本で死ぬ ver2.0

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『思うことから、すべては始まる』(植木宣隆・著)のレビュー

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発売前から業界内では話題になっていた本なので、すぐに読みました。

 

思うことから、すべては始まる

思うことから、すべては始まる

 

 

本書は戦後2番目(当時)の大ヒットとなった春山茂雄著『脳内革命』(410万部)を編集し、現在はサンマーク出版という会社の社長を務めている人物による編集論の本です。

 

脳内革命―脳から出るホルモンが生き方を変える

脳内革命―脳から出るホルモンが生き方を変える

  • 作者:春山 茂雄
  • 発売日: 1995/05/01
  • メディア: 単行本
 

 

サンマーク出版という会社は、都内に住んでいる方であれば、たとえ出版関係者ではなくても名前を目にする機会が多いのではないかなと思います。

山手線や中央線などのドア横に大きな広告をよく出している会社だからです。

そもそも、電車にこのような広告を初めて出したのはサンマーク出版で、それが絶大な効果を発揮したために他者が真似しているのが現状です。

サンマーク出版は社員数50名程度の中小出版社で、もちろん講談社集英社小学館KADOKAWAなどと比べると売上高自体は小さいと思いますが、1995年からの25年間で8冊ものミリオンセラー(100万部突破)を出してきたスゴい会社です。

このあたりの本を出している会社です。

 

人生がときめく片づけの魔法

人生がときめく片づけの魔法

  • 作者:近藤麻理恵
  • 発売日: 2010/12/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
生き方

生き方

 
モデルが秘密にしたがる体幹リセットダイエット

モデルが秘密にしたがる体幹リセットダイエット

  • 作者:佐久間健一
  • 発売日: 2017/05/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
コーヒーが冷めないうちに

コーヒーが冷めないうちに

  • 作者:川口俊和
  • 発売日: 2015/12/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
どんなに体がかたい人でもベターッと開脚できるようになるすごい方法

どんなに体がかたい人でもベターッと開脚できるようになるすごい方法

  • 作者:Eiko
  • 発売日: 2016/04/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

100万部という数字、マンガなどと比べるとどうしても大したことがないように思いますが(マンガだと数百万部はザラにあります)、上記のような実用書の単行本の場合、最近は初版5000部くらいからスタートするのが普通です。

そのうち、一度でも増刷するのが10%程度と言われていて、1万部を超えればまあ優秀な方、3万部を超えれば「ヒット」と言ってもいいくらい、10万部を超えれば「ベストセラー」などと呼ばれます。

 

そうしたなかでミリオンセラーを排出しているだけでもスゴいのですが、サンマーク出版のもっとスゴいところは、こうしたミリオンセラーを「無名著者」でやっている点です。

私もなんだかんだ10年近く編集者をしてきてしみじみと実感するのですが、やはり本を売るためには著者のネームバリューというのはかなり大きな要素です。

最近は減少傾向にありますが、書籍の発行点数が増え続けて毎日新しい本が書店に送り出されているため、書棚の入れ替えは高速で行われます。

そのため、新刊として発売して1~2週間くらいで動きが鈍い本はどんどん返品されてしまうのです。

それを防ぐ1つの手段が著者の知名度であり、知名度が高いからこそ初速が出せて、そのあとも売り伸ばしやすくなるという事実があります。

サンマーク出版の場合、稲盛和夫さんはちょっと別格ですが、たとえば近藤麻理恵(こんまり)さんなども出版された当時は世間的にまったく知られていない人でした。

ほかの著者の方も、タイトルは知っているけれど、著者名は覚えていないというケースが多いのではないでしょうか。

言ってみれば、それだけしっかりしたコンセプトと、時流・世間のニーズをガッチリつかんだ本を生み出しているということでしょう。

本書はそんな会社の社長が編集論、本の作り方に関して持論をまとめているわけですから、実用書の編集をしている人間であればまず間違いなく読む本だと思います。

 

さて、本書のベースになっているのは「サンマーク出版かるた」というものです。

これはサンマーク出版内で共有されている出版の極意のようなもので、「いろは」順で本づくりの心構えをまとめたもの。これまで公にはされていませんでした。

どれも大変ためになる内容なのですが、私がとりわけ感銘を受けたものをいくつかピックアップしてご紹介しましょう。

残りの内容はぜひ本書を読んでみてください。

 

「ま」まずは「そう思うこと」から

これはタイトルにもなっている項目です。

一冊の本が出来上がるとき、もちろん著者の思いが先にある場合もありますが、ビジネス実用書の場合は「こんな本を世に送り出したい」という編集者の思いがすべての始まりになります。

私も経験がありますが、いい企画のときは頭の中にふんわりと一冊の本が浮かび上がってくるんですよね。

だから、この項目をタイトルにした意味はよくわかりますし、すごく納得できます。

 

「あ」圧倒的な「量」が「質」へと転化する

このあたりは見城徹さんの著書『たった一人の熱狂』に通じるところもあるように思いますが、とかく編集者は著者に連絡をする前に徹底的なリサーチをするものです。

 

たった一人の熱狂 (幻冬舎文庫)

