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本で死ぬ

基本的には本の話。でもたまに別の話。

『作家の収支』のレビューほか~森博嗣という作家について~

ビジネス エッセー

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小説家になりたい、という野望を持っている人は多いと思う。

もくじ

小説家になりたいという思い

かくいう私だって、小説家になりたいという思いは持っている。じつは私も小説投稿サイトでコツコツと小説を書いたりしている。ぜんぜんアップしていないし、気分が乗ったとき(かつ時間があるとき)にしか書かないが。ある程度の作品量がまとまったら順次公開していこうと計画している。

そういうひそかな野望を持っている人であれば一度読んでみるのをおススメしたいのが、理系ミステリで著名な森博嗣(もり・ひろし)氏の新書『作家の収支』。本書を読むと、「小説家になりたい」とはいえなくなるかもしれないが・・・・・・。

作家の収支 (幻冬舎新書)

作家の収支 (幻冬舎新書)

 

なお、読んでいてふと「こういう仕事に対する考え方はブログの集客についても同じことが言えるのかもしれないな」とも思ったので、ブログでアクセス数を増やしたいという野望を持っている人も、読んでみたらいいかもしれない。

なお、購入するのであればkindle版がおススメ。紙の本が800円くらいするのに対し、299円とかなり安くなってる。

森博嗣氏について

もともとは国立大学の先生で建築のことを教えていたが、40代くらいになってから「小遣いがほしい」とおもむろに小説を執筆。手当たり次第に出版社に送っていたら講談社の編集者の目に留まり、いつのまにやら「メフィスト賞」を受賞していることになった――というのがデビューまでの経歴である。これが、ドラマやアニメになった代表作である『すべてがFになる』

すべてがFになる (講談社文庫)

すべてがFになる (講談社文庫)

 

その後、ミステリーを中心にしつつも、押井守監督の手によってアニメ映画化されたSF作品『スカイ・クロラ』などを著したものの、2008年にもうこれ以上、著作活動を広げないと「引退宣言」をして、以降は作品数を絞っている。なぜ引退したのかは、森氏の執筆に対するスタンスが関係している。

まず、森氏は小説や本への愛着はなく、基本的に読まない。出版社などからいろいろ献本されても読まないから困っているようで、それよりもラジコンなどのほうがうれしいようだ。そもそも、小説を書いたのも「ラジコン飛行機を飛ばせるような場所がほしい」「庭園鉄道で遊びたい」という目的があったためであり、「自分の中の創作意欲が云々」とか「世の中にこういうことを問いかけたい云々」といった、崇高な使命感などは微塵も持っていない。単純にビジネスとして、小説を書いているのだ。

そして、もう十分お金を稼いで自分が欲しかったものをすべて手に入れてしまったので、意欲的に小説を書く必要性がなくなったのである。なお、庭園鉄道はお気に入りのようで、毎日庭の手入れをしては機関車に乗って遊んでいるらしい。

また、マイナーな娯楽である小説の中でもとくにマイナーである自分の作品がここまで自分に多くの収入をもたらしてくれるとはまったく予想していなかったという。そのためか、自分の作品が売れるような努力を自発的に行うことはなく、顔出しやメディアへの出演は基本的に断っている

関係者からは「変わった人」と見られているようだが、森氏からすれば「周りの人はみんな変わっている」と捉えているので、どっちもどっちだと本人は言っている。

このように、森氏はあくまでもお金儲けの手段として小説を書いているので、執筆が好きではないという。いやいや書いていたそうだ。自分の小説をことさらおもしろいとも思っていないし、だからこそスランプというのもない。個人的にはこういうキャラクターの人、嫌いじゃない。

本書について

本書は小説ではない。実用書であり、エッセイでもある。

具体的に言うと、タイトルが示すとおり、森氏がこれまで書いてきた作品でどれだけの印税を手にしてきたのかとか、映画化、アニメ化するとどれくらいのお金が入って、書籍の売り上げにどのくらいの影響を与えるのかということを淡々とつづっている。あと、原稿料とかテレビやラジオの出演料とかも赤裸々に明かしている。こうしたことが書けるのも、もう作家としてこれ以上成功したいと、これっぽっちも思っていないからこそだろう。

