高い。映画も割とよい出来だった。夏木マリがまたいいキャラクターなのである。
いまや芥川賞の選考委員
そんな山田詠美氏、今年の芥川賞では選考委員として、又吉直樹氏、羽田圭介氏を選んだひとりなのだ。現在ではすっかり文壇の大御所となっている人物なのである。
なお、作品はほとんどがエロスをふんだんにまき散らした男女のことをテーマに描かれているが、その一方で『熱血ポンちゃん』シリーズというエッセーも人気を博している。
ちなみに、ポンちゃんというのは山田氏の愛称で、ヤフー知恵袋の回答によれば、『お腹の事を赤ちゃん言葉の「ポンポン」と言っていて、友人たちに「ポンちゃん」と名付けられた』のが由来らしい。真偽のほどは定かではないが。私はエッセーはあまり好まないので、こちらのシリーズはまったく読んでいない。
現在もコンスタントに執筆していて作品が多いので、私もすべてを読んでいるわけではないが、あえておススメをひとつ挙げるとすれば『ぼくは勉強ができない』だろう。ベタだけどね。
本作は学校の勉強ができない代わりに女性に死ぬほどモテる高校生男子、時田秀美くんを主人公とした物語である。まったくもって、うらやましい限りである。
この作品に限った話ではないが、山田氏の作品は文芸とは言いながらもかなり読みやすい。普段あまり本を読まない人でも、さほど労なく読めるのではないだろうか。エロスもあるしね! あとは、『ラビット病』もいい。
『学問』のレビュー(ネタバレなし)
と、ここからやっと今回の本題だ。今回読んだのはこれである。
この本、私の家にあったのだが、いったいいつ、なんで購入したのかまったく記憶がない。おそらく、書店をフラフラ徘徊しているときに何の気なしに購入し、そのまま買ったことも忘れて置きっぱなしにしていたのだろう。本好きの人は、おそらくこういう本が十数冊くらいは家にあるのではないだろうか。ふと目に入ったので、このたび、ようやく読み終えた次第である。
感想を端的に言うと、おもしろかった。文章面でいえば、さすがにベテランなだけある。決して難しい言葉を使っているわけではないのに、センスのある言葉の選び方で独創的に物事を表現している巧みさが光っているのだ。まずはあらすじ。
東京から引っ越してきた仁美、リーダー格で人気者の心太、食いしん坊の無量、眠るのが生きがいの千穂。高度経済成長時代、静岡県の架空の町で生活を送る4人は小学生の時から、友情とも恋愛ともつかない、特別なきずなで結ばれていた。中学、高校に進むとともに一歩一歩大人の世界に近づく彼らの毎日を彩る性の輝き、そして人生の終わりが、官能的な言葉とともにつづられる。
テーマ的な側面から本書の内容を簡単にいうと「ひとりの女の子が自慰行為の意味を学ぶ物語」である。語り部である仁美がはじめて自慰を行ったとき、それはとても「神聖な行為」で、「儀式」だった。しかし異性とのセックスを実際に経験したり、心太に対する自らの感情を認識するといった経験を経るにつれて、彼女のその行為はやっと「自慰」になっていくのである。
自慰とは何か?