たった一人の熱狂 (幻冬舎文庫)

  • 作者:見城 徹
  • 発売日: 2016/04/12
  • メディア: 文庫
 

 

著書を全部読み込むのは当然として、インタビューやウェブの記事、動画などを見て、それを自分なりにまとめてから提案したりします。

とくに人気の著者の場合、各社から執筆依頼が届いているわけですから、その編集者が単に思いつきで連絡をしてきただけなのか、それとも「こいつ、本気で自分の本を作りたいと思ってるんだな」と思ってもらえるかはこういうところで差がついたりします。

このあたり、本当に大変なことも多いし、相手によってどのようなアプローチを取るべきかは異なるのですが、編集者の仕事の醍醐味でもあるのです。

 

編集者が書いた編集術の本なので、編集という仕事をしている人にとってはたいへん役に立つ内容ですが、まあ企画職、ディレクション系の仕事をしている人にも役に立つ内容ではないでしょうか。

同じく編集論なら、こちらの本もおすすめです。

 

編集 -悪い本ほどすぐできる 良い本ほどむずかしい-

編集 -悪い本ほどすぐできる 良い本ほどむずかしい-

  • 作者:豊田 きいち
  • 発売日: 2016/07/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  

後記

最近はアンジャッシュ渡部建さんの不倫騒動がありましたが、その流れで知り合いの女性ライターさんとセックスについての話になり、そこでメチャクチャ考えさせられたので自分の考えをまとめる意味でも書いておきます。

その女性ライターいわく「セックスがしたくないわけじゃなくて、自分のことを好きでもない男とセックスするのが嫌」なのだそうです。

これはなかなか言い得て妙な発言です。

よく「好きじゃない男とセックスはしたくない」という意見は聞いたりしますが、これをもっと正確に表現すると、まさに彼女が言ったように「自分のことを好きじゃない男とセックスはしたくない」というほうが正しいと思うのです。

 

私は男なので女性の気持ちはわかりませんが、まず大前提として99%の男は恋愛のモチベーションとして「セックスしたい」があります(そうじゃない男もごくごくごくごくごく少数いると思いますが)。

合コンとかナンパとか恋愛工学とか出会い系サイトとかで男が甲斐甲斐しく動き回るのはこの生まれながらにプログラミングされた本能に基づいているのですが、だいたいそういう恋愛シーンでうまくいかない男性というのは「好き」と「セックスしたい」の順番が逆になっていることが多いと思うのです。

とはいっても、別に「セックスしたい」という気持ちが悪いわけではありません。

問題は順番です。

つまり、「好きだからセックスしたい」のか「セックスしたいから好きだと言っている」のかでは、天と地ほどの差があるということです。

もてない男というのは後者の道を爆進しているケースが多く、それを小手先のテクニックや話術などでカバーしようとして失敗します。

 

んで、私はこの話をしていて、本づくり(というかビジネス全般)にも似ているかもしれないと感じました。

編集者であれば「売れる本を作りたい」という野心を持っています。

これは、恋愛において「セックスしたい」と考えるのと同じです。この気持を持つこと自体は悪いことではありません。

でも、「売れる本をつくるにはどうすればいいのか」だけを考えていると、どうしても売れる本はつくれないのです。

すごく綺麗事のように聞こえてしまいますが、「どうすれば読者の役に立つ本になるか」「どうすれば読者が楽しめる本になるか」ということを考えて本づくりをしていると、その本は売れたりするのです。

女性も読者も賢いですから、そういうのは見抜かれます。

もちろん、若いとどうしても「セックスしたい」「仕事で成果を出したい」「売れるものをつくりたい」という気持ちが先に出てしまうものなので、そこはしょうがないところもあると思います。

偉そうに語っている私も、この年齢になってやっとそのあたりのことが腑に落ちるようになってきました。(とはいえまだまだ修行中)

難しいですね。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。

『1%の富裕層のお金でみんなが幸せになる方法』(クリス・ヒューズ)のレビュー

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成功者たちの本が世の中には溢れています。

なぜ人々が成功者たちの本を読みたがるかというと、「彼らの真似をすれば自分も成功者に慣れる」という考え(信仰?)があるからです。

ロジック自体は明快で、「成功するには正しい方法がある。そのロジックを知って実践すれば成功できる」というものですね。

まあ、そのロジックが正しかったとしても、実践することが出来ないのが凡人の悲しいところではあるのですが、そもそも社会的成功には少なからず「運」の要素が絡んでくると思うのです。

 

どんな能力を持つことが社会的成功につながるかは、時代背景によって変わります。

たとえば孫正義さんが戦国時代に生まれてしまったら、もしかしたら足軽としてあっけなく弓矢に当たって何事をなすこともなく死んでしまっていたかもしれません。

(もちろん、大商人としてやっぱり大成するかもしれませんが)

あるいは別に「時代」なんていうたいそれたことでなくても、たとえば私が北朝鮮に生まれていたら、こんなふうに好きに本を読んでブログを書くなんてことはできていないでしょう。