もちろん、こうした客観的な数字の開示もおもしろいのだが、個人的に本書に価値があると思うのは森氏の仕事感、メディア論についてついて書かれている部分。ただ、いろいろ書き始めるとまたこのエントリーが長くなるし、ネタバレにもなってしまうから、ここではあんまり書かない。読んでくれ。

文体は、本人がもともと大学の先生をやっていただけあってか、理路整然としていて大変わかりやすい(世俗を離れた大学の先生にしては一般人にとってわかりやすすぎる文章、ともいえるが)。また、できるだけ主観を排して客観的な事実を淡々と伝える内容なのだが、たまーにポコッと出てくる呟きみたいな心情の表現が茶目っ気を感じさせて好印象。この手の文章にはよくある「上から目線感」もあまり抱かなかった。ここらへんは、エッセイとしてのいい部分をうまく取り入れて書かれているのではないかと思う。

小説家とはなにか

さて、森氏は自分のことを「たぶん小説家だと思う」などと述べている。なんで断定しないかというと、小説家という名称の定義が明確ではないからだ。小説家はライターと同じく、本人がそう名乗ればその日からなれる。そこには特別な資格は必要ない。食っていけるかいけないかは問題ではない。それは、お笑い芸人と同じだろう。まったく人気のないお笑い芸人で、バイトで生計を立てていても、お笑い芸人はお笑い芸人なのである。

しかも、いまは小説投稿サイトやkindleのダイレクトパブリッシングなどで、誰でも出版社を介さずに世界に向けて自分の書いた作品を発表できるようになっているのだ。誰でも簡単に、いますぐ小説家になれる。森氏は本書で次のように語っている。以下引用。

おそらく、今小説家になりたい人は、これまでの小説家像に憧れ、それを目指しているのだろう。しかし、これからの小説家像は、そのとおりではない。ここまで書いてきたように、よりマイナになり、つまり同人誌作家に近づく。作家の数は増えるが、しかし、読者の数は増えない。必然的にシェアを奪い合うことになるから、平均すれば、半プロ作家が増える。これは、音楽業界でも同じだろう。AKB48などが、そもそもマイナさを売り物にして登場したのだが、今ではそれがメジャもメジャ、トップになってしまった。

カタカナ語の最後の音引き(-)を表記しないのは小説でも同様であり、たぶんなにかしらのルールがあるものと思われるが、詳細は定かではない

小説家とは職業ではなく「属性」なのではないか

このあたりのことを読んでいて私が思ったのは「小説家というのは職業ではなく、属性なのではないか」ということである。

たとえば、ある男性は会社にいるときは「課長」だが、家に帰ると「夫もしくはパパ」になり、ネット上では「著名ブロガー」になったりするとしよう。その男性が同時にAmazonで自作の小説を売り出したら、その瞬間に彼のキャラクターには「小説家」という新たな属性が付加されるのだ。そのうえ、ボカロソフトで作った楽曲をYoutubeにアップすれば「作曲家」という属性もつく。

それはさながら、ポケモンとかパズドラなどのゲームでいうところの「タイプ」に似ているかもしれない。たとえば、マリルリはもともと「みずタイプ」だけだったが、「ポケットモンスターX/Y」では「みず/フェアリー」という複合タイプになった。これにより、得意な相手が増えたのである(苦手な相手も増えたが)

もしかするとこれからは、どれだけ自分の属性(タイプ)を増やしていけるかがカギになるかもしれない。なんのカギになるのかはわからんけど。

森氏のアドバイスはすべての創作活動に応用できる

さんざんああだこうだいっている森氏は、それでも最後には小説家になることを望む人々に向けて彼なりのアドバイスを送っている。引用。

したがって、小説家になるためにはこれこれこうしなさい、といった既存の「ノウハウ」に惑わされてはいけない。とにかく自分の作品を書けば良い。「手法」はどうでも良い。「どう書くか」ではなく、「書くか」である。

どれだけたくさんの文章を、および作品を書くことができるかが、現代のように誰でも作品を発表できる世界では大切だと説いている。これ、別に小説に限った話ではない。ブログについても、ネットでブログのアクセス数を高めるための方法論について述べられているサイトを見ると「最初はアクセスカウンターなんて見るな! とにかく毎日記事を更新し続けろ」と書かれている。

