『君の膵臓をたべたい』のレビュー~ミステリマニアの悪い癖~
本はタイトルが命である。よほど著者が有名だったり、有名な賞を取った場合は別だが……という文章をつい最近書いた気がする。
ともあれ、タイトルのインパクトが抜群な本をまた1冊読んだ。それがこちら。
まず気になったのが、「なんで『たべたい』だけがひらがななんだろ?」ってこと。
別にこれについては本書の中でどこにも説明はないし、読書メーターでほかの人の感想をざっと見ても誰もこのことについて言及していなかったのでどうでもいいことなのかもしれないが、「食べたい」と漢字で書くと「膵臓」は漢字にせざるを得ないからあまりに生々しくなりすぎて編集部から「ひらがなにしましょう」という提案を受けたりしたのかなーなどと邪推してしまう。
まぁ表紙のデザインからも想像できるように、本書はべつに人のはらわたを掻っ捌いて膵臓をもしゃもしゃ食べることを至上の喜びとする変質者や怪物が出てくるスリラーなどではなく、高校生の男女を主人公にした純愛物語である。
本屋で並んでいるのを見かけたときからタイトルだけは気になっていたのだが、なかなか買う決心はつかなかった。結局買う決心をつける前に会社の人が持っていたので、それを借りて読み終えた次第である。中身はあっさりしているので、正味2時間程度で読み終えられた。
本書の装丁はちょっと変わっていて、こうした装丁は「フランス製本」という。上製(ハードカバー)のようでいて、並製(ソフトカバー)のような本のことだ。上司によればこうしたデザインはちょっと金がかかるらしい。見返しの部分にあえて余った紙を折りたたんだようなデザインにしているのがシャレオツである。
まずはいつものように著者紹介からいきたいところだが、著者の住野よる氏は本書がデビュー作で、著者紹介のところにも必要最低限のことしか書かれておらず、年齢、性別、出身地などはまったく不明。現時点ではWikiのページすらない状況なので、ここで説明しようにも説明のしようがない。とりあえず、Twitterのアカウントはあるようなのでそれだけ貼り付けておこう。
※2015年9月5日(土)追記
ツイッターにて@AQkGjFNdY6WTDjtさんから、住野氏についての情報をいただきましたので。住野氏は小説投稿サイト『小説家になろう』出身のいわゆる「なろう作家」で、『キミスイ』という作品を投稿していたようです。残念ながら商業作家デビューするにあたってすべての作品を削除しているために現在はそれらを読むことができませんが、その経緯について書かれたページがあったので、いちおうリンク張っておきます。@AQkGjFNdY6WTDjtさんに感謝感謝!
「君の膵臓を食べたい」書籍化のご報告|住野よる(ex.夜野やすみ)の活動報告
『君の膵臓をたべたい』のレビュー(たぶんネタバレなし)
端的に読み終えた感想を言うと、ちょっと期待しすぎた。
ほかのレビューなどを見ると「泣ける」という言葉が飛び交い、帯文でもとにかく涙がちょちょぎれるということが書いてあったのでそこそこ期待していたのだが、残念ながら落涙することはなかった。もちろんこれは本書の価値を貶めるものではなく、単に徒花が精神的に擦り切れてカラッカラになった人非人であることを示すだけのことであることはいうまでもない。
私がちょっと落胆したのは起承転結の「転」と「結」の部分。
出だしは好調、行きはよいよい、とにかく主人公の男子高校生と女子高生のイチャイチャラブラブっぷりが脳みそとろけるくらいの甘々スウィートっぷりだったのでそこらへんは読んでいて恋愛小説特有のカタルシスを感じられたのだが、いかんせん物語が終息し始める後半になると「あぁ、まぁそうなるよね」という展開で、そうした流れのなかに私の期待を裏切るような驚きも落胆も悲哀も、そして感動も見いだせなかったので、「はい、終わり」という感じでそのまま本書は終わってしまった。みんなが感動している中で感動できない自分がいるのはどこか物悲しい気分になってしまうものである。
ちょっとここからは一部ネタバレ、というか、本書を読んでいない人には意味不明なことを書き出し始めると思うので、それでもOKな人だけ反転させて読んでもらえれば幸いだ。
徒花は主人公が「自分の名前は『共病ノート』に出さないでくれ」と桜良にお願いしたところで、こんな想像を巡らせていた――――もしかするといま、自分が読んでいるこの文章こそが桜良が書き溜めていた共病ノートの内容であり、ここにはすでに世を去った桜良の妄想……というか願望も含まれた状態で描写されていて、終盤になってからこのノートを読者と一緒に読み進めていた春樹がそのことを初めて明らかにし、どうしてもっと生前の彼女に自分の素直な気持ちを打ち明けなかったのだろうと後悔の涙を流しながらついぞ果たされなかった何か約束みたいなものを果たす的な結末なんじゃないだろうか―――と思っていたのである。
要は、私は変に物語の構造を勝手により複雑で入り組んだものだと曲解し、そうした結末が待っていることを心の片隅で期待していたからこそ、非常に素直で美しい本書の終わり方に不満を抱くことを禁じ得なかったわけなのだ。
たぶんちょっとミステリーとかSFとかの読みすぎだと思う。純粋な愛の物語を「ひねりが足りない」としか感じられないのは重症だ。困ったものである。
本書のよいところ
とはいえもちろん、決して悪い作品ではない。互いに正反対な性格で、不思議な関係性を築きながらもスレスレな距離感で心を通わせ、絶妙な関係性をここまで美しく描き切ったことで、読んでいる人間は胸がキュンキュンしてどこかもどかしい気持ちになってしまうだろう。
また、文章も非常に読みやすい。たしかにケータイ小説やライトノベルのそれを思わせるような軽い口語体を主体としたものだが、だからといって砕けすぎることはなく、丁寧な語り口は読み進める中でストレスを感じさせることはない。著者の筆力を感じさせる。
そしてキャラクターも魅力的だ。こちらもアニメやマンガのように若干各々のキャラクターをデフォルメしたような人物たちが登場するが、それが破天荒すぎることはなく、軽妙な掛け合いはリアリティを感じさせながらも、ほほえましい気分にさせてくれる。そこらへんのバランス感覚はピカイチだろう。そのうち実写映画化されそうな気がする。
そういえば先に本書を読んでいた先輩によれば、本書はどことなく村上春樹氏の『ノルウェイの森』を感じさせるようなものだという。
かくいう徒花はじつは『ノルウェイの森』は読んだことがない。村上春樹氏の本は『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『海辺のカフカ』を読んだのだが、どうにも村上節が肌に合わず、それから読んでいなかったのだ。
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)
- 作者: 村上春樹
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しかし、先輩曰く、村上春樹の作品は『ノルウェイの森』とそれ以外ではだいぶ雰囲気が違うという。そういうのであれば、今度時間ができたときにぜひとも『ノルウェイの森』は読んでみようと思う。
ちなみにいま、徒花は時間がある時に『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の旅』もちょぼちょぼ読んでいるのだが、やはりなかなかページが進まないので読み終わらないのだ。そのうち村上春樹でエントリーを書くつもりはあるのだが、まだまだ当面、先のことになりそうである。
というわけで、お粗末さまでした。