日本人として生まれてこの年齢まで大きな病気も怪我もなく、自分がやりたい仕事につけて、生活できて、好きな本を読んで文章をかけるのは大変「幸運」なことです。

いわゆる社会的成功をするか否かも、この「運」が絡んでくる要素が大きいというのは、今回紹介する本で少し実感しました。

 

1%の富裕層のお金でみんなが幸せになる方法

1%の富裕層のお金でみんなが幸せになる方法

 

 

本書の著者クリス・ヒューズ氏はたまたまハーバード大学マーク・ザッカーバーグという青年とルームメイトになり、たまたまフェイスブックというサービスを展開するのを手伝ったことにより、もう一生働かなくてもいい大金を手にするのです。

とはいえ、彼はその後、バラク・オバマ大統領の選挙キャンペーンのオンライン戦略をマネジメントして成功を収めていますし、超頭が切れるザッカーバーグに気に入られたくらいですから(そもそもハーバードに合格しているし)、地頭はいいし努力もしていることは間違いありません。

ただ、おそらく彼くらいの能力を持っている人はほかにもいたにもかかわらず、マーク・ザッカーバーグに出会ったのは彼で、若いうちから超大金を手に入れたというのは、まあ言ってみれば宝くじに近い感覚でしょう。

実際、彼も次のように言っています。

僕はフェイスブックを去ってかなり経ってからも、市民団体や企業、学校などに呼ばれ、人々を鼓舞し奮い立たせるようなフェイスブックの物語を伝えた。才能と努力をつぎ込めば自分も同じように成功できるのだと聴衆は信じたがっていた。僕らの成功の秘訣を知り、それに続きたいと考えていた。だから僕は彼らが望むとおりの物語をつくろうとした。努力の末にすばらしい成果を上げたときの達成感を知っていたし、フェイスブックは実際、途方もない大成功だった。

しかしそれは先達が積み重ねてきたものとはまるで種類の違う成功だった。これまでの世代は努力を重ね、前の世代よりも少しずつよい暮らしを手に入れてきた。だが僕のフェイスブックでの経験は、たとえるなら宝くじに当選する感覚に近かった。

誰もが学生寮のサクセスストーリーに熱狂したが、僕自身は釈然としなかった。自分が何かの天才だなんて思えなかった。

 

さて、とはいっても「成功」と「運」がどうのこうのというのは、この本のメインテーマではありません。

著者のヒューズさんは自らの幸運によって働かなくてもいいくらいの大金を手に入れた結果、社会に蔓延している覆しようのない巨大な経済的格差の存在を身を以て実感し、それをなんとかできないかという社会活動を始めたのです。

その結果、彼が結論としてたどり着き、本書で提言しているのが「保証所得」というシステムです。

 

年収五万ドル未満の世帯の、何らかのかたちで働いている成人一人につき月五〇〇ドルの保証所得を政府が支給する。

つまり一人につき年六〇〇〇ドル、既婚夫婦なら一万二〇〇〇ドルの計算だ。年三万八〇〇〇ドルの収入しかない夫婦の世帯は年収が五万ドルになり、手取りが大幅に増える。ウォルマートで時給一〇ドルで週二五時間働く独身労働者は、所得が一万三〇〇〇ドルから一万九〇〇〇ドルに押し上げられる。

 

これは、日本では2ちゃんねる創設者のひろゆきさんなどが盛んに提唱している「ベーシック・インカム(BI)」と似ていますが、BIが支給する対象を一切限定しない(つまり貧乏人も金持ちも誰でももらえる)のに対し、こちらは対象が「働いている成人」に限定されます。

また、ヒューズ氏の案では、この保証所得の財源は年収二五万ドル(日本円だとおよそ年収2600万円)を超えるアメリカの最富裕層が全面的に負担するようです。

こうすることにより、全国民に一律お金を配るよりもコストが少ない、と主張しています(だれが保証所得の対象者化を選別する人的・時間的コストがどのくらいかかるのかなどは不明ですが)。

 

本書の後半はそんな「保証所得」の話になっていておもしろさが半減してしまいますが(それが著者の伝えたいことなんですけどね)、個人的には前半、著者のフェイスブックとの関わりやオバマ大統領のエピソードのほうがおもしろいです。

 

1%の富裕層のお金でみんなが幸せになる方法

1%の富裕層のお金でみんなが幸せになる方法

 

 

後記

マンガ『二月の勝者』を読みました。

 

 

進学塾講師の先生たちの受験にまつわる物語です。

受験マンガといえば有名なのは『ドラゴン桜』ですね。

 

ドラゴン桜(1) (モーニングコミックス)

ドラゴン桜(1) (モーニングコミックス)

 

 

こちらは高校生の大学受験がテーマで、弁護士が経営難に苦しむ高校を助けるという物語です。

ドラマが話題となりましたが、こちらの『二月の勝者』もドラマ化されるみたいです。

本作で大きなウェイトを占めるのが「お金」。

言ってみれば「受験とお金の真実」です。

正直な話、親の年収と子どもの成績・大学進学率には正の相関関係があり、年収の高い家庭の子どもほど成績が良くなります。

私自身が塾に通った経験もほとんどないし、親の苦悩も子どもの思いもよくわからないので、このマンガの内容がどのくらいのリアリティを持っているのかは不明ですが、各主人公である黒木蔵人らにもいろいろな過去があるようで、各家庭の人間ドラマも垣間見れ、なかなか楽しく読めました。