自ら性器をいじってオーガズムに達する行為の呼び方はいくつもある。自慰、オナニー、マスターベーション、手淫、センズリ、シコシコ(シコる)、抜く、一人エッチなどなど。もっとも一般的な呼び名はオナニーではないかと思うが、作中において仁美は男子中高生が刹那的な性的快楽のためだけの行為をそのように呼ぶことを疑問視している。以下本文より引用。
自慰などという情けない言葉は、死んでも使いたくありません。かと言って、男子が軽々しく使うオナニーという呼び方もどうかと思います。だいたい、彼らは、それがドイツ語だというのを知っているのでしょうか。素子の話によると、旧約聖書に登場するオナンという人物が語源だそうです。そして、その人は、後に神によって殺されてしまうのだとか。下世話な話ではしゃぐために、使う用語ではないように思えます。それでは、彼らは、それを何と呼べば良いのか。さあ。やはり「しこしこ」あたりが無難なところではないでしょうか。想像力を駆使した仁美の儀式とは大違いの即物的な行為には、いかにも相応しいでしょう。
自慰というのは、読んで字のごとく「自ら慰める」ことである。つまり、恋い焦がれる相手と結ばれることを願いながら、それが果たされないもどかしさを自ら満たす行為ともいえるわけだ。
私は男性なので世の女性たちがいったい何をオカズにしているのか知らないが、少なくとも男性の中で「自慰行為」を行ったことがある人なんてほとんどいないのではないのだろうかと考えられる(二次元のキャラクターも「恋い焦がれる相手」に含むとしたらいっぱいいるかもしれないけど)。もちろん、作中で仁美がたどりついた境地は、こんな簡単にいえるほど単純な心境ではないが。
つまり本書は10代の少女の成長を描きながら、「自慰とは何か」という疑問に対する答えを提示するような内容なのである。
ちなみに、個人的に個人的に気に入ったのは「ソロ活動」という言葉である。この言葉がさしているのは単純に行為そのものだが、それを嫌みったらしくなくカッコつけている感じが好感を持てる。世の中には「自家発電」という言葉もあるが、こちらはビミョー。なにか生産的なことをしているという漢字がにじみ出ていて、ちょっと嫌な感じだ。
「支配されたい」という欲望
物語は仁美中心に進むが、もうひとり、重要な役割を担っているのが、彼女が思いを寄せる友人・心太である。彼は家が非常に貧乏でありながら卑屈になることなく、むしろ高いカリスマ性によって周囲の同年代たちはもちろん、大人たちをも瞬時に魅了してしまう。そして、世界をすべて自分のものにしたいという野望を抱いている。
一方の仁美は、そんな彼に対して恋愛感情よりも、強い「被支配願望」を抱いている。そう、心太は人々を虜にし、そして支配してしまう能力を持っているのだ。彼は「空気」を作り出し、彼の言葉に従ってしまうのである。
だから心太は女の子に死ぬほどモテる。その意味では『ぼくは勉強ができない』の主人公・時田秀美くんと同様だ。ただし、時田くんは勉強ができなかったし、勉強ができることに価値を見出していなかったが、心太は違う。彼は自らの家庭が窮乏していたからこそ、知識を得て学ぶことに対して貪欲なのだ。
とはいえ、そんな心太に危機感を抱く人物もいる。仁美の友人のひとりである素子は彼を「怖い」と表現し、ひたすら接触を避けるのである。それはたぶん、彼女が「支配されることを望まない人間」だからだろう。彼女は彼女なりの野望を胸の内に秘めているからこそ、人に従うことを是としない。しかし、そんな彼女でも心太を前にすると従ってしまいたくなるような強いパワーを感じたからこそ、彼女は心太を恐れていたのである。
世の中の多くの人には、大なり小なり、仁美に似た「被支配欲」があると思う。誰かに支配されていたほうが、自分で考えなくてもいいから楽なのだ。
なお、4人組のひとりである千穂も心太に支配されていたひとりだったが、あることをきっかけにそこから脱した。以下引用。(テンちゃんは心太のニックネーム)
「うん、違ってた。千穂が苦しかったのは、見えない鎖みたいなもので、つながれたままだったからなんだよ」
(中略)
「だって、鎖のはしっこをつかんでいたのは、テンちゃんだもん。あの人って、まるで、鎖を固定する杭みたい。たとえ意識してなくっても、本人は、そうなることを望んでる。きっと、すごい快感なんじゃないかなあ」
最後に、そんな千穂が放った印象的な言葉を添えておこう。
「たぶん体を許した男って、心も許しちゃうんだよ」
逆に考えれば、女性は必ずしもそうではない、ということだ。世の男性諸君にはぜひともこの言葉を胸に刻んでおいていただきたい。
おわりに
最近、エントリーの内容が下ネタばっかりになっているような気がする。しかし、だからといって徒花が下ネタ好きな下品な人間であると考えるのは見当違いも甚だしく、浅薄な考えであるといわざるを得ない。
むしろ普段の私は高潔な精神を有する類稀な人格者で、人々から陰ながら「社会倫理の守護者」と呼ばれているに違いないようなジェントルマンだ。普段から周囲のすべての人間に敬意を抱き、自らを律しているため、「自分はもしかしたらイエスかムハンマドかブッダの生まれ変わりではないか」とつねづね考えているくらいである。
であるからして、チンポとかマンコとかフェラチオとかクンニとかクリトリスとかポルチオとかウンコとかという言葉は反吐が出るほど嫌いであり、言葉を見るだけでもじんましんが起こる。いまも吐き気と脂汗と動悸・息切れを必死にこらえながらこの文章を書いているくらいである。そこのところは、ゆめゆめ誤解しないでいただきたいと声を大にして言っておきたい。
というわけで、お粗末様でした。