最初から質の高い記事を書くなんて到底無理だ。それに、現代では人々の注目はすぐに移り変わってしまう。大ヒット作というものも、まず生まれない。であれば、ホームランを狙うよりも、ヒットを狙ってとにかく打席に入り続け、バットを振り続けることが大切なのだ。そうすれば、そのうちたまたまホームランになる打球が出るかもしれない。

さらにいえば、これは文章に限った話ではない。イラストにしろ、動画にしろ、音楽にしろ、なにかを作って世に発表する人々に求められる姿勢は「質より量」であるかもしれない。

趣味にすることの素晴らしさ

いちおう、徒花も「どれだけ忙しくても週に一度はブログを更新しよう」とひそかに目標を立てている。そしてなによりもすばらしいのは、このブログがあくまでも「趣味」である、という点だ。つまり、本当に書くことがイヤになったら、こんなブログはほったらかしてしまえばいいのである。

もし私がプロブロガーとしてアフィリエイトなどで生計を立てていたら、書きたくなくなったからといって書くのをやめるわけにはいかなくなる。しかし、趣味ならブログの執筆を何の前触れもなくやめても、誰にも迷惑はかからないし、自分も困らない。そこらへんが、仕事と趣味の違いだろう。実際、私は編集者としての本作りは、いくら自分が何のアイディアも浮かばなくても、頭をウンウンひねって何かしら売れる本の企画を考えなくてはいけないのだ……。趣味ってステキだ。

小説なんて、生活のために書くものではない。もうちょっと持論を言えば、小説とか創作活動なんて、そもそも誰かのためを思ってやることではないのだ。自分が書きたいから核というそれだけのことであり、「相手のことを思いやった」瞬間に、自分がやりたくないことを「やらなければならない」という意識が発生し、気苦労が生じる(ここらへんは小説の執筆を金儲けの手段のひとつとしてかんがえている森氏とは意見が相反する部分ではある)

小説は趣味で書けばいいのだ。森氏のように、小遣いがほしいから小説家になる、というのは、個人的には賛成できるスタンスである。

Vシリーズの2作を読んで

黒猫の三角 (講談社文庫)

黒猫の三角 (講談社文庫)

 
人形式モナリザ Shape of Things Human (講談社文庫)

人形式モナリザ Shape of Things Human (講談社文庫)

 

と、最近読んでいた森氏の著書2作のレビューもついでに書いておこう。読んだのは「Vシリーズ」と呼ばれる、お嬢様崩れのバツイチ子持ち・瀬在丸紅子(せざいまる・べにこ)が探偵役として活躍(?)する。Vは紅子の頭文字らしい。知らなかったが、黒猫の三角』は2015年にドラマ化もしていたようだ。瀬在丸紅子を演じたのは檀れいさん。

赤と黒のゲキジョー スペシャルドラマ『瀬在丸紅子の事件簿~黒猫の三角~』 - とれたてフジテレビ

じつは私も森氏の作品には興味があって、以前にもすべてがFになるを読もうと思っていたのだが、なぜか途中から読むのをやめてそのままになっていたのだ。んで、アニメ化もした『すべてがFになる』を読めばいいのに、また私の天邪鬼病が発祥したため、あえてまったく触れていなかったVシリーズに手を出した次第である。

今度はちゃんと読みきることができたが、正直なところ、2作を読んで続きも読むかはビミョーなところ。森氏も『作家の収支』のなかで語っているが、基本的に彼の作品はトリックこそきちんと成り立たせているものの、それ以外の要素をけっこう適当にしている部分がある。つまり、読後にけっこうモヤモヤ感が残る。作品には相性というものがあるので、あまり私にはあっていないのかもしれない。

ただし、トリック自体はわりかしきっちりしている。驚愕の真相というほどのものではないが、納得はできる仕上がりだ。なお、『黒猫の三角』はコミカライズされている(しかも3冊も)

黒猫の三角 (幻冬舎コミックス漫画文庫)

黒猫の三角 (幻冬舎コミックス漫画文庫)

 
黒猫の三角 (あすかコミックスDX)

黒猫の三角 (あすかコミックスDX)

 
黒猫の三角 (バーズコミックススペシャル)

黒猫の三角 (バーズコミックススペシャル)

 

徒花のお気に入りキャラクターは関西弁で喋るしこちゃんこと「香具山紫子」。かわいい。

 

というわけで、今回はこんなところで。

お粗末さまでした。