ドラマになったらまた話題になるかもしれないですね。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。

『友だち幻想』(菅野仁・著)のレビュー

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私は友だちが多い方ではないです。

いまも付き合いがあるのは高校時代に1人、大学時代に2人の計3人でしょうか。

友だちの定義は難しいですし、男女によって差が出る気もしますが、私の場合は「なにも理由がなくても会える間柄」が基準かなと思っています。

実際、計3人と述べましたが、この3人とは定期的に連絡をとっているわけではありません。

LINEをするのも、年に数回くらい、実際に会うのは年に一度あるかないかくらいの頻度ですね。

ただ、どれだけ時間が空いてしまっても、気軽に「飯でもくおうぜ」と呼びかけられる関係性は、この年齢になるとなかなかありがたみを感じますね。

 

……と、友だちという関係についてこんなふうに妙にありがたみを感じてしまうのは自分がいつの間にかオジサンになってしまったからなのかもしれないですが、一方で友だちという関係について悩みを抱えている人もきっと少なくないわけで、そういう人にとってこの本はありがたい存在なのでしょう。

 

 

この本、初版は2008年ともう10年以上前ですが、2018年に日テレ系の番組「世界一受けたい授業」でピースの又吉さんが本書を紹介したことで人気に火が付き、25万部を突破したようです。

余談ですが、「世界一受けたい授業」はTBSの「王様のブランチ」と並んで、書籍をよく紹介してくれる出版業界にとってたいへんありがたい番組の一つであります。

 

さて、本書の帯には「『みんな仲良く』という重圧に苦しんでいる人へ」というコピーが大きく乗っていますので、読者対象としては小学生、中学生、高校生、大学生、あとはママ友との付き合いなどで問題を抱えているお母さんなどでしょうか。

 

じつは私自身は、率直に言えばそういう人の気持ちはよくわかりません。

というのも、学生時代からあまり友人関係を重視しない人間だったからです。

今でも覚えているのですが、中学時代、家が近くて一緒に下校する友人が1人いたのですが、私は「今日はなんか一人で帰りたい気分だから一人で帰らせてくれ」とつたえ、週に一度くらいは一人で帰っていました。

そんな失礼極まりない私に対して友人関係を続けてくれていた彼は、いま考えると大変広い心の持ち主だったと思います。

いかんせん当時はまだ携帯も持っていなかったので、いまでは彼と連絡がつかない状態ですが、いいやつでしたね。

そんな感じなので当然ながら団体行動はできず、部活は幽霊部員、大学に入ったサークルでもレアキャラ(前触れもなく現れてフッといなくなる奴)でした。

 

よく考えれば、書籍の編集者も、ぜんぜんチームプレーを必要としない職種ですね。

もちろん、ライターやデザイナー、イラストレーター、印刷会社の人など、関係する人々をまとめてディレクションする立場なのですが、いわゆるなれ合い的なものではなく、プロジェクトごとに関係がリセットされます。

企画を立てるのも、著者と交渉するのも、個人プレーばかりです。

著者の人たちともわりとビジネスライクでドライな付き合い方しかしないし、そもそもお酒が飲めないので、著者とお酒を飲みに行くということもせず、せいぜいたまにコーヒーをご一緒して雑談するくらいの関係性ですが、それで仕事は滞りなく行えています。

攻殻機動隊的な言い方をすれば「あるとすればスタンドプレーから生じるチームワークだけ」な感じですね。

 

今回のエントリーに関してはやたらと自分語りが多くなってしまいますが、とにかく私自身がこういう性格なので、じつのところを言えば本書で述べられている内容についてとくにこれといった感銘を受けたことはなくて、どちらかというと、普段自分が友だちという関係についてぼんやりと考えていることをいい感じで言語化してくれているなあと言ったような印象でした。

ピースの又吉さんもそうですが、おそらく読書家という人種は、本当に人間関係に困っていてこの本に救いを求めるというよりも、私のように本書の内容に納得感を抱く人が多いのではないでしょうか。

読書家という人たちには、なにしろ「本」という最高の友人がいるわけですしね。

 

さて本書の中身に入りましょう。

本書のキーワードとなるのは「並存性」というやつです。

現代社会においては、「気の合わない人」といっしょの時間や空間を過ごすという経験をせざるを得ない機会が多くなっているのです。だから「気の合わない人と一緒にいる作法」ということを真剣に考えなければならないと思います。そしてそれが、「並存性」というキーワードで私が表そうとしている中味です。

私たちはすべての人と友だちにならなくてもいいし、すべての人と良好な関係をつくる必要もありません。

ただ、そうはいっても気に食わないやつのそばにいなければならないことは多々あるので、そういう人たちとはうまく付き合う方法を学んだほうがいいということですね。

並存性というのは、「異なるものが同時に存在する」という意味です。

この並存性を日常で実践するのがどういうことかというと、つまり「やりすごす」ということです。

同じ空間にいても必要最低限のコミュニケーションしかとらない。

接触頻度をなるたけ減らす。

これが大事ということですね。

菅野先生は「態度保留」と称していますが、大人であれば、仕事上でお付き合いする多くの人がこの態度保留の関係性でお付き合いしているんじゃないでしょうか。

 

もうひとつ、本書のタイトルになっている「友だち幻想」とはなんでしょうか。

世の中には「この世には自分のことを百パーセント理解し、受け入れてくれる人がどこかにいるはずだ」と考えている人がいるようです。

これは幻想であり、そんなものは存在しないと菅野先生は言います。

自分の考え、価値観が百パーセント共有できる人間がいたとしたら、それはもはや他者ではなく、自分の分身であるということです。

友だちのみならず、恋愛や親子関係でもこうした幻想を持ちやすいものですが、恋人であろうが親子であろうが、人間としては赤の他人であるわけですから、そもそもこういう幻想を抱かないようにするだけで一気に生きやすくなるということですね。

内容は少し抽象的なところも多いですが、適度にイラストもまじり、平易な言葉で書かれています。

もともと本をよく読む人には益の少なめな本かもしれないですが、人間カン家に振り回されてしまうことが多いのであれば、大いに学びになる一冊です。

 

 

後記

LINEマンガで無料だったのでこちらのマンガを2巻まで読んでみました。

 

 

海の底で魚たちと幸せに暮らしていた人魚姫のエラ。ある日、仲間の魚・鰹男が人間に捕まったということで助けに地上へ上がります。

しかし、居酒屋で見つけたのはかつての友の変わり果てた(料理された)姿。

その無残な光景に人魚姫は帰ろうとしますが、そこで隣の席にいた飲兵衛がもらした「(料理されたのに食べてもらえないなんて)これじゃあ釣られたカツオも成仏できねぇな」という一言でエラは意を決してカツオのたたきを口にします。

その瞬間、エラはあまりの美味しさに感動。それから、いろいろな展開で仲間の魚たちを食べてしまうという異色の罪悪ファンタジーグルメマンガなのです。

とはいえ、展開だけでいえば、もう最近はありとあらゆるグルメマンガが登場していますから驚きはあまりありません。

エラが食事をするときにちょっとエロく見せるのも、「食戟のソーマ」で慣れてます。

この作品で個人的におもしろかったのは、好きあらば突っ込んでくる小ネタというかパロディですね。

ありとあらゆるマンガ、アニメ、ゲーム、テレビ番組やドラマなど、気づかないとスルーしてしまうようなところにネタが仕込まれています。

意外とそういうグルメマンガはなかったような気がするので、なかなか楽しめました。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。

『メインテーマは殺人』(アンソニー・ホロヴィッツ著)のレビュー

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小説を読んでいて「すごいなぁ」と著者の筆力に感嘆することはよくあるのですが、私がとくに感心するのは「イヤなキャラクター」の描き方がうまいときです。

物語の場合、主人公の敵役とは別に、なんだか気に食わない、まじでこんな奴がそばにいたらイライラするな……というキャラクターが出てくるとすごくいいアクセントになりますよね。

ハリー・ポッターシリーズでいうとこのスネイプ先生みたいな感じというと、わかりやすいでしょうか。

料理の味付けにちょっとした苦味があると深みが出るように、嫌なキャラクターがいると物語に奥行きが出てくるように思います。

 

で、今回紹介するこちらの本。

 

ミステリーとしてのクオリティも最高だったのですが、人物の描き方が秀逸でした。

あらすじはこんな感じです。

 

自らの葬儀の手配をしたまさにその日、資産家の老婦人は絞殺された。彼女は、自分が殺されると知っていたのか? 作家のわたし、ホロヴィッツはドラマの脚本執筆で知り合った元刑事ホーソーンから、この奇妙な事件を操作する自分を本にしないかと誘われる……。自らをワトソン役に配した、謎解きの魅力全開の犯人当てミステリ!

 

著者のスティーブン・ホロヴィッツは『カササギ殺人事件』が日本国内のミステリアワードを総なめにした話題作となりました。

こちらも気になって読もうかと思っていたのですが、『カササギ殺人事件』は上下巻なので、とりあえず1冊で完結しているこちらから読んでみようと思った次第です。

 

 

本作はもちろんフィクションですが、著者本人がワトソン役として登場し、この著者が実際に今現在やっていそうな仕事の話を交えながら物語を進めるので、どこからどこまでがリアルで、どこからがフィクションなのかその境界線が最初は曖昧になりがちです。それが著者の狙いでもあります。

 

なにしろ、『タンタンの冒険』の続編映画の脚本を書くことになり、そのためにスティーブン・スピルバーグと話をするというシーンすらあります。

ホロヴィッツが『タンタンの冒険2』にかかわっていたのは事実であったようです。実現はいまのところ、していないようですが。

www.bbc.com

 

タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密 (字幕版)

タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密 (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

で、探偵役のホーソーン

もともと敏腕の警察官だったのですが、現在は警察の顧問警察として、警察とは別行動でいろいろな事件を捜査している人物です。

ホロヴィッツとはとあるドラマの『インジャスティス 法と正義の間で』で、できるだけ不愉快な刑事役のモデルとして協力してもらったことが縁と語られます。

(このドラマも実在します)

 

まあ、このホーソーンが超絶嫌なやつなわけです。

もちろん、古今東西、名探偵といえば常人離れした感覚の持ち主で、いまでいえば発達障害と言われてしまいそうな人達もいるわけですが、多くの場合、それでも憎めないキャラクターに仕上げられていることが多いなか、このホーソーンはほんとに嫌な奴です。

本作における探偵役なのでずば抜けた観察力と推理力を持っているのですが、とにかく独善的で自己中心的、横暴、そしてこれが極め付きですが、差別的な言動を繰り返します。

たとえば冒頭でのホロヴィッツホーソーンの会話。

そもそも、不可解な事件をホロヴィッツに持ち込んで、それをワトソン役として書き留めて小説として発表し、自分にも分け前をよこせと提案してくるのはホーソーンのほうなのですが、彼は自分のプライベートや過去について語るのは嫌だと断言します。

ちょっと引用しましょう。

 

「どうしてまた、きみの話なんかを読みたがる人間がいると思うんだ?」

「おれは刑事だからな。世の中の人間は、刑事の話を読みたがるもんじゃないか」

「だが、正式な刑事じゃない。きみは首になったんだろう。そもそも、いったいどうして首にされたんだ?」

「その話はしたくないんでね」

「なるほど。だが、きみの話を書くとなったら、それについても話してもらうことになる。きみがどこに住んでいるのか、結婚はしているのか、朝は何を食べたのか、休日は何をしているのか、そんなことも。人々が殺人事件の話を読みたがるのは、こういうことに興味があるからだよ」

「あんたはそう思ってるのか?」

「ああ、そうだ!」

ホーソーンは頭を振った。「おれはそうは思わんね。主題(メインテーマ)となるのは殺人だ。重要なのはそこなんだよ」

 

このあとも紆余曲折あって、結局ホロヴィッツはこの提案を受け入れることになるのですが、ホーソーンはその後もホロヴィッツの書いた文章にケチをつけたりしてきて、なかなかのイヤなやつっぷりを発揮します。

探偵役がイヤなやつ(というか一癖も二癖もある)のはよくありますが、ホームズ役とワトソン役がこんなにもギクシャクした関係で物語が進むパターンもなかなか珍しいんじゃないでしょうか。

 

もちろん本作、ミステリーの部分も一級です。

最初に引用した紹介文でも書かれていますが、本作はトリック云々というよりも、「誰が犯人なのか」を読者が予想しながら読み進めるフーダニットのおもしろさがあります

犯人の意外性もバッチリ。

たいへん、楽しめるミステリーでした。

 

 

後記

先日、最近の売れ筋マンガをまとめたエントリーを書いたのですが、

 

ada-bana.hatenablog.com

 

いくつかのマンガはAmazonで1巻無料だったので読んでみました。

抜群におもしろかったのは「アシガール」ですね。

 

アシガール 1 (マーガレットコミックスDIGITAL)
 

 

脚が速いことしか取り柄のない女子高生が弟の発明したマシンに酔って戦国時代にタイムスリップし、そこで出会ったイケメン若君を振り向かせるため、戦で活躍しようとするSFラブコメディです。

とにかく主人公がアホの子すぎて行動に突拍子もないし、弟が逆にハイスペック過ぎて突っ込みどころが満載なのですが、あっさり軽やかなギャグがまんべんなく散りばめられていて、笑いながら読めます。

知らなかったのですが、映像化もされていたみたいですね。

NHKのドラマのようです。

 

アシガール DVD BOX

アシガール DVD BOX

  • 発売日: 2018/06/02
  • メディア: DVD
 

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。

『R62号の発明・鉛の卵』のレビュー

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私はたまーに、暇だと土日などに開催されている読書会に参加したりします。

この本は以前(というか数年前)の読書会でだれかが紹介していたのをメモって脳内の「いつか読もうリスト」に入れていたのですが、ふいに思い出したので購入し、読みました。

 

本というのは、どういうタイミングで読むかによって感想が左右される気がします。

よほどの名作なら別ですが、やっぱり気分がいいときに読んだ本は高評価になりやすいし、なにかストレスが溜まっているときに読んだ本は低評価になりやすいような気がします。

これは人間であれば仕方がないことですね。

 

私は読んだ本をとりあえず読書メーターに記録して、それからしばらく時間をおいてから、ブログにレビューを書きます。

不思議なことに、ブログを書くためにパラパラとめくっていたりすると、読み終えた直後とは違う感想が湧いてきたりするものです。

よくあるのは、「読んだ直後はクソおもしろかったのでブログでガッツリレビューを書こうと思ったけど、いざ書き始めたら意外と書くことがなかった」というパターンですね。

このパターンで、ずっと下書きのままになっているブログ記事がけっこうあります。

念のために下書きは残していますが、おそらくこの下書きたちが清書されて公開されることはないでしょう。

 

さて今回紹介するこちらの本ですが、

 

R62号の発明・鉛の卵 (新潮文庫)

R62号の発明・鉛の卵 (新潮文庫)

 

 

この本を読む直前、私は高橋源一郎氏の『ジョン・レノン対火星人』を読んでいました(「読んでいた」というか、まったくわからないままページをめくっていました)。

 

ジョン・レノン対火星人 (講談社文芸文庫)

ジョン・レノン対火星人 (講談社文芸文庫)

 

 

ジョン・レノン対火星人』はまったくもって支離滅裂で、意味がわかなかったのですが、とにかく私のなかで比較対象となったのが直近の『ジョン・レノン対火星人』だったわけです

そのため、「あれと比べればメチャクチャわかりやすい作品だ!」と『R62号の発明』を読んだ直後は思ったものですが、さてこの記事を書くためにもういちどサラッと読み返してみると、意味がわかるようでわからん作品ばかりだったのでどうしようかと思っています。

 

安部公房と言えば、読書家の方なら名前は聞いたことがあるのではないでしょうか。

代表作は『砂の女』です。

 

砂の女 (新潮文庫)

砂の女 (新潮文庫)

 

 

砂の女』はあらすじを説明すると

とある男が砂だらけ村にあるの穴の中に、閉じ込められ、そこに一人で暮らしていた女と一緒に生活せざるを得なくなり、男はなんとか脱出して逃げ出そうと試みるのですが、それができないことを悟り、女との間に子どもができて、逃げ出そうという気持ちがなくなってしまいましたとさ

という物語です。

高校生の時に読んだ記憶があります。

 

当時はなんかよくわからん話だなあと思いましたが、この年齢になってもう一度読んでみたら、なにかまた新しい感想が思い浮かぶかもしれません。そのうち読んでみようかなと考えています。

 

話をもとに戻しましょう。

読書会で『R62合の発明・鉛の卵』を紹介されたとき、私が興味を惹かれたのは表題作の片割れである『鉛の卵』でした。

んで、実際に読んでみて、最後に収録されている『鉛の卵』は傑作でした。

『鉛の卵』はこういう物語です。

 

80万年後の世界で、炭鉱から「鉛の卵」が発見される。クラレント式恒久冬眠箱と書かれたその箱は、選ばれた学者をコールドスリープ状態にして未来に送るものだったのだが、何かの手違いで惹かれる予定を大幅に超えてしまったようだった。

目が冷めた男は緑色の肌をした人間たちに驚く。人間は体に葉緑素を取り込み、食べ物を摂取することなく、奴隷族たちに労働をさせて自分たちは遊び呆けるという暮らしをしていたのだ。彼らの社会に驚く男だったが、やがて空腹になり、食事がしたいとお願いした。その瞬間、有効的だった彼らは「食事という下品な行為」をしなくてはならない男を奴隷たちの世界に追放することに決めたのだった……

 

砂の女』とはうってかわって、バリバリSFですね。

星新一ショートショートに近いような作風でした(星新一よりはちょっとアンニュイで退廃的な雰囲気が全体的にありますが)。

このあとはネタバレになるので、結末はぜひ読んでみてください。

 

残りの収録作品も、簡単に紹介しておきましょう。

 

『R62号の発明』

自殺しようとした男が謎の男に誘われ、人体改造を受けてロボットにされてしまうという物語です。

けっこうグロいです。

ただ、最後の最後がなにがいいたかったのか、よくわかりませんでした。

これは、執筆された昭和28年当時のロボティクスのイメージと重ね合わせないとよく理解できないのかもしれませn。

 

『パニック』

失業した男がパニック商事の求人係を名乗る男・Kから「働かないか」と誘いを受ける。しかしその晩、しこたま酒を飲んで意識を失ったあと、Kは殺されていた。怖くなった男は逃走を試みるという話です。

こちらはまあまあオチがわかりやすいですね。

いろいろブラックな物語です。

 

『犬』

美術系の研究所?に勤めている男が犬を買っている女性と結婚するのだけど、その犬が不気味すぎるという物語です。

男の屈折した感情も不思議なのですが、本当の不思議は物語の終盤あたりから一気に始まります。

不条理です。でも、なんとなく意味はわかります。

 

『変形の記録』

戦争のさなか、トラックに轢き殺されて魂のみの存在になった男が「魂視点」から兵隊たちの行動を描写するという物語。

やがて少尉も死んで魂の存在になり、主人公には連れができます。

これは殺伐としているのに、どこかユーモラスで笑けてしまうような物語ですね。

 

『死んだ娘が歌った……』

金のない両親により、工場勤めから売春宿に売られた女の子が自殺して魂だけの存在になり、自分の境遇を振り返るという物語。

シチュエーション的には『変形の記録』と似てますが、こちらのほうは夢野久作的な雰囲気がありますね。ギャグもありません

 

『盲腸』

ある新学説の研究の一環として、自分の盲腸に羊の盲腸を移植された男の物語です。

『R62号の発明』のように、体を改造されたことで精神的にも変調をきたした男の物語なのですが、こちらは肉体的にはもとに戻ります。

ただ、メンタル面は不可逆的なもののようです。

 

『棒』

子守の最中、デパートの屋上から墜落した男が墜落した途中で一本の棒になって地面に突き刺さり、学校の先生風の男と生徒に拾われていろいろ分析されるという不条理な物語です。

本書の物語は全体的に、人間がロボットになったり霊になったりヤギの盲腸を取り付けられたりと、人間から変質させられることにより、人間という存在を客観視しているようです。

 

『人肉食用反対陳情団と三人の紳士たち』

くらいの高い人間だけが人間の肉を食べることを許された社会で、人肉食反対を訴える人々と貴族的な階級のひとたちの話し合いの様子を描いた物語。

最初っから最後まで噛み合わない話し合いはなんともブラック味あふれますね。

本書のなかではかなりわかりやすい話です。

 

『鍵』

食を世話してもらおうと叔父を頼ってきた主人公だったが、鍵の研究をしている叔父はひねくれた性格の持ち主で、重要な発明をしているために家に閉じこもり、真実を見抜く力を見抜く娘で主人公を尋問する。会社の人間によると、叔父はあらゆる鍵を開ける万能鍵を開発したらしい……と言う物語。

物語の構造自体はそんなに複雑じゃないけれど、これもいまいち何を言いたかったのかよくわからない作品だった。

 

 『耳の値段』

理由もわからないまま警察に捕まって勾留された、学費の支払いが滞っている大学生が、ひょんなことから知り合った学友とともに六法全書と耳を頼りになんとか金を稼ごうと悪戦苦闘する物語。

わかるようなわからんような、シュールでちょっと笑える感じの物語。

 

『鏡と呼子

とある田舎の学校に赴任してきた教師が住まわせてもらうことになった家の人物は、望遠鏡で毎日村人たちの行動を観察することだった。閉塞感のある村の生活のなかで、教師は改革者としての役割を期待されるが……。

いま改めて読み直してみると、これが一番『砂の女』と構造的に似ているかも知れないですね。

わかりにくいけど。

 

 

総括になりますが、全体として、やっぱりけっこう読みづらいです。

いわゆる不条理文学系で、時系列と言うか、話の流れがつかみにくい構造のものが多いので、けっこう丹念に読んでいかないと状況がまったく理解できなくなります。

そういうのを楽しむ心の余裕があるときに読んだほうがいいかもしれないですね。

 

R62号の発明・鉛の卵 (新潮文庫)

R62号の発明・鉛の卵 (新潮文庫)

 

 

 

後記

先日、「コロナでヒマすぎるからオススメの小説を教えてくれ」と請われ、短編集やら長編やらいろいろ勧めたのですが、彼いわく、「短編小説は読みにくい」ということを言われました。

これは私にとってちょっと不思議なことでした。

私なんかの感覚だと、短編集ですぐに読み終えられる話のほうが、普段あまり本を読まない人にはいいのではないかと考えたのです。

しかし、これは間違いでした。

それは「没入感」というキーワードで理解できました。

 

ビジネス書などでも最近はストーリー形式にしたものが増えています。

そのほうが話がわかりやすくなるだろうという狙いもあるのですが、しかし、一概にそうとも言い切れません。

たとえば最近私が購入したこちらの本ですが、

 

脳が老いない世界一シンプルな方法

脳が老いない世界一シンプルな方法

  • 作者:久賀谷 亮
  • 発売日: 2018/09/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

こんな装丁のくせに中身は結構ガッツリした小説スタイルで、びっくりしました。

というか、「そういう心づもり」で読もうとしていなかったので、いきなり物語が始まってしまったことで脳が拒絶反応を起こしてしまい、いまだに全然読み進められていないのです。

 

そうなのです。

小説といわゆるビジネス書とかノンフィクション系の本では、読むにあたって読者に求められる姿勢が変わってくると思うんですよね。

そして小説というのは、最初にのめり込むハードルがノンフィクション系よりも高い気がします。

ビジネス書は最初から読者のために読みやすく書かれていることが多いですが、小説の場合は、演出や世界観を重視するがために、ちょっと不親切なことも多いからです。

しかしその分、いったん物語の前提条件や大まかな話の流れが把握できれば、小説のほうがぐっとページを早く読み進められることもあります。

この「没入感は強いが、入りにくい」というのが、小説のメリットであり、デメリットである部分でもあると思います。

 

それでいうと短編集というのは、たしかに一つ一つの話は短いかもしれないけど、それぞれ関連性のない、独立した別個の世界の物語であるわけですが、読み始めるごとに、その物語がどういう世界なのか、どういう主人公なのかなどを読者は探りながら読み進めなければなりません。

それは、小説を読み慣れている人にとってはそんなに労しないことなのですが、小説を読むことになれていない人にとってはしんどいことなのです。

逆に長編小説の場合、たしかに最後まで読むのに時間はかかるかもしれないけど、ずっと同じ流れで物語が進んでいくわけですから、一度状況を把握できさえすれば、最後まで読み進めるのは、短編集よりも心理的に楽な側面が大きいと言えるのです。

これこそ、友人が「短編小説は読みにくい」といった原因だと思います。

ひとつ勉強になりました。

 

今回はこんなところで。

それでは、お粗末さまでした。